喪服のひと 余話:町のハナシ
「だって、今日はとても、良い日になりそうだって思えたのだから!」
私は彼に呼び止められて、そんなふうに答えた。
だって、嘘じゃないもの。朝市は楽しかったけれど、人気にあてられて静かなところで休みたかったし、見つけたこの噴水広場は素敵だったし、
「それに、お話は楽しかったし」
と、思わず口についた呟きに彼は「え、なんです?」と、首を傾げる。
「ううん、こっちのハナシ」
「はあ」
適当にはぐらかしたら納得しちゃった。
話していてわかったけれども、彼は随分と純朴。変わった後ろ姿だって理由で
素直で飾り気がなくて、ほどほどに自分が可愛くて、ほどほどに他人も大切にするひとって、なんていうのが正しいのかしら?
まあ、それは後でゆっくり考えるとしましょう。
それより、今は彼に教えてあげないと。
「ねえ、手、こっちに出して?」
と、私は手を彼の方へと伸ばす。
「えっ、いや、ど、どうして?」
なんとも予想通りの反応で嬉しくなるけれども、ちょっと誂ってる暇もないのが惜しい。
「いいから、私の方に手を出して、さあ!」
困惑のまま、彼はこちらへ手を伸ばす。
私の差し出した手のひらに、彼が手を差し出してくる。
まるで犬の「お手」みたいで、それはそれで何か言ってあげたかったのだけれど、
「よいしょ!」
「うわっ!」
と、そのまま私は彼の手を握って、広場から路地へと引っ張り込んだ。
私は、目を白黒させて勢いのまま倒れそうになる彼を受け止める。自然、彼を抱きしめるようなかたちになって、私としてもちょっと気恥ずかしいけれど仕方ない。
「な、な、にゃにを」
「ごめんなさい。ちょっと強引でした。でも怪我はないようだし、よかったわ」
私よりも動揺している彼に謝りながら、彼の後ろの、それまで噴水広場だった場所の様子を見る。――うん、へんなのが出てくることもなさそうで良し。
「ええと、あの……?」
落ち着いた彼が、私に何か聞きたそうな顔をしているけれど、こればっかりは説明しても仕方ない。
だから、
「ふふ、ほんとにごめんなさい。でも、『今日はとても、良い日になる』んでしょ? だから、そのために必要だったってことで許してくれると嬉しいわ」
「いえ! べつに怒ってたりはしてませんよ。ただ、ちょっと、かなり、びっくりしたというか、ええ、はい。なんか、ありがとうございました」
この状況でお礼を言うのは何か違う気もするけれど――起こったことだけで考えるとそうでもないかしら――納得してくれたみたい。
「どういたしまして! さて、ちょっと色々あったけれど、これでほんとにお別れ。また会いましょうね!」
そうして、返事も聞かずに私は路地から大通りの方へと歩き出す。
話すことは話したし、助けるひとは助けたし、別れを惜しいとは思わなかった。
背後から聞こえる彼の別れのことばに、後ろ姿で手を振って答えた。
彼はもうつけてくることはないけれど、
「なんとなく、また会える気がするのよね」
***
喪服のひとは去った。
「最後の最後で、すごい経験をしたんじゃないか、僕……?」
繋いで引っ張られた手のひらを眺めながら、さきほどの一連の出来事を思い出す。
朝市で見かけた後ろ姿、噴水広場での会話、別れ際の接近。
どれも僕には非日常に思われた。
「って、女の人と繋いだ手を見つめて思いを馳せるって、これじゃほんとに危ないヤツだな、僕!」
と、落ち着くために声を出して自分を叱咤する。彼女は去ったのだし、僕だってそろそろ日常に戻らなければ。
「ああ、そういえば」
ふとした疑問。
彼女はなんで僕の手を引っ張ったのだろう?
べつにそれで何があったわけでもないし、むしろ引っ張られて路地に転びそうになった。
「僕を転けさせるのが目的ってこともないだろうしなあ」
と、何気なく、僕は後ろを振り返った。
「――え?」
そこには、路地が続いている。
先は見えない。いや、正確には壁があって、そこで曲路になっているのだ。
ただの路地。だからこそ、疑問は膨らむ。
あのまま噴水広場に立っていたら、僕は何処にいたのだろうか。
このまま謎の路地の先へと進めば、僕は何処にいくのだろうか。
「――」
僕は考えていた。
この先へと進むべきか。来た路を帰るべきか。
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