第一部 第一章 五 ふたつめの手紙

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 太田貴文さま


 この手紙を読んでいただけること、大変ありがたく存じます。

 ほんの短い間柄であったにもかかわらず、こんなご迷惑をおかけしたうえに、さらには縋るような結果になってしまい、お詫びのしようもございません。

 言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、太田さんに甘えるなどということはこれまでまったく考えていませんでした。でも、死が目前に迫ってみると、それまでの決意を捨てざるを得ませんでした。本当に身勝手です。申し訳ありません。

 あの子の幸せを心から考えてくれそうな大人は太田さん以外にはどうしても思い当たりませんでした。そんな状況にならないように手を尽くしたつもりですし、以前から大変お世話になっている弁護士の沢田さん(さすがに私が話した細かいことまでは憶えていないですよね)にもお願いしていますが、私がいなくなってどうしても辛くなったときには太田さんを訪ねてみるようにあの子に告げずにはいられませんでした。

 それからこれも先にお詫びしておかなければなりませんが、太田さんの現在の状況について興信所を使って調べてしまいました。お勤め先は新聞記事からすぐに分かりましたが、お住まいやご家族とか親しくされている方がいるかどうかといったことはわかりませんでしたので、もし娘が突然現れたりして取り返しのつかない迷惑をかけることになってしまってはいけないと思い、たいへん心苦しいものがありましたが、頼んでしまいました。どうか、ご容赦ください。また、もし娘がしばらくして行きたいと思ったときには、あらためて調査してもらうように言ってあります。それにつきましてもどうかご理解いただけますようお願い致します。

 私がどうしても太田さんに信じていただきたいことは、身体的な状態においては私が妊娠をする可能性は百パーセントなかったということなのです。私は嘘をついたわけではないのです。娘の遥を授かったのは本当に奇跡的なことだったのです。

 でも一方でやはり嘘をついていました。正確には、話すべきかもしれないことを話さなかったということになります。

 ここからはちょっと変な話になっていきますが、どうか頭がおかしいと思わないで下さい。


 あの日のことは憶えていらっしゃいますか?

 もちろん公民館の火事のことは憶えていると思いますが、太田さんはあの図書室で女の子に勉強を教えたとおっしゃっていましたよね。知らない振りをしてしまいましたが、実はあの女の子のことはよく知っていたのです。知らない振りをしたのは、あの女の子について上手く説明できる自信がなかったことと、もう一つは、私が卑怯だったからです。でもあのときは私もまだ半信半疑だったのです。

 あの女の子は人間ではありません。本人によると、村の人たちは座敷わらしとか森の妖精とか(太田さんが私の名前を「森の妖精みたいですね」と言ってくれたとき、ちょっと驚きました)、特別な女の子という意味を込めて「めのわらわ」とか呼んでいたそうです。人間とは違う存在なのだそうです。そういう意味ではこの世のものではないということになるのかもしれません。でも、実体はあるみたいだし、ご飯も食べるし、触れば温かいし、人間の女の子となんら変わるところはありませんでした。突然現れたり、突然消えたりするところが普通の人とは違います。最初は私も驚きましたが、すぐに慣れてしまって、いつの間にかあそこでの孤独な生活になくてはならない存在になっていました。そして、いつかこんな娘を持ちたい、子供を産んでみたいと叶わぬ夢を持つようになっていました。

 誰も口にはしませんでしたが、あの村の人たちの多くは女の子の存在を知っていたようでした。公民館の中年の女性(山田さんといいます)は、もちろん知っていたようです。というのも、あの女の子はあの公民館に住んでいたからです。でも、話をしたことはなかったみたいです。女の子の側としても、普段は直接人間と接してはいけないらしいのです。私は特別なのだそうです。このことは全部女の子から聞いたことなので、どこまでほんとうのことかわかりませんが、でもほんとうのことみたいです。そう感じたとしかいいようがないのですが。

