5 図書館にて

 なっぴが休み時間に保健室に様子を見に行ったら、田中くんはよく眠っていたって。

 憑依されるのは、けっこう消耗するんだろうな。

 で、昼休み。

 教室に戻ってきた田中くんは見るからに憔悴し切っていた。

 幽鬼のようにふらふらゆらゆら、ちょっと不気味だ。

 冷やかそうと手ぐすね引いていた男子たちも、すっかり腰が引けている。無謀な誰かが声をかけたけど、反応なし。

 教室は気まずい沈黙に包まれた。

 ひとり黙々とお弁当を食べる田中くん。

 ときどきブツブツと独り言を呟いている。こわい。


 早々とお弁当を食べ終えた彩乃ちゃんが席を立つ。なっぴのそばに寄っていき、小声で何か話している。なんだろ。気になる。なんか、返事がないとか、連絡取らなきゃとか、漏れ聞こえてくるんですけど。

「で、なんで……が綾姫なんだろ」とひそひそ声の彩乃ちゃん。

「知らんわ。でも……かな……」と超ひそひそ声のなっぴ。

 なんか噂されてる気配。なにこの疎外感。でも気軽に刺さっていけない雰囲気もあり。うー、もやもやするよー。


 いつになく落ち着いた、というより不気味に静まった雰囲気の中、午後の授業も終わった。

 帰りのSHRショートホームルームに来た佐々木先生は、お座なりな感じで田中くんに具合をたずね、連絡事項なしと早口で言って、そそくさと立ち去った。

 田中くんも無言で立ち上がり、フラフラと教室を出ていった。とたんにざわつく教室。

「田中アレやばくない?」

「武将の呪いか」

「触らぬ神に祟りなしじゃ」

 そのうちに視線がわたしに集まり、女子数名に取り囲まれ質問攻めに合う。田中どうなってんの? あれはどういうこと? 何かあったんじゃないの?

「って、わたしに聞かれても困るんだけど」わたしはうろたえるばかり。

「それもそうか」

「一方的にコクられただけだもんね」

「そ、そうなの?」とぼけるしかない。

「当たり屋にぶつかられたようなもんじゃろ」苦笑と同情が入り交じる反応。

 喧騒の中、なっぴと彩乃ちゃんがそっと教室を出ていった。田中くんを追ったのだろう。わたしも行かなきゃ……と思うだけで体が動かない。告白(?)のせいで混乱している。ダメだ。自意識過剰だ、わたし。

 あの謎の告白。鷹之丞は綾姫に恋している。それはいい。で、なんで私が綾姫認定される?

(ふ。そんなことも分からんのか。見かけによらず鈍いのー)突然心の中で声がした。

 え? 何? わたしの自我、分裂した? それともフロイトのいう「超自我」とかいう奴か?

(おぬしはややこしく考えすぎじゃ!)

 やばい、なんだこれ? 幻聴か。

(妾(わらわ)じゃ! 綾姫じゃ!)

 あーあ、始まっちゃったよ、妄想癖。始まるとけっこう止まんないんだよねこれ。マンガの読みすぎだ。

(妄想で片付けるな。綾姫じゃというておろうが!)

 しつこいな、この脳内会話。

(まったく度し難い阿呆じゃなおぬし。せっかくおぬしが鷹之丞から綾姫認定される理由を教えに来てやったのに)

 え? これってもしや?

(その、もしやじゃ!)

 憑依?

(そうじゃ、憑依じゃ)

(ってことは、綾姫さん?)

(最前より何度もそう言うておるわ。真実はいつもひとつぞ!)

(え? 名探偵○ナン? 霊のくせにテレビっ子?)

