11 告白

 綾姫たちは無事に成仏したらしく、再び脳裏に出没する気配はない。なので、あの世に逝って委員会(だったっけ?)は、その役目を終えて解散することになった。解散の前にわたしは全員を回ってこれだけは伝えた。

 公認カップル爆誕! とか、そういうあらぬ噂を広めちゃいけんよ、と。あれはノーカウント、と。

「えー、ノーカンかよー、そんなご無体なー」って、彩乃ちゃんが残念がることじゃないじゃろ?

「なんだか前よりよそよそしいよね」となっぴにも指摘される「もっと仲良うすりゃええのに」

 そう言われてもさ、なんか気まずいんだよね。

「田中は淋しがっとる思うよ」

 それはそうだと思うけど。

「でも綾姫たちもいなくなって、対策会議言うてどう口実もないしー」

「理由なんかなくても普通に会って喋ればいいのに」

「そうなんだけど」

「だけど何だよー」そんなに責めないで、なっぴ。

「こないだの後、田中くんに言うたんよ。森の中でのあれはほんの出来心じゃけえ、ノーカウントじゃ言うて」

「瑠香ちゃんそれはつれないわ。田中しょげとったじゃろ」

「メッチャしょげとった」

 まあ見るからに可哀想なほどでしたよね、実際。

 でも、仕方ないじゃん。

 顔を見合わせるだけで気まずさ半端ないんだから。

 普通に友達同士として会話するのも無理。

 意識しすぎか。

 でも、こんな気まずいのに仲良う言われてもー。

 無理なもんは無理ー。


 気まずい理由は分かっている。

 原因は綾姫にある。

 鷹之丞とのいちゃいちゃを見せつけたいのかなんなのか知らないけど。

 あれの最中に、しかも今まさにクライマックスというタイミングで、綾姫はわたしに意識を返してきた。それも毎回のように。

 そのたんび、わたしは気づいたら体が絶頂状態。

 こっちはそんなことなんにも経験したことなかったのに。

 経験してみる気になったことすらないのに、気づいたらそんな状態って。ひどくない?

 わたしは、あるとき綾姫に聞いてみた。

(あれってワザとなん?)

 綾姫の答えが振るっていた。

(いやはや、あんまり気持ちよかったもんで、妾だけ味わうのももったいのうて)

(も、もったいない?)

(で、体のぬしの瑠香ちゃんにもおすそわけ思うて)

(お、おすそわけ……それはまた、お気遣いいただきまして)

(いやいや礼には及ばぬぞえ)

 お気遣いいらんかったよ、綾姫。

 まだいろんなこと知らずにいたかった。

 まあ知ってしまった今となってはもう手遅れですけど。

 軽くトラウマ的な感はある。


 モヤモヤウジウジしていたら、彩乃ちゃんが久々にダンスの練習に誘ってくれた。

「あ、やるやるー。どこでする?」

「いつもの公園でどう? ちょうど梅雨の晴れ間で雨も落ちんけん」

 何も考えず、ひたすら音楽に合わせて踊る。二時間ぐらいみっちり練習したら、汗と一緒に悩みも吹き飛んだ。かな?

 夕方、薄暗くなっても蒸し暑い公園でベンチに並んで座り、買ってきたお茶を飲む。

「わたし、気づいちゃった。分かっちゃった」と彩乃ちゃんが口を開く。

「何を?」

「あんたと田中くんが気まずい理由」

「そ、その件か」せっかく忘れてたのにー。蒸し返すのかよー。

「その件には触れないで?」

「そ、そんなことはないけどさ」

「これは舌を滑らかにする潤滑油がいるな」

「潤滑油?」

 彩乃ちゃんがカバンから何やら茶色い小瓶を取り出した。キャップを開けてグビッと一口、それをわたしに手渡した。

れ。ぐいっと」

 手渡された小瓶をじっと見るわたし。え、これ?

