第9話「制止する必要性」

「世界、ですか……?」

 会話が飛躍する。

「あなたも、飛鳥さんのことはよく理解しているでしょう。彼女が闘争の世界へ、自らの身を投じることを願っていることを」

 そうだ、飛鳥は強さを求めていた。俺はそれを止めることはできない。


「飛鳥さんたちは別室で交流を深めるなりしていてください。ここからはあまり話せない内容ですし、みなさんも勘違いしたままではいけないでしょう」

「えぇ、そうです、ね……」

 鈴音ちゃんはこちらへどうぞ、というようなアクションをしながら部屋を出て行く。その目はやはり疲れているように見えた。

「じゃあ行ってくるよ」

 そう言いながら飛鳥や愛花ちゃんが続いていく。


ティーガー、あなたもお願いしますよ」

「あ?子守してろってか?」

「そうじゃありません、要件については後で話しますし、鈴音さんに言えば日本食も食べられるでしょうから」

「ふーん……ならいいや。報酬は期待してるぜ」

 パタリ。今度は静かに障子が閉められ、部屋には俺と靉裂さんの二人だけが残る。




「さて、話を戻しますね」

「……はい」

 本音を言えば、飛鳥にも平穏な世界にいてほしい。飛鳥が今まで薙刀に縛られ続けたのは、御家の事情が絡んでいたのは察することができた。

 敵対する親類をミナゴロシにした今、やはり飛鳥を縛るようなしがらみは何もないはずなのだ。幼い頃からの習慣や記憶に、深く囚われてしまっているようにしか見えない。

 今からでもまだ間に合う。あいつはまだ8歳なんだから。女の子らしいものを少しずつ覚えていけば――

「あの子が、本当に8歳だと思いますか?」

「……わからない」


 今まで考えないようにしてきた。

 外見は問題ないだろう。幼さやあどけなさが抜けきっていない。鋭い眼光や凛々しい歩き方を考慮しても、まだ年齢相応の外見だった。

 けれどそのほかは……。明らかにそぐわない。いや、逸脱している。

 どう考えたって、あんな風になるわけがない。他人より長い時間を生きているか、飛鳥自身が天才なのか。そうだとしても狂っている。


「経歴や戸籍の情報はすでに手に入れています。飛鳥さんは紛れもなく、現在8歳になる女の子です。それ以外はまるで、大人ですら踏み入れない領域に踏み込んだ、そう思いませんか」

 否定できない。それに、俺にはなぜそうなったのかは理解していなかったから。

「一番問題があるのは、精神が成熟しきっていないことです。それでいて、頭脳と武道についてなら、私のような大人ですら口出しできません」

「その通り、ですね。俺にもにわかには信じがたいことですけど……」

「端的に言って、ありえない」


 その言葉から、沈黙が続く。靉裂さんはハッとしたような表情のまま、固まってしまっていた。この人なりに、言わない方が良かったことを悔やんでるんだろう。

 だがその気持ちは理解できる。だから俺も、何も言えないでいた。

 飛鳥は何者なのか。その答えが出るかどうかは、限りなく0%に近いだろう。


「……申し訳ありません。話を戻します」

 ようやく靉裂さんが復帰した。俺が靉裂さんの立場でも、きっとこうなってしまうだろう。

「とにかく、飛鳥さんの才能はあまりにも異常です。彼女がもしこのまま成長すれば、世界に革命を起こすでしょう」

「靉裂さんとしては、それを止めたいんですか?」

「いえ、革命を起こすことはどうでもいいのです。けれどここで、精神が未成熟なのが問題になってきます。資料を見てください」


 言われるがまま資料の表紙に目を通す。そこには飛鳥の情報らしいものが掲載されていたが、その多くは黒く塗りつぶされており、前後の文脈から内容を予想することも難しかった。

「今のままでも、彼女は世界に十分通用します。けれど精神が成熟するまで、何が起こるかわからない。私はそれが恐ろしいのです」

 飛鳥の振る舞いは、必ずしも無邪気ではない。むしろ子供らしく、自分の欲望や信念に対して、とても素直だ。

 そして靉裂さんの言葉を聞く限り、大人相手でも十分やっていけるほどの実力が、すでにその肉体に宿っているのだろう。

 のだ。


 自分が子供の頃を思い出す。

 俺は飛鳥ほど頭が良くなかったし、活発ではあったけれど、同様に運動だって劣っていた。それでも好きなことや気になることへの情熱は、今の自分にだって決して負けていない。