(そこは放置スルーしてよいのじゃ)

 ちょっと待て。落ち着け自分。

 わたしは何気ない風を装って周囲を見渡した。

 雑談に花を咲かせつつ、三々五々教室を出ていくみんな。

(心配するな、誰にも気取られはせぬ)

 たしかに特に注目はされてない様子。ほっ。

 カバンの中でスマホがムームーいいだした。慌てて取り出し画面を表示させるとなっぴからのメッセージが。

『すぐ図書館に来て!』

『おーい!』

『来れるー?』

『あ! ダメ! やばいやばい!』

 相当急いでるらしい連投。

『すぐ行くぜ!』と返してスマホをしまう。

(なんじゃ今のは)

(なっぴからの呼び出し)

(怪しげな妖術をつかいおるわ)

(別に普通です。スマホ。って言っても知るわけないか)

須磨浦すまほというと摂津の浜かの?)

(いや違うから)

(馬鹿にしよってから)

(で、綾姫さんは何しに来たんだっけ)

(ふん。もうよいわ)

 ……あれ?

(綾姫さん? おーい)

(……)

 消えてしまった。

 怒らせちゃった。しくじったかも。でも仕方ないよね。突然あんなことになって冷静に対応できるほどこっちは肝が座ってないし。

 うじうじ悩んでも始まらない。

 過ぎたことは過ぎたことだ。

 わたしはカバンを持って図書室へ向かった。



      * * * 



 鷹之丞の質問攻めは延々と続いていた。

 弁当の間も、授業の間もひたすら歴史の説明。

(いまは、ワシが生きておったときよりどれほど後の時代なのじゃ)

(五百年弱ってとこかな)

(この西暦とかいう、2018年とかいう数字は何なのだ)

(読んで字のごとし、西洋の暦だ)

(西洋とな。なにゆえわが国が南蛮の暦なぞ用いるのじゃ)

(知るか。グローバル化のあおりだろ)

(まさしく末法の世じゃな)

(へいへい、そうでしょうとも)

 脳内でひたすら説明やら弁明やら。なんでオレが。鷹之丞はいちいち突っかかってくるし、オレの説明を信じないし、納得しないし、教えてもらっている分際でこっちを狂人扱いだ。ほとほと疲れる。

 業を煮やしたオレは図書室に行って、閲覧コーナーに歴史の本を積み上げた。

「ほら、好きなものを好きなだけ読むがいい」

 鷹之丞はとりわけ『まんが日本の歴史』が気に入ったようだ。

 鷹之丞、オレの言うことは信じないが、本に書いてあればさすがに頭ごなしに否定はしない。

 それに、いちいち思い出して説明するより、鷹之丞に勝手に本を読ませておくほうが、オレが楽。はるかに楽。休息というほどではなく、疲れはするけど、休みなしに脳内バトルを続けるのに比べれば天国だ。

(やはり厳島の戦いは毛利の圧勝だったのじゃな)満足げだな。

(そうだよ。桂元澄の偽装内通が功を奏した)

(結局、陶晴賢は自害したのか)

(ああ。毛利方に追い詰められたあげくにな)

(さようか。うむ。父上もさぞお喜びであったことじゃろうて)

(神仏に嘘の誓いを立てて勝ったのに?)

(神罰を受け地獄に落ちる覚悟でお館様のめいに従ったのじゃ。武士の本望よ)

(なるほどね)

(父上の働きがあったればこそ、毛利はその後も永く栄えたのじゃろう)

(そうかもな)

(ワシの死とて無駄ではなかったということよ)

 厳島の戦いが勝利に終わったことは鷹之丞をいたく喜ばせた様子。

 上機嫌で歴史マンガのページををめくる鷹之丞。

(にしても信長が天下を取るとは分からぬものじゃ。それにこの徳川幕府というのはなんの冗談じゃ。さてはワシをたばかるドッキリでは)

(ドッキリなんてよく知ってるな)

(この間おぬしが観ておった○ーチューブとやらで知ったまでよ)

(あー。そうだっけ)