「あんた、なんなんなら! こがいな危険なもん学校に持ち込んどるん? この不良少女が!」

「あはは、うち何も考えてないけん」

 彩乃ちゃん自由すぎる。

「遠慮いらんけん。さ、ぐいっと」

 わたしは腹をくくって、瓶を口につけ、ぐいっとあおった。

 とたんに口腔が焼け、飲み込むと喉が焼け、一拍おいて胃がカッと燃えだした。思わず、けほけほ、とむせるとちょっと鼻腔にも入り、鼻まで焼けた。

「おお、イケるクチ? 無理したらいけん」

 彩乃ちゃんはもう一口飲んで、また瓶をこっちに寄越し、自分は立ち上がってその場でぐるんぐるん回りだした。

「こうすると酔いがよう回るけん。あはははは」

「彩乃ちゃんスカートスカート。パンツ見えるよ、気いつけんと。どこで変態が覗いとるかもしれん」

「誰もいないし、平気だよ」

 ふと気配を感じて後ろを振り返ると、公園に隣接したアパートの二階の窓から望遠レンズ的な何かがこちらを狙っていて、キッと睨みつけると、それはスーっと引っ込んで、窓が閉まった。

 それでもめげずに、二人でスカートの裾を押さえながら、くるくる回っていると、楽しくなってきた。

 彩乃ちゃんが、時々わざとスカートから手を離してくるっと回って、あの窓に向かってアカンベーをしたり、中指を突き立てたりした。そのたびに大笑いする二人。

 茶色い小瓶の中身も少なくなってきた頃には、だいぶ口も滑らかに回るようになっていた。

「わたし、はじめてだったんよ?」

「うー。分かる分かる」

「なのに、あの糞馬鹿ドS変態綾姫がー!」

「あんまりdisディスると、怒って黄泉の国から戻ってくるけん」

「人格占拠されて。ちゃんと『はじめて』を体験しちょらん! ひどくない?」

「それは田中も同じなんじゃない? 鷹之丞に存在占拠されて、あれよあれよと童貞喪失」

「童貞喪失は、大して重みはないじゃろ」

「言うよねー、瑠香ちゃん」

「むしろ卒業おめでとう、じゃろ」

「うー。めでたい話だ。めでたいめでたい」

「女の子の初体験は重みが違うんよ!」

「まあ、違うよね確かに」

「だって、そう思わん?」

「思うよ。思うけど、ね……」

「けど?」

「綾姫ムカつく、は分かった。けど、あんたが田中くんに気まずくなってるのは、そこじゃないよな」

 図星だった。

「図星っしょ」彩乃ちゃん、ニヤニヤしすぎだから。

「さ、さあ?」そらとぼけるわたし。まあ無理があるよね。

「わたくすは気づきやんした。名探偵アヤノ、ついに真実を解明しやした。真実はいつもひとつぞ!」ぞ、って。綾姫か。

 すっかりメーターが上がった名探偵は、とってもエロい表情でわたしに密着してきて、耳元で吐息混じりにその真実を語りだした。

 正解だった。

 聞いているこっちが赤くなる「恥ずいー」パタパタと手で顔を扇ぐ。

「恥ずいて。名推理を披露するこっちが恥ずいわ」と名探偵アヤノちゃん。


 彩乃ちゃんと別れて帰宅。

 家には誰もおらず、食事は家族バラバラだったので、顔が赤いのはバレることもなく済んだ。

 自室で机に向かう。勉強は手につかん。頭がぐるんぐるんしとる。

 いけん、このままでは受験にも影響が。模試だって近いのに。

 田中くんの馬鹿。ぱーぷーじゃ、ぱーぷー!(これは八つ当たり)

 まったくわたしの同意もなしにそんなことしてから、あの二人は。

 そりゃ綾ちゃんと鷹之丞との間には同意があったんでしょうよ。

 人の体を横領して。

 横領されたこっちは何の同意もしてないし。

 心の準備だってまだ。

 デートレイプ、というと表現がどぎつすぎるけど。でも同意なしだったのは事実だし。

 でも、これ田中くんを恨む話でもないんよな。田中くんだって被害者と言うか、とばっちりを受けた側。いや、案外棚ボタとか思ってるかも。


 同じことがぐるぐる頭を回って鬱々としていると、スマホに電話が掛かって来た。田中くんだ。タイミング最悪。まったく空気読めないんだから。でも、さすがに放置はできん。通話ONにして画面を耳に当てる。

「……」電話を取っても無言のわたし。

「あの、瑠香ちゃん?」

「え? 誰が?」いけん、コワイ声になった。

「え、と……か、樫飯さんですよね?」

「そうだけど。何なん?」

「オレ田中だけど」

「だから何なん?」

「……」(掛けてきたんじゃけ、なんか言えや。時間の無駄じゃろうが!)