 子供っていうのは元来そういうものだ。だからこそわからない。

 『わからない』。これほどシンプルで、かつ手放したような言葉があるだろうか。……絶対に飛鳥の前では、無責任には言えそうにないな。


「だから、俺に手綱を握らせて、暴走させないようにしたいんですか」

「その通りです。世界を知っておければ、少しでも危機管理意識が芽生えるでしょう。私は出羽飛鳥の、大きな才能を摘み取りたくはない」

 俺はずっと、この人のことをロリコンだと思っていた。雛子と一緒に見たアニメの中では、ずっと幼い女の子を追いかけていたからだ。

 けれどその認識が変わっていく。その瞳には期待が宿っていた。大きな、期待が。





「世界には、四つの勢力がいます。科学、魔術、妖術、そして能力。これらを順番に説明させていただきますね」

 いよいよだった。

「科学は我々人類が作り上げたものではなく、ただの自然の摂理です。まぁ普通の世界とでも申しましょうか。さっき挙げた四つの中では、特別感はあまり感じられないでしょう?」

「えぇ、まぁ。だって科学は勉強すればなんとなくわかりますし、他のは漫画みたいな話じゃないですか。そりゃ特別じゃないように感じますよ」

「それでいいんです。しかし残念ながら四つとも現実です。このことだけは頭に入れておいてください」

「……わかりました」


 男たちの手足が氷漬けになった、あの摩訶不思議な現象。酒に酔っていた幻覚などではなく、現実に起こったことなのだとしたら。俺が無事に逃げだせたこともそうだが、話の節々に辻褄が合う。

 幼い頃は期待していた、未知なる存在がそこにあるのだと、静かに心を躍らせる。


「次に魔術と妖術です。西洋の悪魔たちが使っていたのが魔術。東洋で妖怪たちが使っていたのが妖術。そう呼ばれています。今では悪魔も妖怪も、産業革命を機に絶滅したと言われていますがね」

「絶滅したのに、今もあるんですか?」

「人間というのは貪欲な生き物ですからね。多くの知識を吸収してしまったんですよ。ちなみに鈴音さんが使っていたのは妖術です」

 魔術に妖術。どれも少しワクワクするキーワードだった。誰にだってそういう存在に憧れる時期がある。俺も例外ではなく、またその一人だった。それだけだ。


「そして、悪魔や妖怪に対抗するべく人間に宿った存在。それが能力です。あらゆる人間に能力が芽生える可能性がありますが……。とりあえずその辺りの話もしていきましょうか」

「もしかして、俺にも使えるかもしれないってことですか?」

「非常に難しいですね」

 その答えは淡々と、靉裂さんの口から語られた。俺がこういう質問をするだろう、ということも予想していたんだろう。普通の人はそうなるさ、落ち込むことじゃない。


「妖術は才能が勝負の世界です。後天的なもので追いつくのは厳しい。今からあなたが鈴音さんに弟子入りしても、そこで一生勉強し続けたとしても、今の鈴音さんに追いつくことは不可能でしょうね」

「逆に言えば、鈴音ちゃんはそれほど才能があるってわけですか」

「その通りです。彼女もまた、天才の一人でした」

 心なしか、靉裂さんの濁っていた瞳が、さらに濁りを増した気がした。


「能力が開花するかどうかは、完全に運です。現在の研究では、人為的にどうにかすることはできません。また開花する確率も、全人類のうち0.01%未満であることは確実視されています」

 0.01%。今の世界の人口が70億人以上。そこから単純な計算をするなら、能力が使える人は70万人くらいか。

 しかし靉裂さんは『未満』という言葉を強調していた。その意図はおおよそのところ、期待するなという念押しなのだろう。


「魔術は西洋ではかなり研究が進んでいて、まだ二つに比べれば一般的には扱いやすい部類です。しかし色さんが努力しても、しばらくの間は身を結ぶことはないでしょう。それ相応に厳しい世界ですから」