 アレ? そんなの観てたっけ。


 図書室に権藤と大木さんが入ってきた。

 助っ人の出現に、オレは小さく手を振って答えた。

「お勉強中のところ恐縮です」と権藤。おっかなびっくりだな。

「いま話しかけても大丈夫っすか?」大木さんも警戒してる。

「ところで、今あなたは田中くん? それとも?」と権藤。

「いちおう田中」

 そういうと権藤はホッとした表情で胸ポケからスマホを取り出し、打ち出した。

「なんだけど、」

「だけど?」

「頭の中でずっと鷹之丞が喋り続けてて」(さように迷惑そうに言わずとも)

「それを早く言ってよ」と権藤が慌てる。

「これが迷惑以外のなんなんだよ! あ、これは脳内鷹之丞にだから。なにせずっと話しかけられて忙しいのなんの」

「大変そうだね」大木さん、優しい。

「もうヘトヘトです」

「それではそこに鷹之丞殿がいらっしゃるのじゃな」突然大木さんの口調が変わった。目付きも違う。

「ここにおるぞ」(あ、こら鷹之丞!)

「鷹之丞さま」と、大木殿が。

「そなた! もしや綾姫か?」

「綾でございまする」

「おお、おお!」

 ワシは目の前のおなごを見つめた。どうにも綾姫には見えぬ。戸惑う思いは、綾姫とて同じ様子。

 権藤殿も戸惑っている様子で「あれ? 樫飯ちゃんが綾姫じゃなかったの? いつの間に彩乃ちゃんに変更? え?」

 綾姫(大木殿)は目を逸らす。

「ワシも、憑依した田中殿の想い人が樫飯殿じゃったゆえ、何の疑いもなく樫飯殿を綾姫の化身のように思いなしておったわい」とワシ。

「それが」と綾姫(大木殿)は「わらわも、何の疑いもなく樫飯殿に取り憑いたのじゃが、どうもあの娘は苦手じゃ」

「それで彩乃ちゃんに乗り換えたわけ?」と驚く権藤殿。

「そういうことじゃ」と綾姫(大木殿)。

(ええええ? ちょっと待って)と脳内で田中殿が叫ぶ(それじゃあちょっと困るんですけど)

(何がじゃ?)

(だって、樫飯さんが、ええと……)

「鷹之丞殿、いかがなされた」と綾姫。

「なに。ちょっと田中殿がここで喚いておるだけじゃ」とワシは頭を叩いた。

「何も困りはせぬ。いずれ樫飯殿にせよ大木殿にせよ顔貌かおかたちは綾姫とは違うのじゃからな。大事なのは中身よ。のう、綾姫」

「そうでございますとも。とは言え、あの凛々しかった鷹之丞様とは似ても似つかぬこのひょろひょろとしたお姿はさすがに少々」(悪かったな、どうせひょろひょろですよ)

「不満か」

現世うつしよに体があるだけで儲けもの。贅沢を言ってはばちが当たりましょう」

 綾姫(大木殿)の薄い上着の隠しポケットが突如ブルブルと震えだした。

「な、なんじゃこれは。妖魔か?」

「違うって。スマホ、スマホ」と言いながら権藤殿が綾姫の胸の隠しに手を突っ込んで不穏な音を立てている手札を取り出した。

「高橋くんからだ。彩乃ちゃん、は、今無理か。わたし出るからね」そういって権藤は手札に向かって一人で喋りだした。なにかの妖術か、それとも魔物に取り憑かれておるのか。

「彩乃ちゃん、じゃなくて綾姫さん?」と権藤殿。

「なんじゃ」

「清志丸が事情を説明するって言ってるから一緒に来て」

「清志丸じゃと」ワシは思わず大声を発し立ち上がった。

「鷹之丞はここにいなさい! わかった?」権藤殿のあまりの剣幕にワシは思わず座り直し「こ、心得た」

「綾姫、行くよ」と言いながら権藤殿は綾姫(大木殿)の手を引く。

「どこへ参るのじゃ。須磨浦すまほか? 須磨浦に何があるというのじゃ? 摂津は遠いぞえ?」

 二人が図書室を出ようとしたその時、戸口から入ってきた樫飯殿と鉢合わせになった。

「おっとっと樫飯ちゃん!」

「なっぴ、どこいくの。ってか、呼んだよね」と樫飯殿。

「悪い、いまダッシュで清志丸に会ってくるから、樫飯ちゃんはそこで田中と待ってて」(呼び捨てかよ)