「……………………………………」(うちからは絶対喋らんけえ)

「あ、あのさ、もう一度、ちゃんと最初からやり直さん?」

 やり直すも何も、何も始まってないんだよ! と叫びたいのを抑え、菩薩の慈悲心で譲歩するわたし。

「やり直す? どこから?」

「えーと、手をつないで、デートするところ、でしょうか」

「告白は? まさか省略?」

「あれ、こないだ告白したような……」

「あの時は綾姫だったから無効」

「無効……。前々からするつもりはあったんだよ。チャンスがあれば」

「チャンスを伺ってるうち人生終わるタイプ?」

「否めない。だからこそそうならんようにいま電話して……聞いてる?」

「うん」

「じゃあ仕切り直しということで、えー、改めまして、」

「ちょっと待って。ひょっとして、告りさえすれば、すぐOKされる思うとる?」

「え? 違う……のか……」

「全然違うけえ! このぱーぷーが! いい? 告白ってのは、もしも相手が受け入れてくれなかったらどうしようという極限的不安の中、それを乗り越えてあらん限りの力と蛮勇を振り絞り、人生の賭けに打って出る過酷な体験のことじゃけえ! われ、なんなんなら! 見る前に跳べや! 人生を危険に晒さんかい!」

 最後の方、興奮(と酩酊)で意味不明なことを喋りつつ、わたしは通話をぶち切った。

 あーあ。やってもうたわ。

 うち結構やな女?



      * * * 



 森の中での発掘&読経、からのー、抱擁&キス。

 ああ、そう言えばそんなこともありましたなー(遠い目)

 あの翌日、樫飯さんに通告された言葉が無限にループして頭の中をぐるぐる回っている。

「いっとくけど」つれない口調で釘を刺す樫飯さん。

「な、なんなん?」

「あれノーカウントだから」

「あれって?」

「森の中でのこと」

「あー、あれノーカン……」

「それと綾姫と鷹之丞との間のイチャイチャ関連行為全部」

「それもノーカウント……」

「あの二人がデキてたいうて、うちらに関係ないよね?」

「関係ない……のか?」

「ない! ないけえな!」グーで殴りそうな勢いだ。

「わ、分かった分かった。超了解」なにこの虚脱感。

「だから樫飯はもうオレの女とか、くれぐれも勘違いしないように」

「し、してないよ?」がっかりオブ・ザ・イヤー2018、6月にして決定の瞬間だった。

「本当に?」

「本当だよ。ヤッてたのは……」

「その露骨な表現やめえや! ぱーぷーが!」

「ご、ごめん! その……極めて親密な交際をしていたのは、あくまで綾姫さんと鷹之丞だったわけで」

「分かってるじゃん」

「そりゃあ……」

「分かればよろしい。そういうことで、よろしく」

 言いたいことだけ言って、樫飯さんがオレの前から立ち去ったのが、成仏記念日の翌日。

 その後の疎遠感。時間が経っても薄れる気配のない気まずい雰囲気。

 そして、ダメ押しが昨夜のあの電話。たとえ告白してもOKする保証はない、と。なんだか、取り付く島もない。岩もない。砂粒一粒すらない。分子も原子も微粒子もクォークも何もない。


 鷹之丞たちが無事成仏して、さあ平穏な日常が戻って来ると思いきや、まったく当てが外れた。

 樫飯さんとの親密度は鷹之丞出現以前より明らかに後退。むしろ逆走。

 こんなのおかしくないか。

 こういっちゃなんだけど、樫飯さんとオレは、もう何度も何度も「しでかした」仲なのに。

 お互いの体を知っとるのに。

 でも、あくまでも体だけ。

「しでかし」まくっていたのは、人格としてはあくまで鷹之丞と綾姫だったわけで、精神的、内面的には樫飯さんとオレは何もしてない。

 そう。何もしていない。何も。

 しょんぼりじゃ。

 人生を危険に晒せ、て。何をどうすればいいんじゃ。

 超ベリースペシャルなエクストリーム告白ショーでもやらんならんのか。

 あーあ、たいぎぃのー。

 なんもやる気おきん。


 虚無的現代人の見本みたいな精神状態で漠然と時をやり過ごす。

 相変わらず樫飯さんとは疎遠なまま。

 この状況から距離を詰めるにはどうすればいいん?

