第20話 王子の失敗


 「坊!」


ガストスさんの声がした。


俺はゆっくり振り返る。 私兵たちと一緒に、こっちに向かって駆けて来る姿が見える。


皆に手を振ろうとして、気が付く。


(あ、血まみれだ)


<清潔><消臭>を発動した俺は、まだ冷静だったのかな。


「ネス坊。 お前、大丈夫か?」


御者のお爺ちゃんの声がした。 俺の背中に触れた細い手が、震えている。


文字板が手元に無かった。 俺は「大丈夫だよ」って書きたかったのに。


「ごめんね」「お爺ちゃんの大事な馬を守れなかった」って、いっぱい謝りたかった。


俺はお爺ちゃんの顔が見れなくて俯いた。


 足元が血の海だった。


今まで気づかなかった生臭い血の匂いが、むうっと襲ってくる。


ガストスさんがようやく到着し、唖然と魔獣の死骸を見ている。


「これ、どうすー」


俺は何だか目の前が暗くなった。




 目が覚めたら、俺は館の自分の部屋にいた。


窓の外が暗いと思ったら、夜だった。


「ネス。 気が付いたか」


クシュトさんがベッドの脇に立っていた。


俺の頭をクシャッと撫でる。


「魔法柵も完璧ではないようだ」


俺はただ頷く。


あんな所で魔獣に出くわすとは思ってもいなかった。


そして俺は夢中で魔術を使ったせいか、緊張が解けた途端にどっと疲れが出たんだろう。


クシュトさんは薄明るい部屋の中で、俺の目をじっと見て、何かを確認している。


「うん、大丈夫だな。 これでも飲め」


上半身を起こした俺に温かいお茶のカップを渡して、部屋を出て行った。




 しばらくして、ガストスさんが部屋に入って来た。


「坊、ようがんばったな」


そう言って、肩を叩いた。


お茶が零れそうになってアチッと騒いだら、ガハハと笑われる。


いつも通りの爺さんだ。 良かった。


俺はゴクリとお茶を飲んだ。 やさしい味、王宮の小屋の味がした。


「坊」


ガストスさんが椅子に座って、俺の手を握った。


ゴツゴツとした剣ダコだらけの堅い手。


「心配するな。 わしらが絶対お前を守るからな」


俺は「大丈夫」と書こうとして、文字板を探す。


だけど、いつもなら枕元に置いてあるはずの板が無い。


「今は何も考えるな。 明日の朝になったら全部いつも通りだ」


俺はただ頷くしかなかった。


何だか眠くなって、そのまま毛布にくるまった。




 鳥の声がした。 何だかうるさい。


身体を起こすと少しだるいが、それよりもお腹が空いていた。


着替えて、部屋にある洗面所で顔を洗う。


トントンと階段を下りて行くと、私兵たちの訓練している姿が見える。


町中の警備に人員を配しているので、今は館にいる警護の私兵は四名だ。


そこに新人がハシイスを含めて三人、御者の助手が一人。


 食堂に向かうと調理場にお手伝いのおばちゃんと施設から預かった子供たちがいた。


相変わらず文字板がないので、どうしようかと思ったけど、普通に入ってみる。


「あ、ご領主様」


男の子が気が付いて、駆け寄って来た。


ニコリと笑って頭にそっと手を置く。


ニコニコしている様子に、嫌がられていないようでホッとする。


「お腹好いたでしょう?。 もうすぐ昼ですよ」


年長の女の子が俺の腕を取って、椅子に座らせる。


一番のチビが俺の隣に座って、俺の服を掴んだ。


お手伝いのおばちゃんが何故か目元を拭っていた。




「うおっ、ご領主様だ」


今日の手伝い当番なのか、新人の一人が入って来た途端、俺に気づいて驚いている。


むぅ、やっぱり板が無いのは不便だ。


執務室かなと思って立ち上がろうとしても、チビが俺の服を離さない。


怒るわけにもいかず、俺は仕方なく座っていた。


 ドドドと足音がして、私兵たちが飛び込んで来た。


「ほんとだ。 ご領主様、良かった!」


俺はあまりの歓迎ぶりに眉を寄せる。


なんだ、お前ら。 俺を珍獣みたいに見やがって。


 ハシイスが俺の隣に来た。


立ったまま俺を見下ろし、何故かグッと唇を噛んでいる。


「ご領主様、良かったです。 その、お目覚めになって」


俺が首を傾げると、おばちゃんが笑った。


「ふふ、ハシィ。 たぶんご領主様は分かっていないんだよ。


二日も寝てたとは思っていないのさ」


(え?)


