第8話(1-7)クーデターはほどほどに、ね その3

狭い通路。


互いの距離もさほど無いはずのこの空間は、今だけはとても広いものに感じられた。

視線でのフェイント。左に動くと見せかけて体の軸を右に傾けようとするも、先生の目は私の体全体を見ていてフェイントは通じない。結果、身動き一つなし。

先生が右足に力を入れ正面に踏み込もうと考える。がしかし、私はその足を直視し、動きを牽制する。

即座に反対の足へ重心を移す先生。私は右足を後ろへ下げることで常に先生を正面に捉えられるようにする。先生は私の動きを見て踏み出すのを止まる。側から見れば、ただ身じろぎしただけのように見えただろう。

互いに視線と細かい動作だけで攻防を繰り広げ、小手先の技が通用しないと見るや否や、会話での制圧を試み出した。


「桜。お前はいつもこんな速さでものを見てたんだな。」


「速いんじゃなくて、遅いんですよ先生。私のいる世界は、全てが遅すぎるんです。」


私は先生が階段を上がってすぐに集中状態に入っていた。にもかかわらず、先生は平然と私との会話を繰り広げてみせたのだ。むしろ慌てず制圧の手段を考えることができた私を誰か褒めて欲しい。


「それよりも先生。私のことは見逃してくれるんじゃ?」


「ああ、だがお前の後ろに行った奴らまで見逃すとは言ってない。まさか俺もあのスーツ二人だけで事が終わるとは思っていなかったが、学生のクーデターにも気づけないほど内部に侵入されていたとは思わなかったな。」


「はは、生徒自身が元々組織の一員だとは思わないでしょう。秋原君、顔いじってますからね。」


「秋原、か。似たような力を持っていたテロリストを知っていたが本人だとは思わなかった。それに日本で住んでいたことを示す書類等が全て偽装な上にそれを発見できなかったのは私たちの落ち度だ。しかし、だからといって大事な生徒たちを無駄死にさせるわけにもいかないんだよ、たとえお前の目的が脱出とは全く異なるとしてもな?」


そう言って先生は一歩強く踏み出し地を飛ぶ勢いで肉薄した。

先生の目が私の右腕を捉えるが、それはフェイク。私からほんの少し手前で右足を着地させた先生はそれを軸に水平に蹴りを入れてくる。私もフェイントに引っかからない技術はある。蹴り足に伴う力の流れに沿ってそっと左手で足の甲を押し出し、そのまま体を回転させ側面に回し蹴りを放つ。蹴りを放った体勢から側面をつく攻撃に対し、先生のとった行動はやはり回避だった。

体を回転させ、私の踵を左肘で受け止め、下方に流すことで私の体勢を崩しつつ威力を分散させた。私は下に流れた足が地面に着地すると同時に大きく体を沈め、先生の股下を狙う。下げられた肘を支点にして、先生の裏拳が私の側頭部を穿たんとする。私はその裏拳をあえてクロスした腕で受け、その力を利用して飛ぶように後ろに下がる。


「戦闘経験に関しては何とも言えないが少なくとも技術は俺並みかその下辺りってところか。いやはや、それに本来であれば異能がついて回るんだから、お前と言う奴は警戒されるんだ。そしてそれに付き合わされるのが俺なんだから、やってられないと考えるのも無理ないと思わないか?」


「いつになく饒舌ですね。あの日の夜みたいに唖然として名前を聞くくらいが丁度いいと思いますよ?」


「お前の方からそういうことを言うとは、やっぱりあの夜に俺が居合わせたこと自体バレてたってことだな。」


「流石にあれが原動力となっている者が、あの日見た人間の顔を忘れるわけないでしょう。」


「それもそうだ。酒を飲んだ次の日に部屋が少し荒れてたことがあったな。記憶を無くすほど飲んだとは思えないし、とりあえず本部に連絡したりしたんだが、やっぱりお前か?」


「ええ、きっちり調べさせてもらいました。もっともその時は貴方が誰と繋がってなんであの場に駆けつけたのかまではわかりませんでしたけど。」


「桜はあの頃からすでに隠密としての才能は無かったってことだな。侵入した形跡残しすぎだ。」


「泳がせたんですよ。きっちりとその後本部に連絡してくれたおかげで貴方の正体はわかりました。」


この発言には、さすがの先生も驚きを隠せなかったみたいだ。そりゃそうだ、私は普段細かいところで嘘を混ぜる。例えば部屋に侵入した痕跡をいつも残しておけば、いざという時隠蔽してもバレないし、何より侵入自体がバレても高度な隠蔽をした時点で私は候補から外れる。そして囮としても有用だ。今回の件のように得たい情報を引き出すことも可能なのだから、敵からもらう情報の取り扱いは注意が必要だろう。