 あの女の子の話については、何度書き直しても、うまく書けません。

 あの公民館は元は小学校で、山田さんや村の大人たちもみな卒業生です。村の大部分がダムに沈んでから村はどんどん小さくなっていき、やがて廃校になったそうです。まだ独立した自治体だった村は建物の一部を公民館として残し、有志で改装したということです。

 その後、村の人口はさらに減り、太田さんが泊まる予定にしていた岩山市に併合されました(ですからあの時点で公式にはすでに村ではなく地区になっていましたが、みんなはまだ村と呼んでいました)。そして、あの年度の終わりには、あの公民館は取り壊され、新しく建て直されることになっていました。

 どうしてだかわからないのですが、そうなるとあの女の子はもうあそこには住めないのだそうです。

 公民館の建て替えの話が市の内部で話され始めたころ、女の子が私にある話を持ちかけてきました。あの子は何でも知っているんです。私の事情も全部知っていました。そして、私に女の子を産んでくれと言いました。産めるようにしてあげる、と。そうすれば、自分も生まれ変わって、別の場所で生き延びることができるのだといいました。

 女の子が出した条件はあの土地で、できればあの公民館で、子作りをするということでした。子供を産むためには相手が必要なわけですが、あの村の人か、たまたまあの村を訪れた人がいいということでした。どこかから連れてきてもいいけれども、そのほうがうまくいく可能性が高いのだそうです。

 とはいえ、あの村は高齢者がほとんどで、ある程度若い男性(といっても私よりは随分年長でしたが)もみな結婚していましたから、そうすることは難しかったし、かといって、誰かを連れてくる当てもありませんでした。

 誤解のないように書いておきますが、父親といっても、生物学的な意味での父親とはまったく違うらしいのです。奇妙な感じですが、現実での子作りは、儀式の一環のようなものなのだそうです。

 らしいとか、そうだとか、歯切れの悪い書き方になってしまうのは、これもまたすべて女の子から聞いたことだからです。正直言ってどこまで本当かは私には分かりませんでした。人間の私には、どうしても完全には理解できなかったのです。でも私が子供を授かったということは、女の子の言葉は真実なのだと思います。

 それと、娘とあの女の子はまったく違います。あの女の子もそういっていましたし、私もそう思います。性格などがちょっとは混じるところもあるらしいですが、娘は普通の人間の子です。それでも私の娘なので、少し変わったところはあるかもしれません。

 話を戻します。大学の人や市役所の人、業者とかも来ることは来ましたが、そう簡単にああいうことができるわけではありません。私の話をもし憶えてくださっていれば理解していただけるかもしれませんが、少なくとも私はそういうタイプではないのです。それに娘の父親がだれでもいいわけがありません。女の子がどう言おうと、私としてはどうしてもそう考えてしまうのです。新しく赴任してきた駐在所の若い警官にしつこく言い寄られたりもしましたが、どうしても好きになれませんでした。

 あの日、私が河村教授のところに夕方行ってみたのも、東京から来ている若い研究者に興味があったからなのです。教授が「東京から若くてハンサムな研究者が来るぞ。もっとも電話でしか話したことがないから顔は知らないけどな」と、ちょっと私をからかうような感じで教えてくれました。教授も普通の意味で私を心配してくれていたのです。本当は偶然を装ってもう少し早く行って、私が車で駅まで送っていくふりでもしようかと思っていたのです。私だって、そんな男漁りみたいなことはしたくなかったのですが、背に腹は代えられないというか、もう残された時間は半年くらいしかなかったのです。ところがあの日は仕事が立て込んでいて遅くなってしまったのです。

 でも、結局、太田さんと会うことができました。もしかするとあの女の子が「仕組んだ」のかもしれません。あのときはあの子も、なんとか私をその気にさせようと必死だったからです。私からすれば、チャンスをもらったことになります。

 いずれにせよ私は太田さんと出会うことができました。こういった言い方は太田さんに対して失礼かもしれませんが、正直に申し上げますと、そこにロマンチックな気持ちはまったく含まれていませんでした。少なくとも出会ったその時は、それまで候補に挙がった中では最も質の高い男性だった、というだけでした。そして、娘の父親としては、悪くないと思いました。これが最後のチャンスになるかもしれないと思いました。