 まったく五里霧中。

 こんなとき綾姫ならきっと目の覚めるアドバイスをくれそうだ。

 この際鷹之丞でもいい。贅沢言わん。

 なんて嫌味を言っても、もちろん何の反応も返ってこない。

 ノーリアクション。

 もう成仏したんだもんな。改めて実感。

 はー。

 溜息ばかりついていても、時は流れるし、生活はしなきゃいけないし、授業も、受験勉強も、試験も次々押し寄せて、流れ去っていく。

 生ける屍状態で、何も考えられず、ただ起きて身支度をし、朝飯を食って、学校に行く。

 喪中が明けて出てきた担任の福岡とはあまり親しくない。生徒とは距離を置くタイプの教師だし、向こうにとってのオレは、そこそこ点数が取れて、大人しくて目立たない、生徒指導に手のかからない存在でしかない。まあ、それに不満はない。

 朝のSHRの連絡を聞き流しながら、樫飯さんの後姿を見つめる。相変わらず綺麗だ。が、背中に「拒絶」の文字が大書してあるようにしか見えん。はあ。

 一時間目は現国。由里子先生だ。おれは動物園のナマケモノも土下座するぐらい超のそのそと、国語の授業道具をカバンから出す。いまオレのやる気の無さに勝てるとしたら、ゾンビぐらいだろう。ゾンビにも負ける気はしない。

 と思ったら、やってきた教科担任が、超ゾンビ級だった。

 教室に入ってきた吉川先生は、見るからに死んでいた。

「あー、頭が割れる」

「由里子、また二日酔いかー」

「大声ださないでー。脳に響くから」

「二日酔いやのうて、ガチで酔っとる? 由里子、何時まで飲んでたん?」

「朝五時半」

「完全に酔っとるー」「気だるい感じがまた色っぽいのお」

 由里子親衛隊の面々は、アイドルの新たな一面が見られて幸せそうに浮かれている。そんなにいいか? ただのヘベレケの酔っ払いやぞ。

「先生はぁ、じぇんっじぇん、酔…って…ましぇん!」

「見事に出来上がっとるのー」

「うるさい! さー、ビシバシっと授業始めますよ。うー、頭が。さあ教科書を開いてー」そう言いながらも、自分は教科書のページすらまともにめくれない。

「由里子、無理すんなや」

「ほうや、辛いなら寝とったらええ」

「お前ら。案外優しいね。モテるよ」酔っ払いがトロンとした目で親衛隊を見渡す。

「ほうじゃろ? じぇけえこんど一発」

「死ね」

「せめてデート」

「無理」

「じゃあさっさと授業始めえや」

「あー、頭痛てえー!」

 泥酔アイドルと親衛隊のじゃれ合いに、樫飯さんが水を差す。

「先生、大丈夫ですか」樫飯さんの優しさ。

「うー、大丈夫じゃないかも」

「保健室行きます? 二日酔いの薬はないかもですけど」

「ありがと、心配してくれて」

「いーえ別に。もう少しちゃんとしてほしいだけです」言うことはちゃんと言う樫飯さんの優しさ。というか優しさの中にもトゲが……

 痛いところをチクリと刺された由里子先生が言い返す。

「樫飯さん、最近機嫌悪いよねー」

「別に普通ですけど」むくれているはぶてとる

「またー。そんなこと言っちゃって。先生には分かる。これは男がらみの悩みに違いない」

「由里子ちゃん絡み酒か」と外野からヤジが飛ぶ。

「酔っぱらいのオッサンそのもの」

「うるさい。わたしの長年の経験から言って、これは間違いなく男がらみだな」

「彼氏いない歴三十年のくせに」

「るっせーなー。まだ二十九年だし。ってか恋愛経験ひとつやふたつぐらいありますから。馬鹿にすんな」

「恋愛遍歴捏造じゃ」爆笑が起きる「経歴詐称で訴えるど」

「どうぞご自由にー」先生、火に油注いどる。

 唐突に、吉川先生が瑠香ちゃんに向き直る「ねえ振られたんでしょー?」

「わたしがいつ誰に振られたっていうんですか」

「誰って、田中しかいないじゃん」

 先生、学校に飲み会の空気そのまんま持ち込んどる。

 みんなはもちろん大ウケ。ヒューヒュー。さあ盛り上がってまいりました。お前らいつの間にそんな仲に。田中が振るとか、そんな馬鹿な。ほんとに振ったならそれこそ大馬鹿じゃ。

