4 保健室の戦国武将

 登校して、教室の扉を開けて中に入った途端、ダダダダッとなっぴが駆けよってきた。

「おはよう~っ」

「お、おはよう」あまりの勢いに若干気圧されるわたしに、なっぴが畳み掛ける「今日は大丈夫かな~っ」

「何が?」

「憑依憑依♪」いや、楽しみにしすぎでしょ。

「今日もするかもよ!」目がキラッキラに輝いてるから。

「か、かもねー」いけん、棒読み口調になってしまった。

 ふと田中くんのほうを見ると、視線がぶつかった。なぜか焦って目をそらしてしまう。きのう膝に載せた頭の重さを思い出す。

 自分の席に着くとほぼ同時に、ガラガラと教室の扉が開いて担任が――担任ではなく、なぜか佐々木先生が入ってきた。沸き起こるブーイングの嵐。なんで担任じゃないの。

「えー、熱烈なる歓迎の声援ありがとう! メイク・サム・ノイズ! カム・アゲイン!」朝イチから全力で空回りの佐々木先生。

「誰が声援じゃ」

「なんでアンタがここにおるん?」

「担任は? 福岡はどうしたんじゃ福岡は」

 佐々木先生の説明では、福岡先生は身内に御不幸があり、忌引の期間だけ担任代理を仰せつかったとのこと。

「そういえば佐々木、副担だっけ?」

「呼び捨てすな」

「だあー! 朝っぱらからこのハゲ頭を拝むんかい」

「眩しいんじゃボケが」

「眩しい? 目が覚めるっしょ」

「ヅラでも被らんかい」「福岡みたいにのー」「あれはヅラやのうて植毛じゃ」

 そんな騒ぎの中、音も立てずに扉をそっと開け、彩乃ちゃんが長身を屈めて抜き足差し足、なるべく気配を消しながら入ってきて、そっと私の後ろの席に着席した。

 ま、いくら気配を消してるといっても、華やかすぎる美女オーラはダダ漏れだわ、先生のすぐ目の前を通るわで、そりゃ気づかれない訳がない。

「おやおや、大木さんおはよう。重役出勤かい?」

「あ、おはよーございまーす」と彩乃ちゃんは小声で返事。そこではじめて異変に気づき大声に「あっれー? なんで佐々木先生が?」

 同じ説明を繰り返した佐々木先生、最後に「ま、さっき一度説明済みなんだけどさー」

「すいませーん」殊勝げに謝った彩乃ちゃんだったが、先生が連絡事項を喋りだすと同時に、背中をツンツンしてきた。

「ねえねえ、膝枕したって?」と目を輝かせている。

「なぜそれを」

「なっぴが教えてくれた。私だけにって」なっぴ口軽すぎ。

「もー、言いふらすなよなー」なっぴを睨むと、こっちを見てイタズラっ子みたいに笑っている。

「ってことは事実なんだな! いい雰囲気だったらしいじゃん」

「そ、そうでもないよ?」

「このこのー」いや、背中ツンツンしすぎじゃろ。

 佐々木先生がわざとらしく咳払い。

「大木さん、私語は謹んでもらえませんかねー?」

「あ、聞こえてました?」

「丸聞こえだし、丸見えだし。何せ、ほら、目の前だしさ」

「すいません、うるさかったですね」

「うるさいという問題では。ま、いいや。で、誰が誰に膝枕したって?」

「それは秘密。個人情報っす」無駄に義理堅い彩乃ちゃん。

「そうなんですか? 秘密なんですか、樫飯さん」

 って、突然こっちに振らないでよ。

 と、後ろでガタンと大きな音がした。

 振り向くと、立ち上がった田中くんがすごい勢いで前に向かっていた。

「佐々木殿に一言物申す。おぬし、いま樫飯殿を怪しげな目つきで見なかったかな?」

「なに言ってんの田中くん。オレはあくまでも教師として、生徒のことを大事に思うからこそ、心配しているだけですよ」そうかなー?