 男の人をナンパしたことはないですが、でも普通の男の人なら、ちょっと隙を見せれば、腕に傷のある私のような女でもすぐにしようとするのは分かっていました。そのくらいの自信はあったんです。でも、そういう人とはしたくなかったし……。

 ところが太田さんはちょっと変わっていそうだったので、どうアプローチしたらいいのか、分からなくなってしまいました。あまり露骨なやり方をしたらかえって嫌われるのではないかと思いました。それに、これもまた正直に申し上げますが、自分をその気にさせるのも難しかったのです。太田さんは確かに人間的に素敵な方でした。そのことは少し話をしただけですぐにわかりました。でも、やっぱり、女はそれだけでは動かないのです。結婚ということであれば逆にそれでもいいのかもしれませんが、ああいう一夜の恋的な状況では難しいのです。他の人は知りませんが、私はそうなんです。

 家から公民館にいる太田さんに電話をしているときにあの女の子が現れました。太田さんは「帰った」という言い方をしていましたが、私のところに来ていたのです。太田さんとの電話中に。私の応対がちょっと不自然だとは感じませんでしたか? あのとき、たぶん、私と女の子以外の時が止まっていたか、あるいは私たちが別の次元にいたか、していたのです。普通の時間でいったら、たぶん二十分か、三十分だったと思います。その間、女の子は煮え切らない私を説得していました。

「お姉ちゃん、これが最後のチャンスかもしれないんだよ。お姉ちゃんがどうしても嫌でなかったら、頑張ってみて」とかいって、なんとか私に決心させようとしていました。あの子がそんなふうに熱心にいうのは初めてのことでした。あの女の子は相当太田さんのことを気に入っていたみたいです。だからといって、太田さんに取り憑いたりするわけではないらしいのでご安心下さい。

 それでも私が踏ん切れずにいると、女の子がふと、「わたしなら、あんな人がお父さんだったらいいな」と素直な気持ちを漏らしたのです。その言葉で、私の意は決しました。人の心が分かったり、大人っぽかったりするけど、ときおりそうした子供らしい一面をみせるのです。大人っぽいときは、戦略的というか、ちょっと油断できないという感じがしたのですが、女の子の事情を考えればそれは仕方ないと思っていましたし、逆に垣間見える子供らしいところは本当に可愛いらしいのです。

 女の子は私に子供を産めるようにしてくれましたが、その代償として、命が短くなるといっていました。どのくらい短くなるかは女の子にもわからないということでした。そもそも自分がいくつまで生きられるかなんて分からないし、このまま人生を続けていても意味がないとあの頃は思っていましたから、あまり気に留めていなかったんです。でもまさかこんなに短いとは思いませんでした。それに娘を授かってからは自分の命の重みもそれまでとはまったく違っていました。それでも私は結局はどちらかを選ぶしかなかったのです。あのまま空しく生きるか、娘を持つか。与えられた者はなにかを失い、与えた者はなにかを得る。そういうふうに女の子はいっていました。それがなにかは私にはわかりませんが、太田さんはなにかを得たはずです(いわば、無理矢理与えさせられたわけですが)。だからといって、それは私の命ではありません。女の子から見ると、独立したものなのだそうですので、ご心配なく。

 私が決心を固めると、私たちは儀式のようなことを行いました。儀式といっても簡単なもので、お酒の瓶の中にあの女の子がすっと消えていき、私は願いを思いながらそれをコップ一杯飲む、というだけのことです。それはもうお酒ではなく、普通の意味では酔ったりはしないのだそうです。もう一つ必要なのは、それを相手、つまり太田さんに飲ませることでした。あまりお酒を飲まれないようだったので不安でしたが、なんとか飲んでくださったので、それでようやく儀式的な準備は整ったのです。