 樫飯殿は不安げな面持ちでワシを見た。

「あ。ちなみに今、田中じゃなくて鷹之丞だから。事情は彼から聞いておいて」

「直接? いきなり? え?」と焦る樫飯殿。

「じゃあ、あとはよろしく」と言い残し、権藤殿と綾姫は去る。

 後には樫飯殿とワシが残された。(いや、オレもいるし、図書委員の下級生もいるんですが)

「よろしくと言われてもー」(うろたえる様子も愛らしさがハンパないよ、樫飯さん)

「さように怯えずともよいではないか。立ち話もなんじゃ。ささ、ここに座られよ」とワシ。(優しくな! 礼儀正しくな! 失礼のないように!)

 樫飯殿は大きな机の一番遠い端に恐る恐る座った。(と、遠い。こないだは膝枕だったのに。距離ゼロよ、もういちど!)

 ややしばらくの逡巡の後、樫飯殿が口を切った。

「あの、田中くん、じゃなくて鷹之丞さん?」

「いかにも桂鷹之丞でござる。なんでも尋ねてくだされ」とワシ。美人には優しいワシじゃ。(あんまりジロジロ見るな)

「鷹之丞さんは、なんで田中くんに憑依したの。それに綾姫って誰。どういう関係?」

 ワシは能う限り懇切丁寧にご説明申し上げた。美人にはとことん親切なワシじゃ。(こら、色目を使うな色目を)

「つまり想いを寄せていた綾姫とは結ばれることもなく、姫を敵に陵辱のうえ殺されたと」

「いかにも。まっこと無念じゃ」語るにつれて、耐え難き無念が蘇る思いじゃ。

「それで怨念となって成仏できず、今、田中くんに憑依して現れたということね」

「その通りじゃ」

「そうなんだ。悲恋だね」

 樫飯殿の麗しき瞳に同情の涙が光っておった。(うるうるしてる)なんと清らかな魂の持主じゃ。(だよね、だよね)

「でもどうして瑠香のことを綾姫って呼んだの?」

「それはじゃ。この田中殿の愛するおなごが樫飯殿であったせいで、憑依したワシの想い人という役が当たったのじゃ」(それ、間接的にオレの思いを告白しちゃってるし! なに勝手なことしてくれちゃってるの?)

「田中くんがわたしのことを。そうなの?」(鷹之丞、ぼかして! そこはぼかして!)

「左様じゃ。まえまえより熱き思いを告白せんと機会をうかがっておったが、なにせ愚図グズで屁垂れな性分ゆえ、告げられずに今に至っておる」(ネガティブ・キャンペーンかよ!)

「そうなの?」まんざらでもなさそうな樫飯殿。(お?)

「今もワシの脳内で、勝手にオレの代わりに告白するな! とかなんとかほざいておるよ。カカカ」(うぬぬ)

「あはは。そうなんだ。脳内の田中くんが」(そこ笑うとこ? 樫飯さん……)

 樫飯殿は嬉しそうに頬を染めておる。これは大いに脈ありではござらぬか。(そ、そう?)

「そうともそうとも。田中殿は蚤の心臓で告白できぬゆえ、こうしてワシに代言だいげんを願い出たのじゃ」(嘘をつけ! お前が勝手に存在占拠して! 今もこうして! うぐぐぐ)

「ああー、分かる。田中くん照れ屋さんだもんね」(瑠香ちゃん違うんだ! オレはちゃんとタイミングを考えて、折をみてですね!)