 バンッ、と机を掌で叩いて樫飯さんが立ち上がり「振られてません」

「じゃあ、振ったの?」

「振ってもいません!」

「おかしいじゃない? じゃあここ数日のあの険悪な、疎遠な雰囲気はなんなのよ」由里子先生けっこう鋭い。

「わたしたち、なんでもないですから」躊躇なく断言する樫飯さん。

「え~~~~? なんでもないはさすがにないでしょ。真実はいつもひとつぞ!」あれ? いまなんて? ぞ、て。

「先生あんまり瑠香ちゃんイジメないでくださいよー」と大木さんが助け舟を出す。

「可哀想じゃないですか」と権藤も立ち上がる。

 それがまた火に油を注ぐ。由里子に人間としての倫理を求めるのがそもそもの間違いじゃ。いや由里子ちゃんは同じ恋に悩む乙女同士、じゃれあいたいだけなんじゃ。相変わらず吉川先生応援団は、とにかく由里子ちゃんは正義という由里子原理主義者ばっかりだ。

 瑠香ちゃんの背中が怒りに震えている。

 オレはたまらなくなって立ち上がった。

「先生、ぼくたちまだ、なんでもないんです。本当に」

 吉川先生が、そういえばお前もいたか、という感じでオレを見た。

「はあ? まだ? まだってことは、これから何かあるのかよー?」

「あります」と言い切るオレ。どや。

 冷やかす声が響く。断言したぞコイツ。ついにその時を迎えるんか。ようやっと告白か。待ち草臥くたびれたわ。

「あるって、いつ? なにがあるの?」

「ええと、その……近日中に告白します」クラスにどよめきが広がる。称賛の拍手もちらほら。

「近日中とかさー、かったるいんだよ。いつ告るの? いまでしょ!」某塾講師のモノマネをする由里子先生。

「そんな古いネタ、イマドキ本人もやらんよ、先生」まったくだ。

「古くて結構。田中! いつするんだ!」と吉川先生が声を荒げる。完全にアブナイ酔っぱらい。

「きょ、今日中には」

「今! 今告れ!」

「今はさすがに無理です」

「今日中には告るんだな!」

「はい」勢いで断言してしまった……

「男子に二言はないぞ」

「分かりました!」

「それを聞いて先生は安心した。寝る」

 先生は、不登校の生徒の席によろよろ歩いていって、机に突っ伏した「あとは自習でヨロ~」

 そして爆睡。

 おいおい。

 仕事しようよ。

 お金もらってるんでしょ?


 もちろん誰も自習などしない。隣の教室の先生が怒鳴り込んでこない程度の騒がしさで、オレと樫飯さんをイジリ倒すクラスの面々。

「早う告らんかい」「なにしとん」「まあまあ落ち着け」「ちんたらすんなや」「急いては事を仕損じる言うじゃろうが」

 オレがからかわれるのはいい。

 でも樫飯さんをこの状況から救えない自分が歯がゆい。赤くなって俯き黙っている樫飯さん。恥ずかしさと怒りのオーラが長い髪から放電している。

 一計を案じてスマホを取り出し、LINEでメッセージを送る。

『伝えたいことがあります』

『この状況では無理』と返信が来る。

 たしかに、みんなの注目が集まりすぎている。

「おいお前らこんな近くでスマホでやりとりとか」「声届くやろ」「せめて学級グループLINEでやれや」「誰がグループLINEで告白するか」「え、学級グループあったのワシ知らんかった」「お前は永久に知らんくてええんじゃ」

