第8話「くだらない顛末」

 ――?

 あぁ、さっきよりは少し気が楽になったような……。そう思いながら、脳をゆっくりと目覚めさせる。

 真っ先に視界に映ったのは、ガラス越しの都会の夜景。そしてシート。車の中なんだな、把握した。


 そして膝元にちょこんと飛鳥が座っていた。右横を振り向くと、とにかく辛そうなことだけはわかる、そんな表情をした靉裂さんが運転している。

「起きたんだね、色さん」

 まだすこし頭がくらくらする。大人になってもお酒はあまり飲まないようにした方が良さそうだ。俺はあまり酒に耐性がないのが身に沁みる。


「えっと……靉裂さん、今どういう状況ですか?」

「明日ゆっくり話します。今日はうちに泊まっていただきます。お父様にもすでにその旨を連絡させていただきました」

「すごい手際ですね。あれ、でも俺電話なんて持ってたっけな……?」

「私が情報屋ってこと忘れてませんか?一般人の勤務先や電話番号くらい、ちょちょいのちょいってやつですよ。今回の事態の収集に比べれば、本当に、よっぽどね……」

 声もまたしんどそうだ。俺が言えた様ではないが。

 しかし休んでいいということなら、飛鳥と靉裂さんも揃っていることだし、少し休もうか――





「知らない、天井だ」

「何言ってるんです?」

「あぁ、なんでもないです」

 朝日の差す真っ白な天井を眺めながら、雛子と一緒に何話か見たアニメのセリフを思い出した。

「昨日車の中で寝てから、ベッドに運んでくださったんですね」

「あなたに非は一切ありませんでしたからね。巻き込んでしまった以上、私にも責任の一端がありますし」

 靉裂さんの声色は昨日からあまり変わっていない。まだまだ苦しそうな雰囲気を残している。


 ようやく眠気もほどほどに収まり、ベッドから起き上がる。近くの時計は7時回っていることを知らせてくれた。こんな遅い時間に起きたのは久しぶりだ。

「早いですが、朝食がてら少し向かう場所があります。昨日の件についても話したいと思うので、飛鳥さんと一緒に車に乗ってもらえますか」

「だってさ、色さん」

 飛鳥はベッドの陰に隠れていたのか、音もなく俺の前に姿を現した。

「わかりました」

 結局俺は何に巻き込まれたのか、まだほとんど理解が追いついていない。

 捜索されていた唐原愛花という女性、俺を拉致した謎の組織、そして救ってくれた奇妙な着物の女の子。その全てを明かしてくれるというのだろうか。



「さて、到着しましたよ」

 車に揺られること数十分。案内されたのは和風の豪邸だった。ドラマの高級料亭とか、時代劇のいいところのお嬢様なんかが住んでいそうな、そんな場所だ。

 もしかして昨日の着物の少女の関係なのだろうか?

「靉裂です、お通し願えますか」

「靉裂様ですね。どうぞ」

 門番らしい人物に靉裂さんが話しかけると、荘厳な木製の門が開かれた。

 俺の服装は昨日のジャージのまま。不釣り合いなんてもんじゃないし、なんだか失礼がすぎるんじゃないかと内心恐ろしい気持ちでいっぱいだ。

「じゃあ行きましょうか」

 あぁ、緊張するなぁ……。


 そこから部屋に通されるまではあまり覚えていない。緊張のしすぎで何が何やらサッパリだったのもある。

 そういう意味で結論から言うなら、気づいたら一室に通された。そんな感想だ。

「あぁ、昨日ぶりですね……」

 そう話すのは昨日のように緑色の鮮やかな着物を着た少女だった。今日は仮面は被っておらず、上には赤い羽織を羽織っている。しかしこの子も靉裂さんと似たような感じで、どことなく疲れているような感じがした。

「しばらくしたら食事を運ばせるので、少しそこで待っていてください。愛花ちゃんももうすぐ起きると思いますし」

「そうですか。白虎は?」

「あの人はもうすぐ到着すると、先ほど連絡がきました。多分そろそろじゃないかと」

「そういうことなら先に中座させていただくとしましょうか」

 もうすでに会話の内容があまり入ってこない。先ほどまでも廊下から柱から、何やら豪邸らしい雰囲気が全方向から漂って着ていたのだが、この一室も同様だった。

 部屋の畳も俺の家なんかとはなんとなく違う気がする。踏んだ感じが柔らかいような……。いや、もっとなんていうか――

 ドタドタドタ!と大きな足音が聞こえたあたりでその思考は途絶えた。

 いかんいかん、もうちょっと冷静にならないと……。

 そして足音に続いてバタンッ!と大きな音とともに勢い良く障子が開けられる。

「入るぞ」

「入ってから言うものじゃありませんよ」

 俺ほどではないが、大柄の女性だった。とても美しい白髪に、金色の目がとても特徴的。外国人だろうか?


