第3話「パーシスト」

 とある平日。ピンポーンと家のチャイムが鳴る。急いでコンロの火を止めて、玄関へと向かった。

 ガラス戸越しに小さな影がおぼろげに見える。それは誰が訪ねてきたのかを、ほとんどはっきりと示していた。そしてやはりというべきか、扉を開けた先では飛鳥が汗だくで立っていた。

「お疲れ」

「ただいま」


 あれから飛鳥はかなり俺の家に厄介になっている。食事、風呂、その他諸々を含めたほとんどを、だ。就寝する際は自らの家に帰っているようだが、もはやうちで過ごす時間の方が長くなっている。

 雛子ともたまに遊んだり、勧められたアニメを一緒に見たり、そんな中の良い関係になりつつある。

 薙刀を手放すことこそないが、ひと月の間に表情はとても柔らかくなり、本来少女として送るべきだった人生を、真っ当に享受しているようにも感じる。

「今日のご飯は?」

「鶏肉と里芋の煮っころがし。昨日のお浸しも残ってるし、味噌汁もあるからおかずは十分だろう。先にシャワー入ってこい」

「わかった。ジュースだけ先にもらうね」


 飛鳥自身は料理ができない――いや、させるべきではないようだった。

 一度包丁を握らせてみたのだが、その手つきからは普通の料理のそれではない、別物の包丁捌きを見せられてしまったので、当分は触らせたくない。

 今は朝食、昼食、夕食全て俺が担当している。

 育ち盛りに満足な食事は必要不可欠だ。そして飛鳥は年頃ということを加味してもかなり食べる。そんな相手に食事を振る舞うのは、正直とても楽しい。要は自己満足的な意味合いが強いわけだが。

 しかし飛鳥の何かに触れたらしく、一度諸費として札束を渡された。さすがにそっくり受け取るわけにはいかなかったのだが、飛鳥も全く引く気が無かったので、最終的には俺が折れる形になった。

 だが一部は食費などに使うとしても、渡された金額は明らかに多すぎた。今は突っ返されてしまうのが目に見えているので、残ったぶんのお金は貯金しておいて、いずれ大人になった時にまとめて返そうと思っている。


 こういうことを考えていると、本当の親になったような気分だ。

 あの夜、飛鳥は肉親を失った、俺がその代わりになれたなら、少しでも心の傷が癒えてくれるだろうか?答えはまだ出ない。




「やっぱりオレンジジュースはいいね。ご飯のお供にぴったりだ」

「ジュースはおかずじゃないぞ。あんまり飲み過ぎるなよ」

「でも美味しいからね、もちろん色さんの食事もだけど。おかげで最近は鍛錬も調子がいいし」

「……そうか」

 飛鳥の薙刀への固執ぶりは、明らかに異常なものだった。

 俺はまったくの素人だが、そんな俺でもわかるほどその太刀筋は美しかった。芸術作品は知識がなくとも人の心を打つというが、それと同じものを飛鳥の薙刀に見た。

 力も強い。この前腕相撲をしたが、一ミリたりとも動かせなかった。鉄棒での懸垂もお手の物といった具合で、筋力も申し分ないことだろう。

 唯一欠点を挙げるとするなら、やはり身長だろうか。

『腕の長さは、単純な攻撃力に繋がるからね。もっと背が高ければ申し分ないんだけど……。色さんのその身長は羨ましいよ』

 飛鳥はそう言っていた。俺が肉体的に優っている部分は、本当に身長だけだろう。昔から背だけはぐんぐん伸びた。夏休み明けの身体測定の時は、173センチを記録している。小さな自慢でしかないけれど。

 話を戻そう。いくら飛鳥といえど、こればかりは時間が解決するのを待つしかない。逆にいえばこれからがあるのだ。昔の雛子と比べても、成長具合は特段悪くない。しかしそれを知っていてもなお、飛鳥は不満げに愚痴を続けていた。


 さて、ここからは俺の推測になる。

 明らかに年齢とかけ離れた知識と経験。それがどうやって身についているのかはわからないが、それが揺るぎない土台になっているからこそ、飛鳥にとっては上を目指すことは当然なのだろう。

 特に薙刀は、親元から期待されていたことは容易に想像できる。そうやって教育されてきたのもあるだろうが、今もなお努力と才能を持って磨き続けている。

 肉親を失い、敵を失った今。もはや飛鳥を縛り付けるものは何もない。それでもなおこれほどまでに熱意を注ぎ続けるのは、それが『当たり前』だからなんだろう。それが生活の一部ではなく、呼吸するのと同等の存在なんだろう。

 俺には止められない。




 食事中、突如としてまたもやインターホンが鳴る。

「なんだ、雛子か?」

 いや、今日は家で勉強すると言っていた。やっぱり違うだろう。

「色さん、嫌な予感がする」

「嫌な予感って……。こんなど田舎じゃ不審者なんてそうそう湧かないよ」

「そうじゃなくて、嫌な奴の予感がする」

 飛鳥の表情は険しさを増していき、ついに傍の薙刀を拾い上げた。さすがに気を構えすぎではないだろうか。

「大丈夫だって、見てくるから待っててくれ」


 椅子を引いて立ち上がり、玄関先まで確認しにいく。ガラス戸越しの影はよく見えないが、俺よりは背が低そうだ。

「はい、どちら様でしょうか?」

 戸を開けた先には、見知らぬ女性がいた。この辺りに住んでいる人ではない。

「すみません、出羽飛鳥さんはいらっしゃいますでしょうか?」

「えっと……」

 これは答えてはいけない質問かもしれない。万が一にも飛鳥にとって良くない関係者だとしたら、厄介なことになる。

「いるよ、久しぶりだね」

 しかし俺が返答に詰まっている間に、飛鳥が直接返答してしまった。反応を見るに、どうやら顔見知りのようだ。だがその声色には、あの夜ほどではないが黒いものが混じっていた。表情も険しいままだ。