 でもまだ太田さんをその気にさせるという大きな仕事が残っていました。ただ実のところ、私が少々おめかしして夕飯を持って太田さんの前に再び現れたとき、太田さんの私を見る目がそれまでとまったく違っていましたから、それでだいぶ自信が持てたのです。

 それでも、太田さんはああいうところで簡単に事に及ぶような感じの人ではなかったので、どうしたものかと思っていました。自分の部屋に連れて行くことも当然頭に浮かびましたが、壁の薄い長屋みたいな古い家だったので男の人を連れ込んだりしたらすぐに分かってしまうし、車の中でということも考えましたが、太田さんがそういう気分になってくれるかどうかも自信がなかったのです。それに私もまだ準備万端というわけではありませんでした。

 太田さんが私の誕生日を祝うために演出をしてくれたことで、私の気持ちは解きほぐされました。誕生日は本当はあの翌日だったのですが、太田さんのしてくださったことは本当に嬉しかったのです。あんな風に誰かに誕生日を祝ってもらうのは本当に久し振りだったし、太田さんの優しい人柄が伝わってきました。元の夫の奧山にあんな風にされて以来、実は男性がちょっと怖かったのです。それと、こういう言われ方は好まないかもしれませんが、大学時代の彼とちょっと似ていると感じました。

 それから太田さんは私の長い話を辛抱強く聞いてくださいました。あれで、私の心は本当に楽になったんですよ。他の人では駄目だったのだと思いました。太田さんは私の痛みを理解してくれる人なのだと思いました。太田さんは、私の痛みを理解できる経験を持ち、優しさを持ち、強さを持っている人なのだと。まるでカザルスのチェロみたいですね。

 それからはもう私は普通に振る舞うことができました。心も体も準備ができたのです。そして、純粋に太田さんにお礼がしたいと思いました。踊りでお返しするというのは、あのカザルスの音楽で思いついたんです。

 あのテープはお言葉に甘えて、いただいていきました。そしてあの晩のことを思い出しながら毎日聴いていました。それでテープが駄目になる前にCDを探して買いました。娘はあれを聴いて育ちました。

 なんだか、とりとめのない文章になってしまいましたが、できるだけ正直にあの日のことを太田さんに伝えておきたかったのです。

 太田さんに交際を申し込まれたとき、私の心はものすごく揺れました。この人と生きていくことができたら、どんなに幸せだろうと思いました。もしこの人が子供を受け入れてくれて、一緒に育てていくことができたなら、どんなに幸せだろうと思いました。でも女の子との約束がありました。子供は私だけの手で育てなければならなかったのです。詳しい理由は分かりませんが、ああいう特殊な状況で子供を授かるということに関係があるらしいのです。そして、私が死んでからなら、形式上の父親(と娘)だけには、儀式のことを伝えてもいいということでした。だから娘の面倒をお願いした弁護士の沢田さんでさえ、この手紙に書かれていることはまったく知りません。通じるはずもありませんが、沢田さんには「父親はいない」と言い通してきました。

 娘にも、「遥は特別な子で、普通の子と違って父親はいない」のだと説明しています。今のところは、それで納得してくれています。それにそれは本当のことなのです。

 こんな風に手紙でしか伝えることができなかったのもそんな事情からです。

 いくらこのような特殊な形とはいえ、普通に考えれば、結果的に私は太田さんに嘘をついて子供を作らせてしまったのですから、その後のことについては太田さんには絶対に迷惑はかけまいと心に誓っていました。

 でもその誓いを最後まで貫き通すことはできませんでした。

 どうかお願いですから、娘のことに対して、一切責任を感じないでください。ただ、もし甘えさせてもらえるのなら、娘が太田さんのところを訪ねたときには、私の友人として優しく接してやっていただけないでしょうか。

 それが私からの最後のお願いです。

 お詫びをするどころか、本当に身勝手で、図々しいお願いばかりしてしまいます。

 私の死に免じてどうかお許しください。


 太田さんの一層のご活躍を心よりお祈り申し上げます。


                            森野木乃香 

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