俺は驚いて固まった。


「そうなんだ。 あ、そうなんです。


ご領主様が魔獣を倒されてから、二日経ちました。


魔獣は解体されて、パルシーさんが王都で売った方が良いって言って、すごい高値が付いて」


ハシイスの話はいまいち要領を得なかったが、二日も意識が無かったのは分かった。




 食堂でワイワイやってたら、パルシーさんが文字板を持って入って来た。


「お預かりしていました」と渡してくれる。


受け取ってすぐに「皆、ありがとう」と書く。


ガストスさんたちも入って来て、皆で昼食を取った後、俺は執務室に入った。


「ごめん、あれからどうなったか、経過を教えて」


そう書いて眼鏡さんに見せる。


「はい」


元職員のお兄さんがお茶を淹れてくれた。


彼はすっかりパルシーさんの従者のようになっている。




「まずは、ネスティ様がお倒れになった後、全員無事に戻りました。


私が魔法鞄を持って戻り、魔獣と馬の死骸を持ち帰り、解体を行いました」


俺の顔が暗くなったのに気付いたんだろう。


「馬は御者のお爺さんの言う通りに、解体後、埋葬いたしました」


肉は貴重なので、仕方がない。


尻尾の毛が欲しいと言われて、それはお爺ちゃんに渡したそうだ。

 

家族だって言ってたもんな。


「魔獣のほうも解体し、肉は町中で配りました。


損傷の無い毛皮の一部と頭を加工処理して、国王に献上いたします」


色々配慮してもらったから、別にそれも構わない。


「その代金がまた大量に入る予定です」


え?、献上って言ったのに、売ったのか?。


俺が慌てて書いた文字を見て、パルシーさんが首を振った。


「いえ、国王様に献上すると申し上げたのですが、ちょうど訪問中の他国の王子がそれを欲しいと申されまして」


チラリと北の山脈を見たので、おそらく山の向こうのイトーシオ国の王子だったのだろう。


「それでその国からこちらに代金が入って参ります」


それもまあいいや。


大金ったって、向こうにしたら大した金額じゃないんだろうし。


俺はふぅとため息を吐いた。




「宰相様、怒ってた?」


そう書いてチラリと宰相の息子を見る。


「ええ」と顔を逸らす。


大人しくしていて欲しいと思っているはずだ。


力を付けすぎると、いくら本人が王位を放棄していても、担ぎ上げようとする者が出てくるからだ。


「とりあえず、去年の魔獣狩りの成果ですと誤魔化しておきました」


去年の物ならば王子とは無関係と言い張れる。


魔法収納に入れて、ずっと保存していたことになっているそうだ。


「ちゃんとその場にいた住民たちにも口止めはいたしました」


俺は一応頷いておく。


まあ、秘密にしておくのは無理だろうね。


あれだけの人数がいたんだから。




「教会の子供たちの件はどうなりましたか?」


文字板を見て、パルシーさんが頷く。


「男の子は、砦の隊長と温泉宿の親子が面倒を見てくれることになりました。


今は毎日往復して慣れさせているところです。


教会は西の領地の神官様が兼任なさるそうです」


本部の人選がなかなか決まらず、しばらくの間、西の港町の教会の神官が兼任になったらしい。


 教会の清掃は済んでいる。


新しい神官には、年長の女の子を住み込みで雇ってもらい、三歳と五歳の女の子の三人を面倒みてもらうことになる。


「あ、三歳の女の子の両親から、一度挨拶に来ると連絡がありまして、もうじきここに到着する予定です」


ありゃ、そうなの。


着替えたほうがいいかな?。 と思っている間に客が来てしまった。




 住民対応用応接間に入る。 若い夫婦は頭を下げたままだ。


パルシーさんに声をかけてもらい、二人を座らせる。


「遠い所、来てもらってすまなかった」


俺は文字板を使い、パルシーさんに読んでもらっている。


この二人は西の港町ではなく、南の森を超えた町に住んでいる。


そこで宿屋を手伝っているそうだ。


「将来、自分たちで宿屋をやりたいと思って修行をさせてもらっています」


ふうん、良い心がけだけど、こんな小さな子を置いていくのはちょっとなあ。


「最初は連れて行って一緒に住んでいたのですが、子供がどうしても人見知りが酷くて」


俺は眼鏡さんにチビちゃんを呼んでもらう。


タタタと駆けて来たチビは、勢い良く部屋に入って来ると、親ではなく俺に抱き付いた。


うん、何故か知らないけど、この子は俺に懐いてるんだよな。 両親もびっくりだ。


チビが俺に懐いている状況を踏まえ、この両親は何故かこの館で修行することになった。


ん?、なんでだ?。


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