「……あんたが神山色か?」

「え、あ、はい。そうです」

 この人と会った記憶はない。多分靉裂さんの知り合いというか、さっき言ってた白虎って人のような気はする。

「ま、災難だったな。ところで飯が食えるって聞いたんだが?」

「靉裂さん、さすがに図々しすぎませんかこの人?」


「……そうだ、神山さんに自己紹介を」

「そういえば忘れていました。神山さんのことはあらかじめ存じています」

「あぁ、どうも」

「私、破閑道鈴音はかんどう すずねと申します。宜しくお願いしますね」

「改めて、神山色です。こちらこそよろしくお願いします」

 五人が部屋の中に座り、ちょうど給仕のような方々によって朝食が運ばれてくる。如何にもと言う和食で、惚れ惚れするなんてものじゃない。俺もいつかこう言う料理を一度でいいから作ってみたいもんだ。

「食べながらでいいですが、とりあえず話を始めてしまいますか」

 やっぱり真面目な流れですよね。食べるのに集中しすぎないように気をつけよう……。昨日の今日だから議題は俺も関係してくるのは明白だしな。


「まず初めにですけれども、神山色さん」

「えっ、はい」

 初っ端から呼ばれるのね。

「今回は私のずさんな管理のせいで巻き込んでしまったことを、心からお詫びします。誠に申しわけありませんでした」

 そう言いながら正座のまま、深々と頭を下げられる。

「いや、やめてくださいよ。そもそも何がなんだったのか、俺あんまりわかってないですし……」

「そういうわけにはいきません。しかし謝罪するよりも説明をした方が良さそうですね」

 頭を上げてくれた靉裂さんは、今度はカバンの中からいくつかの書類や写真を取り出して机の上に置いた。


「まずあなたが狙われたのは、今はいない子が関係してくるんです。飛鳥さんと同い年の子を預けようとした話、覚えてますか?」

「そういえばそんな話もあったね。あれからなにもなかったけれど」

「親元が少し特殊で、私の方で預かろうと思ったんですけど、身柄を常に監視するのが難しかったんです。彼女を人質として狙っている人も多かったですし、一部の処理を終わらせたらそちらに再度伺おうと思ってたんですが……」

 靉裂さんの顔が少し暗くなる。

「その前に抗争相手が、どういう手を使ったのかはわかりませんが私の足取りを追ったみたいなんですよ。結果あなたがその娘と関わりがあるんじゃないか?ということで連れ去ったらしく……」

 そういう意味ではやっぱり、俺は巻き込まれただけなんだな。


 ……体験そのものがあまりにも突飛で、どう反応していいのかうまく思いつかない。お酒だけは今後も飲みたくないな、とは思ったけれど。

「でも靉裂さんが謝るようなことじゃないですよ。靉裂さんが杜撰なことしたわけじゃないですし、悪いのは俺を拉致した相手なわけですし!」

「しかしまだ問題が残ってるんですけど、そろそろ起きてきますかね?本人が来るまで少し待ちましょうか」


 少ししてまたバタバタと足音が聞こえてくる。白虎さんほどきしむような音はしなかったけれど。

「すみません、遅れちゃいました!ごめんなさい!」

 その声とともにまた女の子が入って来る。この子がもしかして――

「ようやく来ましたか。座って自己紹介をどうぞ」

「はい!」

 鈴音ちゃんの隣にちょこんと座り、少女が口を開いた。

「唐原 愛花です。将来の夢は正義のヒーローです!よろしくお願いします、神山さん」

 元気はつらつ!ってイメージがとても強く伝わってくる。

「今日は私のせいで迷惑をかけてしまって――」

「あぁ、まだ全部話してないので待ってください」

「――え?そうですか、わかりました」


「話を戻します。この子が飛鳥さんに預けようとしていた愛花さんです」

「そういえば拉致して言った連中も、知っているかどうかを聞いてきました」

「そういう事情を把握し、本来は白虎さんを派遣してあなたを救出する。その予定だったんですが……」

 靉裂さんの顔がさらに暗くなる。目の下にうっすらと見えるクマも合わせて、体調の無事を心配するほど見た目は悪い。


 ……あれ?

「でも白虎さんじゃなくて、来たのは鈴音ちゃんですよね。どうしたんですか?」

「私のせいなんです……」

 その理由を説明し始めたのは、靉裂さんではなく愛花ちゃんだった。

「靉裂さんには待機してるよう言われたんですが、私のせいで迷惑をかけてしまってるわけですし。それに靉裂さんも忙しそうだから、少しでも力になれればっておもって……」

「これについては目付役だった私も載ってしまったので、私にも責任があります。あの時は仮面付きで、ごめんなさいね」

 でも話を聞く限りはいい話だと思う。けれど危機管理の問題として、靉裂さんが苦労されていたのもよくわかる。俺はあまり口を挟まず、当事者同士で良し悪しを判断するべきなのだろう。


「でも、飛鳥ちゃんはすごかったね」

「どういうことだい?」

「本当に敵じゃなくてよかったと思ってる。靉裂さんが止めてくれなきゃ、今頃バラバラ死体になってたし、本当に――今でも怖いよ」

 目に見えて、鈴音ちゃんが震えている。

 飛鳥が本気で戦う瞬間を俺はまだ見たことがない。けど本人の話も他人の話も、例外なく『とんでもないもの』だったと物語っていた。

 あんなに幼い体躯の中に一体どれほどのものを抱え込み、潜んでいるのか。その深淵を覗きたくもあり、今の関係が壊れてしまわないかという恐ろしさもある。

 いずれにせよ再認識できたことは、俺の生活が飛鳥と交わったあの日から、環境というか――もっと本質的な何かが変わった。いいことづくめではないけれど、嫌いではない。

 少し、変わったのかな。


「改めて、私のせいでごめんなさい……」

「えっと、そんなに気にしないで。俺は悪いことしたと思ってないし」

 こういう時のフォローって難しいんだよな。雛子とは勝手が違うし、イマイチ上手な対応がわからない。

「これで半分の話は終わりです。諸事情でかなり省きましたけど。それでもう半分ですが、こちらを」

 靉裂さんが一束の書類を渡してくる。十数枚の厚みのそれは、手渡された途端ずっしりとした重みを伝えてきた。なんだこの量。

「今後のことも考えて、神山さんには我々の世界について知っていただきます」

「……はい?」

「本音を言えば、飛鳥さんの手綱をしっかりと握っておいてほしいんですがね」

 耳元で小さく、そう囁かれた。

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