第10話 王子の温泉


「あら、いつもの隣の兵士さんたちかと思ったら、初めてのかたね」


入浴できるかどうかを確認する。 もちろん、オッケーだ。


「ふふ、元気な子ね。 脱衣場はこちらで、浴場はその奥ですわ」


俺以外は入る気がないようだったので、待ってる間に食事をしてもらうことにしていた。


ガストスさんに手を振って、ご機嫌で俺は脱衣場に向かう。


「何だかすごく期待されているみたいですけど、大丈夫ですか?。


うちはそんなに高級でもないですし、ここももう今年で閉めようかって話も出てて」


ガストスさんに話しかける女将さんらしい女性の声が聞こえた。


えっ、と俺は振り返る。


閉めちゃうのか。 それは嫌だな。


「ここ、宿ごと買っちゃおうかな」


『ケンジ。 少なくともちゃんと確認してからにしろ』


「ほおい」


王子にも温泉の良さを分かってもらわないとね。




 脱衣場は狭く、浴場との境目がない。


あれ?、入り口に男湯女湯の表示がなかったけど、時間制かな?。


元の世界で湯治に行った温泉でも、浴場は一つしか無くて、時間によって男女が分かれていた。


 とにかく俺はお湯に浸かりたい。


逸る気持ちを抑え、脱いだ服はちゃんと畳む。


知ってる。 ここは裸じゃなくて薄い湯着を着るんだよね。


王宮の風呂では裸にされたが、町の温泉では絶対に肌を見せてはいけないと教えてもらった。


でも探したが、ここには湯着を置いてないみたいだ。


仕方ないので持って来たタオル型の布を腰に巻く。


おお、この硫黄の匂い。 うん、懐かしいなあ。


 俺は脱衣場から浴場に入る。


脱衣場は床が木だったが、湯船のある浴場の床は一段下がって、滑らかな石が引き詰められている。


少し足元がゴツゴツするが、我慢して歩くと、湯船はまるで自然の露天風呂のような岩湯だ。


淵に座ってゆっくりと足を入れる。


ちょっと熱いけど、入れなくはないな。


ちゃぽん、と肩まで浸かる。


ふうっと大きく息を吐く。


うーん、気持ちいー。




 その時、俺の顔は入り口のほうを向いていた。


突然、その入り口の扉が開いたと思ったら、そこに若い女性が立っていた。


(ひっ)


