第7話「戦いではないもの」

「あ~、こりゃダメそうだなぁ」

 仮面の下から、小さく声が聞こえた。

「すみません、少し止まります。追っ手が近づいてるみたいなので、あなたは先に逃げてください。もう少しで安全な場所になるはずなので」

「えっと、あぁ……」


 裏路地の先は暗く、はっきりとした目的地はまだ見そうにない。ここからは一本道なのかもしれないが……。

 だめだ、まだ酔いが冷めそうにない。それどころかもっとひどくなっている気がする。頭は痛いし、軽い吐き気が全く止まらない。足にくくりつけられた重りがどんどん増えていくようで、まるで――


「相手が一人じゃないかもしれません。保険にこれを持っていてください」

 そういって紙のようなものを手渡される。彼女が裏口から入ってきたときのような、縦長の白い紙。その両面にはさっきとは違って、赤い絵柄のようなものが描かれている。

 うん、やはり手触りからしてもやはり紙だ。お守りのようなものなのか、さっき男たちの手を氷漬けにしたように、何か仕掛けがあるのかははっきりしないが……。

「じゃあちょっと待っててください。すぐに終わらせますから」


 少女が走り去っていく。しかしそれを見送りながら、声をはっきりと出すことができない。

 ダメだ、どんどん気持ち悪さが増してくる。もう少女の姿は見えない。俺も早く進まなければならない。そのはずなのに、もう足が動かない。

 意識がおぼろげだ。酒というものを甘く見ていた。アルコール度数がどうとかじゃない。とにかくとんでもないものじゃないか。

 せめて物陰に隠れていなければ、何が起こるか……わから――






「さて、と」

 少女の見据える先。そこには虎が立っていた。

「あなたが追っ手ってところ?」

「手間取らせやがって、わざわざ逃げてるところを戻ってくるのは大した自身だ」

 二人の視線はバチバチと音を鳴らすほど、空気を濁らせるほど敵意に満ち溢れていた。お互いの事情などいざ知らず、そこには敵対以外の選択肢を選ばなかった、二人の末路が残されている。


「しかし仮面なんざつけて、日本じゃそういうのが流行りなのか?あるいは単に顔を見せたくないのか――」

「顔を隠したいだけだよ?」

「――そうか。まぁどっちでもよかったんだがな。そいつを土産にするのも悪くないかもしれん」

「別にあげるつもりはないんですけど、まぁ私は天才だから――」

 腰帯に引っ掛けられたケースから、少女は複数枚の紙を取り出す。虎の目に触れた瞬間は白紙だったはずの両面には、なんの仕掛けか、赤い文様が少しずつ浮かび上がっていた。

「気をつけてね?」


 指先から離れていく紙たちが、踊るように宙を舞う。ある一枚は一直線に、ある一枚は弧を描きながら、ある一枚は地面すれすれを。そうやって虎へと向かっていた。その数10枚。

 そしてその間にも少女は新たな紙を取り出し、また文様を浮かび上がらせる。

「あぁ、そういうやつか」

 そう言って虎は、うねらせるように腕を振り回し始めた。そうするとなぜなのか、虎へと向かっていた紙は到達することなく、次々と空中でバラバラになっていく。そうやって10全てが散り散りになって地に伏せる。


「……何をしたの?」

「単純なもんさ」

 動きの止まった指先には、ナイフが握り締められていた。

「間合いをずらして斬り伏せただけさ。この類の技は中国で話に聞いたことがあったからな、予想通りで何よりだ」

「――っ!?」


 虎はあたかも簡単そうに言ってのけるが、少女にはそれがどれだけ難しいかをよく理解していた。彼女の目の前にあるナイフをどう扱ったところで、常人では数センチ程度のズレしか起こせないだろう。ましてや虎は上半身を動かすことなく、ただ腕を振り回し続けていただけだ。

 そして斬りふせる瞬間がはっきりとしない。故に何も起こらなかった。

「こいつの原理はスイッチと同じだ。感知式じゃない。だからお前は俺の触った瞬間がわからないせいで、起爆するタイミングを失っていた。そんなところだろう?」

「そこまでわかるんですね……」

「経験と情報の差だ。お前と私では、生きている時間が違うんだ。お前が負けるのは当然の道理だよ」


「言ってくれるじゃないですか、なら――」

 指と指の間に握られていた紙を、少女はまた虎へと投げつける。しかし今度は10枚どころではなく、直感で数えられないような数だった。

「――今度の符捌きはどうでしょうか!」

「甘い」

 しかしそれらは虎に届くことはない。軌道、速度、方向。まるで違うそれらすべてをたやすく把握し、今度は全身を使って撃墜していく。やがて一枚残らず地に伏せていった。

「がっかりだ、もっと面白いものだと思っていたのにな」

 少女は唖然としているのか、仮面のせいで表情は誰にもわからないが、何も返答しなかった。


「じゃあ、覚悟はできているんだろうな?」

「……」

「だんまりってのは良くないな。『符』だったか?そいつをもっと私に打ち込むといいさ。撃ち落とすだけならいくらでも付き合ってやるさ」

「……」

「ま、お前の自由だ」

「じゃあちょっと本気出します」

 ふぅーっ、と大きなため息が少女から放たれ、また符が取り出される。

「……いいね、いいな!もっと本気とやらを見せてみろ。こっちも全部ねじ伏せてやる」

「じゃあお言葉に甘えて」


 すると少女はしゃがみ、五枚の符を地面に叩きつけた。

「五元結界!」

「な、お前卑怯だぞ!」           

 結界という言葉に反応し、すぐさま虎は少女に蹴りを入れようとした。しかしそれは肉体に届かず、見えない壁に阻まれてしまう。


「繧ー繝ェ繝九ャ繧ク縺ョ髏倥′魑エ繧」

「今度は詠唱かよ、くっそ……」

 虎がすかさず拳や蹴りを追加で入れるも、やはりそれらは少女には届かない。先hどとは真逆の光景がすでに始まっていた。

「驥昴?縺セ縺?縺セ縺?蜍輔>縺ヲ繧」

(詠唱自体が遅いのは助かるが、こっちの攻撃が入らないのはさすがに困る!)