「左様。まあ照れ屋といえば聞こえはいいが、ようは屁垂れよ屁垂れ。カッカッカ」(てめえ、とことんオレの恋を妨害する気だな!)

「ふふふ」樫飯殿もにこにこしておる。なんとも愛しげな娘ごよ。

「あ。でも、さっき綾姫が一瞬わたしに憑依したけど」

「なんと! 初耳じゃ」

「すぐにどっかに行っちゃった」

「大木殿に乗り移ったのじゃ」

「え? 今、彩乃ちゃんに取り憑いてるの?」

「そのようじゃ」

「じゃあ鷹之丞さんは、彩乃ちゃんと結ばれないといけないね」(オレの気持ちは置き去り? ってか、わざとからかってる?)

「そ、そうなるかの?」

「だって、そうじゃん」と樫飯殿。(樫飯さん、つれないわー)

「ワシとしては綾姫にはぜひそなたのもとに戻ってほしいのじゃが」(そうだそうだ! って、おい、まさか鷹之丞まで樫飯さんに惚れたんじゃないだろうな!)

「わたしのところに?」樫飯殿がワシの心の内を見透かした如き流し目をくれる。(コラ鷹之丞、お前やっぱり)

「そうじゃ。なにか不都合でも?」(そもそも憑依自体が不都合千万だから)

「でも誰に憑依するかは綾姫さんの勝手だし」樫飯殿の不敵な笑み、いたずらっぽい口調が我が心を射抜く音がした。(ツンデレ攻撃が無敵すぎる……ダメだ。それはダメだ)


 その時、ガラガラと扉を開けて、大木殿(綾姫?)と権藤殿が飛び込んできた。その後ろに続くは清志丸!

「鷹之丞~~~覚悟~~~!」電光石火の素早さで駆け寄る清志丸の手には、大きな紙を畳んだような代物。

 不意を突かれたワシは態勢を整える間もなく、その代物で頭を叩かれた。パンッ、と威勢のいい音がしたがたいして痛くはなかった。

「な、何をする」とワシは頭を撫でた。無事のようじゃ。

「なに、ちょっとした挨拶よ」と清志丸。

「そのハリセンどっから持ってきたの?」と樫飯殿。

「お笑い研究会の部室から借りてきた。わたし一応部員だし」と権藤殿。

「しかし何故なにゆえワシが頭を叩かれねばならぬのじゃ」

「妾が頼んだのじゃ」と綾姫(大木殿)が。

「姫、何故かようなお戯れを」

「ちょっとしたサプライズじゃ」といたずらっこの顔になる綾姫(大木殿)。よくみると大木殿も目のさめるような美しさじゃ。(鷹之丞節操ないなー)

「それより鷹之丞さま、そなたはずっと誤解なさっておいでじゃったのじゃ」

「というと?」

 綾姫の説明では、城から逃げ落ちようとした綾姫一行は、敵に取り囲まれ、もはやこれまでと観念した時点で自ら腹を切って自害したので、清志丸は陵辱にも殺害にも加担しておらぬという。

「ではワシはずっと清志丸に濡れ衣を着せておったと」愕然とするワシ。

「五百年もの永きに渡っての」と綾姫(大木殿)。

「よかったじゃん、誤解が解けて」と樫飯殿。

 たしかにそれは目出度きこと。とはいえ。

「しかしじゃ、清志丸殿が成仏できなんだ理由が、濡れ衣をかけられたことであれば、おぬしは何故すぐに成仏せんのじゃ」

「それだけではないからじゃ」と清志丸。そうであったな。

「騙し討の件か」

「それもある。神仏に嘘の誓いまでしよって。お蔭で陶軍は全滅じゃ」

「それはさぞ無念じゃろうて。じゃが、全ては遠い昔のこと。誰も彼もとうに死んで、浄土に行ったか地獄に落ちたか、それぞれに片がついておるよ。いまさら仇討ちしようにも後の祭りじゃ」