その女性は何のためらいもなく、こっちに向かってくる。


薄い布の浴衣のような服は、濡れると絶対透けると思うぞ。


「あの、お身体を洗いますので、こちらへどうぞ」


俺はブンブンと首を横に振った。


 王宮での風呂の様子を思い出した。


祈祷室に入る前に身を清めるためと身体を洗われた。


あの時も若い女性が王子の身体を。 うわ、あれはこの国の文化なのか。


いやいやいや、俺には無理だ。


王子が反応してくれない。 代わってくれない。


どうすればいいんだ。


ニッコリと微笑んで、女性は俺が上がるのを待っている。


いーやーだあーーーー。


 俺はガバッと湯から上がると、女性の横を突っ切っる。


脱衣場の戸も開けて、ガストスさんたちがいる休憩所へ早足で向かった。


腰にタオルを巻いた姿でドスドス歩いてくる俺を見て、ガストスさんとお兄さんが、食べていた物をブッと噴き出した。


「ど、どうしたんだ、坊」


俺はガストスさんの手を引っ張って風呂場に戻る。


そして涙目で女性を指さした。


「ああ、そういうことか」


ガストスさんは女性を手招きして風呂場から出してくれた。


俺は改めて風呂に入るため、脱衣場に戻り、誰も入って来ないようにそこら辺に置いてあった物を扉の前に置いた。



 ◇◆◇◆◇◆



「どうしたんですか?。 お客さん」


「な、何か娘がご無礼を?」


何が何だか分からない温泉宿の親娘。


「いや、お前たちには非は無い。 ただ、うちの領主様は女性に身体を洗われることが嫌いなんだ」


親娘は顔を見合わせる。


「すまんな。 これには深い訳がある。 知らないほうがいい」


王子が風呂で女性と過ごしたのは先日の祈祷室に入った日だ。


あの日を思い出すのだろうと、ガストスは勝手に思い込んだのである。



 ◇◆◇◆◇◆



 ちょっとしたアクシデントはあったものの、俺は風呂を堪能した。


「どう?、気持ちいいよね」


『ああ、そうだな』


「あー、温泉卵が食べたい」


『それは何だ?』


俺は王子に卵を温泉のお湯で茹でたり、蒸気で蒸したりした物だと説明した。


「うまいんだぜえ」


『そうだな。 ケンジが言うならきっと美味しいんだろうな』


俺たちは久しぶりにのんびりと話をした気がする。


『でも、本当にここを買いたいのか?』


王子はぐるりと見回す。


外観もそうだったが、中も相当痛んでいる。


『かなり改築が必要になるぞ』


「そうだなあ。 少し考えるよ」


どれだけ改築にお金がかかるか分からない。


領地経営の一環としても、資金に余裕はあるだろうか。


眼鏡さんと相談しなくちゃ。




 俺が風呂から上がって休憩所へ行くと、ガストスさんたちが微妙な顔をして待っていた。


「帰りましょうか」「ありがとうございました」


文字板を書いていると、親娘は驚いた顔をしている。


俺を送るために外まで出て来た娘が、


「ごめんなさい。 お声が出ない病気とは知らず、変な人だと思ってしまいました」


また来てくださいとニコリと微笑まれた。


決して美人ではないが、おとなしそうな優しい女性だった。


「こちらこそ、驚かせてすみませんでした」


俺はそう書いて謝った。 彼女が悪いわけではないのだ。


宿の親娘に見送られながら、馬車に乗り込んで館へと戻る。




「あのー」


馬車の中で、元職員のお兄さんが俺に話しかけて来た。


「色々とご無礼なことをして申し訳ありませんでした」


俺は首を傾げる。 何かあったっけ?。


「王子様とは知らず、本当に申し訳ありません」


俺が風呂に入っている間に色々聞いたようだ。


俺は文字板を持ち出して「気にしないで」と書いた。


「今はただの地方領主です。 これからこの町の皆さんにはお世話になります」


俺はニッコリと笑う。


一瞬お兄さんが頬を染めたような気がしたが、見なかったことにする。


風呂上りなのに、何だか寒気がした。




 館に戻った俺は、皆に温泉宿の良さを力説したが、あまり感触は良くなかった。


一人だけ食いついてくれたのが、荷馬車のお爺ちゃんだ。


 お爺ちゃんは相変わらず町と館を往復してくれている。


簡単な買い物や、使用人の送り迎えをしてもらっているのだ。


現在、この館で通いで働いている使用人は、元役所の職員たちが数名。


他に私兵の脳筋さんの身内だという中年女性が通いのお手伝いさんという感じで来ている。


 ガストスさんは私兵の訓練で忙しい。


クシュトさんは、どこにいるのか分からない。


まあ、諜報だから何かを嗅ぎまわっているんだろう。


「ほんとに身体に良いんだよ」


俺は文字板を使ってお爺ちゃんと会話をしている。


夕方に使用人たちが帰る時間までお爺ちゃんは暇なので付き合ってくれている。


「領主様がそう言いなさるなら、ワシもいっぺん行ってみるかの」


俺はウンウン頷く。


「一緒に行こう!」と書く。


湯船は結構広かったから、数人は軽く入れると思う。


「ご領主様と一緒に風呂か。 そりゃ大変だなあ」


二人でガハハと笑い合った。




 夕方、使用人たちが帰ってしまうと、館には私兵十人ほどと俺たち四人が残る。


夕食後、俺と爺さん二人と眼鏡さんは執務室で簡単な会議をした。


「私兵のほうは元々体力がある奴らだから心配はいらん。


まあ多少、領主への忠誠心は薄いが、このノースター領に関しては自分の町だという気持ちはある。


問題はなかろう」


ガストスさんの報告に頷く。


「では子供たちの受け入れも大丈夫でしょうか?」と書いて見せる。


「ああ、いいぞ。 でも子供のほうが来るかどうかは分からんぞ」


それは大丈夫だ。


派遣登録されている子供たちを、こちらからお金を払って集めるのだ。


来ない訳はない。


「では日程を決めて、私兵の皆さんに子供の扱い方を徹底するようにしてください」


俺が書いた文字を見て、ガストスさんが頷く。




「私からも報告したいのですが、よろしいですか?」


眼鏡のパルシーさんが片手を上げる。


「元職員を使って住民の名簿を作っていますが、それは順調に進んでいます。


ただ苦情も来ていて、冬の間の食料や暖房のための燃料が不足しているようです」


今年の秋は魔獣狩りが行われなかったために、収入が得られなかった住民が多い。


「そうですね」


俺は文字板に書きながら考える。


「何とかします」


クシュトさんをチラリと見ると、ハアとため息を吐かれた。


何でバレた?。


俺、魔獣狩り、やってみたかったんだよねえ。


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