第5話「余計な手出しは今日も彼女の邪魔をする」

 それは、有り体に言うのであれば「勘」だった。

 しかし飛鳥は既に、自らの勘がある程度あてになることをある程度理解していた。強いて言えば経験が他人と比べて足りていない節があるものの、それでもなお彼女にとっては、信用に足る基準の一つであることは間違いなかった。

 そしてこの日不意に訪れた勘は、あまり良くない報せだった。


 いつも通りの走り込み。実家から色の家までの往復路は、そう単純な道のりとは言えない。山の勾配はきつく、道路もあまり整地されてはいない。当然相応の体力を必要とさせられる。初めの頃はペース配分が備わっていなかったが、その程度は一ヶ月足らずで完璧に習得してしまうのが飛鳥だった。

 だがそれを差し置いてでも、大きくペース配分を崩そうとも、飛鳥は自らの勘に従った。良くないこと。それが飛鳥ではなく色に降りかかるのではないか、そんな恐怖心が彼女を突き動かした。


 彼女がもう一つ、本能的に理解していたものがある。「万が一は追わなければならない」ということだ。今度こそ間違えてはいけないということを、なぜか理解していた。

 彼女には、自分自身のことでわからないことがたくさんあった。色と出会うまでの記憶が朧げで、ひどく曖昧なものになりつつあるのだ。

 理由はわからない。けれどあの事件とあの出会いは、確かに彼女を変化させていた。心根から、全てを。

 それは紛れもない真実だった。




「はぁ、はぁっ……んぐっ」

 飛鳥がここまで息を上げるのは久々の経験だ。しかしいつにもまして考慮しなかったペース配分のお陰で早く到着できたことを鑑みれば、少しは満ち足りた。

 そして彼女の勘は幸か不幸か、当たっていた。

(白いバン……?色さんの家では見たことがない車だ。あの人のお父さんの車でもないし、いったい誰だ?)

 中に得体の知れない誰かがいることを、数秒と待たずに理解する。裏口から静かに侵入することは、彼女からすれば当然の結論と言えた。


 息を殺し、足音を消し去り、耳を澄ませる。

「おい、そっちはどうだ!」

「もう少しで片付く、待ってくれ」

(同じツナギを着ている。何かのグループってところなのかな?)

 開けっ放しのドアは不用心の証で、この時点で実力のほどは明確になっていた。されども気を緩めることなく、慎重に空気を図っていた。


 そしてトン、と飛鳥が飛んだ瞬間、一番手前の男の胴から、首だけが跳ねていった。それは一瞬という言葉を凌駕し、男は死んだという感覚すら失っていただろう。

(まず一人)

 次に突く。首、心臓、腹。それぞれを狙った刃は誤差なく到達し、その悉くを切り裂いた。恐らく本人が襲われることを理解していたとしても、飛鳥の動きを目で追うことは叶わなかっただろう。

 残る一人は血飛沫が飛んだことでようやく気づいたらしいが、狼狽や悲鳴をあげる暇なく、首筋に白刃を押し付けられていた。

「さて、大人しくしてもらおうか」





「はい、もしもし!」

 その声には怒気が織り交ぜられていた。

『僕だ、飛鳥だ』

「……どこからかけてるんです?私の知らない番号だったので、つい」

『色さんの家の電話。それより緊急事態なんだ、どうにかできない!?」

「まずは話を聞いてみないことには」

(まぁ緊急時以外かけてくるな、って言っておきましたから想定内ですけど。出羽さんが焦るのは珍しいですね)


 靉裂も伊達に情報屋の暖簾を掲げてはいない。早く、安く、広く。このような熾烈な争いを繰り広げて生き残っているのは、紛れもなく靉裂自身の類稀なる手腕によるものだった。

 どのような相手を前にしようとも、公平性と中立性を保つ必要がある以上、切り替えの早さと冷静な頭脳は当然持ち合わせている。もっとも本人の言う通り、「才能ある可愛い女の子」にはそういった大前提を崩すことも多かったが。


『色さんが誘拐されたみたいなんだ。何かいい手がかりはない?』

「これはまた突然ですね。……そちらこそ何か有力な情報などはありますか?」

『変な奴らが色さんの家にいて、試しに拷問したんだけど殺しちゃった』

「流石に即死はさせてませんよね?」

『当たり前だよ。あまりにも喋らなかったから加減を間違えた』

 これには一部嘘が含まれていた。飛鳥が加減を間違えたのは事実だったが、主たる要因は単に経験不足によるものだったからだ。


(しばらくはどこもおとなしくしてると思ったんですが妙ですね。わざわざ行動を起こすなんて)

 頭の中の情報を交差させる。ここ数日で大きな裏の情報を握ることができず、なおかつ複数人による行動。飛鳥の加減のほどを考慮せずとも、拷問されても何も吐かない統率力。

(軍隊にしては情報を手に入れてなさすぎる。新興の犯罪集団?もっとないですね。わざわざあんな田舎娘を誘拐するのは割に合わない)

