雑木林の中、二人の若者が歩む足を止めて向き合っている。

 その中の一人である様一は、天使あつかの言葉で硬直していた。

 この先にあると言う子供の秘密基地で、一人の子供が死ぬことを予言されたのだ。ここで様一は疑問を持つ。何故事前にそれを言わなかったのか。

 後数分で人が死ぬ。仮にそれが本当の話ならもっと事前に知っていれば、救急車を呼んで救命する必要があるだろう。しかし、その直前で知らせるのは何故だと様一は思った。数分で死ぬ命。木の根が邪魔をしてまともに通行できない道なりだ。もしここで救急車を呼んでも確実に間に合わないだろう。

 せっかく助けられる命を、この行為が台無しにしているのだ。

 もしこれがデタラメだとしても、天使あつかのしていることは相当タチが悪い。眉間に皺を寄せて様一は彼女を睨みつけていた。


「様一様、あなたのお気持ちはわかるつもりです。しかし、よくお考えください」


 天使あつかはそう前提を置いて話した。彼女の真意を。


「この先、人が死ぬことを知っているのは天使である私と、神様候補のあなたのみ。この意味がわかりますか?」

「……テメェ」


 少ない言葉だった。しかし、様一はその真意を理解した。それを思って様一は怒りを顕にした。青筋を立て、今までにないくらいに怒りの表情で満ちている。

 先程感じた天使あつかのタチの悪さとは比べ物にならないほどの意味がここには込められている。


 もし、神様候補も、天使である天使あつかですらこの存在を知らなければ、先にいる子供とやらは人知れずに死んでしまうことを意味している。その神様候補でさえ、天使あつかの予言で知ることが出来た事実だ。

 彼女の役目はただ一つ。様一を神様にするためにサポート、護衛をすることのみ。人助けはその中には入らない。彼女は子供のことを助けない。絶対に。

 さらに救急車の入る余地のない林の中。そんな中で子供を助けられるのはただ一人しかいない。


 それが様一だ。


 ただの一般人として育った様一には、医学の心得など持っていない。この先に様一が行ったとしても、何も出来ずに死にゆく子供を見ることしかできない。

 しかし、神としての力とやらが何かを起こすのであれば話は別だ。

 神様にはならないと意思を示した様一に、力を強制的に使わせるための策。子供を人質にとって迫る選択。そして、自分の命を測りに掛けさせるやり方。

 そのどれをとっても、一般人としてはとんでもなく醜悪に見える。そんな行動を天使あつかは平然とやってのける。


「悪魔か、テメェは……」

「天使ですよ、様一様」


 怒り心頭の様一に対し、淡々と言葉を吐き捨てる天使あつか。これを見て改めて実感させられる。彼女は人間ではないことを。

 人間ならば、これから死ぬとされる子供を見捨てるのだろうか。世が世ならそうなっても仕方が無いだろうが、ここは日本だ。平和な世の中、助け合うことが当然という考えを植え付けられた国民であれば子供を助けようとするのは道理だ。

 しかし、彼女は平然と子供を見捨てるであろう。様一が助けなければ。自らの力でどうにかしなければ、子供は人知れずに死んでしまう。誰にも認知されず、誰からも愛されず、哀されずに。


「先を急ぎましょう。手遅れになりますので」


 そんな遺恨を残した上で、天使あつかは先導する。子供の秘密基地を目指して。

 様一はそれに付随して歩き出した。彼女についていって何ができるのかなど今の様一にはわからない。


 どうすればいいのか考えている内に目的地に辿り着いた。

 天使あつかの言っていた通り、木の板やトタン板の組み合わせで造られた壁。何度も補修した後がある。それも腐って穴が空いていたり虫がいたりと酷い状態だ。木に巻き付けるように作られたそれは、状況が違えば子供が作ったにしては大したものだと息を巻くだろう。

 しかし、本当にここに子供を放置する親がいるのだろうか。仮に放置するにしてももっと場所があるだろうに。と疑問を持つ。


「様一様。ここからはあなたにしかどうすることも出来ません。戸を開けるのか、開けずに去るのか。あなた次第です」

「オレにどうしろってんだ」

「それを選ぶのはあなた次第です」


 神としての力を持っている訳では無い。持っていても、使い方を知らない。そんな様一に望むものがあるとは思えない。それでも天使あつかは選択を迫る。彼女の物言いだと、様一が中にいる子供をなんとかできることを前提になっている。その上でどうするのかを問うてきている。