「探しましたよ。本家にはおられないようでしたので、どうしたものかと」

「そりゃ悪かったね」

「携帯電話くらいお持ちになったらどうです?最近はちゃんと電波も届きますし、誰かと連絡取る時に便利ですよ」

「別にいらないよ。顔を合わせたくないやつを避けやすいしね」

 やばい、この空気はやばい。少しでもリフレッシュしないとまずい。

「と、とりあえず上がられますか?」

「あぁ、これは失礼しました」

 困惑しているのを察してくれたのか、女性はポケットから名刺を取り出して渡してきた。そこには『靉裂 ソラ』と名前らしい四文字だけが記されていて、そのほかには何も書かれていない。

靉裂あいさきと申します。ご自由にお呼びください」

 初めて見る漢字なのでどう読めばいいのかわからなかった。俺の方から聞くのは失礼なきがするし、先に答えてくださったのはありがたい。

「それじゃあ靉裂さん、とりあえず上がってください。立ち話もなんですから」

「ではお言葉に甘えて」


 靉裂さんを居間に通し、お茶の用意をする。

「で、靉裂。何の用かな?」

 飛鳥は喧嘩腰に、靉裂さんに詰め寄る。本当に大丈夫だろうか。

「えっと、粗茶ですが……」

「ありがとうございます。――美味しいお茶ですね」

「あ、どうも」

 靉裂さんの方はかなり落ち着いている様子だ。ニコニコとした笑顔を崩さないその姿は尊敬する。社会に出たら、このくらい動じない心が必要そうだなぁ……。

「少し飛鳥さんに面倒を見て欲しい方がいるんです」

「どういうこと?」

「少し訳ありでしてね。本人は自覚してないし、あまりその道を進みたがってはいないんですが……私の見立てでは、かなり才能があると思います。飛鳥さんとは同い年なので、何かと相性が良いかと思ったのですが」

「その子はれるの?」

「飛鳥さんと同レベルとはいきませんよ。さすがにね」

 飛鳥はオレンジジュースを飲み干した。

「色さん、どう思う?」

 完全に逃げたな。というか部外者に話を振るのはどうなんだ……。


「どう思うって言われてもな。本人がどう思ってるか次第だけど、別に悪い話じゃないと思うぞ?友達が増えるのはいいことだ」

「うーん……。そもそも生活の面倒とか見てられないんだけどなぁ。今でさえ色さんにかなりお世話になってるし」

「あぁ、この方が例の人ですか」

 靉裂さんが何かに気づいたように話を遮る。そして俺の顔をじっと見つめてきた。

「うーん、特に何も感じませんね」

「えっと、どういうことでしょうか」

「いえ、飛鳥さんからお話を伺っておりまして。なかなか才能ある方だと思っていたのですが、大したことはなさそうですね」

「はぁ……」

  身長と家事以外、これといって取り柄がないのは知っている。俺は普通でいいから、このくらいで十分だ。それでもこう、直接言われてしまうと心が傷つく。つらい。

「ケンカを売るつもりなら買うよ」

「やめましょうよ。あなたと相対したら、命がいくつあっても足りませんから」

 ムードはどんどん嫌悪になっていく。二人が協力関係にあるのか、はたまた敵対する関係なのか。まるで見当がつかない。


「今日は少し様子を見たかったのと、この話を一度しておきたかっただけですので。そろそろお暇させていただきます。色々と片付けねばならないこともあるので、詳しいのお話はまた後日……」

「はい、わかりました」

 俺としては今更一人増えたところで、大した手間にはならない。ただ親父に相談するわけにもいかないし、預かるのは飛鳥の家ということになったが。

「そうですね、連絡先をいただいても構いませんか?」

「電話番号でいいですか?」

「ではそれで。また何かあれば私の方からご連絡させていただきますので」

 なんだか妙に緊張してしまう。靉裂さんは携帯電話を操作して、俺に非通知で電話をかけてきた。あまり番号を教えられない身の上なのだろうか。


「……才能か」

 気がついたらその言葉を呟いていた。俺にそれはない。靉裂さんの俺を見る目は、一瞬で冷めてしまっていたのを覚えている。この人は本当に、『才能』に熱があるらしい。

「えぇ、大好きですよ」

 そしてその言葉は、俺の心を見透かしたようにすらすらと出てきた。

「私はですね、才能ある可愛い女の子が大好きなんですよ」

「最近流行りのロリコン、ってやつですか」

「ちょっと違います。女の子が好きなんです」

 何が違うのかあまりわからない。




「あの人が、前に言ってた支援してくれる人なのか?」

 途中から薄々感じてはいた。靉裂さんは飛鳥に対して、一方的ではあるが非常に協力的だ。わざわざこんな田舎まで車を走らせているのだろうし、その熱の入りっぷりもまた尋常ではない。

「あぁ、そうだよ」

 事実を伝える飛鳥の顔つきはまだ険しいままだ。

 こんなチグハグな関係もあるんだな。俺と飛鳥の関係は、そっちに向かわないといいんだけど。

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