「その辺の特別な力は諦めろ、ってことでいいんですね。わかりました」

「……申し訳ありません」

 その謝罪の言葉は形式的なものなのか、俺に同情して漏れ出した言葉なのか。その真意はわからなかった。



「飛鳥さんはこういった相手に対しても、勇猛果敢に戦いを仕掛けていくでしょうね。まだ充電期間と考えているのは、不幸中の幸いですが」

「それなら、今は大丈夫なんじゃないですか?俺も飛鳥も、そう積極的に田舎から出るつもりはありませんよ。高校から先はそうとも言い切れませんけど、俺だってずっと面倒見てるわけにもいかない。飛鳥だって自立することを望んでるはずだ」

「……それで終わるなら嬉しいことはないんですがね」

 靉裂さんはおもむろに胸ポケットからライターとタバコを取り出し、一服を始める。何か思案を巡らせているのか、数分ほど煙を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返していた。


「あなたも今回の件で理解できたでしょう。面倒な連中は、とことん面倒だと」

「確かに、そうかもしれませんね……」

 相手方はお世辞にも、手際が良かったとは言い難い。一番の問題は俺をさらったことだ。靉裂さんと会ったことは一度だけ。そんな相手を狙っても情報が手に入るとは思えないのだが。

 ……いや、あるいはそれほどまでに、逼迫した状況に陥っていたのか?だとしてもやはり良い相手ではなかっただろう。事実として、俺はまるで何も知らなかったわけだし。


「科学、魔術、妖術、能力。まったく、どれも厄介なものですよ。ここ数年で発足したんですが、災害指定者と呼ばれるものもありましてね」

 名前からしてあきらかにヤバい。絶対関わり合いになりたくないな。危険な匂いがプンプンする。

「資料の6枚目からそれになってます。詳細はそちらに譲りますが、簡潔に言えば『悪影響を与えるとされる人間一覧』みたいなものでしょうか」

 予想通り、かな。やっぱりとんでもない話だ。

「こいつらは超一級の危険人物だから、できるだけ関わるな――本来はそういう意図のものですが、実際問題はうまくいかないもんです」

「ドラマの、ヤクザの離縁状みたいですね……」

「いい例えです。違う点を挙げるとするならば、実際は各々の利益を求めて、彼らと関係を持つにあたる人間が多数いる、というところでしょうか」


 資料をぱらぱらとめくる。災害指定者は現在13名。順位・徒名・能力の有無・簡単な履歴。それらがまとめられており、ある程度なら俺自身にも分かりそうな、読みやすい資料だった。

「絶対に、飛鳥さんを手離さなないでくださいね」

 その言葉がは、俺の胸に鋭く突き刺さった。





「掃除の件はすでに終えていますし、そろそろ家に帰ってもいいでしょう。飛鳥さんもそれでよろしいですか?」

「うん、まぁ」

「ではまた明日、護衛の件で伺わせていただきます」

「わかりました」

 靉裂さんの声色は、疲れの色が少し吹っ切れたように聞こえる。少しでもいいから、あの人が休める環境になればいいな……。


 護衛の件というのは簡単だった。ヤクザの抗争はまだしばらく激しくなりそうだ、来年1月頃までは全額負担するから、護衛を雇って欲しい。そういうものだ。

 諸々の手配は靉裂さんがしてくれるとのことだし、俺だって自分の身が可愛い。最初は飛鳥に頼んでいたのだが。

『……ごめん、今はできないかな』

 そう断られてしまった。


 破閑道の家の送迎車に乗せられ、俺と飛鳥、そして大荷物をまとめた愛花ちゃんが田舎まで運ばれていく。彼女を見送る鈴音ちゃんは、少し寂しそうな顔をしていた。

「私、鈴音ちゃんがいなくても頑張りますからね」

「私も、天才だから。次に会うときはもっとすごくなるよ」

 少しホロリときた。

 本当はバスを使えば会えないこともないだろうが、それをいうのはきっと野暮だろう。彼女たちなりに、再開のための約束を交わしているのかもしれないし。



 けれど俺はまだ知らなかった。局面がすでに動き出していることを。

 俺の知らない場所で、着々と物語は進められていた。

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