第6話「脆く、拙い」

 都会の一角。繁華街に何の変哲もなく立ち並ぶ、街並みの中のビルの一つ。そこに色は拉致されていた。

 しかし幾らかの温情はかけられていた。これは色が従順だったことが理由の一つになっているのだが、手足を拘束されることはなく、特に乱暴な扱いをされることもない。


 そのまま中へと連れ込まれた色は、男たちに言われるがまま椅子へと座る。その姿勢に抵抗の意思はあまりない。

「ここまで大人しくしてくれるっていうのは、こちらとしてもありがたい限りだ」

「抵抗するだけ無駄でしょうからね。大の大人に寄ってたかってされてしまっては、絶対に勝ち目なんてないですよ」

「お前、まだ中学生なんだってな。背が高いせいで、見た目だけじゃ騙されるぜ。なかなか利口なその頭と合わせて、な」

 男はそれを笑わない。


「結局俺をどうするつもりなんですか。俺なんか誘拐したところで、靉裂さんが積極的に動くとは到底思えない」

「そんなことはないんだ、それが。利口なお前にはご褒美に色々と教えてやろう」

 部下らしい人物がグラスと瓶を用意する。男はそれを手に取ると、二つのグラスに並々と紫の液を注いだ。

「飲め」

 その中身は言うまでもなく、実物を初めて身近に見た色にも察しがついた。


「……俺は未成年ですよ」

「一口で構わん。まぁないとは思うがな、不意に逃げられても酒気帯びでただじゃ済まないわけだ」

「そうですか」

 差し出されたグラスを手に取り、覚悟を決め一口に飲み干す。直後むせたように咳き込みながら、催す吐き気を押さえ込もうと努力していた。

「ははっ、やはり見た目だけだな。中身はまだ子供なわけだ」

「――葡萄ジュースみたいなものかと思ってましたけど、思ったよりも苦いんですね」

「まぁそのうち分かる歳がくるさ。利口にしてれば、の話だが」

 男は不敵に笑う。


「さて、なぜ俺たちがお前を拉致したのか。その理由はまだ分かっていないらしいな」

「車に揺られながら、いくつかは想像しました。トウハラ、って人との人質交換とか、そういうところなんじゃないですか」

「べつに間違ってないさ。もっと自分を褒めるといい」

「でも俺にそんな価値があるとは思えない。靉裂さんは俺のことをがっかりしたと言っていましたよ」

「それが事実だとしても、別段問題はないんだよ。靉裂がどの程度の位置にいるか知ってるか?」

「いいえ」

 笑みを残したままグラスに手を伸ばし、色がそうしたように男もまた一息に液体を飲み干す。しかし飲み終わった後は別で、余裕のある表情で大きく息を吐いた。


「奴は情報屋としてまだ駆け出しだが、その手腕だけで既に多くの人脈を獲得している。奴に本気を出されたら、俺たちみたいな弱小団体は一溜まりもない。」

「……?」

「情報屋として色々とタブーってものは存在するんだ。本人がいかに有能だろうと、やっちゃいけないことっていうのがいくらかある」

「まさか、その中に『客を人質に取られてはならない』っていうのがあるわけですか?」

「あぁ、そうだ」


 不思議と色の頭は静かで、とても冴えていた。襲われかけたという事実は残っていたとしても、やはり手荒に扱われていなかったおかげか、少しずつ恐怖が薄れていた。

「具体的には違うんだが、まぁお前の身柄が無事じゃないと困るんだ。とはいえこちらも手荒に扱いすぎると、この業界じゃなかなか生きにくくなる。そういう意味じゃ、お前さんの行動は間違っちゃいない。そんなとこだな」


 色が一番初めに考えたことは保身であった。故に男の言い分とはまるで意図が違う。

 また自らのことを快くは思っていなかった。それは良心からくる苛みに間違いはなかっただろう。







 男がその場を離れ、部屋の中では沈黙が数十分ほど続く。いや、実際にはもっと経過しているだろうか。部屋には時計がかけられていなかった。

 その間俺は何もしなかった。携帯電話など掴む間もなく制圧され、まさに丸腰の状態で連れてこられてしまった。

 部下らしい連中は俺と何も言葉を交わさない。必要以上に話をすれば、何かいらないことを言ってしまいそうな俺にとっては、都合の良いことだったのかもしれない。


 コンコン、と裏口のような扉からノックが響く。

「いいぞ、入れ」

 気になって開いた扉の方を見ると、入ってきたのは仮面を被った女の子だった。鮮やかな緑色の着物に朱色の羽織を被っていて、どことなく飛鳥と近しい雰囲気を纏っていた。こんな小さな子も仲間の一人なのだろうか。

「ちょっと待て、誰だお前」


 ……え?