「その言葉に嘘偽りあるまいな」

「ないない」

「武士に二言はないぞ」

「オレだって生徒と不適切な関係になって失職とか望んでないし」

「とはいえ、生徒を大切に思う気持ちが、いつしか男女の愛に変わるおそれがないと言い切れるのかな?」

「教師に二言はないわ。オレは腐っても教育者だからね。教師としての愛情と男女のそれぐらい区別できますから」

「ふん、口だけは達者じゃの。ともあれ我が姫におかしな手出しをしたら、容赦なく斬る。よいな!」

 そう言い放った田中くんは、ドスドスと歩いて席に戻り、どっかと座って腕組みをし、佐々木先生をギロッと睨みつけた。

 クラス中が呆気にとられて田中くんを見つめる。

「いまの、何?」

「我が姫って言ったよね?」

「ひょっとして愛の告白と違う?」

「ひゅー、朝っぱらから激しいのう!」

「それより、戦国武将の再来じゃろうが」ワクワクしすぎでしょ。

「高橋は? おらんのかい。まったくつかえんヤツじゃのー」

 そういえば高橋くんの姿が見えない。大丈夫なのかな。

 騒然とするクラス中を睥睨へいげいしながら、田中くんがもう一声、胴間声を張り上げる。

「このさい御一堂にも申しておく。各々方 おのおのがた 、くれぐれも樫飯殿を変な目で見んようにの!」

 クラス中が興奮の渦に。わたしは恥ずかしさのあまり俯くしかない。いやだ、頬が熱い。全身がカッカする。そこに遠慮なく冷やかしの言葉が降り注ぐ。

「瑠香ちゃんお幸せに!」

「オメデトー!」

「いや、めでたくないじゃろ。迷惑じゃろ。なあ樫飯さん」

 めでたいともめでたくないとも言いづらい。

 っていうか、告白って、こんな衆人環視の中でしないでしょ普通。公開処刑か。恥ずかしいやら、腹が立つやらで、涙が出そうだ。

 告白って、普通は人づてとかで予告があって、なんだろうってそわそわして期待して、誰もいない静かな場所に呼び出されて、二人っきりで、いい雰囲気の中、思いを伝えられるもんじゃないの? 私の読んだマンガではそうだったぞ。

 なのに。これが田中くんの告白ってわけ?

 なんなんだよー。

 こんなんじゃ『平成の珍告白ベスト1』に堂々選出されちゃうよ。

 そりゃあ、あんまり平凡な告白もアレだけど。ちょっとは思い出に残る告白がいいけど。

 でもこれは思い出なんてレベルじゃない。

 トラウマ級でしょ。

 あーサイアク。これはないわ。


 騒然とする教室で、いたたまれない気持ちで俯いていると、やっと始業ベルが鳴って、佐々木先生が退出。

 すかさずなっぴが寄ってきて「やっぱり憑依されとるよね」

「あ、え、そうか、憑依か。武将ゴッコじゃないのか」

 だとすると、いまの空気読めない告白は田中くんじゃなくて、武将が勝手に?

