第45話 王子の里帰り


 その年の秋の狩猟期間も終わり、イトーシオ国との交易の準備も始まった。


西領から来たのは、あの領主の妻の弟だった。


「姉からご領主様のお話は聞いています。 よろしくお願いします!」


元気そうな若い男性だった。


 見た目は陽に焼けた漁師に見えなくもないが、やはり商売となると目が輝く。


試しにまずは西領とノースター間の商売の取りまとめをしてもらっている。


「いやあ、このアップルパイですか?、これいいっすねえ。 西領にも店を出してくださいよ」


そんな感じでノースターの特産を売り出す売店を西領に作る計画も立てている。


 しかし、冬の間は雪に閉ざされ、あまりやることもないので、ノースター領の経済の勉強をしてもらうことにした。


本格的に動き出すのは春になってからだ。




 面倒を見ているのは眼鏡さんである。


「彼はいいですね。 頭の回転が速いし、腕っぷしもいいです」


あー、はいはい。


ただしそういうのは諜報という仕事にもうってつけなんですよ。


チャラ男のように人当たりが良くて、気に入られやすい。


もしくはクシュトさんのように、逆に印象に全く残らない。


この見た目漁師のお兄ちゃんはどういう立場なのだろうか。


気にならなくもないが、ノースターの町のために働いてくれるならそれでいい。


 相変わらず、元職員の字のうまいお兄さんは眼鏡さんにこき使われている。


「文官としてではなく、従者扱いですね。 雑用係りみたいなものです」


眼鏡さんは彼に一から十まで領主館の仕事を仕込んでいる。


「私に何かあった場合は、彼がこの領主館を支えてくれるはずです」


なるほど。 ただ厳しくしている訳ではなさそうだ。


教えられている本人はヒーヒー言ってるけどね。




 俺は冬の間にアリセイラ姫に届けるお菓子を考えていた。


試作品を作っては館にいる者たちに食べさせていたら、皆見事に太った。


少しでも雪が晴れるとぐちゃぐちゃな雪道を皆が走り回っていた。


俺の身体は王子がエルフの血を引いているため、華奢なままだ。 えっへん。


 そして相変わらず夜中になると斡旋所の仕事を請け負っている。


「ネス。 お前は夜中、どこに行ってるんだ」


クシュトさんに睨まれた。


テヘッと笑って誤魔化す。


最近はずっとハシイスを鍛えてもらっているので、こちらには目が届かなかったのだ。


「実は、アリセイラ姫にお届け物があるのですが」


俺は文字板を取り出して書く。


「まさか、王宮へ行こうというのか」


新年が近い。


行くなら警備が手薄になる新年休暇の間が良いのではないかと思っている。


「いやいや、警備は手薄にはならんぞ。 人が減るだけだ」


でも今の王宮にはクシュトさんほどの手練れはいない。


俺がそう言うと、クシュトさんはうれしいような困ったような顔になった。




 しかし妹とはいえ、女性の部屋に忍び込むのはやはり問題がある。


露見した場合、ロイ殿下に嫁ぐことが決まっているのに、それを反故にされてしまう恐れがあるからだ。


「私は一日部屋にこもって寝ているということにしてください」


俺が文字板にそう書くと、クシュトさんはうーんと唸り出す。


「王都へは最低でも二日かかるし」


そう言い出すクシュトさんに、俺は魔法陣を取り出して見せた。


「これを使いますので、一瞬ですよ」


文字板を見ていたクシュトさんの目が点になる。


「まさか、転移魔法?。 あり得ない。 あれは古代の魔法で」


魔導書を開き、そのページを開く。


「ここにありました」


まあ、実際には自重しない王子がかなり改変しているのだが、それは伏せておこう。


頭が混乱しているのか、黙り込んだクシュトさんを放っておいて、俺は準備を始める。




 ノースター領でもほとんどの者が新年は休暇に入る。


私兵たちも最低限を残して家族の元へ帰っている。


今は他の領地から来ていて里帰りしない者くらいしかいない。


一日だけ「起こすな」とでも書いて扉に貼っておこう。


 届けモノは鞄に入れた。


斡旋所の受注は終わった。


変装用の服や、貸し馬車屋の若旦那への手配も終わっている。


斡旋所のお届け物が終わったら、しばらく馬小屋で仮眠させてもらうつもりだ。


 王宮の中への手配は出来ないので、そこはクシュトさんに先に行ってもらう。