 カシャリ、と虎の袖口から音がなる。それは鈍い黒色を放ち、月明かりの差さない路地裏でも鉄の光沢がうっすらと滲み出ていた。

「――っ!?縺代l縺ゥ繧ゆク也阜縺ョ迚?嚆縺ァ……!」

 乾いた音が三度鳴る。しかし放たれた弾丸はやはりと言うべきなのか、少女には届かない。先端がぐにゃりと扁平になるよう曲がって、そのまま地面に落ちていくだけだ。

「まぁ入らんか。仕方ない、受けてやろうじゃないか」

 それは諦観したような声色で、虎の表情が焦りから、徐々に冷静なものへと変化していくのがはっきりと現れていた。


「隱ー縺九?鮠灘虚縺梧ュ「縺セ縺」縺ヲ縺……」

 そうして少女の紡いでいく言葉が静かに止まる。それは常人が聞き取ることのできない言葉であるのに間違いはないが、あからさまな変化が終わりをはっきりと暗示していた。

 虎の動きがぴたりと止まる。銃口を下ろす腕が、周囲を見渡す瞳が、乱雑な言葉を生み出す舌が、温かな体温を受け継いだ呼吸が。その全てが止まる。


愛花まなかちゃん、お願い!」

「わかった、待ってて!」

 着物の少女の後方から、今度は仮面で顔を隠していないもう一人の少女が呼ばれて出てくる。


 黒い手袋をした愛花の指と指の間から、いく本かの糸が放たれた。それは建物や壁に縫い付けられるようにして固定され、虎の肢体へと絡みついていく。当然のように虎はそれに対処せず、なおも動きは止まったままだ。

 細くしたたかな糸によって、愛花が虎を釣り上げるのにそう時間はかからなかった。愛花がしゃがみこむと同時に虎の体が宙へと浮く。

「もう大丈夫、動かしていいよ」

「ありがとう」

 パチン、と着物の少女が指を鳴らすと、虎のあらゆる動きがまた戻っていく。それは先ほどまでの動きの続きを行おうとするが、一瞬で途切れていった。


「――なんだこりゃ?……あぁ、糸使いか」

「ご名答。私たちは最初から2対1だったってこと。そしてなりよりも私の妖術にあなたは負けたんだよ」

「妖術なぁ……。色々と見せてもらったのは嬉しいが、最後のは知覚すらできなかった。ありゃなんだ?」

「限定的だけど時間を停止させたの。かなり疲れるけどね」

 その言葉を聞くなり、虎は唖然とした。同時に大きなため息が口元から漏れ出す。

「そんなのができるやつは聞いたことがない。お前何者だ?……だがそっちの着物じゃない女。そっちはとんでもなく甘いらしいな。お陰様でなんとかなりそうだ」

「何言ってるんですか!あなたは今、手も足も出ないじゃないですか!」

「糸使い、お前は勘違いしてる。それも二つだ」


 すると、虎を拘束するために地面にくっつけていた愛花の腕が、少しずつ持ち上げられる。それは長い長い遠回りをしながら、虎が糸へ力を加えている証拠だった。

「まず一つは私を拘束しようとしたことだ。その気になれば殺せたところを……いや、それはまだいいか。私に何か情報を吐かせるとか、そういう方面ならあながち間違いとも言えん」

「な、なんてパワーなの……!?抑えられないっ……」

「えっ、嘘」


 愛花の腕が胸あたりまで持ち上げられる頃、ぶつりと糸が一本切れる。それを合図に他の糸までもが少しずつ途切れ始める。愛花がいくら対抗して力を込めても、それを止めることは叶わない。

「千切れる、千切れちゃう……!」

「二つ目はお前の細腕で糸を支えたことだよ。自分が子供だっていうハンディキャップを理解してないのか?単純に力負けするって可能性を考えなかったのは、愚かすぎて話にならない」

 ぶつり、ぶつり。それははっきりと音を鳴らすことなく千切られていく。



「ちょっと待って、何かくる」

 着物の少女が符を後ろに構えた。それは彼女が先ほど色を置いていった方向だった。そしてその言葉通り、彼女は来た。


 次の瞬間、薙刀とともに飛鳥が突っ込んでくる。それは跳躍のようでもあり、飛躍のようでもあり……。とにかくミサイルやロケットのように垂直に、鋭く突きかかって来たのだ。

 少女がそのほこさきと手元の符とを合わせ、なんとかガードする。しかし飛鳥が着地する頃には勢いに負け、1m近く後退してしまっていた。

「まさか私たちと同じくらいの女の子がくるなんて……」

「無駄話は終わりだ」


 飛鳥の乱入は明らかに空気を濁した。それは殺伐としたもので、飛鳥からもどす黒い殺意が滲みでていた。

「色さんをどうしたいのかは知らないけど、全員殺せば終わる話だろう?斬れば無事解決だ」

「なんだ、面白そうな子供が一人増えたな」

 虎もまた全ての糸を引きちぎり、再び地面へと降りたった。着物の少女と愛花を挟むようにして2対1対1の構図が出来上がってしまった。

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