贅沢な悩みと、その活用法(死の谷)④

 眉を曇らすスコラに夜一が提案する。


「もしよろしければ《ジャンク・ブティコ》へ就職してはみませんか?」


 続けて夜一は《ジャンク・ブティコ》へ就職することで得ることの出来るメリットを指折り数えて語る。


「先ず手始めに研究所を作ります。スコラさんが研究、開発に打ち込める環境を提供します。そして必要資材も可能な限り用意します」


 夜一の提案にスコラは口をあんぐりと開ける。

 なおも夜一の勧誘は続く。


「僕たちは魔法による生活の水準向上を目指しています。現在、軍事転用されている魔法を生活魔法に転用しなおすのです。僕も魔法が扱えるのであれば自分でやりたいところなのですが、残念ながら僕は魔法適性がないようなので……」


 目を伏せた夜一の顔には悔しさが滲む。否、滲ませる。

 交渉ごとに際して嘘は吐いてはならない。だが、相手が勝手にいろいろと思いを巡らし、勘違いしてくれる分には問題ない。

 事実、夜一の表情にスコラはいくらかの同情を示した。


「魔法が全てではありません」


 肩に手を置き声を掛ける。もちろんゴーレムを通じて。


「ありがとうございます」


 夜一は心の中でほくそ笑んだ。

 この瞬間、夜一はスコラの心をつかんだ。

 仲間意識を作ることに成功したのだ。


 それ以降の交渉は実に簡単なものであった。

 雇用契約に際するメリットそしてデメリットもきちんと説明する。

 丁寧な説明。そしてデメリットの開示。

 これらは誠意ある対応としてスコラの目に映った。

 全ては夜一の思惑通りである。


 一通りの説明を終えると、


「……以上が雇用形態と、こちらが用意できる待遇です。如何でしょうか?」


 この世界において《ジャンク・ブティコ》以上の好待遇企業(商会)はない。

 労働基準法をはじめ、何も整備されていない法律。

 現代ではブラックと呼ばれてもおかしくない過重労働もこの世界では通常――一般的な仕事量であった。

 対して《ジャンク・ブティコ》は、この世界の住人からすれば短い労働時間と高収入の超優良企業(商会)と言えた。


 最後に夜一はプレゼントを用意していた。

 もし、交渉が難航した場合に使うつもりだった、いわゆる袖の下――賄賂である。

 手提げ袋の中から取り出したそれを見た瞬間、スコラの目は見開き、声にならない声をあげていた。


 虹色の輝きを放つ宝玉。

 スコラもまた、その魅力という名の引力に引き寄せられていた。

 目を離すことが出来ずに宝玉を凝視している。

 本物か否か、宝玉というものの希少性をスコラは理解していた。

 故に、宝玉を手にした夜一が「就職祝いです。差し上げます」と宝玉を差し出してきた時にスコラは固まった。

 手を受け皿にして差し出すと、夜一がそっと宝玉を手の上に置いた。


 !?


 ずしりとした重さにスコラは宝玉を落としそうになる――完全に落とした。

 間一髪。地面に衝突する寸前でゴーレム少女が見事にキャッチする。

 ふぅ、と胸をなでおろすスコラ。

 しかし、スコラの驚きはまだ止まらない。

 夜一が続けて「まだまだたくさんありますからね」と微笑む。

 これにはスコラも愕然。開いた口が塞がらなかった。



 * * *



 しばらくして、スコラが提供された資材を使って数多くの魔導具のを開発。

 大々的に魔導具を売り出した。

《ジャンク・ブティコ》が市場を独占したのは言うまでもない。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

※用語解説

【死の谷】

基礎研究と事業化の間にある隔たり(ギャップ)の比喩表現として用いられる。技術があっても製品化事業化は容易ではない。

近年、基礎研究に対する給付金は減額され、技術者離れが問題となっている。

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