粉屋のヤケド

 続いて壇上に上がったのは裕福そうな身なりの男だった。


 顔そのものが笑ったような作りで頬も腹もふくよかそのもの。かつてこの国にもあった宗教においての福の神を思わせる小柄のその男は、舞台に横たわる赤黒い塊をにこやかな顔のまま無造作に掴み、引きずって行くと定められた穴に捨てた。その後、生真面目にも舞台の上に転がる石も一つ一つ拾い同じ穴に纏めて投げ落とした。


「おばんでございます」


 男は舞台の中央で深々と頭を垂れた。


「私はさる里で粉屋を営むもの。この舞台に上がる為、七日七晩をかけやってまいりました。今名乗っている名前もございますが、幾つかの理由からこの舞台では名乗らないことをお許し頂きとうございます」


 誰かが咳払いをした。舞台の男は気づいてか気づかずか変わらぬ調子で話し続けた。


「理由の一つは、今の私の名が本当の名前ではないからです。私自身すら、私の本当の名を知らぬのです。私は幼い頃、大きな火傷を負い生死の境を彷徨いました。どうやって火傷を負ったのか? 残念ながら分かりません。何故なら私は死ぬものとみなされ、忌みの山に捨てられたからです」


 観衆はざわついた。忌み返りだ、と誰かが呟いた。男は構わず続けた。


「私の住まう地域の忌みの山は、あらずよの坂、と呼ばれておりました。尤も山なのに坂、という名なのを知ったのは随分と後のことですが」


 男は言葉を区切ると、少し息を吸い込んだようだった。にこやかな顔がより一層にこやかになった。


「私の最初の記憶は全身を覆う激しい痛みと言い知れぬ不安、怖れ。それらが綯い交ぜとなった渦巻く苦痛でした。恐らくは裸同然で木枯らし吹き荒ぶ冬の枯山に火傷だらけの身体で打ち捨てられたのです。漠然と、意識が途切れればそれ切りお終いになる、恐ろしいことが起こる。そう感じていた幼い私はその苦痛に歯を食いしばって耐え、二つの夜をそのまま明かしました。


 三日目の朝。陽が昇り始めた頃。流石に文字通り精も根も付き果てた私は、切れ切れの意識で抗い難い暗い恐ろしいものが私に迫っているのを感じていました。泣いたりはしませんでした。そんな事をした所でどうにかなるものでないことは自然に理解していたからです。本来ならばそのままその暗い恐ろしいもの……死に飲み込まれて私は短い人生を終える所だったのです。


 ああ、終わりか、と全てを投げ出しかけたその時です。黒い影が昇りかけの陽を遮りました。なんとか目を開けると黒い塊……人影が野に伏し、息絶えかけた私を覗き込んでいます。影は言いました


『生きたいか? どんなことをしてでも』


 私は殆ど死んだ身体に残った全ての力を掻き集めて、なんとか一度頷きました。直後、私は意識を失いました」


 男は少しの間、観衆の様子を伺うような素振りを見せた後、また話し始めた。


「次に気付いた時、私は焚火のそばに横たえられていました。火傷には何かの草と細く割かれた布が巻かれ、身体には妙な臭いのする服……上着のようなものが掛けられておりました。焚火の照らす周囲はどうやら自然の穴倉のようでしたが、所々に木々や布、何かの毛皮等で改築や補修がなされており長年に渡り人が住んでいることを感じさせました。


 焚火には凹んだ鍋が掛けられており何かが煮えているようでした。その向こう側に大きな黒い毛の塊がうずくまっておりました。初め私は熊か狼か……何か恐ろしいケダモノが居るのかと身体を強張らせましたが、よく見るとそれは毛皮を纏い伸び放題に髪と髭を伸ばした、一人の男であったのです。


 男は無言で欠けた椀に鍋の物を注ぐと、私の前に放り出しました。中身は何かの葉と肉が煮込まれた汁物で、えも言われぬ良い匂いが私の鼻腔を擽りました。その時の私は火傷の痛みを忘れる程に……いえ、痛みは確かにあったのですがそれすら構っていられない程に、切実に空腹だったのです。私は男の許可も得ず食事前の挨拶もせずに出された椀にがっつきました。味なんて殆ど分かりません。ただ、胃の腑にものの入ってゆく快楽だけがその時の私の全てでした。


