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あの異常な週末が明け、日常が戻ってから四日が過ぎた。
店の鍵を開け、納品された食材を整理し、仕込みをし、
パートさんたちのなんてことない日常の愚痴を聞き流し、
発注、シフト作成、
夕方からは学生バイトたちの若者っぽい馬鹿話を聞いたりもする。
閉店後、バックルームで経理をしていると、「お先ですー」とバイトが帰っていく。
まあ、可もなく不可もない生活。
下町の弁当屋店長の暮らしは基本的に長閑な暮らしだ。そりゃ忙しいときもあるけど、よく来る常連のおじいちゃんおばあちゃんと昼下がりに雑談に興じる間もあったりする。
なのに、
そんな暮らしの中で、パックリと空いた亜空間みたいに、薫子さんの姿がよぎるのだ。
全裸に首輪をつけられて四つん這いで階段を登る姿。
騎乗位で腰を振りながら仰け反る姿。
夢中でペニスを咥え込む姿。
顔じゅう精子まみれになっての恍惚の表情。
このままでは、この得体の知れない快楽に呑まれてしまう。
だからきっと、努めて日常を常識的に過ごしたかったのかもしれない。現に日曜日の朝に彼女と別れて以来なんの連絡も取っていない。彼女も店には現れてないし。
このまま、狂った夢として終わって良いのだ。きっと。
木曜日の閉店一時間前、手慣れた学生バイトの男子は閉店に向けて少しずつモノを片付けたりしながら、付き合ってる子への愚痴(「友達に誘われて合コンに行ったらめちゃキレられたんすよ。自分も行ってる癖に!」など)をさほど重くない感じで話していて、僕はそれに「大変やなー」とか適当に相槌を打っている。
と、そのとき、店のドアが開く。
「いらっしゃいませ。あ・・・」
薫子さんだ。
彼女はカウンターの上のメニューを俯いて見ている。
そういや、あいつ(バイト)、薫子さんが客として来るたびに、あとでこっそり「あの人美人ですよねー。彼氏とかいるんすかね?」とかチャラい感じで言ってたな。その時はあまり気に留めてなかったけど。
というか、関係に気づかれたくない。
「ご注文お決まりでしょうか?」と努めて普通に接すると、彼女は少し沈黙したあと、
「連絡」
「?」
「連絡とか、次の約束とか、ください」
と小声で呟いた。スーツの隙間から首輪がチラリと見えた。
ドキッとして(いや何言ってんの?)と困惑する。後ろのやつに聞かれてないよな?
「冗談です。シャケ弁当小盛りと、ツナサラダください」
オーダーを通し、僕は何事もなかったかのようにご飯を盛る。横で盛り付けをしながら、
「こんな時間に一人飯、やっぱ彼氏いないですよ」と小声で言うバイト(こいつの考えはほんとに雑だな)。
恋人の有無に関しては、半分正解で半分ハズレだ。
出来上がった弁当をレジで渡し、代金を受け取る。ここまで普段通り。
「ありがとうございましたー」と僕が言ったあと、彼女はすぐに立ち去らず、手に持っていたビニール袋(ちょっとおしゃれ目の色のやつ)に入った衣類を手渡してきた。
「これ、お借りしてた服」
「あ、はい」。って受け取る。
そうそう、彼女は先日全裸でうちに来たので着るものがなく(その状況が異常なわけだが)、僕のシャツとジャージを貸してあげて、それを着て帰ったんだった。
下着を着けずにジャージを履くところもエロかったなと、一瞬思い出す。
「遅くなってすいません。やっと洗濯する時間ができたので」
こういうところが妙に礼儀正しいというか、真面目なんだよな。
「じゃ、また・・・連絡待ってます」
そう言って彼女が去ったあと、バイトが「なんか話してませんでした? それに何かもらってた?」と訊いてきた。
うるさい。詮索するな。
「知り合いだったんですか? 彼女とか?」
「ちょっとした知り合いだよ」って適当にごまかしたが、こいつがそもそも適当なのでまた自分の女がどうしたとかいう話題にシフトしている。
詮索されたことにうんざりしながらも、「彼女ですか?」と聞かれたとき、悪くないな。うん・・・悪くないって思ってしまった。
そこは認めようか。
連絡待ってるしな。
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