 もしかしたら出来る出来ないに関わらず、やるかやらないかを見極めているのかもしれない。そう思い至った様一は更に天使あつかのタチの悪さに磨きが掛かったように見えて気分が悪くなった。人の命を弄ぶようなやり方に虫酸が走った。


 様一は天使あつかに返答しない。言葉で反応を示さない。土ぼこりで汚れた戸に手を添え、軽く力を込めた。それは既に戸の役割を果たしておらず、風が吹くだけで簡単に揺れてしまうほど緩くなっている。触れるだけで簡単に解放できるくらいに。

 そうして全開になった戸の先に見えた光景。天使あつかの言っていたことがそのまま再現されていた。

 地面の至る所にお菓子のゴミや雑誌、布の破れた座布団。それらが枯れた葉と土、雨水で汚れたもので溢れ返っている。足の踏み場が無い。

 そんな中の座布団を枕にして横たわる一人の少女がいる。本当に衰弱しているようで、顔色が青白くなっていた。

 即座に少女に寄り添って身体に触れてみる。何も飲まず食わずでいたようで、身体はやせ細り、呼吸も安定しない。身体から熱が引いていて、生きているのかどうかすら怪しい。


「……どうすればいいんだ」


 こんな弱りきった少女を前にして見捨てるほど、様一は人でなしではないつもりだ。救急車を呼んだところで、数分でここまで辿り着ける道のりでもない。自分に何かできる可能性があるなら、それに賭けるしかないだろう。

 様一の問いかけに天使あつかは答える。


「救いたいですか」

「当たり前だ、何をすればいい」


 質問に質問で返してきた天使あつか。それに一切疑問を持たずに即答した。

 普段の様一なら、質問に質問で返すなと機嫌を損ねるところだ。しかし、そんなやり取りをする時間すら勿体無い。それくらいに目の前の少女は衰弱しきっていた。


 様一のそんな様子を目の当たりにした天使あつかは室内には侵入せず、戸の前で一瞬だけ面食らっていた。その後すぐに笑みを浮かべて室内に侵入する。

 左右に顔を揺らして中を観察する。どこか感慨深そうに、感傷に浸るような悲痛な表情をしてるように見える。しかし、すぐにいつものすまし顔に戻った天使あつか。様一の後ろに身を寄せて答えた。


「祈ればいいのです」

「は……?」


 しかし、天使あつかの言葉は意味のわからないものだった。

 祈るということは、自分では何も出来ないのを認めることを意味する。自分以外のなにかに対して、状況を丸投げする精神を持ち合わせるものだ。それは天使だったり、仏だったり、神だったりする。

 そこまで考えて思い付く。そういえば自分は神様候補ではなかっただろうかと。本気にしてるわけではないが、もし意味があることならどうなのだろう。


「祈ることは神の力を借りることを意味します。人々が平和と安寧、欲望を願う時に祈ります。それに恩恵を与えるかどうかは神次第。では、神自信が祈ればどうなるでしょう」

「……その通りになるって?」

「この世の理を外れることはいまの様一様には無理です。けれど、この子を救うくらいならできないことはありません」


 様一は迷うことなく天使あつかの言う通りに行動する。

 目の前の横たわる少女を救うために。


 ====



 所変わってここは地上とは離れた場所。

 白い綿のような雲。上を見上げれば満点の青空が視界を満たす。そんな夢のような空間を、人々は、神は天国と呼んでいる。

 天使あつかはここを一つの国であることを示唆していたが、正確にはそうではない。正確に言えば、天国とは三つの国から成り立つ世界の総称である。

 地獄、天国、神国の三つである。

 全ては繋がっていて、それぞれの種族に役割を持って国につく。

 地獄は、生物が死してなお浄化されない罪を洗い流すための国。いわゆる悪魔が管理している世界で、時として死人を罰するために存在している。

 そして天国は死人の魂をどのように扱うのかを決定する場所。新たな生命に転生させるのか、それともまた別の選択をするのか。天国では天使が活動している。

 悪魔と天使は敵対関係にあるイメージだが、実際は協力関係にある。そういうよりは天使と悪魔、種族としての違いはない。地獄で働く天使族が悪魔。天国で働く天使族が天使と呼ばれるのが正確だ。無論、性格の差異は存在するが、どちらも変わらずに日々を過ごしている。なんなら悪魔と天使が呑み屋に行くくらいのノリがその国にはある。