 清志丸殿はがっくりと肩を落とした。慰めようもない。

「あれ、じゃあ鷹之丞もおかしくない? 清志丸への遺恨を晴らす必要もなくなった訳だし、あんたも何で消えないの?」と権藤殿が鋭く切り込む。

「それは」ワシは言いよどんだ。(言うな。言わなくていい)

「それは?」と皆が注目。

「綾姫と結ばれたかった」(言っちゃったよ)

「あー。なる……」皆の視線が綾姫(大木殿)に集まった。

驚きに目を見開いた綾姫(大木殿)の頬が次第次第に紅色に染まった。

「わ、妾は、鷹之丞様のよきように」

 可憐じゃ。(ちょっと待て、大木さんでいいのか? というか、大木さんの気持ちは?)

 権藤殿が綾姫(大木殿)とワシの手を引っ掴んで引き寄せ無理やり向かい合わせた「はい、どうぞ」(どうぞ、て!)

「どうぞ、て」と綾姫(大木殿)「そないに言うて、いまここで何をしろと言うのじゃ」

「ナニを」と言った権藤殿の頭に、樫飯殿のハリセンが炸裂した。

「それは犬でもしないじゃろ!」「いや犬ならするじゃろ!」

 さすがのワシでもこの衆人環視の状況でいたそうとは思わぬ。

 もっと情緒ある時と場所が大事じゃ。

 旅の宿にて酒を酌み交わした後しっぽりと。

 はたまた誰も訪れぬ屋敷の離れで。

 馬小屋の積み藁の上なども野趣ありて。

 海岸の岩の陰で波の音など聞きつつ。(アオカンか)

 森の木陰にゴザなどを敷いていたすもまたよし。(アオカン好きだな。ってか虫に刺されるだろ)

 だがいずれにしても大事なことは、誰にも邪魔立てされずにゆっくりと励める環境を整えることじゃ。

 気持ちを改め、ワシは綾姫ににじり寄り、懇願いたした。

「綾姫殿」

「なんでしょう鷹之丞さま」

「どうか樫飯殿にいまいちど戻ってはいただけぬか」

「嫌じゃ。あの娘は苦手じゃ。そもそも何故じゃ? いずれ、結ばれる体はこの綾みずからではないのじゃ。誰の体を借りようとも同じことではござらぬか」

「そうよ、私だっていいはずよ」と権藤殿「いや、そこでちゃんとツッコんでくれないと」

「ナニを?」とワシ。

 権藤殿は樫飯殿の手からハリセンをもぎ取ると、ワシの頭を力いっぱい叩いた。おお痛た。

「ははーん分かった」と綾姫(大木殿)「鷹之丞さまは妾のことより樫飯殿のことがお気に入りらしゅうござる」

「め、滅相もござらんよ」(声が裏返ってるよ鷹之丞)

「かくなるうえは意地でも樫飯どののもとに戻ることは致しませぬ」

「そ、そんなあ」(そ、そんなあ。いま、ハモったな)

「何百年も経てば熱き心も醒めて当然。怨霊よりも、うら若き乙女子おとめごが気にいるのも道理じゃわ。フン」綾姫(大木殿)は拗ね放題拗ねている。

「わ、ワシの想うは只一人、綾姫そなたのみじゃ」

「ふん。口ではなんとでも言えるわ」

「綾姫ぇ……」(綾姫ぇ……。またハモった)

「もうよい。愛想も尽きたわ。さらばじゃ」

 その場に崩折れた大木殿を権藤殿が抱きかかえ、椅子に座らせた。

「ちょっとー、どうすんのよ、綾姫どっか行っちゃったじゃん」と権藤殿が責め立てる。

「そう責められても」(いや鷹之丞が悪いな)

「鷹之丞が悪いんだからね」と権藤殿。(まったくだ)

「そうだそうだー」と樫飯殿まで同調するとは。(そうだそうだー)

 これは一体どうすれば。

 窮地じゃ。窮地じゃ。

 進退窮まった。(あ、また倒れる)