「ヘタレの田中にあんな大胆告白ができるとでも?」

「た、たしかに」ちょっと安堵している自分。

 なっぴは後ろを振り向くと、つかつかと田中くんに近づき、いきなり問い詰めた「田中くん、あんた本当に田中くん?」

「田中殿には、ちょっと休んでもらって、いまはワシがこの体を拝借しておる」

「あんた誰? 名を名乗れ」

「そういうお主は」

「拙者は権藤夏菜ごんどうかなと申す。このクラスの美少女担当だ。誰かツッコんでー。まあそれは置いといて。で、おぬしの名は?」

「ワシは桂鷹之丞かつらたかのすけと申す」

「誰それ? 偉いの?」

「とくに偉くはござらん。毛利家に仕える桂元澄もとずみの隠し子じゃ。」

 聞いていた男子たちが沸いた。

「武将の隠し子!」

「なかなか凝った設定じゃのー」

「今日はそういうキャラでいくわけだ」

 見た目は不機嫌な田中くんにしか見えない自称鷹之丞は憮然として、

伽羅きゃらとな。さような貴重な香は焚いた覚えはないが。なにしろこの世にいないことになっておったでのう、不遇な生涯じゃった」

「なんか難しいけど、面白れえ!」

「やっぱ本家本元は違うな」


 突然の武将キャラ(?)復活に盛り上がる教室に、一限目の先生が入って来た。教卓に出席簿を、バン、と叩きつけてみなを黙らせる。挨拶が済むと、なっぴが、

「先生、今日、田中くんがちょっとアレなんで」

「アレって?」

「今日ちょっと、本人じゃなくて、戦国武将なんで」

 先生は呆れた顔で「じゃあ田中くんは欠席、と」

「いや、本日はこの不肖桂鷹之丞が田中殿の代理ということでお願いいたしたい」と鷹之丞さん(?)が。

「ずいぶん楽しそうなごっこ遊びじゃん。でもさー授業はちゃんと受けてよね」と吉川先生。

「しかと心得た」

 授業は現国で、今日から新しい単元に入る。何とかいう売れっ子作家の短編小説だ。

 当てられた生徒が順番に一段落ずつ朗読していく。現国の吉川先生はあまり(というか全然)やる気がないので、考えなしに列ごとに順番に当てていくから安心。今日わたし当たらない。ラッピッピ。

 その小説はいわゆるポスト☓☓世代の繊細でナイーブな感性と、ちょっと斜に構えた世界観と、凝りに凝った比喩が売り、って感じの小説で、正直趣味じゃない。

 教室の中がざわつきだした。彩乃ちゃんに背中をツンツンされて振り返ると、クラス中が武将に注目していた。目を丸くして教科書に目を落としていた武将は、顔を真赤にして、そしてとうとう吠えだした。

「なんなのじゃ! この女子供の腐り果てたような軟弱な書きぶりは! そして何が言いたいのか煮え切らないこの話! 呆れてものも言えんわい」(瑠香注:発言中に現代では配慮すべき表現が含まれますが、発言者が戦国時代の武将であることを考慮しオリジナルのままとしていることをご了承ください)

 さすがの吉川先生もこれには虚を突かれた様子で一瞬黙ったが、気を取り直して「そりゃあ、お武家様の古風な趣味には合わないかもしれないけどさー、ポスト☓☓的傾向は現代日本文学の主流なんだからさー、我慢するしかないじゃん」

それがしとて、先生の御講義を邪魔立てするつもりは毛頭ござらぬ。ただ、あまりの不甲斐なさに呆れ果てたまでのこと。思えば何百年も経ておるゆえ、人も言葉も変わって当然。まさに世も末。末法の世よのう」

 わたしは笑いを堪えるのに必死。この手の小説が苦手な私は、心の中で武将に喝采を送った。


 次の二限目は不運にも佐々木先生の日本史だ。

 さあ、とうとうやってまいりました、本日のメインイベント、宿命の対決、と口々に囃し立てる男子たち。

 そこに、教室の扉を静かに開けて高橋くんが入ってきた。

「おっ、高橋じゃん!」

「さあ、ついに役者が揃ってしまいました!」

 この瞬間、二限目の日本史はメインイベントの座を追われた。

「おのれ、現れたな清志丸!」田中くん(鷹之丞?)が大声を上げて立ち上がり、高橋くんに突進したからだ。いきなりクライマックス。

「話を聞け、鷹之丞。ワシは何もしておらんのじゃ」

「たわけたことを申すな! いざ覚悟!」

 なだめようとする高橋くんに田中くんが飛びかかる。危ない!

