三題噺「桃色」「矛盾」「悪の殺戮」

みなかみ

三題噺「桃色」「矛盾」「悪の殺戮」

2月27日

 マニキュア。色はもちろん桃色。かわいい。今からでも準備をして、練習もはじめよう。


3月3日

 はじめてだったけどうまくいった。練習すればうまくなる。まじめにやったからだ。思っていたよりも楽しいかもしれない。


3月6日

 ちゃんと見つからない場所に、死体を隠せているみたい。行方不明。そっちじゃないよ。あの子はお空の上にいます。


  ◆


7月11日

 順調。力のないわたしでも、調べた場所に向かって大振りしたら、ちゃんと1回で死んでくれた。少し手がしびれた。手袋が欲しい。桃色がいいな。


7月13日

 今までと違って見つかりやすいかも。心配。だけど、今のところ問題はなさそう。上手にできるとそれだけで嬉しい。


  ◆


9月20日

 今日はちょっとだけピンチだった。邪魔されるのは困る。よく知らない男の人。眠るように倒れて、そのまま動かなくなった。小さくても傷さえつけば十分。


9月24日

 この人は誰にも見つからない。きっとこのままひとりきりだ。寂しいね。ごめんね。


10月1日

 金木犀。あまくていい匂い。もうこの1冊も終わっちゃう。季節も変わるころだし、続きに移ろう。


  ◆


 日記はそこで最後のページを迎えていた。

 飛ばし飛ばしで数ページ読んでみたが、おかしい。ちょうど1年前の今日、9月20日に確かに殺人事件が起きているが、被害者は女性だったはずだ。俺が収集した情報と、内容がいくつか矛盾している。いや、矛盾というよりも、こう、何かが噛み合っていないような印象だ。

 それに、ピンクの表紙に手書きされた『悪の殺戮1』という表題も妙に違和感がある。確かに、殺戮の表現に相応しいだけの人数を殺害してはいるが、この日記を書いたであろう伊藤澄香にとって、被害者リストに載る人物たちは、むしろ親しい関係であったり恩師であったりする。被害者たちのどこに悪を見たのだろうか。それとも、彼女自身が悪として殺戮するという意味だろうか。ならば、彼女の家族、両親や仲のいい妹はなぜターゲットにならなかったのか。そもそも書いたのは伊藤澄香ではないのか? そんなことはないはずだ。この特徴的な字は彼女の字で間違いない。それらすべて、最後に書いてあった「続き」を読めばわかるだろうか。

 違う。俺のやるべきこそはそんなことじゃない。殺人鬼の考え方を考察するなんて不毛なことはやめよう。伊藤澄香が何を悪と捉えたかなんて俺には想像しえない。そんなのは、ワイドショーに任せておけばいい。

 ともかく、俺がこの日記を公表すれば、犯人を特定するほどの証拠にはならないにしても、事件は解決へと向かうことだろう。

 伊藤澄香が隠れ家として使っているこの廃墟も、この日記以外に何か隠されているかもしれない。もっと調べたいところだが、いつ彼女が現れるかわからない。ひとまずここを離れよう。

「――いっ」

 部屋を立ち去ろうとドアノブを握ると、手に痛みが走った。よく見ると、下側の金属部分が一部変形してささくれ立っていた。どうやら、そこで指を切ってしまったらしい。大した傷ではないが、血が出てしまった。

 今度は、怪我をしないよう、慎重に扉を開ける。

 相手は未成年の女子学生とわかってはいるが、同時に殺人鬼でもある。移動している最中に見つかるのではないかと鼓動が早まる。何もそこまで怖れなくてもいいだろうと自分でも思いつつ、足の動きが鈍り、その場にしゃがみ込んでしまった。それどころか、ゆっくりと、身体が地面に横たわっていく。

 何をしているんだ、と頭の片隅で考えたような気がするけれど、思考まで鈍って、急速に現実味が失われていく。

「この分はもう終わりだけど、失くすと困るから、返してね」

 手に持っていた日記が、ピンク色のマニキュアの、幼さの抜けきらないほっそりとした白い指によってさらわれていく。

「ぴ、んく……?」

「ううん。これは桃色」

 口をついて出た特別意味をなさない言葉に、少女は丁寧に受け答える。そして、日記を奪い取っていったその指で俺の頬をそうっとなぞりながら続けた。

「ごめんね。謝ったから、許してね」

 少女が抱える日記の裏表紙の隅に、さっきまで見落としていた文字が見えた。

『愛しの桃香へ』

 妙な納得感と、事件がまだまだ続いていくことへの確信がわずかに浮かび、すぐに頭から、全身の感覚と共に失われていく。

 すべてが消える前に、微かに聞こえてきた。


「わたしはお姉ちゃんのとりこ」

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三題噺「桃色」「矛盾」「悪の殺戮」 みなかみ @selolog

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