小さな村だよ。

 家だって十軒あるかねえかじゃねえかな。

 入り口にボロボロの鳥居があって、だが注連縄しめなわ紙垂しでは真新しいのが下がってた。井戸の周りは濡れていて、軒先きには山羊や鶏がいて、生活の匂いはあるんだが、何故かその村の村人らしい人間は最後まで一人も見かけなかった。その日は、隠れる掟でもあるのかね。見かけるのは、俺や親方と同じように、その石舞台を見るために来た余所者ばかりさ。

 真ん中に広い広場があって、木の面を被った白装束の奴らが篝火や広場の石の準備をしていて、まだ入ることはできなかった。思えばあの白装束が村人なのかもしれねえし、そうでないのかもしれねえ。

 奴らは広場を紐で仕切って、中を掃除し、握り拳くれえの大きさの石を荷車で引きながら舞台を中心に弓なりに並べて置き始めた。それが観客の列の目印で、同時に後で投げるための凶器なんだ。

 着いた時はまだ明るかったが陽は傾きかけていて、白装束どもの準備の様子を眺めているうちに暗くなって来て、いつのまにか篝火はゆらゆらと燃えていて、仕切りの紐はほどかれ、待っていた列は広場にゾロゾロと吸い込まれて行った。その内の何人かは列を外れて、石舞台の奥の小さなヤシロの方に向かったが、多分そいつらが舞台に上がる奴らだったんだろう。どいつもこいつも辛気くせえ顔してるのかと思えば、福の神みてえにニコニコした奴もいてなんだかゲンナリしたのを覚えてる。


 俺の時は──他の時はどうだか知らねえが──今夜は五人だ、という話が小さな声で観客の列の右側から回って来て、俺はそれを隣の親方に回した。親方も親方の隣の太ったババアに小さな声でそれを伝えた。なんだろね、ありゃ。白装束が回してるのか。そうなんだろが、まあ実際はよくわからねえ。


 その時に少しざわざわしたが、それ以外は静まり返って、俺たちは誰かが石舞台に上がるのを待った。


 一人目が、舞台に上がった。


 若い女だった。

 鐘や太鼓が鳴るようなことも、掛け声がか掛かるわけてもなく、なんの合図もなかった。

 女はただ静かに舞台に上がってゆっくりとその真ん中へ歩き、こっちを向いて真っ直ぐに立った。


 掟のことは予め親方から聞いていたが、俺は正直、自分が石を投げて誰かを殺すなんてのは御免だった。だから、今夜の五人がみんな舞台の上で自決してくれりゃいい、なんて身勝手なことを願っていた。


 女の告白が始まった。

 彼女はさる良家の令嬢だったが、厳しく躾けられた鬱憤から自慰を覚え、それが高じて屋敷で飼う犬や、領民が飼う家畜と交わるようになった。ある日それを下男に見咎められ、秘密と引き換えに身体を求められたが、犬に身体を許してもその醜い下男と交わることは耐えられず、下男を殺し、川に流した。彼女はその顛末を淡々と語ると、竹筒の水筒から何かを飲み、反吐のように沢山の血を吐いて死んだ。最後にお父様を恨みます、みたいなことを言ってたと思うが、何がどう繋がるのか俺にはよく分からなかった。


 次に舞台に上がったのは杖をついたヨボヨボの爺さんだった。爺さんは女の死体を舞台の穴に落とすと、昔戦った戦争の話を始めた。爺さんは小隊の隊長で、部下たちと村を襲っては男を殺し、女は犯して好き放題やっては村を焼いていた。善良な自分がそうなったのは戦争のせいだと喚いて本気で怒っているように見えた。爺さんの杖は仕込み刀で、散々喚き散らしたあとその杖から刃を抜いて、自分の腹を掻っ捌いて死んだ。勝手な狂人だな、としか思わなかったが、この時はもう、俺も狂人だったかもしれねえ。


 その次は、妙齢の婦人だった。

 身なりも小綺麗で、美人絵から抜け出たかのような儚い美しさがあった。

 彼女はなんと言うのか──噂の仕掛け人だった。

 人格者の、善人の振りをしながら、人と人と間に不和のタネを撒く。それは完全な嘘の時もあれば、単なる真実な時も、わざと誤解が生まれるような言い方の時もあった。彼女の流す小さな噂。ギリギリまで本当のほんの少しの嘘。そう言ったものが世の中を巡って友情が、愛情が、夫婦が、家族が壊れる。それが何よりの彼女の楽しみだった。だが、彼女がいつものように流した噂が彼女の計算とは違うように働き、彼女の息子が人を殺めた上で自殺してしまった。彼女はその悲しみを語り、自分への怒りを語り、油を浴びると自分に火を付けて、舞台の上で赤黒い塊に燃え尽きて動かなくなった。


