宿場

 当時の親方は小男でな。

 本人は平気な振りをしていたが、とかく劣等感の塊のようなジジイだった。だから、たまには人に石でも投げつけなけりゃ、自分が保てなかったのかもしれねえ。


 あの村まではこの街から乗り合いの駅馬車を使っても二泊する道のりだ。親方は、その時は何を思ったのか──或いは自分が人の命を奪うような残酷なことも出来るんだと俺に見せたかったのか──旅費も全て持つからついてこいと一方的に言い切って、俺を連れ出した。


 暑い夏の日だった。


 駅馬車は満員で、途中で多少入れ替わりはするんだが人は減らなくて、馬車自体もかんかん照りの陽に照らされて焼かれていたが、ひしめく人間の熱と汗の匂いがとにかく辛かった。


 駅馬車の終点は、例の村の二つ手前の宿場だったが、多くの乗客は終点まで乗った。そうさ、あの場所に行くための奴らだ。


 色んな奴がいたぜ。男も、女も、若い奴も、年寄りも。信じられねえが、小さな子供の手を引いた母親もいた。終点の一つ手前の宿場を過ぎて、こいつらがみんなそうなんだと分かった時、俺は不気味な気分で真夏だってのに鳥肌を立てた。今ここにいる奴らは明日の晩に、殺すか、死ぬかする奴らで、俺もその一員なんだってことにさ。


 終点の宿場は、そりゃあひなびた村で、五十年も昔の風景だった。茅葺きの屋根。漆喰の塀。ただ踏み固められただけの地面が道で、道の両側に申し訳程度に溝が掘られていて板で蓋がされていた。けどな、宿屋だけは場違いに小綺麗なでかいのが村のど真ん中に建っていて、次々と到着する駅馬車から降りる人々をどんどん飲み込んでいくんだ。怖かったぜ。つまりその宿は、人の死で成り立つ宿で、俺はその宿に泊まるんだ。その宿屋の主人も番頭も中居も、その客も、正気の沙汰じゃねえとは思うんだが、俺もその客で、その宿屋に世話になってその宿屋の飯を食うのが気持ち悪くて仕方なかった。


 親方は何も言わねえで煙管をぷかぷか蒸すばかり。周りを見れば人も建物も食い物も酒も死の匂いがする。あんなのは二度とごめんだ。あんた想像できるかい? なにかの形で、死を望んでる奴らに取り囲まれて飯を食ってクソをして眠る気持ちが。


 その日はそこで一泊して、翌日の朝にあの村を目指して出発した。宿屋の番頭は阿呆みたいに愛想のいい奴でな、「お早いお帰りを」なんて笑って包んだ握り飯を渡してくれたよ。ゾッとしたね。今から何があるか分かってるはずだろう。こいつにとってはあの石舞台で人が死ぬ、殺されることは、庭に落ち葉が積もるくらいに当たり前のことなんだ。慣れた手付きで掃き貯めて捨てる用事くらいにありふれたことなんだ。


 そこからは峠の宿場を一つ抜けて山道を半日。道は登り下りはあったが、生きたいい道だったよ。死のための道が生きてるってのも妙な話だがな。とにかく暑くてな。蝉がうるさいほどに鳴いていた。その声が何重にも頭の中に響いて、問い掛けてくるようだった。お前は誰だ、何しに来た、何処へ行く、そこで何をするんだ、とな。前日は疲れていたのにまあ眠れなかったから、そんな気分になったのかもしれねえが。


 憂鬱な自問自答をしながら汗だくになって山道を歩いた。


 周りは同じようにあの村を目指す旅人が列になっていて、更に気分を憂鬱にさせた。黙って歩く奴、泣きそうな奴、連れと楽しそうに話しながら歩く奴、どいつもこいつもクズだと思ったが、俺もそうだと気付いて気分はいっそ落ち込んだ。

 途中の河原で休憩がてら握り飯を食べて、水筒の水を入れ替え、夕方少し前にはその村に着いた。

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