 間一髪で、田中くんは男子たちに羽交い締めにされ、取り押さえられた。

「まあまあ落ち着け」

「いきなり飛びかかったのでは武将ごっこの醍醐味も何もないじゃろ」

「離せ、離さんか! 醍醐味も糞もないわ! おのれ清志丸どこじゃ、どこに隠れた!」

 すでに高橋くんの姿はなかった。

 清志丸の名を叫びながらしばらく暴れていた田中くんは、やがてぐったりとして暴れるのをやめた。その場にへたりこんで放心状態だ。

 周りのみんなも既に面白がるどころではない雰囲気。あの興奮ぶりはただごとではない。

 教室に入ってきた佐々木先生もすぐに異状に気づいた「どうした。なにかあったのか?」

 その声を聞いた田中くんは立ち上がり、自分の席に戻ろうとした。

「な、なんでもありません、大丈夫です」

 そう言うと、気を失ってその場に倒れ込んだ。

「あ、大丈夫か? おい、田中くん! 大変だ」うろたえるばかりの佐々木先生。

「わたし保健委員なんで、田中くん保健室に連れて行きます」となっぴ。

 なっぴが一瞬こっちをみた。瑠香ちゃんはいいからそこにいて、とその目が告げていた。

「大木さん! ちょっと手ぇ貸して!」となっぴ。

「え? あたす? あ、そうだ、わたしも保健委員。保健委員補佐だった!」そういって、彩乃ちゃんはなっぴに駆け寄り、二人で田中くんを支えて教室を出ていった。

 それを呆然と見送った佐々木先生「大丈夫なのか、田中は」

「あいつ、戦国武将に取り憑かれとるんじゃ」と男子が口々に。

「怨霊に憑依されとる」

「え、そうなの、樫飯さん」なぜわたしに振る、先生?

「受験勉強のストレスかなんかで、ちょっと精神的に参ってるんじゃないですか」適当な受け答えをするわたし。

「いや、あれはどうみても悪霊じゃけん」「呪われとるわな」と教室中がざわつく。

「ふーん」と佐々木先生「筋金入りの歴史オタクだとそういうこともあるかもしれないよね」

 そんな馬鹿な。どういう理屈よ。

「あれ、ところで、保健委員ってあの二人だっけ?」

 保健委員はわたしですと名乗り出る気にはなれなかった。



      * * * 



 気がかりな夢から目を覚ますと、保健室のベッドの上だった。

 近くで大木さんと権藤が喋っている。

「つまり田中は鷹之丞とかいう戦国武将の霊に取り憑かれているらしく」

「そ、そんなアラカルトな」大木さんの天然ボケが出る。

「え? アラカルト?」

「なんだっけ。レトルト? じゃなくて、オカルトだオカルト。へーえ、そんなことあるんだー。驚きだね」

「納得してないよね」

「うん。普通に考えて納得できるわけないよね」

「でも、田中の様子をみてると、そうとしか思えないんだよ。どうもあの発掘現場で取り憑かれたらしい。なー、田中くん?」突然こっちに呼びかける権藤「いつまで狸寝入りしてる」

 オレは薄っすら目を開けた「ばれましたか」

「田中くん大丈夫?」と大木さん。優しいな。

「盗み聞きとは悪趣味な」と権藤。優しくない。

「で、今はどうなの? 田中なの? それとも武将なの?」

 そう訊かれて、おれは自分を確認した。(ワシのことは伏せておけ)