 

「死体ってまだ残ってますか?」

『どうしたの?』

「バッジみたいなものがないか確認してほしいんですけど、どうでしょう?」

『ちょっと待ってて』

(軍隊ほど優秀ではなく、素人ほど拉致の手際が悪くもなく、ですか)


 そのときトントン、と女が靉裂の肩をつついた。

「すみません、まだ電話中ですので少し待っていただけないでしょうか」

「いや、何か面倒ごとの電話なんじゃないかと思ってな。少し話があるんだ」

「……一体どのようなお話で?」

 靉裂は女を警戒していた。

「私は日本こっちで色々と世話をしてもらって一週間になるけど、この国はいいね。食事は旨いし、大抵のモノは良い」

「何が言いたいんですか」

「しかし物価が高いのがいかんせんダメだな。そこでだ、小遣い稼ぎをさせてもらおうかと思ったんだ」

 頭を抱え、女の提案に思案を巡らせる。


 靉裂にとって、目的の達成だけに目を向ければそう悪いものではない。彼女なら確実に色の身柄を確保できるだろう。

「私が危惧してるのは、あなたが今回のことを大ごとにしないかってことです。できるだけ秘密裏に動きたいのですけど、あなたは荒事専門じゃありませんでしたか」

「そんなこと気にしてるのか。我々に脅威性を感じれば、今後相手から手出しをされることはないだろ。ここはガツンと一発だな――」

「そういう問題ではないんです!」


『靉裂、それっぽいのはあったぞ!』

「それ、何か紋とか入ってませんか?」

『ある。丸いバッジで、中に菱形みたいなやつだ』

 靉裂の頭の中で全てが合致した。相手がわかったなら、あとは彼女の側から先制攻撃を仕掛ければ良い。


「5000ドル。派手なことをせず、世間的に穏便に片付けられたならその倍!それでいいなら仕事を回しましょう」

「乗った!」

「飛鳥さん、私がそちらに向かいます。おとなしく待っててください」

『わかった。他にやることはある?』

「本当にそっちでおとなしくしててください。絶対に動かないでください。私が迎えに行くまで外出しないようにしてください」

『……わかったよ。それじゃ』

 そうして電話が途切れる。


(誰かを介護してる人ってこんな心境なんでしょうか)

 靉裂からすれば、二人ともかなりの問題人物だった。思う通りに動かない程度ならどれだけマシだっただろうか。

 必要ないか、あるいは邪魔ばかりされている。本人たちのことを思っての行動だったが、それを引っかき回された挙句、裏目として結果に出た。そんな記憶を反芻しながら、彼女もまた苦渋の判断を下す。

「では、ここからはビジネスの時間です」






 思えばここに来るまで長かった。

 相手の目星はついた。私が匿っている子の身柄を狙う、暴力団といったところだろう。どうせ戦力は大したことはない。ティーガーなら素手でも勝てる相手だ。しかし今回の件に至ってはやはり悪手だったかもしれない。これでもし大事になったら――考えるだけで身震いしてくる。


 神山さんを巻き込んだこともそうだが、関係各所にあとで詫びの品を送らなければならないだろう。そのことにも気を回していると、本当に頭痛が止まらない。辛い。

 影響が及んだ方にも察しがついているが……私だろうな。

 やはり車は苦手だ。世間の目は厳しいから、これを使わなければならないのはきちんと理解している。けれども自分で移動した方が早いのがどうにも……。


 出羽さんの元へ向かうのに一時間。現場に向かうのにさらに一時間。

 二時間あれば仕事は終わっているはずだが、やはり不安だ。破閑道家に迷惑をかけすぎると、あっちも怖いからなぁ……。

「あーもう!これだから脳筋で、感覚だけで物事を考える輩は嫌いなんですよ!最ッ悪!」

 いや、愚痴を漏らしても仕方がない。事は既に起こってしまった。あとは事態をいかに上手に収集させるかだ。軍師にでも頼めばほぼほぼ完璧にことをまとめてくれるだろうが、今四国にいるらしいからあてにはできない。

 自分で言うのもなんだが、私はそこらへんの人間と比べればよほど頭がキレる。けれどあんな問題児ばかりをまとめ上げる手腕は備わっていない。

 本当に、嫌なものに首を突っ込んでしまった。


 まずは連絡だ。唐原さんに電話を入れて、家から出ないようにしてもらわねば。それから靉裂さんに事情を説明しながら現場に向かう。そこで私の弁舌でことを収められれば万事解決だ。


 虎には悪いけれど、このままドンパチ始めてもらっては敵わない。その辺一帯が消し飛ぶような事態になれば、彼女だけでなく私も明日の生活が厳しくなってしまいかねないわけだから。

「まぁ、それもこれも私が間に合えばの話なんですけどねぇ……」

 大きなため息をついて、ブレーキを踏み込んだ。残り約一時間半。先は長い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る