Ⅰ
もし知らないおじさんが自分の父親だと名乗った時、人はどのような反応を示すだろう。誰だお前と憤慨するだろうか。それとも、展開についていけずに唖然とするのか。様一はまさに後者だった。
母子家庭で育っている様一にとって、父親とは遠い存在。異世界の住人のような感覚で、幻であり、伝説であった。そんな存在を母、
息子の視線を気にせずにリビングにていちゃつく様を目の当たりにする様一の気まずさといったら形容のしようもないだろう。まるで今までのフラストレーションを発散させるかのようにおじさんに甘えまくる美命。おじさんの方も美命と会えるこの日を心待ちにしていたようで、肩を抱いて身体をまさぐり、キスの嵐を浴びせる。まさにバカップルのお手本のような二人。
神 美命。様一の母親である彼女は、十六年前に息子を産んだにしては若く瑞々しい容姿をしている。様一と美命が姉弟であると言い張ったなら普通に信用してしまうほどだ。ツリ目で大きな瞳。高い鼻に小さくふっくらとした唇。身内評価抜きにしても、かなり美形の女であるのは間違いない。
対する様一の父親であると紹介された親父の見た目を一言で言うなら、《アルコール中毒の親父》が相応しい。若干低めな鼻の下から顎まで中途半端に伸びた無精髭。少し疲れた親父のように少しシワが目立つ四十代の見た目だ。目は細く、小さく黒い目玉がモブキャラとしての特徴を増強している。その上、身なりも良いものとはお世辞にも言えない。身体にぴったりと張り付く白い半袖のシャツ。茶色の腰巻に白いパンツ。裾から見える腕や太ももからはムダ毛が目立つ。日本酒の酒瓶を片手にすると全く違和感がなくなってしまう。逆に言えば親父と美命の組み合わせは違和感しかなかった。
そんな彼女は何のためらいもなく、おっさんの唇に接吻してしまう。完全にディープな接吻で舌や唾液が混じり合う音がその場を響かせる。
こんな光景を見てこのおじさんが美命の愛する人であることは疑う余地のない事実だ。しかし、仮にそうだとしても様一の父親であることはどうしても受け入れられない。
「母さん、節度くらい守れよ」
「あら、ごめんなさい。あまりに嬉しかったものだから」
「嬉しくても普通、そういうのは忍んでやるもんだと思うけどな」
台所からお盆に乗せた三つの湯呑みを乗せた様一がリビングにやってくる。長テーブルに座る二人の前に湯呑みを置いたあと、向かい合う位置に陣取って会話をする体制を整える。
お茶を受け取ったおじさんは容れたばかりの茶を啜って味を楽しみつつ発言する。
「まぁそう邪見にするな、様一。ずっと放ったらかしにしていたオレが悪いんだから」
「オレはあんたが父親だって信用してないんだけどな」
「様ちゃん、お父さんに向かってなんてことを言うの?」
おじさんのことを信用出来ないと口にする様一のことを非難する美命。その瞳に写る感情は、様一には初めて見せる叱咤の色。今まで甘えに甘えを重ねてきた美命の瞳に少しだけ怖気付く様一。その瞳がこのおじさんのことを証明している。彼が様一の父親であることを悠然と語っている瞳だった。
しかし、だからといって様一が彼を父親として信用することとは話が違ってくる。仮にこのおじさんが本当に様一の親父であるとしても、長年息子と嫁を放ったらかしにしていたことに変わりはないのだ。
「仮にアンタがオレの親父だというのがホントだとして、なんで今更戻ってきた。今までどこでなにしてた」
母子家庭として育った少年にとって、父親に対して持って当然の疑問だ。仮に父親が死亡していたなら話は終わりだが、実は生きていてどこかで放浪していたなら話は別だ。
女を孕ませて逃げたなら、そのまま音信不通で一生終わるはず。十六年経った今更戻ってくる意味がない。ならなぜ今更戻ってきたのか。ずっと寂しそうにしながら様一に甘えてきた美命の姿を目の裏に思い浮かべながら親父を見つめていた。
「オレはいつも、天国で仕事してんだ」
「……天国?」
「その関係であまり地上には戻れなくてな。今回やっと、時間を作れたってわけだ」
返ってきた答えがあまりにふざけた言動だった。天国という存在を様一が信じていないのもあるが、それを抜きにしても天国を言い訳にして説明をはぐらかしてるようにしか見えない。
裏の世界で仕事をしていて、何かの隠語が天国という可能性もある。自分の子供に本当の職を説明出来ない事情が存在していることは明らかだ。
「オレは神様だ。で、お前は神様の息子に当たるわけだ」
親父は美命を抱き寄せながら様一を指差す。
「ここに戻ってきたのは、お前に神様候補であることを告げるためだ」
「そんなふざけた事、信用すると思ってんのか」
「オレを信用するかどうかは関係ない。お前が神様候補であることに変わりはないからな」