 ……気がつくとオレは床に寝かされ、膝枕されていた。

(鷹之丞、逃げたか卑怯者めが)

 そう内心でせせら笑ってやったが反応がない。どうせ無意識の奥にでも潜伏しているのだろうが。

「田中くん、気がついた?」天空から樫飯さんの涼やかな声が降ってくる。ああ、まるで星のきらめきのようだ。

 そしてこの膝枕の、どこまでもやわらかな感触。ああ至福。

 夢心地のこの膝枕、しかしどこか妙に前回よりも高さがある。ん?

 薄目を開けてみると、正面には権藤の迫力のあるニヤニヤ笑いが。

 その背後から樫飯さんがいたずらっぽく笑っている。

(騙された……)オレは再び目をつむり自分に言い聞かせる(これは樫飯さんの膝、これは樫飯さんの膝)

「アンタいま心の中で舌打ちしなかった?」と権藤が難詰する。

 諦めて目を開け、二人を交互に見ながら言った。

「これはまさに膝枕の二人羽織やー」

 樫飯さんがけらけら笑った。やった、ウケたぜ。

「山田くん座布団全部持ってって」

 権藤にそう呼びかけられた高橋が、はーい、と威勢よく答えながらオレの足を引っ張った。オレの頭は柔らかい膝の斜面をずり落ちて床にゴン。

「痛ってぇ……われぇ、なにするんじゃ」

「お約束じゃ」

「お前まさか?」

「いや清志丸はどっかに消えたわ」と高橋。

「成仏したのかな」

「それは分からん」

「大木さんは?」姿が見えないけど。

「んー、わたし?」長机の反対側で声がしたので、そちらを向くと、大木さんの綺麗な脚だけ見えた。絶景かな絶景かな。脚を組んでぶらぶらさせながら「綾姫はもういないよ。どこ行ったんだろ」

 戦国時代の亡霊たちはとりあえず、今この場にはいないようだった。

 いつまでも床に寝そべって大木さんの美脚を鑑賞していても埒が明かないので、オレは起き上がった。

 五人で長机を取り囲むように座る。

 正面に大木さん、その横に樫飯さん、そして高橋、オレ、権藤。

「なんで樫飯さんとオレの間にお前が挟まってるんだよ」と抗議する。

「樫飯殿をお守りするのが拙者の務めじゃ」と高橋。

「心臓に悪いからその言葉遣いやめえや」

「悪い悪い」

 とりあえず誰も憑依されていないので、ほっと一息。

「でも、あの人たち、成仏したわけじゃないよね」と樫飯さん。

「そうそう、またいつ取り憑かれるか」と権藤。

 そうなんだよな。みんなまとめて成仏してもらわないと平和は訪れない。

「権藤、お前霊能者なんだろ、除霊とか出来ないの?」とオレ。

「除霊はレベルが高いんだよ」そうなのか。

「鷹之丞が思いを遂げられればのー」と高橋。

「でも綾姫ちゃんヘソ曲げちゃったからなー」と大木さん。

 と、大木さんのスマホがムームー鳴り出す。

 胸ポケから取り出して画面を表示させた大木さん。

「あ、ばあちゃんからだ。動画? なんだろ珍しい」

 動画を再生した大木さんが、途端に爆笑した。

「母ちゃん! 何やってるのー」

 小さな画面をみんなで覗き込む。

 大木さんのお母さん(超美人)が、テレビから流れる曲に合わせて妙な踊りを踊りまくっている。

「お母さん、楽しい人だね」

「いや、普段はこんな浮かれてないんだけど」大木さんは不審げだ。

 動画の中のお母さんがカメラ目線で「これはまっこと踊れる曲じゃの」

 撮影しているおばあさんの声が「あんた言葉遣いおかしいわ。どうしたん?」

 お母さんが急にカメラに近づき「妾は綾姫じゃ!」と叫んだ。


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