第29話 僅かな心の準備

 一旦家に帰った俺は、病院に行く準備をし、自転車で行く予定であったが、荷物が増えてしまった為、仕方なくバスで向う。

「すみません、面会をしたいんですけど」

 寧々がいる入院棟の受付で、話しかけると、作業をしていた看護士が対応してくれた。

「どなたの面会をご要望ですか?」

「607号室の咲蕾寧々に会いに来たのですが、今は部屋にいますか?」

「失礼ですが、お名前の方をお聞きしてよろしいですか?」

「佐久良優斗です」

 俺が看護士に返答すると「佐久良優斗さんですね。少々お待ちください」と言って、近くの看護士に話しかけた後、パソコンを触りだした。そして数十秒の後に、看護士はパソコンから目を離し、こちらへ少し困った様子で言った。

「咲蕾さんのご友人の方ですね。申し訳ございません、確認をした所、咲蕾さんは現在リハビリルームでリハビリ中だそうです。もうそろそろ戻ってくるそうですが、どうなさいますか?」

 寧々の母親に伝えた時間より、少し早く来てしまった為か、タイミングが合わなかったようだ。俺は「待っていても良いですか?」と聞き、了承を得たので、予定の時間、15分後にまたここに来ることにして、少しふらつく事にした。ただふらつくと言っても、ここは病院。無遠慮にうろうろすることは良くないであろうと思った俺は、カップ式の自動販売機でコーヒーを買い、飲食コーナーで時間を潰す事にした。

「……」

 空いている飲食コーナーで、俺は考え事をしながらコーヒーを啜っていた。

「(大変な時に、篠倉さんの事を聞くのは良くないかな。色々弱っちゃているだろうから、そこで悲しい話をするべきではないかも。でも寧々の母親もあまり笹倉さんの話をしなかったらしいから詳しくは知らないだろうしなぁ。……少し日にちを開けて聞くべきかな。)」

 そんな事を考えながらふと窓の外を見ると、対面の位置にあった病院の一室に、偶々寧々を見つけた。看護士さんに手伝ってもらいながら車椅子に座ろうとしている所を見ると、リハビリが一段落して、病室に戻ろうとしている所だろうか。寧々は、看護士さんに何度もお辞儀をしながら車椅子に座った。そして何かを話しながら廊下を移動していく。すると突然、寧々がきょろきょろと周囲を見回し始めた。そして、俺と目が合う。正確には錯覚であろうが、その瞬間から周りを見回すのをやめ、また看護師さんと会話しながら、俺の視界から消えていった。その後は特に何もなく、二杯目のコーヒーを飲み干した所で時間になった。

「そろそろ行くか」

 俺は勢いをつけて椅子から立ち上がった。結局、何を話すかは決まらなかった。

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