 この状況ではスマホは無理。とすれば。

 オレは立ち上がり、権藤に寄っていき、耳打ちした。

『放課後、お茶しませんか? って樫飯さんに伝えて』

『わたし伝書鳩?』嫌そうには見えない。

『歩くDMダイレクトメッセージじゃ。ってか頼めるのお前しかおらんけえ』むしろ嬉しげ。

 権藤は勇んで立ち上がり、樫飯さんのところで耳打ちする。

 外野からクレームが入る「田中よー、なんで権藤経由なん? 直接でええじゃろーが、直接で」

 直接樫飯さんに耳打ちは出来ない悲しい事情があるんですよ、とも言えず。

 戻って来た権藤がオレに耳打ち。

『それはデートですか? だって』(なにげに敬語が悲しい)

『はい、デートのお誘いです。って伝えて』

 また権藤が樫飯さんのもとに出向いて耳打ち。

 ふんふん、と聞いていた権藤が、突然両手を天に突き上げガッツポーズ「田中ー、デートOKだってー! やったね!」何言っちゃってくれてん?

「やったね、じゃないじゃろ……」

「え?」

「丸聞こえ」

「あ。ごめーん。つい興奮して」

 意外にも、祝福の拍手と口笛が教室を温かく包む。

 樫飯さんは真っ赤になって机の天板に額を打ち付けた。

 と、ガラガラと扉が開いて佐々木のハゲが。

「お前ら何してるんだ! うるさいぞ! 授業はどうした授業は? 吉川先生は?」

 全員が口に人差し指を立てて、佐々木に、シーッとする。

「シーッって何シーッって。うるさかったのはお前らでしょ?」

「いいから先生。いま由里子ちゃんよく寝てるんじゃけえ。そがいに怒鳴って、起こしたら可哀想じゃろ?」

「寝てる? 授業中にですか?」

「いいからいいから、うちらちゃんと自習しとるけえ」

「佐々木先生は自分の大事な仕事があるじゃろ。そっちに戻りんちゃい」

「いや、でも、寝てるって問題でしょそれ?」

「いいからアンタは早う戻りんさい」

 そういって数人で佐々木先生を追い出し、戸を閉めた。

 由里子先生が絶妙なタイミングで、

「ちゃんとやってますー」

 と寝言を言い、みんな声を押し殺して笑った。

「むにゃむにゃ……田中ー、幸せになれよー……むにゃむにゃ」え? いまなんて?

「これ、狸寝入りじゃろ」

「ちゃんと寝てますー……むにゃむにゃ」


 時間をずらして下校し、住宅街のなかをぐるぐる回り道して、尾行がいないのを確かめ、安芸桜尾城址桂公園で落ち合って、そこから歩きはじめる。

 住吉大神宮の広場のベンチは、近所のガキんちょ達が占領していた。とても話せる雰囲気ではない。

「瑠香ちゃ……いや、樫飯さん」

「はい」

「もう少し歩こうか」

「うん。いいよ」

 手をつなぎたいけど、手を伸ばす勇気はない。屁垂れじゃ。

「なんか、並んで歩くの照れくさいね」

「うん。めっちゃ気まずい」気まずいのか。

 微妙な距離感のままあるき続ける。ボートの船着場を左手に見ながら堤防敷の桜並木に入る。

「桜咲いてないね」

「今何月じゃ思うとるん?」

「そ、それもそうだね」

「ぱーぷー」

 桜の咲く季節じゃない今、堤防には人影もまばら。

 誰に邪魔されることもなく、二人並んで花のない桜並木を歩く。

 今なら話せそうだ。

「憑依されてた時のことなんだけど……」

「うん」

「オレの意識、完全には消えてなかったんだよね」

「え……」

 樫飯さんの反応が怖くて顔が見れない。オレは足元に視線を落としながら話を続けた。

「鷹之丞の奴、結構そのへんアバウトで。あいつが人格を支配して行動してるときでも、オレの意識もちょっと残ってて、でも、言動に手出しはできないんだけど、何が起きてるかはこっちにも分かってて……」どうか怒らないでください。

「アレのときも……ってこと?」樫飯さんのか細く揺れる声に、心がざわつく。

「怒った?」それとも、泣く?

