第4話「襲う人」

 それは、たった一通の電話だった。いつもと何も変わらないはずの着信音に、俺の心はなぜかざわついていた。なんというか、嫌なことが起こりそうな、そんな――

「はい、もしもし」

『もしもし、靉裂です。神山さんでよろしいでしょうか?」

「えっと、はい」

 以前訪問してきた時と違い、事務的な受け答えの仕方だった。

「今日はどういったご用件で?」

 その話し方や雰囲気につられて、こちらもそう返さなければいけないような気分になってくる。

『飛鳥さんに伝えていただきたいことがありまして。本当なら直接話をしたかったのですが、どうしても今持ち場を離れられない状況にありまして……』

「あぁ、少し待ってください」

 急いでメモとペンを用意する。

「はい、大丈夫です」

『ありがとうございます』


『えーっと。ではまず、しばらく私に連絡を取らないようにお願いしたいのです』

「連絡、ですか。しばらくっていうのはどのくらいの期間になりますか?」

『まだなんとも言えないのですが、一週間ほどと考えておいてください。こちらから改めて電話するまでは、緊急時以外は控えてくださるよう』

「そうですか」

 もともと飛鳥は電話を持っていないはずだ。家に固定電話を引いているかもしれないが、俺に連絡を取るときは、今まで直接話す以外のことはしてこなかった。俺の電話番号なども聞いてこないし、おそらくは電話することがほとんど、あるいは全くないのだろう。

 そう考えると、この伝言には少し違和感を覚える。もともと電話をしないであろう飛鳥に対して、「電話しないでくれ」と言うのも少々おかしな話ではないか?

 しかし、何か理由があって靉裂さんにはこまめに連絡を入れているのかもしれない。そもそも飛鳥の実家については俺も何も知らないのだから。とりあえずそう思うことにした。


『それと、今はみなさん田舎の方にいらっしゃいますよね?』

「え?まぁ、そうですね。学校も家も全部こっちですし……」

『それならよかった。できるだけ都会に近寄らないようにしていただきたいのです』

「都会に?」

『えーっと、詳しい話はまだできません。少々こちらにも事情がありまして、万が一にも飛鳥さんと出会った場合、関係がこじれる可能性が高いので……』

「一応、あいつは特に用はないと思うので、多分大丈夫ですけど」

 都会に?……わからない。

 そもそもあちら側の事情とやらに、こちらは不干渉でいる方がいいらしい。なんとなく、そう感じる。胸はまだざわついている。

『こちらからは以上です。……今度差し入れでも持っていきましょう』

「はぁ……?」

 そこで電話は途切れた。最後の言葉を放つとき、靉裂さんの声には笑みが混じっていたようで、どうにも調子が狂う。


「へぇ、それは確かに変わった話だ。僕に都会に交友関係は無い筈だけど」

 それらを伝えた飛鳥の反応は、見ての通りとても軽いものだった。

「靉裂のことは嫌いだけど、信用はできるからね。今のところ特に用事もないし、大丈夫だよ」

「そういうものなのか?」

「そういうものだよ」





 それから一週間が過ぎようかという頃。残暑も少しずつ落ち着きはじめて、山々の中にも赤色が僅かに見え隠れしつつあった。

 あれから不安はどうにもぬぐい切れていない。飛鳥は何も気にしていないようだし、靉裂さんからの連絡はまだだ。

「うーん……ダメだな」

 不安は集中力の邪魔をするばかりで、何をするにつけても頭のなかでもやもやと煙を立てては去っていく。せっかく積んでいた古本を消化しようと思っても、ページをなかなか進められない。

 そろそろ飛鳥が家に来る頃だろうか。

 あれから俺の顔色を察してなのか、飛鳥は俺のことをとても気にするようになっているみたいだ。考え事で少しでも行動が止まるようなことがあれば、その都度彼女は「大丈夫かい?」と声をかけてくれる。苦々しい返事を返すのに、そろそろ辛くなりそうだ。

 靉裂さんの伝言は、間違いなく目的があってのものだ。飛鳥宛の伝言なのだから、おそらく俺には関係ないことだろう。だからこそ杞憂で済めば、本当はそれで十分なのだ。

 俺がここで少し苦しもうと、他の人々に悪影響がないのなら、それは割り切れる苦しみになる。納得できるかは、わからない。


 インターホンが鳴る。きっと飛鳥が来たのだろう。走り込みで疲れている筈だ。早いところ風呂を沸かして――

「動くな」

「……えっ?」

 玄関先には、頭に覆面をした男たちがすでに侵入していた。そして先頭にいる一人は、右手に構えた黒く、重厚そうなそれを俺へと向けている。

 待て、この状況は一体なんだ?俺の不安はドンピシャで当たっているらしいが、これは一体何に巻き込まれた?

 靉裂さんは都会に来るなと言っていた。そして連絡をするな、と。俺たちはその伝言を忠実に守っている。おそらくその筋ではないのだろう。問題があったなら、靉裂さんの方から先に連絡がくるはずだ。

「どこか適当な部屋に入れ。逆らうなよ」

「……わかりました」

 それが本物かどうかを確かめる度胸はない。いくら身長があったところで、腕っ節など身についているものではない。ただその言葉に従順になり、歩みを後ろへと向けた。


 居間に通したのち、俺は椅子へと座らされた。

「そうだな、今から質問をするが……お前ができることは正直に、包み隠さず真実を話すことだけだ。わかるか?」

「……そうですか」

 リーダ格らしき男は、余裕を持った様子でそう返答する。覆面の下からではあるが、その口角は少しだけつり上がっているように見えた。

「では、以前この家に靉裂ソラが訪問したことがあっただろう。間違いないな?」

「……そうですね。あのひとは確かに一度、うちに来たことがあります」

 この質問の仕方を見るに、男は確信を持ってこちらに尋ねてきている。黙ったところで意味がないのは、火を見るよりも明らかだ。

「では次だ。唐原愛花とうはらまなかの居場所について、何か知っていることは?」

 一瞬、思考が停止する。トウハラマナカ。それが人名を意味するところまではまだ理解できる。しかし生まれてこのかた、そんな名前は聞いたことがない。しかし質問の調子は先ほどと同じく、確信的なものをどこか含んでいた。


 考えろ。

 十中八九、彼らが望む答えは「知っている」方なのだろうが、都合の悪い事に俺の記憶にはそんなものは欠片も存在しない。正直に喋っても、文字どおり話にならないだろう。

 そして飛鳥がここにやってくるのは非常に不味い。彼女がいくら強くても、拳銃相手では手も足も出ないだろう。この状況に巻き込むことだけは避けたい。恐らく家に来るまであと30分程度だろうか。その間になんとかしなければならない。

 靉裂さんが情報屋として、どれほどの凄腕なのかはわからない。しかし狙われていることを全く知らないほど、安穏とした人ではないだろう。

 ……この情報をなんとかして伝えれば、相手の本隊をどうにかすることができるのではないか?敵対勢力の情報なら、情報屋としていくつも仕入れているだろうし、何より本人が絡む問題なのだから、対処能力は靉裂さんが俺の数百倍は上手だろう。

 問題はあの人の連絡先を教えてもらっていない、ということだ。日頃の要人から非通知通話を選択しているのだろうが、ことこの状態においてはどうにも具合が悪い。

 一体どうすれば……?

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