 椀の具を食べ尽くし汁も飲み干そうとした正にその時、男はぼそりと言いました。


『ニンゲンの肉だ』


 私は一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。ですが男の言葉が脳裏で形を取り、その意味を理解した途端、激しい拒絶感が体内を駆け、私は食べたばかりのものを残らず全て吐き出しました。吐いたものの一部は焚火の端に掛かりしゅうしゅうとひどい臭いの煙を立てました。涙目の端が捉えた鍋では、確かにそれと分かる指の付いた腕がくつくつと煮られておりました。男は言いました。


『ここには食べ物がない。たまには獣や鳥が採れることもあるが、それだけではとても食いつなぐことはできぬ。確実なのは捨てられたニンゲンを食うことだ。俺はそうして今まで生きて来たのだ』


 私はむせ返りながら、男を睨みました。男の片目が潰れているのに気付いたのはその時です。男は続けました。


『気に入らないなら飢えて死ね。死んだら俺が食ってやる』


 脅すようでもなく怒鳴るようでもなく、ただ静かに、平然と男はそう言いました。男のその様子に私は嘘偽りのない男の真剣さを感じとり、息を整えると震える手で投げ出した椀を拾い、男の前に黙って突き出しました。男も黙って再び鍋の中身を椀に注ぎました。……契約は成立したのです」


 観衆の一人が嘆息とも感嘆とも取れる息を漏らした。


「男と私の奇妙な共同生活が始まりました。何故男が私を食べてしまわず助けた上で共に暮らそうと思い至ったのか? 単なる気紛れか。長年の孤独で殺伐とした暮らしに何か変化が欲しかったのか。正直申し上げて分かりません。兎に角、カタメと名乗ったその男は私の呼び名をヤケドと定め、傷が癒えて動けるようになるまで世話をしてくれたのです。


 私が動けるようになるとカタメは私に山で生きてゆく術を教えました。水場の在りか、火の起こし方、狩りの方法、罠の仕掛け方……そして捨てられた忌み人を見つけた時の作法を、です。


 忌み人を捨てに来た生きた人間には、決して姿を見られてはいけません。あらずよの坂とはよく言ったもので、山は生者の住まうこの世とは隔絶した世界です。坂だけが山の名となったのも、そこにこの世の山はない、というある種の禁忌の念が人々の間にあったからなのかも知れません。山に忌み人の生き残りが居ると分かれば役人や麓の村人たちに狩り出されるかも知れず、私たちの存在は確かに秘密にされなければなりませんでした。


 捨てられた忌み人は……多くの場合まだ息があります。死を生者から遠ざける主旨の風習ですから当然です。我々のヒキワタリ……ああ、カタメは一連の忌み人の回収をそう呼んでいたのです。ヒキワタリはなるべく速やかに対象の忌み人の息の根を止めることから始まります。何せ中にはまだ意識もはっきりしていて、助けて、と言った意味の事を話す忌み人も少なからずおり、そう言った言葉を一度耳にしてしまうとヒキワタリの作業が憂鬱になるからです。勿論、多少憂鬱になった所でヒキワタリ自体をやめることはありませんでしたが。


 カタメは男の忌み人をシシ、女の忌み人をシカ、子供や赤子の忌み人をアケビ、老人をダシ、と呼び錆びた包丁で手際良く解体しました。身体は部位ごとに調理や保存の方法が異なり、干されたり燻されたり火を通されたりするのですが、首から上は決して食べませんでした。カタメのそれが、定めたヒキワタリの作法だったのです。頭の為には簡単な塚が作られ、毎朝カタメと私は毎朝その塚に手を合わせておりました。包丁や鍋は……忌み人と共に捨てられていた物だそうです。忌み人の中には懐に煙草等の日用品が入ったまま、或いは刃物や火付けのように死の原因となった何かの忌み道具と共にそのまま捨てられるものもあり、我々はそう言った忌み人をアタリと呼んで、回収した道具は大事に穴倉に持ち帰っていました。


 私は何度となくカタメと出掛け、または私一人でヒキワタリを行いました。大きな里が近かったあらずよの坂には、三日と空けずに忌み人が捨てられました。私は虫の息の老人の喉をかき切り、ぶつぶつと呪いの言葉を吐き続ける女の頭を石で割り、泣き叫ぶ赤子の首を締め……生き延びた日数の分だけ人を殺め、食事として来たのです。


