第2話「ペール・ブルー その弐」
あれから約二週間。俺があの少女と再び出会うことはなかった。
残っていた宿題に追われ、夏休みはあっさりと終わりを迎えてしまう。そしてまたいつものように学校が再開される。
いつもと変わらないはずの日常に戻りつつあったが、依然として彼女のことだけは、脳裏に根深く焼きついていた。
しかし雰囲気に流れるまま、名前を聞きそびれてしまったのは残念でならない。それだけでも聞いていなたら、探すための手がかかりになったかもしれないだろう。今となってはそれを知る術はない。
「いや〜、学校に来るのは久々っすね。なんだか変な感じっす」
「なんだかんだ一ヶ月以上来てないわけだしな。それでも今日から冬まで、ずっと通うことになるんだが」
「夏休み……。アニメ消化しきれてないっす……」
「夜更かしするなよ?体に悪いぞ」
少子高齢化のあおりを受け、この学校に通う生徒はどんどん減って言った。今は中学一年生の俺と、一緒に会話している、小学六年生の
少し前に卒業した先輩も、高校入学を境に都会に出ていってしまった。
しかしこの田舎ではどう頑張っても中学校までが限界だ。一番近い都会の高校でも、通学に軽く一時間はかかってしまう。朝走ってくるバスを一本逃すと、遅刻確定どころではなく、授業が丸々一本吹っ飛んでしまう。
俺はできれば田舎に残りたい。長い間過ごしてきたおかげで、どうしても離れたくない気持ちがある。通学だって一時間くらいなら――
とは言っても、気持ちだけでは対処不可能な問題が山積みになっていて、最早この願いは現実的ではなくなりつつある。いずれ詳しいことを、親父と話し合わなければならないだろう。
そんなことを考えていると、カランカランと始業を告げる鐘の音が響く。これは先生が毎朝自分で鳴らしているのだが、そのことを考えると少し残念な気持ちになる。
こうして二学期が始まるわけだが、残念なのか嬉しいのか、あやふやな気持ちだけが高まってしまった。
「よーう、全員来てるか?」
先生は立て付けの悪い扉を、ガタガタと大きく震わせながら入ってきた。そろそろ蝋を塗りなおす時期かもしれない。
しかし人数をわざわざ確認するほどでもないだろう。目視ですら数える労力は必要ないだろう。
「先生、久しぶりっすー」
「おう、二人とも元気そうだな。宿題は終わってるか?」
「俺はぼちぼちです」
「私もそんな感じっすねー」
少しだけ曖昧な嘘をつく。結局宿題は一昨日なんとか終わらせた。ギリギリまで溜め込んでいたのもあるが、あの少女のことが頭にちらついて、集中できなかったのがいちばんの要因だ。
ちなみに雛子は始まってすぐの一週間で、全部終わらせてしまったらしい。俺ももっと強い意志を持っていれば、余裕を持って終わらせられたのだろうか……?