「そんなことより先生。それ、辛いでしょう?やめたらどうです?」


「なんもなんも、毒素が身体中を駆け巡るぐらいなら、お前との本音の語り合いの邪魔にはならないさ。」


「本音、ですか。」


「ああ、桜。俺たち学院はお前達異能力者達の為にあるんだ。むしろ贖罪と言う方が正しい。それはお前も調べたならわかると思う。だから、復讐のために時間を費やすのはやめないか?俺たちと一緒に異能力者が安心して暮らせる世界を・・・」


「うるさい!!!」


声を張り上げて、先生の言葉を遮る。


「私の行動のすべては復讐のためにあるの。先生が見たあの夜から私は目的のために生きてきたの。それを無駄だと言い切れるほど、あなたの理想は高くはない。いい?異能力者は共存できないのよ。誰もが精神に異常を抱え、一生懸命普通であろうとしてる。それはあなた達普通の人間にはわからない。だから遠慮なく羨望の眼を向ける。自己のあるべき姿を見失わないように毎日自身の写真を眺めたり、たった一つの傷を消したいがために日々努力したり、爆弾を抱えたままいつ死ぬんじゃないかと枕を濡ららしたり、そういったすべてを理解したうえであなたは共存の道を探るわけ?冗談じゃない。私は普通に生まれたかった!普通に生きたかった!それを奪った奴らを私は決して許さない!!!」


感情が迸る、その勢いを体現するかのように疾走する。


ぶつけられた感情に対処しきれない先生は、簡単に接近を許してしまう。


腹部に対し、掌を当て、捻りを加えながら押し込む。下半身は右足を踏み出した状態で低く保ち、腕の捻りに合わせて腰から回転による力を生み出し、体重と合わせて突き出した右手に伝える。ただ殴るよりも数倍は重い一撃は、内臓だけを大きく揺らし、傷つける。


それだけで、簡単に先生は地に膝をついて吐血する。


「ぐはっ!まさか、まだ、はやくなるとは、よそう、がいだった、な。」


言葉を途切れさせつつ、そう言う先生。その体についている機械と戦闘服とが一緒になった代物を剥がし、体中に刺さったチューブと注射針を抜き去る。程なくして先生の体が私の体感速度帯から離脱したのを確認して、集中状態を解除する。


「ぐっ!!」


限界を超えて使用した結果、視界がぼやけ、足元がふらつき、吐き気まで出てきた。ほんと、だから戦いは嫌なんだよ。それにこのスーツ、私と同じ異能を発現させられるものがあるのは想定外だったし、よりにもよって先生が着るとは思わなかった。油断に油断を重ねた結果が今回のこの体たらく。本当に最悪の一言に尽きるだろう。


「先生。先生の理想は本当はよくわかります。けど、私が望むのは私の人生を狂わせた者、私の大切な人を奪った者、そして私の家族を殺した者とそれに関わった者達を殺すことです。その目的の為なら先生の理想なんてあってないようなものなんです。すいません、私、行きますね。」


「ああ、もうわかったよ。最後に一つ、あの日、守ってやれなくてすまなかったな。」


「・・・大丈夫です。彼女達の亡骸を抱えた時に、復讐する対象が出来て良かったと心から思えましたから。ただの事故じゃあ、私の怒りは世界に向けられただろうし。」


「それは、怖いな。それでも、あの日あの子達を救えていたらと、考えない夜はないよ。本当に、すまなかった。」


「わかりました。そしたらいつか償いとして頼み事を一つ聞いてください。それでちゃらにしてあげましょう。」


「悪魔との取引はしないほうがいいんだろうが、それでお願いするよ。」


「悪魔なんて失敬な。それじゃ、行きますね。」


仰向けに倒れたまま、親指を立てる先生。

それを見てから、さっと踵を返して最後の階段へと向かう。


厚い扉をスライドさせて、ついに私は何か月ぶりかの外の世界へ、足を踏み出した。


「よう、遅かったな。待ちくたびれたぜ、桜。」


ヘリポートの端に立ち、旋回する翼から発生する風を背に受けて、心太がそう声を掛けてくる。その足元には無残に体をコンクリートの槍で貫かれた同級生達と、おそらく秋原君の言っていた組織の者数名。皆一様に背中からグサリと刺されていて、息のあるものは、ほんの数名だけ。


「心太こそ、なんでこんな酷いことできるの。これ、あんたの能力だよね。こんなことするなんて見損なったわ。」


「随分と棒読みなセリフだな。」


「あいにく、感情はさっき吐き出してきたばかりなんだよね。それにあんたが私の標的だって確定した今私はすっごく嬉しいの。そのおかげで生まれた殺意を一生懸命堪えてるんだもの、棒読みにもなるでしょ?」


