恐怖の対象

 ふとカーミラが壁際の掛け時計に目をやる。時刻は午前四時前――昨夜、エクスがレイナの血を吸ったであろう時刻だ。


「もうすぐ嫌でも分かるわよ。疑似ヴァンパイアなら一日に一回は誰かの血を飲まないといけないから。あなたたちの話を聞く限り、その子が疑似ヴァンパイアならそろそろ血を飲まないと」


 それからカーミラは「疑似ヴァンパイアなら特定の人間以外の血を吸うことは出来ないし、その人間の血を一日に一回は飲まなければならない」とも付け加えた。つまりエクスは毎日レイナの血を飲まなければならないということだ。

 エクスがちらりとレイナの方を見る。レイナもエクスを見ていたようで目が合うが、彼女はすぐに目を逸らして隣に座るファムの陰に隠れてしまった。


「……ごめんね、レイナ。怖がらせて。…………本当にごめん」

「ちが――っ、エクスが怖いわけじゃないのっ!」

「え?」


 レイナが慌ててエクスの言葉を否定する。その場にいる全員がレイナはエクスのことを怖がっていると思っていたので目を丸くして驚く。


「どういうこと、お姫様? エクスくんが怖いんじゃなかったの?」


 代表するようにファムが問うとレイナは「そんなこと一言も言ってない」と首を横に振った。

 レイナはエクスを一目見ると、恥ずかしそうに目を伏せて戸惑ったように続ける。レイナの頬がみるみる赤く染まり、ファムの袖を握る手が震えた。


「確かに怖いのは怖いんだけど……それはエクスが怖いんじゃなくて、私が――私自身が怖いの」

「あなた自身が?」


 ファムが聞き返すとレイナがこくんと頷く。「理由を聞いてもいい?」とファムが尋ねるとレイナはファムの腕を自分の方に抱き寄せてぎゅっと握りしめた。


「……エクスに血を吸われたとき……今まで感じたことない変な気分になって、体に力が入らなくて、自分の体のはずなのに思うように動けなくて……ていうか頭が真っ白で何も考えられなかったの。まるで私が私じゃないみたいで……それが、そのことが怖かったの」

「お姫様……」


 レイナの言葉を聞いた一同がしんと静まり返る。なぜかカーミラだけは目頭を押さえながら天を仰いでぷるぷると震えているが。

 冷たい視線で見られていることに気付いたカーミラがコホンと咳払いをする。


「こほん。……それも含めてエクスが疑似ヴァンパイアかどうか見極める必要があるわね。ほら、エクスもそろそろ苦しそうだし」

「そうだね。とりあえず今はエクスくんに血を飲ませなきゃ。レイナ、大丈夫?」

「何かあったらオレらを頼れ、な」

「そうですね、昨夜とは状況が違います」


 無理はしないでね、と心配するファムにレイナは大丈夫だと答える。正直に言うと少しだけ怖いけど、今は自分のことよりもエクスのことだとレイナはエクスの方を見た。

 エクスはぎゅっと自分の服の胸部を掴んで息を荒げていた。昨夜ほどではないが苦しそうな彼の様子を見て、レイナは自分の衣服の首元をぐっと引っ張った。


「エクス……辛いなら無理しないで。私は平気だから………」


 ファムがレイナの隣を空け、そこに座るようエクスに促す。レイナはエクスに自分の首元を差し出した。


「ごめ……レイナ、もう無理――」


 エクスはレイナに倒れこむようにしてその首元に顔をうずめた。ちくりと一瞬の痛みが走り、レイナの首にエクスの牙が入ってくる。


「――っ、あぅ……んっ」


 噛まれた首のところから流れるように力が抜けていくのを感じ、レイナは意識的に全身に力を入れる。エクスが血を飲み込む音がどこか遠くに聞こえて不安になったレイナはエクスの服の胸元をぎゅっと握りしめる。

 いつの間にかエクスの腕にすっぽりと覆いかぶさられる形になってしまったことにさえレイナは気づかない。

 レイナは昨夜みたいなことにはならないよう、さらに体に力を込める。そのせいかレイナの体が強張って上手く血が飲めなくなる。


「レイナ……もっと力抜いて……?」

「ふぇ……? ええ……むり……ぃ」


 提案をすげなく却下されたエクスは諦めて、再びレイナの首筋に噛みつく。


「ひゃ――っ、あ……ん、ふ……」


 先ほどまでよりも更に激しく、エクスの牙がレイナの意識を浸食していく。あんな醜態をこれ以上さらしてなるものかと考えるほど、体が思うように動かなくなりどんどん力が抜けていく。レイナの体が解れて血が飲みやすくなったエクスはご機嫌そうだ。

 全身の血が沸騰するみたいに熱く、もう何も考えられない――と、そこでレイナの視界がぐらりと揺れ、エクスの腕の中からソファへと滑り落ちる。その様子を見ていたファムがぐっとエクスを抑えた。


「はーい、ストップストップ! それ以上はお姫様が危ないよ。もう軽く貧血起こしてるじゃん」

「あ……」


 ファムの声で我に返ったエクスがレイナを見る。くったりとソファに横たわるレイナの息は荒く、耳まで真っ赤になっているのも見て取れる。

 カーミラはレイナをガン見しながら鼻血を流し、タオはシェインの目を手で覆ってよそを向いていた。


「ごめん、レイナ、大丈夫?」

「ん……、だいじょうぶ」


 レイナはファムに体を起こされながらエクスに微笑む。

 エクスは口元に残るレイナの血をそっと指で拭った。

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