「そうか、ならよし。先生今日は出張があるから、後は任せるわ」
「へー、出張なんて珍しいっすね」
「確かに。いっつも個人的な用事ばっかりですもんね
「今回は職員会議。真面目な理由なんだぜ?」
でも、先生がいてもいなくても正直あまり変わらない。
わからないところはきちんと教えてくれるが、基本的にはプリントやドリルを延々と解かされるばかりなのだ。学年の違う面子に対して一度に教えるわけにもいかないだろうし、そうせざるを得ないのも納得しているが。
「それと……、お前ら喜べ。転校生を紹介するぞ」
「えっ、本当っすか!?」
ぞくりとする。一瞬だけだが、背筋に冷たいものを当てられたような、気色の悪い感覚が走った。
まさか……?俺と彼女は、「また会いましょう」と約束を確かに交わした。それが一体いつになるか、どこになるのか。まるで見当はつかなかった。
「よし、入ってこい」
そして解決されそうになかった問題の答えは、あっさりと俺の目の前に現れた。
あの夜であった少女がそこにいた。血で染まっていた袴は真っ白に、薙刀の代わりに細長い筒のような袋を肩にかけていたが、その姿を今更間違えたりはしない。
「じゃあ自己紹介頼む」
そう言いながら、先生は少女の名前を黒板に書き始める。しかし書き終えるのを待たずして、少女はその名を口にした。
「
8歳……、ということは小学二年生くらいか?確かに身長は低いが、大人びた喋りの印象が強かったせいで、どう低く見積もっても雛子と同い年くらいかと思っていた。
そう、その見た目以外はまるで年齢とそぐわない、その立つ振る舞いは俺に強烈な違和感を植え付けてくる。どうしようもない矛盾感が、心の根にまとわりついてくるような感覚。
彼女は本当に8歳なのか?当たり前のように疑問符が並べられた。
「じゃあ、二人からも自己紹介してやってくれ」
「あっ、はい……」
少し混乱してしまった思考を片隅に置いて、なんとか席から立ち上がる。
彼女の小さな体躯からは、確かに幼さが醸し出されている。しかしそれでも違和感を拭いきれない。どうしようもなく衝撃を受けた。
しかしいちばんショックだったのは、その年でありながら、形容しがたいを苦しみを背負ったであろうことだった。自分のことでないにしても、悲しくなってしまう。
「神山、色です」
「壇林雛子っす。これからよろしくっすよー!」
そういえば、朝来た時から椅子と机が三つあったような気がする。気づくのがあまりにも遅すぎたが、悔やむだけ無駄だった。
今日1日、飛鳥を観察していた。
俺の感想だが、端的に言えば、飛鳥はそこいらの同年代のことはまるで比べものにならないだろう。
薙刀で大人を皆殺し、なんてエピソードはともかくとしてだ。雛子や俺が向き合っていた問題をスラスラと解いてしまったのだ。体力知力共に健康優良児――いや、この表現が適切なのかは不安だ。
しかし最初の問題は昼休みに露呈した。
「え、弁当持ってきてないのか」
「えっと、学校なら給食とかが出るものだと思ってたんだけど……」
うちは田舎すぎて、給食センターからの配給がない。生徒数が二人では、あちらとしても運搬人の釣り合いも取れないだろう。しかしこういう部分の事前説明はどうしていたのだろうか?
結局俺と雛子でそれぞれ、弁当の半分ずつくらいを分けたのだが、それだけだとどうしても不安だったので、今日の夕飯は俺の家で食べさせることにした。
色々と話したいこともあった。そう言う意味で都合も良かったのだ。
ただ一番俺が危惧したのは、そうさせないといけないような、得体の知れない危うさを孕んでいたことだった。
「おじゃまします」
「さっさと晩飯作っちまうから、しばらく待っててくれ。なんなら先にシャワーを浴びてくれてもいい」
「わかった、ならシャワーを借りるよ」
そういえば、もう一つ気になったことがある。飛鳥の口調についてだ。
年上の俺や飛鳥はもちろんのこと、先生に対しても一切敬語や丁寧語を使おうとしないのだ。上下関係を厳しくするつもりはないが、このまま放置すると別の問題に発展しかねないだろう。今は全員気にしていないとは言え、そのうちすこしは諭さなければならなさそうだ。
さて、とりあえず料理を作らねば。味噌汁とご飯は確定として。
「飛鳥、食べられないものって何かあるか?」