「えっと、正義の味方なのかな?拉致された〜なんて報告があったのでやって来ました」

 拉致されたっていうのは俺のことだろう。まさか靉裂さんの部下?しかし見た目は飛鳥に劣らないほど幼い。雛子のアニメで見た通り、女の子が大好きなロリコンってやつなのだろうか。

 今これを考えるのはおかしいだろう。俺にとっては切羽詰まった状況なんだ。だがそう思わざるを得ないほど女の子は幼くて、この場でその存在はあまりにも異質すぎた。


「ガキが、ここがどこだかわかって言ってんのか?」

「もちろん。大人の事情はわかりませんけど――」

 少女は白い縦長の紙を、顔の前に掲げる。

「私も天才なので、解決するための手段はよくわかります」

 ビキン!小さく鋭い音が響いたその瞬間、部屋の空気が冷えた。

「うおっ、なんだこれ!?」

 男たちの声元に目をやると、それは凍っていた。拳銃や、長ドスや、手のひら。そのどれもが凍っていた。

「えへへ、こっちだよ!」

 まだ上階はこの事態を把握していないのか、静かなままだ。ここは靉裂さんを信じて、全力で逃げ――


 ……足が、重い。いや、身体中が!重しを背負ったみたいに、身体中が重たく感じる!

 歩くことはできるだろう。だがまっすぐ走るのは難しいほどに、自由に動かせないほど重たい。

「早く、どうしたの!?」

「あ、あぁ……待ってくれ」

 ふらつくように、裏口へと向かう。気づけば男たちの足元までもが、ガッチリと凍っている。お陰で裏口まで間に合った。

 もしかして、さっき飲んだワインのせいで酔っているのか!さすがに今まで飲んだこともないし、中学生の体にはかなり堪えるものがある。


「とりあえず行きましょう、ここから抜ければなんとかなるはずですから」

「わかった、ありがとう……」

 おぼつかない手元を慎重に動かして、扉を閉めた。その瞬間中で何かが爆ぜた音がした。今度のは凍結した音とは違い、耳を劈くような巨大な鋭さだ。

「振り向かないで!急ぎましょう!」

「え、あぁ……」

言われるがまま夜の薄暗い道を歩く。そのビルがもう見えなくなりかけた頃、うっすらと窓がオレンジ色の光を放っていた。







『もしもし、こちらティーガー

「どうしました?こっちは今そちらに向かっている頃です。何か不都合がありましたか?」

『対象がいなかった。とりあえず中身のやつの爪引っぺがして見たんだが……だめだな。どいつもこいつもわからないときた」

 ……だから嫌だったのだ。彼女が絡むと、やはり事態の収拾が難しくなるほど、話が大きくなってしまう。あそこまで自信満々な言葉を発していたから信じてみたが、やはりいっ時の言動よりは、それまでの行動の方が真実をよく語る。


『あ?聞こえないな、もっとはっきり喋れよ!』

「ちょっと待ってください、何の話をしているんですか!」

 ぷつり。つかの間の着信があっさりと途切れてしまった。

「どうしたんだい?」

「なんでもないです。到着までおとなしくオレンジジュースでも貪っていてください」


 いけない。相当にイラついてしまっている。この感情が飛鳥さんに伝播しようものなら、最悪私の人生が終わってしまう。落ち着きましょう。

 ティーガーは神山さんを見つけられないと言っていた。それは絶対におかしい。あの暴力団が所有しているビルはすでにあそこだけ。他に人間一人を波風立てることなく、収容していられる場所はないはず。

 私の情報に抜けがある?……いや、まさか。私は靉裂ソラ。そんなことはありえない。

 そうなると他の勢力による手引きがあった?……だめだ、そちらについては判断材料が少なすぎる。ここはやはりティーガーに先をいってもらわなければ。

「さて、一体どうなることやら」

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