 皆様には理解され難いやも知れませぬが、さしてそこには罪の意識や陰鬱さはありませんでした。生き延びたいという強い衝動も、どんな形であれ生活が安定すると成りを潜め、皆様が日々の糧を食するのと同様に、今日はシカが採れた、今日はアケビでごちそうだ、とカタメと私は当たり前に殺した忌み人を食べ続けていました。


 カタメは生来なのか隔世の暮らしが長い為か、滅法口数の少ない男でしたが、長年共に暮らす内ふと自分の事を語ることもありました。一度に語る内容は短い……断片的なものでしたが、年月を経る内に私はカタメという男の輪郭を理解するようになりました」


 男は一度言葉を切った。元々糸のように細い目が更に細められる。或いは目を閉じていたのかもしれない。ただ口元は変わらずにこやかなままだった。


「彼は……医者だったとの事でした。腕がいいと評判の医者で、診療所を持ち、妻を娶り、これからという時に……腑腐れの病を患ったのです」


 場は静まり返っていた。隣の者が少し大きく吸う息の音すら聞こえる程に。


「思えば人を解体する手際の良さ、瀕死の私の命を有り合わせのもので救った知恵……彼が医者だと知った時に私は成る程としか感じませんでした。彼は連日、緑の汚物を吐くようになり、左目は病の為に潰れ、隠してはいたものの、ついにそれをある患者に見咎められ、手足を縛られた状態であらずよの坂に捨てられたのです。


 なんの因果でしょうか。不治で知られる腑腐れ病を患っていたにも関わらず、彼は死には至らなかったのです。手を縛る綱を食い千切り、足の綱を解き、忌みの山を棲家として生きてゆくことを決めたのです。私は一度だけ問いました。何故私を食べてしまわなかったのか、と。私の命を救ったのは何故か、と。答えは……」


 男は一つ溜息をついた。


「長い沈黙だけでした。或いは彼自身にも説明し難いのかも知れぬな、とその時の私は思いました」


 男は言葉を切ると、一度空を仰いだ。夜空を覆っていた雲は何時の間にか晴れ、男の目のように細い弓なりの月が細いながらも煌々と輝いていた。舞台脇の篝火がばちっと音を立てて弾け、男を照らす光が、その影が怪しく揺らめいた。


「さて……いつ迄も続くかと思われた私とカタメとの暮らしも唐突に終わりの時を迎えます。私がもう青年と言っていいような年頃に成長した頃でした。その日私はいつものように若いシカを土産に、ヒキワタリから帰って来ました。するとカタメが穴倉の入口に倒れています。私は彼の名を叫び駆け寄りました。彼は自ら吐いた緑の吐瀉物にまみれ、ぜぇぜぇと荒く息をしていました。……お察しの通り数十年の時を経て腑腐れ病が再発したのです」


 今度は反対側の篝火の薪がから、と崩れた。男の影がまた大きく揺らいだ。


「どうしていいか分からずカタメを抱きかかえたまま、ただただうろたえる私に、カタメははっきりとした口調で幾つかを命じました。一つ。自分が死んだら穴倉の脇の丸い岩の下を掘ること。二つ。そこに埋まっている箱に金銭と服がある。服を着、金を持って里に降り、真っ当な人の暮らしをすること。三つ。これは願いであり、命令じゃないとは言われましたが……自分の死後、一口でも良いから自分を食べて欲しい、ということです。


 命の恩人であり、唯一の家族だったカタメとの突然の別れに、私は泣き叫び、嫌だ、死ぬなと喚き散らしました。カタメは……首から上はやたら毛だらけで表情の読み取り辛い面体でしたが、少し困った様子で、すまない、と言いました。その後続けて言われた言葉を、私は今でも一言一句憶えております。こうです。前に一度聞いただろ。何故自分を助けたのか。あの時俺は、火傷だらけで唸りながらそれでも生きようとするお前に俺を重ねたのだ。お前は若い。知恵も力もある。穴倉で俺が教えた事を忘れるな。お前なら里でもきっと立派にやってゆける。俺は死ぬが、お前が俺を食ってくれれば、俺の血肉はお前の一部として共に里で暮らせるのだ。お前にもし少しでも俺を供養したいという心持ちがあるなら……指の一本でもいい、俺を食ってくれ。それがカタメの最期の言葉でした。