いつもの場所がまだ使えるのか。 アリセイラ姫の警護の状態はどうか。


馬小屋に待機している俺に知らせてもらうことになった。




 雪の夜。 俺は庭師の爺ちゃんにもらったコートを着て王都へ飛んだ。


いつも通り斡旋所へ足を運び、いつも通りに言葉を交わして外に出る。


そっと借りていた鍵で貸し馬車屋の馬小屋に入り、馬たちの歓迎を受ける。


「ふふ、覚えててくれたんだね」


特に黒い馬はもうかなりの高齢のはずなのに、真っ先に俺に気づいた。


俺が寝る支度を始めると、傍に寄り添って寝ようとする。


「ありがとう。 でも無理しないでね」


俺の肩の鳥が囁く。


黒い馬はうれしそうにブルッと小さく鼻を揺らした。




 夜明け前にクシュトさんが入って来た。


この爺さんは鍵が無くても平気で入ってくる。


「ネス。 ちょっと難しいかも知れん」


「どうして?」


「デリークト公国の姫様がいらしている」


俺はゴクリと息を呑んだ。


あの黒髪の姫が来ている。 何て偶然なんだ。


会えるかも知れないと思うと、俺の心臓は痛いくらいに高鳴る。


 会いたい。


俺はすぐにでも王宮へ行きたい。


「とりあえず、落ち着け。 まずは準備だ」


「うん」


肩で大きく息をする。


コートの下に準備してきた服を着る。


「すぐ戻って来るよ」


黒い馬の首を撫でて挨拶する。


王宮から出たら一旦またここに戻って来て、夜中まで待機することになっている。


俺はクシュトさんとお互いに頷き、静かに馬小屋を出た。




 排水溝は以前と同じように通り抜けられた。


空がようやく白み始め、だんだんと周りが明るくなってきた。


懐かしい小屋を横目に庭を抜け、クシュトさんに案内されて王宮の中に入る。


王宮の中はわざと迷い易くなっているので、良く知っている者がいないと目的地に辿り着けない。


 アリセイラ姫の部屋は一度入ったことがある。


今はまだ眠っている時間なのか、扉の前には護衛騎士が一人立っている。


一旦そこを離れて人のいない部屋に入った。


「姫が部屋から食堂に行っている間に、お前は転移で中に入れ」


俺は声を出さずに頷いた。


 クシュトさんがアリセイラたちが部屋を出たところで俺に合図をくれる。


俺は棒状になった転移魔法を描いた特殊魔法布を取り出す。


クシュトさんが外の護衛に声をかけるタイミングと合わせて中へ飛ぶ。


「ごめんね。 しばらく静かにしてて」


俺が記憶していたのはアリセイラ姫の部屋の中でも一番広い部屋だ。


そこへ突然俺が現れるのだから、誰でも驚く。


しかし、俺がすぐに発動した<睡眠・煙>で部屋の中に隠れている影の者もすべて息をすれば眠ることになる。


俺はマスク代わりにしているバンダナを外し、念話鳥に変形させた。


眠った護衛たちを他の部屋へ移動させ、あとはアリセイラたちが戻るまで待機だ。


 


 やがてガヤガヤと女性たちの声が戻って来る。


おそらく、アリセイラと黒髪の姫と従者と護衛騎士。


最低でも四名のはずだ。


 俺は静かにソファに座り、慌てずに振り返る。


「あら、あなたは誰?」


部屋に入って来たアリセイラの従者が怖い顔になった。


クシュトさんがすでに扉を閉めているので、外の護衛には聞こえない。


「お邪魔いたします。


この方がアリセイラ姫へお祝いをお届けしたいと申されましたのでご案内して参りました」


クシュトさんの紹介に、俺はすっと立ち上がり、アリセイラ姫と黒髪のフェリア姫に深く膝を折って礼を取る。


肩に乗る鳥が涼し気な王子の声を、少し高めにして挨拶する。


「お久しぶりです、アリセイラ様。 フェリア様」


アリセイラが気づいて目を見開く。


俺がシーっというように唇に人差し指を立てる。


「あなたたちは部屋を出ていなさい。 この方は私の大切なお友達なの」


そう言って、従者や護衛騎士を外に出す。


アリセイラの信頼出来る護衛騎士と、フェリア姫の侍女が一人だけ残った。




「お兄様!」


涙声を抑え、小さな声で俺に抱き付く。


「でもその姿は意外過ぎですわ」


「ふふふ、似合うでしょう?」


俺はドレスの裾をひるがえして一回転する。


うん。 元の世界も含め、生まれて初めての女装である。


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