1章 目覚めのマトリクス

1-1 始まりの夜

辺りを漆黒の闇が支配している夜。月の光だけが、学校の校舎を照らしていた。

その屋内の不気味に静まり返った廊下を、ライトを片手に一人の男が歩いている。

俗にいう見回りというやつだ。時間はもうすぐ深夜の2時を回るころである。


「よし、異常はなしだな。次は──ん?」


二階の見回りが終わり、続いて三階へと移動しようと階段のほうへと歩みを進めた時だった。


トゥルルルルル、トゥルルルルル


どこからか電話のコール音が鳴っているのが、耳へと届く。どうやら一階から聴こえてくるようだ。


「電話?こんな夜中に?」


男は怪訝に思いながらも、三階の見回りを後まわしにして一階へと降りていく。

音が聞こえてくるのは職員室の方からだった。


「一体どこのどいつなんだ、まったく──」


ブツブツと文句をいいながら、コール音が鳴る方へと歩いて向かった。

職員室の前へ着くと、電話の音が大きくなっているのが分かる。男は扉を開け、中へと入っていくとすぐ側の机で電話が鳴っていた。

男は机へと近づき、受話器をとりあげて耳へと当てる。


「はい、もしもし?」


・・・・・・・・。


電話の向こうからは何も聞こえてこず、妙な静けさだけが伝わってくる。


プツン、ツーツーツー


何の返答もないまま電話は一方的に切れてしまった。どうやら悪戯電話だったようだ。男が溜息をつきながら、受話器を元の位置に戻し職員室を後にしようとした時──。


トゥルルルルル、トゥルルルルル


またコール音が鳴り始める。今度は先ほどとは違う机の電話だ。男は少し無気味に思いつつも、鳴っている電話の方へと向かい受話器を取った。


「もしもし?」


電話に出てそう返答するが先ほどと同じように向こうからは何も聞こえてこず、重い静けさだけであった。流石に相手へのイライラが募り始める。


プツン、ツーツーツー


しばらくしてまた電話が切られると、男は早く仕事に戻りたい一心ですぐさま受話器を戻し、足早に職員室を後にしようとする。

半分は悪戯への苛立ちもあったのだが、もう半分は無気味さゆえの恐怖からだ。

悪戯だと思いたいのだが、それにしては悪質すぎるし、今の時間が昼間ならそういったことを考える輩も多いだろう。

しかし今は深夜の2時を過ぎている。こんな時間じゃ職員室に誰もいないのは予測できるはずだし、間違い電話だとしたら続けざまというのも考えにくい。

そんなことを考えながら、男が扉へと手をかけた時だった──。


トゥルルルルル、トゥルルルルル


三度目の電話が鳴り始める。ここまでくるとこれは悪戯なのかどうなのかも曖昧に思えてきてしまう。

鳴っているのは先ほどとはまた違う電話だった。無視すればいいだけの話なのだが、もし本当に誰かが掛けてきているのであれば、応対した方がいいのは確かだ。

男は恐る恐る鳴り続けている電話のほうへと向かい、ゆっくりと受話器を持ち上げた。

そして深呼吸をし、耳へと当て言葉を発する。


「も、もしもし・・・・・・?」


向こうからの返事はない。

恐怖と苛立ちが頂点に達し、男は荒い声を上げて、電話の相手へと言葉をぶつけた。


「おい、いいかげんにしろ!さっきから何なんだ、一体!いいかげんにしないと警察に通報するからな!」


・・・・・・・・。


だが、相手からは何の返答もなかった。

しかし今回は一方的に切られることはなく、電話は繋がったままになっている。


「何とか言ったらどうなんだ!こんなことしてタダで済むと──」


そう続けようとした瞬間だった──。


フフフ、フフフフフフフ・・・・・・。


聞こえてきたのは女の声だった。だがその声には何か冷たいものを感じ、寒気がはしる。

すると職員室中の電話が一斉にけたたましくコール音を鳴らし始めた。四方から聴こえてくる音に男はパニックになり、手に持っていた受話器を投げ出そうとするが、何故か体が動かない。

恐怖からの硬直ではない。何らかの力が作用して動かないのである。


「な、なんでだ!?体が動かない・・・・・・」


男は必死に動こうとするが、当然動けるはずもなく焦りが頭の中を支配していく。

そしてけたたましく鳴り響いていた電話の音がピタッと鳴り止んだ──その直後だった。


『いま、あなたの後ろにいるの──』


「え・・・・・・?」


そう放たれた言葉に男は顔が強張り、息が荒くなっていく。

恐る恐るゆっくりと後ろを振り向くとそこには、目玉をぐりんと吊り上げさせ、ニタァと笑う血塗れの女が立っていた──。

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