「怒ってもしかたないじゃん。実はね……」

「実は?」よからぬ想像に胸が震える。

「実はわたしも似たような感じで。綾姫ちゃんがわたしを乗っ取って行動してるときも、わたしの意識、完全には落ちてなくて……」

「アレのときも?」

「言い方がやらしい!」

「あ、ごめん! そんなつもりじゃ!」(えーと、樫飯さんの表現を借りただけなんですが……)

「ほんとゴメン!」

「うん……」

 樫飯さんは顔、真っ赤っ赤だ。可愛い。

 うーん、可愛い。

 何度でも言う。

 可愛い。

 樫飯さんは、恥ずかしそうに小声で教えてくれた。

「ひどいんだよ綾姫……。あいつめっちゃ性格悪いじゅんならんよ? ドSよ?」

「そうなの」

「アレをさ」恥ずかしさのせいか声がうわずる樫飯さん「してるじゃん? そのときにこう、盛り上がってきて、もうダメっていう」

 すいません鼻血が出そうです。

「もう無理、ダメっていう、そのタイミングでね、いきなり意識をこっちに振って来るわけ」

 心臓がバクバク言って、鼻血もヤバイけど、股間もヤバイです。警戒水位を突破して堤防決壊に注意です。

「じゃあ、突然意識が戻ってみたら」

「うん」

「最高潮に?」

「うん」

「ラヴェルの『ボレロ』で言えば、もうコーダに突入してる状態だよね?」(取り乱すあまり分かりづらい喩えを出すオレ。馬鹿か)

「まあ、とにかく、そういう感じで」

 樫飯さんの〈そういう感じ〉をつい想像してしまう。想像すると危険だが、誘惑には勝てず、〈そういう感じ〉と鷹之丞がチラ見せした〈その瞬間のイメージ〉を重ね合わせてしまう。ああああこれは危険だ危険すぎる。溶岩流に押し流されるように理性が燃え尽き崩壊する。

「ひどくない? ひどいと思わん?」

「え、あっ、うん。それはひどいよね」

 ってゆうか綾姫グッジョブ。さすが(?)エロの奥義を分かっていらっしゃる!

「ねえ、ひどいよねえ」

「うん! ひどすぎ!」

「あー、恥ずいー」手でパタパタと顔を扇ぐ樫飯さん。仕草がまた可愛い。

 ここで一旦冷静になって分析してみると、樫飯さんが体験した、『気づいたら絶頂状態』というのは、いきなり連ドラの最終回のクライマックスを観るに等しい。それはそれで楽しいだろう。だが、一回目から順を追って、様々なエピソードを経過し、しだいに話が盛り上がり、満を持してクライマックス! のほうがより深い感動が得られるのは自明である。

 ようするに、樫飯さんは自分の初体験を『いきなり最終回』状態ではなく、ちゃんと最初からじっくり楽しんで、最高のクライマックスを経験したかったのだ。人並みにエロい女子と言えよう。

「おれだって、同じだよ」

「そうなの? 田中くんも?」

「うん。だって告ったわけでもなし、デートをして徐々に親密になってとか、そういうワクワクした時間も、なにもなしで」

「そうだよね!」我が意を得たり、の表情になる樫飯さん。

「鷹之丞が勝手に突っ走って、いつのまにかそういう関係になってるってさー」

「ひどいよね!」

「まったくだよ」

 ま、その反面嬉しかったのも否定はできないんだけど、オレ的には。そこは樫飯さんには言えない。死んでも言えない。


 二人で喋りながらゆるゆる歩いてきた桜並木も、もう終点が近い。

 貯木場の水面を吹き渡る風が生ぬるい。雨が落ちて来そうだ。

「お腹空かん? なんか食べようか? 奢るから」

「うん、いいよ」

 言いづらいことを言い終えた樫飯さんは、清々した表情で、

「歩いたら、お腹減ったね」

 水路の向こうに建つ大型商業施設を指差す樫飯さん。

「『ゆめタウン』になんでもあるよ」

 ちょっと遠回りして水路を越え、ショッピングモールに向かう。

 建物の中は空調が効いていて心地よく、明るい照明が美しい内装と溢れんばかりのステキな商品の数々を照らし出していた。

 いくつものカフェや、いろんな種類の飲食店があり、どれもこれも魅力的で、目移りする。樫飯さんは楽しそうにあれこれ見て回り、さんざん迷ってから、カフェの写真付きメニューの中のパンケーキプレートを指さした。

 店員さんが運んできたパンケーキを樫飯さんはスマホで撮影してから、手を合わせて「いただきます」と言い、ナイフとフォークを上品に使ってパンケーキを口に運んだ。

「んー!」最高の笑顔、いただきました。

 見よう見まねでナイフとフォークを使い、なるべく見苦しくないように食べるオレ。

「あの、樫飯さん」

「口の中にものが入ったまま喋るのはお行儀悪い」

「はい……」

「んー♪」美味しそうに食べる手が止まらない樫飯さん。

「だからさー、また一からはじめようよ」

「うんっ」

「え、いいの? オレとで」

「うんっ。いいよ!」

 あの樫飯さん、話ちゃんと聞いてます? パンケーキに夢中じゃないですか?