 カタメが息を引き取ると、私は大声で泣き続けました。そしてやがて声が枯れ、涙が乾いた後……私はカタメを食べる準備を始めました。毎日のようにカタメが忌み人を解体するのは見ていましたから手順で詰まることはありませんでした。首を落とし、塚に埋め大まかな部品に分けて行きます。腹を割くと中には緑の泥の様なものが詰まっていて、流石に胴体は食べず、穴を掘って埋めました。手足は綺麗にあらい、蕁麻と煮込み、小便から作った塩で味を整えて骨を除いて綺麗に食べました。私なりのそれが、カタメへ感謝の表現だったのです」


 その時、場の静寂が何者かが嘔吐する声で破られた。男はその誰かが胃の中身を吐き切るまで、話を継ぐのを待った。


「カタメの遺した服を着、金を持った私は翌日里に降りました。カタメの為にも里で立派にやっていかねばなりません。カタメは、思えば最初からこうするつもりだったのか、里での常識や働き生きてゆくやり方を、折を捉えては私に教えてくれていたのです。また長い長い年月の間にカタメと私が忌み人から集めた金はかなりの額で、私は郊外に広い土地と家を買うことができました。私はそれこそ身を粉にして働き、耕作と商いを学び、十五年かけて土地を麦の畑に変え、更に十五年かけて家を粉挽き工場と粉屋に変えて一角の財を成しました。妻を娶り、長男も産まれ、カタメとの約束を果たしたと、私は誇らしい気持ちでした。前の満月の夜までは」


 現れていた糸月を再び雲が覆った。辺りの闇が静かにその濃さを増した。


「前の満月の夜……突然胸の痛みに襲われた私は吐き気を催し……駆け込んだ厠でいつか見た緑の泥を吐いたのです」


 観衆がざわめいた。腑腐れ病、と言う呟きがそこかしこで聞こえた。


「左様です。不治の病、腑腐れ病に私は罹ったのです。私は笑いました。そして直感しました。呼んでいるのだと。カタメが。私を。理屈ではございません。私にとってはそうとしか思えなかったのです。忌みの山に、あらずよの坂に戻って来い、とカタメは言っているのです。冥府の闇の底から。私は心から憤怒しました。なんと身勝手な事か。このようにして呼び戻すなら何故私を里にやったのか。人並みの幸せを知らなければ、私はいつ迄もこの世ならざる山でヤケドとして生きていたものを、と。


 翌日私は妻に煙草を買いに行く、と言って家を出ました。この春四歳になった息子は早く帰って来てねと手を振りました。しかし私は、はなから煙草なぞ買いに行く気はありませんでした。私の足はここに向いたのです。カタメの思う壺に嵌って、また忌みの山に戻るのは死んでも御免です。そして死を覚悟した時、私の生きたこの一生をなんらかの形で人に伝えたいと言う強い欲求が私を満たしました。それは家人と凡そ関わりのない人々でなければなりません。夫が父が……忌み帰りの食人鬼であったとは知って欲しくはないのです。これが私が名を名乗らないもう一つの理由です」


 男はにこやかな顔からはっきりと笑顔になった。


「私の生きた一生は辛いことも苦しいこともありました。世間様からすれば随分非道な行いもして参りました。妻や子にしても無責任に裏切ったと言われれば反論の弁はありません。ですが私なりに懸命に生き、不器用ながら優しい恩人に恵まれ、仕事と家族を持ち、十二分に幸せなものだったと心から思っています。さて最後になりますが、お集まり頂いた皆様。今宵はこの人非人の告白に長らくお付き合い下さり誠にありがとうございました。願わくば皆様の死も、私のそれと同じく幸福と満足に満ちたものになりまするよう」


 男はまた、観衆に向かって深々と頭を垂れた。そして顔を上げると一際大きな声で言った。


「そして私は今、皆様の前のこの舞台に立っております」




*** 了 ***




※作家・一田和樹さんが発起人のアンソロジー作品「告白死」シリーズへの参加作品です。


詳細はこちら

https://matome.naver.jp/odai/2134634412015285901

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告白死 粉屋のヤケド 木船田ヒロマル @hiromaru712

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