「ほぼほぼオレ。田中なんだけど、鷹之丞も頭の中で喋ってるわ」(伏せておけと言うたじゃろうが)「なんか、怒ってるし」

 大木さんがゲラゲラ笑いだした。

「そうなの? なんかスゴイね。二重人格的な感じ?」

「そうだよね、オレだって信じてもらえるとは思わないもん」

「うん。正直、おちょくられてる、って、思ってる」大木さん、大人の反応。

「ですよねー」と溜息をつくオレ。

(そう思わせておくのが得策じゃ)と、脳内で鷹之丞。

 憑依を疑いない事実と考えているらしい権藤は、大木さんの反応にガッカリ。

「ねえところで、なっぴ、どうして私に声かけたの?」と大木さん。

「大木さんはいざというとき頼りになる人だと思って」という権藤は浮かない顔。

「お目が高いねー、お客さん!」大木さんはニコニコだ。

「ところで」と大木さんはオレを振り向いて「このごろ高橋くんにやけに突っかかってるけど、あれはなんなの?」

「田中殿には関係ござらぬ。これはワシと清志丸との因縁じゃ」

「え、何? ワシ? ワシってあのでかい鳥の?」

「いやその鷲ではなく」

 権藤殿が勢い込んでワシに尋ねる。 

「いま喋ってるの、鷹之丞でしょ?」

「いかにも」

「え? 鷲じゃなくて鷹? それってつまりどういう? 本気マジなの? ゴッコじゃなく?」唖然とする大木殿。

「くどい。武士に二言はない」

 大木殿は俄然興味を惹かれた様子。

「ひょえー、面白いなー。ほんとに武将なんだ」

「ねえ分かったでしょ。信じてくれた?」と泣きつかんばかりの権藤殿。毅然とせんか毅然と。

「オーケー。とりあえず信じる。で、清志丸ってのは誰? ってか、そもそもどういう話なの?」

「そもそもの由来を語れと申すか」

「申す申す。申すから早く教えて」その美貌には神仏とても逆らえぬわ。

 ワシは急かされるまま、かいつまんで事情を説明した。


 桂鷹之丞(すなわちワシ)は毛利家に仕える武士だった。

 実は桂元澄かつらもとずみの隠し子だったが、それは秘中の秘で誰も知るものはおらぬ。系図、記録の類も一切ないはずじゃ。

 時に毛利家の頭領は毛利元就 もうりもとなり

 敵対する陶晴賢すえはるかたとのいくさが目前に迫っておった。後にいう厳島の戦いじゃ。

 元就は策を巡らし、元澄に敵方と内通するよう、今で言う「スパイ行為」を命じた。元澄は毛利を捨てて密かに陶方に寝返ると偽の内通を申し出た。疑う陶に対し、内通の真実なるを神仏に誓い、神文血判の誓紙まで送ったのじゃ。

 かくして偽情報を信じた陶軍は厳島にまんまとおびき寄せられ、待ち構えていた毛利の攻撃でほとんど壊滅させられたのじゃ。

「騙し討だな!」大木殿の大きな目が半寸ほども飛び出し、きらきら輝いた。

「いかにも」ワシも話に熱がこもる。

 しかしそのとき数名の陶軍の武士が、もやってあった小舟を奪って辛くも厳島から脱出、逃げ延びたのじゃ。

 奴らは、神仏を裏切り、陶方を騙して陥れた元澄への復讐に燃え、元澄の居城、桜尾城を急襲した。

「桜尾城って、こないだ発掘したところだ」

「いかにもさよう」

 だが合戦当日、元澄は元就の家族を守るため吉田城に出向いており不在じゃった。

 桜尾城を守っておったのは、ワシらたった数人の下級武士だけ。ワシは元澄の子という身分を隠し、名もない下級武士の一員としてそこを守っていた。

 城には城仕えの家老や女どもが大勢おった。その中には、ワシが秘かに想いを寄せていた綾姫もおったのじゃ。

 陶の残党が城を急襲した。ワシらは必死に戦ったが数で圧倒されて苦戦。女たちを裏から逃がすようにしたのじゃが、時すでに遅し。逃げ際を陶の残党に見つかってしまった。されば家老たちは皆殺し、女たちも陵辱のうえ殺されるであろう。

 ワシはひどい手傷を負いながらも城を出て、逃げる綾姫を懸命に追った。無事でいてくれと願いつつ。じゃが。

「じゃが?」大木殿と権藤殿が声を揃えて促す。

「山裾の道端でワシが見つけたとき、姫は既に事切れていた。そして」

「そして?」

「綾姫の亡骸を抱いておったのが、あの清志丸じゃ」

「そういうことか」

「姫を殺した憎き敵を成敗せんと、ワシは名乗りを上げて切りかかった」

「そして復讐を果たした、と」

「残念ながら、切り合いの途中で敵の残兵に取り囲まれ、ワシの命運もそこで尽きたのじゃ」

「負けたんかーい」と大木殿はあからさまに失望する。

「面目次第もござらぬ」

「それで、恨みが残って地縛霊になったということか」

「でも高橋くん、あ、清志丸か、さっき何かの間違いだって。何もしてないって」と権藤殿が言い返す。

「ふん、つまらぬ言い逃れよ」

「でも、ほんとかもよ。だって、実際にレイp…乱暴するとこや殺すとこは見てないんでしょ」

「確かめるまでもないわ。考えるだにおぞましい」

 すると大木殿が、黄色い手札の如きものを取りだし、せわしなく触りだした。

「LINE返ってこないなー」

「高橋くんから?」

「うん。とりあえずメッセージで状況説明しとく」

「助かる」

「頼りになるでしょー、お客さん?」

「なるなる」

 そのとき扉を開けて、駆けつけた伝令が「大丈夫? 先生が呼んでこいって。ずいぶん遅いなって」

「やっべ。授業だった」

「すっかり忘れとった」

「鷹之丞の話にすっかり夢中になってたわー」

「うちらとりあえず教室に戻るから。鷹之丞は休んでて。いいね」

「あい分かった」


 急に静かになった保健室。

 ベッドの上でオレは目を閉じたままだ。

(そういうことだったか)とオレ。

(そういうことじゃ)と鷹之丞。

(で、なんでまたオレに取り憑いたの?)