 四人目は福の神みてえな笑顔の裕福そうな男だった。

 そいつは食人鬼だった。

 幼い頃に忌みの山に捨てられて、忌み捨ての生き残りの男と共に忌みの山に隠れ住み、捨てられる人間を食べては命を繋いでいた。

 色々あって里に降り財をなしたが、死の病を患ってここに来た。そいつは、「そして私は今、皆様の前のこの舞台に立っております」みたいな結びで話を終えたもんだから、俺たちは掟に従ってそいつに石を投げなければならなかった。

 無数の石がそいつに向かって飛んで、肉や骨を砕いた。俺はわざと少し外れるように投げて、石が当たらないようにしたが、だから善人だなんて言うつもりはねえ。あそこにいた連中と俺は大差ねえんだ。


 五人目は、痩せた眼鏡の男だった。

 奴は──あんたも記者なら聞いたことがあるだろう。「水曜日の殺し屋」と言われた連続殺人犯のことを。そう、そいつは水曜日の殺し屋。連続殺人犯本人だった。


 奴は自分がどうやって殺人者になったのかを語った。義母との爛れた関係。父を殺したこと。義母と交わり、何かを殺すことがそいつの最大の興奮になって行ったこと。最初は小動物だった殺しの対象が子供に、老人に、若い女になって行ったこと。ついには義母を殺し、そこからは殺しながら犯さずには生きていけない人間になってしまったこと。悪党を見るのは初めてじゃないが、奴ほど虫酸が走る悪党を見たのは初めてだった。何がムカつくって、そいつは終始哀れっぽく、自分が被害者のように語りやがるんだ。自分の身勝手な、歪んだ色欲の為に何人もの命を奪っておいて、苦しそうに悲しそうに自分の身の上を語りやがる。俺は腹が立って──すぐにでも石を投げ付けてやろうかと思ったが、親方の手前もあるしそれは堪えて、なんとかそいつの話を黙って聴き続けた。


 そうしてる内に、奴は自分の最近の殺しのことを語り始めた。


 どうやって誘い出し、どうやって殺し、どうやって犯したか。不可能犯罪と騒がれたあの金庫の死体、そのやり方も詳しく説明していて、まあこいつが成りすましや自分を連続殺人犯だと思い込んだ病人なんかじゃないってことは分かった。吐き気がしたがね。

 俺はこいつが「そして私はここにいる」で話を締めて欲しいと思った。もうどこか感覚が麻痺してたのかも知れねえ。できたらこいつにはこの手で石を投げ付けたい、そう本気で思っていた。

 被害者の命乞い、悲鳴、断末魔が如何にそいつを興奮させたかを語り始めた時は、俺はもう少しで舞台に駆け上がってそいつを絞め殺すところだった。


 一頻り語り終えると、長い沈黙があった。


 俺たちは固唾を飲んで、そいつが次にどうするかを待った。


 そいつは小さな声で「そして、私は今ここに立っている」と言った。

 待ってましたとばかりに俺たちが石を拾おうとした時、だがそいつは続けて叫んだんだ。


「言う通りにしたぞ! だから妻と娘を」


 なんだ、と思った次の瞬間だ。俺はすぐ背後に舌打ちを聞いた。

 更にその次の瞬間、俺の顔のすぐ横をものすごい勢いの石が通り過ぎて、舞台の上の男の眼鏡を割った。その眼鏡が掛かっていた頭の頭蓋骨も。それが合図かのようにまた無数の石が飛んで、肉と骨が砕ける音が重なって響き渡った。


 俺は石を拾い上げた姿勢のまま立ち尽くしていた。なにか妙だった。俺は舌打ちの主人あるじが気になって恐る恐る振り向いた。そいつは男で、既にこちらに背を向けて広場を去ろうとしていた。

 顔は見えなかったが、うなじに斜めに縫い合わせた跡のような傷があって、それが俺の目に焼き付いた。


 世間じゃ、水曜日の殺し屋はあの村で死んだことになってる。


 でも、でも俺は……分かるかい? 記者さん。俺が何を言いたいか。あの場で死んだ眼鏡は……あの場から去った縫い傷の男は……ああ、俺は酔ってるんだろうか。

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