 パンケーキの手を休め、アイスティーを一口飲んだ樫飯さん、

「でもあれよね、もし綾姫たちが現れなかったら、こうトントン拍子に運ばんかったかも?」その発想はなかったが。

「それ、雨降って地固まる的な?」

「それだ」

「でもオレ、鷹之丞に憑依される前から樫飯さんのこと好きだったし」

「そうなの? あと付けじゃなく?」いや、気づいてたでしょ。

「違うよ。ずっと好きだったんじゃけえ! 告ろう告ろう、ってタイミングを計って、でも……なかなか上手く言えなくて」

「そうなん。ぶち可愛いね」

「可愛いいうなよー。だから、鷹之丞と綾姫の記憶は全部消去して(無理だけど)最初から始めたいんだ、ホントは」

「そうだね。うん、そうしようよ」サラッと言う樫飯さん。

「え、いいの?」

「うんいいよ。じゃあ、どこから始める?」って、パンケーキ食べながらだし。口にも入ってるでしょ。お行儀は?

「どこからがいいのかな?」

「やっぱ告るとこからでしょ」(モグモグて)

 そこからですか。巻き戻すのー。

「手をつなぐのは?」

「まだまだ、ずーーーーっと先だね!」

 お預けもいいとこだ。

「まずはー、告られてー、でー、デートしてー、カフェ入ってケーキ食べてー、パフェ食べてー、映画見に行ってー、そうだ厳島神社も一緒にお参りしたいしー」

「あの、ちなみに今日のこれって既にデートでは?」パンケーキにえらいパクついとるけど。

「違うー。これはあくまで作戦会議です」

「そうか、会議か」

 かなり面倒くさいな。

「いま、面倒くさいな、って思ったでしょ」

「思ってません!」

「ほんまに?」

「ほんまじゃ!」

「じゃあ……はい」

「はい……って?」

「告るとこから。よーい、スタート!」両手をカチンコのように打ち合わせる樫飯さん。

「映画撮影かよ」

「うふふ」その笑顔には勝てません。

「行くぞ」

「どうぞ」

「樫飯さん!」

「なーに?」

「君のことが、ぶち好きなんじゃ」

「うん。それは分かっとる。で?」

「だから、こんど一緒に遊びに」

「はいカットー! 全然ダメだなー、なっとらん」NGかよ。

「な、何か問題でも」

「あのさー、告るっていう大事な場面よ? シチュエーションをちゃんと考えないとか、ありえないでしょ。もう、ぱーぷーか? ぱーぷーなのか?」

「演出きびしー。っていうか今樫飯さんが、よーい、スタート、言うたんやん」

「そうだっけ。ま、そこはいいや」いくない。

「だからー、いつどこで告るのがベストか、これは宿題にします!」

「いきなり宿題かー」

 前途多難だな。

 まあ先は長いから焦ることない。

 それに楽しいから全然かまわない。

 今度は最初から一歩ずつ。

 ゆっくり一歩ずつ。

 二人で一緒に歩いていこう。

 な、樫飯さん。

 見つめるオレの視線に気づいた樫飯さんは「?」と小首をかしげ、手で口を抑えながら、ケフ、と微かなゲップをして照れくさそうに笑った。





(完)






 この物語はフィクションであり、実際の歴史的事実、実在の人物、団体、近未来型テクノポップユニットなどとは一切関係ありません。

 (また本小説は飲酒の場面を含みますが、未成年者の飲酒を推奨するものではありません。未成年者の飲酒は法律で禁じられております。よい子はマネをしないでね)



約84700文字

400字詰め原稿用紙換算:287枚

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戦国武将に憑依されたオレ/ワシの恋路は順風満帆 青海 嶺 (あおうみ れい) @aoumirei

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