「おー怖い怖い。それじゃ、お前を殺して、最高の泣き面拝んでやるよ!」


「かかってこい、お前がしてくれたこと、きっちり返させてもらうから!」


両者が一気に臨戦態勢に入る。

心太は一瞬にして地面にもぐり攻撃の機会を探る。


しかしすでに私の姿はヘリポート上には無く、私を見失った心太は顔だけを地面から出して声を掛けてくる。


「おいおい、どうせ異能はもう活動限界を超えてるんだ。逃げるのが精一杯で今頃血でも吐いてるんじゃないだろうな?」


「んなわけ、あるかって。」


「は、そこかよ!」


建物に通じる扉、それを覆うような小屋の屋根に姿を現した私。

それを発見した心太はコンクリートの槍を数本作り出し一気に私へと殺到させる。


「はあはあ、心太てば、異能の限界隠してたんだね。明らかに自分の体積以上を操ってるじゃん。それずるくない?」


「桜こそ、まだ使えんだな。そっちは相当ガタが来てるみたいだがな!!」


一時的な集中状態となって槍だけを躱すも、全身を走る痛みによって地面に転がる私。それを好機と見た心太は私の身動きを封じる為に手足を狙ってコンクリートの槍を飛ばす。無様に転がりながら槍を躱すも、壁際へと追いやられ、一歩も下がれない状態に。


「おいおい、学年最強様が、土にまみれて無様に這いつくばるとは。これだから殺しはやめられないよなぁ?」


「ほんと、その性格を二年も隠していたと思うと、類い稀なきその演技力に脱帽だよ。」


「最高の舞台を用意して、最高潮の歓喜を刈り取り、最大の絶望に歪む顔を見たい。ただそれだけのためなら、俺はいくらでも善人になれるし、いくらでも嘘をついてられる!すべてはただこの瞬間のために!」


「虫唾が走るね。サイコパスにすらなれない、ただの哀れな力におぼれた人間じゃない。どうだった、私の家族を殺した感想は?」


「ああ?どいつのこと言ってんだ?俺は異能に覚醒してからもう何人も殺してんだ、きちんと特徴を言ってもらわないと困るぜ。」


「教会。薄汚れた一人の青年にご飯をせっせと運ぶ子供達。暖かい毛布を掛けてあげる優しいシスター。ここまでいってまだわからないの?」


「・・・・・・ああ!いたいた!そんなやつら!あれは傑作だったぜ。殺そうと思って近づいてきてるやつに一生懸命優しくして、殺される瞬間まで他者を思いやるその姿勢には感服したよ。だから全員生首だけ揃えて祭壇に並べてやってよ。あとから買い出しに行ってた女の子がそれを見て泣き叫んでたのを見たときは思わず勃っちまったよ!邪魔が入らなきゃあのままそいつを殺しって・・・・ってもしかしてそれお前かよ!!!!そりゃ傑作だ!!!!どうだったあの時の気持ちは・・・」




「黙りなさい。」




『ズバン!!』


突如として振りぬかれた拳によって顔を変形させ血を噴き出しながら吹き飛ぶ心太。さっきまで私の復讐対象が立っていた場所には、すらりと伸びる黒髪を風に靡かせ、火の手が上がり始めた施設内をバックに佇む平沢茜の姿があった。


「遅くなってごめんなさい。みんなを探すのに手間取って。」


「良いよ、茜ちゃんサンキュ。でも後は私がやるからそこで待ってて、お願いしていい?」


「うん、了解しました。」


それじゃ、後のことを心配する必要も無くなったし、さっさと終わらせちゃいますか。


「くっそが!!痛てぇ!!!誰でもいい!!!ぶっ殺す!!!!」


「ねえ、異能には段階があるんだよ。異能の発現が第一段階。そして異能の習熟が第二段階。限界を伸ばすのが第三段階。ある程度まで異能の限界を伸ばしてから応用の幅を広げだすのが第四段階。心太はいま第四段階に居るんだよね。」


「は?何の話だ?」


「この話は学校で習う話でしょ。でもね、その先があることは学院の上層部しかしらないの。」


「は?だから何が言いたいんだよ!!!」


「察しが悪いのは、良くないね。能力の限界を超えることが第五段階、通称『ブレイクスルー』。ねぇ、私どこにいると思う?」




「え、は?」




「『ブレイクスルー』、そう言ったんだよ。ちゃんと人の話を聞け。」


わざわざ声に出して変化を告げる。明確に、その目に焼き付けさせるために。


私という、死の恐怖を。

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