(忘れたか。おぬしがワシの骨を拾ったからじゃ)

(あの夜か)オレは、触れる指先が切れそうなほどの激しい光に包まれたあの瞬間を思い出した。

(で、どうやったらオレを解放してくれるんだ)

(どうやってお前に取り憑いたかも分からぬワシに、それが分かるわけがなかろう。こっちが聞きたいわい)

(いや、分かっているはずだ。綾姫への未練なんだろ?)

(未練か。たしかに断ち切れてはおらぬ。ワシはとうとう綾姫への思いを遂げられず)

(あの清志丸に綾姫を陵辱され殺されてしまった)

(嗚呼。悔やんでも悔やみきれぬ)

(その思いはどうやったら成仏できるんだ)

(ううむ。はてさて。もしも綾姫と再び相見えることができるのであればあるいは……)

(でも死んじゃってるじゃん綾姫)

(困ったのう……)

(なにその他人事みたいな気の抜けた反応)

(む?)

(オレがあんたのせいで困ってるの、自覚してる?)

(無論)

(なら、どうやったら成仏できるか真剣に考えろよ)

(考えておるわ)

(ずっとオレに取り憑いててもいいかも、とか思ってないよな?)

(え?)

(結構楽しいとか思ってね?)

(い、いいえ? 滅相も御座らん)

 オレは、はああっ、と溜息をついた。

「いっそ神社でお祓いでもしてもらおうかな」と敢えて声に出す「悪霊退散!」

(ぼ、暴力はいかん暴力は)

「それとも坊さんに念仏唱えてもらったほうがいいのかな、成仏だけに」

(た、田中どの、落ち着かれよ)

(落ち着いてる場合じゃないからな)

(まことにごもっとも。ところで)

(なんだよ)

(田中殿は、樫飯殿が大好きでござるな)

(そ、その秘密をどうして?)

(秘密も何も、貴殿とワシは二心同体にしんどうたいじゃ)

(この覗き魔め)

(覗き魔はおぬしじゃ。いくら愛しいとはいえ樫飯殿の麗しき後姿をジロジロジロジロ眺めすぎじゃ。あのような短いスカートからむっちりとした色っぽい脚が綺麗に伸びていては、それは穴が空くほど凝視してしまう気持ちも分からないではないが)

(う、うるさいわ! 自動的に目が吸い寄せられちゃうんだよ! 本能だもん仕方ないだろ!)

(本能のままに行動するのでは犬畜生も同然よのう)

(よくもぬけぬけと言いたい放題!)

(死んでしまった身には、怖いものも、遠慮もないでな)

(閻魔様が見てるぞ! 成仏できんからな!)

 そういうと、鷹之丞はちょっとひるんで一瞬目を泳がせた。

(悪人こそ往生できると親鸞上人も……)

(あんたいつから門徒なんだよ。あんた曹洞宗だろうが)

(善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。そうでもなければ元就のために神仏を謀った父上が浮かばれんではないか)

(ふん)

 何宗だろうと、とにかく鷹之丞が成仏してくれればオレは一向にかまわない。一向宗と掛けた訳ではない。

(話がそれたな。おぬし樫飯殿に燃ゆる思いは告げたのか)

(そう簡単じゃないわ! タイミングとか、いろいろあるんだよ!)

(何も言っておらぬのか)

(……そうだよ)

(ふっ、屁垂れヘタレよのう)

(悪かったな!)

(いやいや、分かる分かる。そこで提案じゃ。屁垂れな田中殿になりかわって、それがしが樫飯殿に渡りを付けて進ぜようぞ)

「え? なに? ちょっと、余計なことしないで!」

 思わず声に出して叫んでいた。傍で聞いてる人がいたら本格的に狂ったと思われかねない。


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