「特にないよ」
「なら好きなものは」
「……漬物とか?」
沢庵が冷蔵庫にいくらか残っていたはずだ。それを付け合わせるとしよう。
主食は……。弁当を食べさせた時の話だと、今まで和食しかほとんど口にしなかったらしい。ここは洋食で、なおかつ子供向けの定番料理、ハンバーグを作るとしよう。
「ごめん、何か水でももらえないかな」
「あー、そうだな。ジュースいるか?オレンジがある」
「おれんじ、っていうと蜜柑のことだっけ。じゃあそれで」
今、オレンジの発音がどことなくたどたどしかったような気がする。今まで飲んだことがないのだろうか。アレルギーはなさそうだし、飲ませても大丈夫だとは思うが。
コップを取り出して、ジュースを注いでやる。そういえば子供の時は大好きだったが、最近はたまに飲む程度になってしまった。こういうものって、いつの間にか飲まなくなってしまうものなのかな。
「ほら、そこに座ってゆっくりしててくれ」
「ありがとう」
しかし俺の言葉を無視して、飛鳥はその場でジュースを一気に飲み干してしまう。喉が渇いていたのかもしれないが、少し行儀が悪い。
「ちょっと落ち着いたらどうだ?」
「これかなり美味しいね」
まるで話を聞いていない。しかしこの反応を見ると、オレンジジュースはかなり気に入ったみたいだ。……まぁ、いいか。
「うん、これも初めて食べるけど、なかなか美味しいね」
「そりゃ嬉しい限りだよ」
「誰かに作ってもらう食事は久々だからね、それもあるかもね」
「今までは弁当とかだったのか?」
「えっとね――」
そこまで言いかけたところで、飛鳥はハンバーグを口に含んだ。団子の時もそうだったが、飛鳥にはそういう癖があるみたいだ。時間をごまかそうとしているのか?
「まぁ、言っても大丈夫か。あれからちょっと支援してくれる人が出たんだ」
「支援って、援助交際とかじゃないよな?」
「えん……?ごめん、多分違うと思う」
まぁ杞憂ってものか。そんな状況でも、飛鳥ならロリコン程度簡単に撃退してしまうだろう。
「彼女は情報屋と名乗っていた。胡散臭いけれど、信用はできる人物だったよ」
「それは矛盾してないか?」
「そんなことないよ。……あぁ、色さんのことを話したんだけどね、結構気になってたみたいだ。そのうち顔をあわせることもあるかもね」
胡散臭いという言葉が引っかかるが、用心深い飛鳥が信用できるのなら、大丈夫……だよな?
少し、落ち着いた。誰かと食卓を囲んでいると、やっぱり心が安らぐ。
ふと窓に目をやると、うっすらと輝く月が見えた。今にも消えてしまいそうな、微かな光が目に映える。
「なぁ、飛鳥」
「ん、どうしたんだい?」
「俺はお前にとって、何になればいいかな?」
二人きりの時に、どうしても聞きたかったことだ。俺のあの言葉を、無責任なまま終わらせたくなかった。いや、終わらせるわけにはいかなかった。
「……そうだね」
一瞬だけバツの悪そうな顔をしていた気がする。本当に一瞬のことで、それに気づいた頃にはもう確かめる術はなかった。
「なら君は神山色として、一人の人間として。とりあえず僕の人生と付き合って欲しいな」
「それならお安い御用だ」
何者でもなく俺自身でいいのなら、本当に簡単なことだ。それならきっと、特別なものなんて必要ないから。
人生っていうのは、本当に不思議でたまらない。こんな出会いを誰が予想できるだろうか?
きっと俺は飛鳥と出会ったことで、今までになかった体験をすることだろう。それは飛鳥にとっても同じことで、けれど何が起こるかの予測なんてつきっこない。
俺が飛鳥に、これからどんなことをしてやれるのか。それを考えるだけで精一杯になりそうな気さえするのだ。
月は今も、青白く輝いている。そのきらめく強さが違っていても、色合いは同じままだ。
飛鳥はこれからがある。どんな色に染まっていくのか、それは彼女が決めることであって、俺は支えてやるだけだ。
そんなことを考えながら、これからを想像して微笑む。もしこれから始まろうとしている物語を楽しめるとしたら?
「改めて、これからよろしくな」
「こちらこそよろしく、色さん」
これはきっと、誰かと出会っていく物語。
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