親父は様一の容れた茶を熱いまま一気に喉に流し込み、席を立ち上がる。釣られて美命も立つことになるが、親父はそれを気にしない。様一に視線を向けたまま事を進めていく。
「オレはこれからまた天国で仕事をする必要がある。詳しいことは守護天使をこちらに送ってるから、そいつに聞いてくれ」
「守護天使……?」
「お前の部屋にいる。落ち着いて話ができるように。あぁ、後、これからはお前とその天使は二人でこの家に暮らしてもらうからな」
言いながら親父は虚空に左手人差し指を軽く振り下ろした。何も無いはずのその場所から扉が浮き出てくる。普通ならその先はリビングであったはず。だが、扉が開かれるとその先に見えるのは空と雲の地面で生成された不思議な空間。
親父は美命を抱き寄せながらその扉の先に行ってしまう。
「ちょっ、待ちやがれ!! 母さんをどこに連れてくつもりだ!!」
「美命は連れて帰る。お前は神様となってから
「じゃあ様ちゃん、頑張ってねぇ」
様一の訴えを軽く流しながら親父は扉を閉めてしまう。どこか緩い美命は軽く手を振ってそのままいなくなってしまった。
リビングに一人残された様一はそのまま唖然としている。テーブルに残された二つの湯呑みから湯気が立ち上る。それは一切茶に手を付けなかった様一と美命の分だった。
「……守護天使がいるって言ってたな」
これは夢だと思う気持ちがあった。
唯一の肉親であると思っていた母の元に現れた見知らぬおじさん。それが父親であると告げられ、更に神様であるとデタラメなことを抜かしていた。自分が神様の息子であり、神様候補であると言われても信じることが出来ない。頬をつねってみたらこれが現実であると突きつけられる。
母が突然天国に連れていかれた。これにて様一が独りとなってしまったことに顔を青くしてしまう。これからどうすればいいのだろう。
そう考えた途端、親父の言っていた言葉を思い出した。守護天使が様一の部屋にいることを。
二人で暮らすには少し広めな一軒家。一階はリビング、キッチン、浴室にトイレが備わっている上に、和室が一室あってそこが美命の部屋として利用されていた。二階に登る階段がある。二階にもトイレ、シャワールームがある。二階のシャワールームは滅多に使わないため、少しホコリが溜まっている。そして三つのフローリングの部屋があり、その中の一つが様一の部屋になっている。
扉に「よういち」と書かれた美命手作りの掛け看板が掛けられている部屋に辿り着いた。ドアノブに手を添え、そのまま扉を開こうとする。しかし、中から聞こえる異音に身体が硬直してしまう。
人の激しい呼吸が扉の向こうから発していて、耳を澄ませば水を擦る音が聞こえてくる。「神様、神様」と呟ぐ女の声も聞こえてきて、様一は頭に嫌な予感を思い浮かべる。
少しだけ扉を開けてみて、中を覗いてみる。覗きの趣味はなかったが、知らない女の声が様一の部屋で聞こえてくれば気にならないわけがない。
隙間からはその声の主の姿が見受けられない。だが水の音はもっとはっきりと聞こえるようになり、女の声が喘ぎ声であるとわかるようになった。
このままじっとしているわけにもいかず、様一は意を決して扉を全開にした。しかし、様一はそこからさらに硬直してしまう。
声の主は様一のベッドの上に脚を開いて座っていた。
様一の衣類が仕舞われているタンスが開かれている。そこからを三枚のトランクスを取り出した女性。一枚は頭から被って、もう一枚は洋一の秘部が当たる部分を口に加えて涎を垂らしていた。そして最後の一枚を様一の秘部が当たる部分を自分の秘部に押し当てている。見た様子からかなり激しく動かしていたようで、下着だけでなくベッドの掛け布団も濡れていた。
この変態的な光景も硬直の理由だが、それ以上に彼女の正体を知ってしまったことで混乱の極みが様一を襲っていた。
「あ……、おかえりなさいませ、よういち様……」
息を切らしながら少女はいう。
彼女のことを様一は知っていた。先程まで軽く会話をしていた。
図書委員で、様一の学校では才色兼備という異名を持つ少女、
制服を無造作に脱ぎ、ワイシャツの隙間から控えめな胸の谷間を覗かせている。ブラは外しているようで、桃色の膨らみがその存在を主張していた。顔は完全に高揚してしまっている。息も大きく乱していて、呼吸に合わせて胸も上下していた。
学内で有数の美人であると注目される少女のあられもない姿。それをまさか自室で目撃するとは思っていなかった。守護天使が部屋にいると告げられた事柄を完全に忘れて様一は迷っていた。
「改めて自己紹介をさせていただきます。わたくし、神様候補である様一様の守護、サポートを言い付かっている守護天使。
自己紹介は立派なものだが、乱れた服装で汗や涎で濡れてる布を身にまとっているために台無し感が半端なかった。
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