 そして、この雲と空で全てが覆われる空間を神国と呼ぶ。ここには神、そして神が許可したもののみが侵入を許される国。それ以外の者は入ることができない。

 その国を神は思うように加工できる。そこにあるのは白いセメントのような壁材の楕円形の建物が一軒存在するだけ。その中で二人の生物が地上を見守っていた。


「ダーリン、ねぇダーリン」


 一人の女性が地上を共に見守っている男性に語りかける。彼女の名は神美命。現在地上で一人の少女を救おうとする少年、神様一の母親であり、女神である。

 その隣でニヤケながら様一を見守る男性は美命の伴侶である神だ。


「なんだい、ハニー」


 二人は十六年ぶりに会ったことで、今まで溜まった鬱憤を晴らすように密着している。キスをしたり、身体をまさぐり合ったりする。完全にバカップルと化した二人は、まるで子供のビデオ映像を見る親のように笑って、わくわくしていた。


「ダーリンって、ホントに天使あつかちゃんにようちゃんをころすように命じたの?」


 甘い声音。甘える声音。しかし、その言葉には美命にとっては重大な意味が込められている。

 神としてのエネルギーは、地上にとっては多大な影響を与える。下手をすれば破滅を導くほどの力だ。脅威になるのならころしておくのが正しい。それは事実だ。

 美命もそれはわかっている。しかし、それでも様一は息子だ。神様候補の運命を背負った少年でも、美命にとっては愛する息子なのだ。


「もしホントにそうなら、私はダーリンでも許せないかも」


 それが彼女にとっての本音だ。

 本当に天使あつかに様一をころすように命じたのであれば、美命は確実に神を許さないであろう。恨みはしないまでも、いつまで経ってもネチネチと根に持つだろう。

 いくら愛する女のこととはいえ、永遠に近い寿命を持つ彼らにとって、そういう関係は望ましいところではない。


 しかし、神は美命のそんな意味を込めた言葉に対してなんの動揺も見せない。虎視眈々と様一の様子を見守り、息子の成長を喜ぶ父親のような顔で落ち着いていた。


「それはボクじゃないよ、ハニー」

「じゃああれは天使あつかちゃんの独断?」

「いんや、天使あつかちゃんはちゃんと命令されてああしたんだよ」


 美命は神の言っていることの意味がわからず、顔を傾げる。クエッションマークを浮かびそうな顔で考える。しかし、答えを出す前に神は言う。


天使あつかちゃんはちゃんと、《神様》に命令されて行動している」

「それはダーリンでしょ?」

「違うよ」


 神といえば目の前にいる親父だ。そう思って美命は指摘したのだが、やはり否定している。美命の疑問はさらに膨らんでいくのを面白そうに見ている神は言った。


「あの子、ボクのことを絶対に《神様》なんて呼ばないんだよ」

「え、どういうこと?」

「あの子にとっての《神様》って別にいるのさ」


 本来、神を敬わない天使は邪教であると蔑まれるのが普通だ。しかし、神はそんな素振りを一切見せない。むしろそれを当然のように言う。

 しかし、思い返せば天使あつかが神を呼ぶ時の言い方が不安定だった。

 初めに様一の部屋で自慰をしていた時の呼び名は「神様」である。実際に「神様」を想って自慰をしていたと言っている。しかし、様一の父親を示す現在の神を差す時、天使あつかは「お父上」と呼んでいた。これは単に、様一の理解しやすいように使い分けていたのではと思っていたが、今の神の言葉を聞いて得心がいったような気がした。


天使あつかちゃんにとって、神様っていうのはただ一人」


 だんだん理解の追いついていく美命の様子を面白おかしく眺めながら、神は話を引き延ばしながらゆっくりと解説する。

 ここにも一つ間を置いて、固唾を飲む美命を見ていた。


「様一だけなんだよ」


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