恋愛なんて、バッドステータスの一種です

銀木犀

序章 価値観の押し売り、ダメ絶対

 吾輩は人である。名前はもうある。

 どこで生まれたのかも知っている。兄が生まれたのと同じ小さな産婦人科で、兄よりも500gほど少ない体重で生まれてきた。それはそれは元気な産声で、精根尽き果てた母は、感動に咽び泣いたという。

 この世に生まれて三十年。

 ただ泣き声をあげるだけで母を感動させ、九九が諳んじられるようになっただけで拍手された時代はとうに過ぎ、「とうが立ったな」なんて揶揄される年齢に片足を突っ込んだ。

 人間という生き物は、残念ながら、猫のように惰眠を貪るだけで写真に撮られ、SNSを席巻し、可愛い可愛いと持て囃される生物ではない。日向でごろんと寝転がって、お腹がすけば飼い主に擦り寄り、小さく一声鳴くだけでおまんまが食べられる生物でもない。いや、こんなことを言ってしまえば、たくましくコンクリートジャングルで生きている野良猫達に怒られてしまいそうだが。

 ……閑話休題。

 つまり、人間は、例えどんなに嫌なことであっても、時に我慢し、享受しながら生きていかなければならない、哀しい生き物なのだ。


 話は変わるが、何故人間という生物は、「同窓会」という悪しき風習を令和の時代になっても続けているのだろう。

 頑なに参加を断り続けて十余年。三十の節目だからとしつこくゴリ押され、とうとう観念して参加することになった同窓会で、チベットスナギツネ宜しくボーっと枝豆を貪り喰らう。

 アルコールを受け付けない体質が故に酔うことも出来ず、別に会いたくもなかった旧友達の姿を眺め、無為に過ぎていく時間を享受する。この無駄な時間を別の有意義なことに使いたいと願うのは我が儘だろうか。

 三十路を迎えた女が集まれば、酒の肴など決まっている。即ち、恋愛、結婚、妊娠、出産、不倫、離婚のいずれかだ。

 中には預けられなかったからと言って、子連れで参加する者もいる。別に子連れで参加すること自体はいい。普段頑張って子育てしているのだから、少しくらい羽目を外したいという主張も納得出来る。だが頼むから、独身女に子どもの世話を押し付けるな。

「子育ての大変さ体験してみなー」なんて教師面して言われた日にゃ、心の中で必殺技のアクションコマンド連打している。そも、人間が須らく子ども好きだと思っている輩が一定数いるのも問題だ。世の中には子どもが心底苦手な人間だっている。

 誰の子どもかさえはっきりしない、暇を持て余した不機嫌な子どもを寝かしつけ、ようやくご飯が食べられるとテーブルに向き直れば、既に食い散らかされ、空き皿だけが並んだ不毛地帯。ここは地獄か。

 同窓会なんて、結局のところ、ただのマウント合戦だ。

 同級生の誰よりも自分が幸せになっていないと気が済まない人間ばかり。自分は負け組なんかじゃないと自分自身に言い聞かせるみたいに。「少なくともあの人よりはマシな人生ね」と安心するための場所。

 男がどうなのかは知らないが、女の幸せの定義なんて、単純だ。結婚しているか、していないか。それに尽きる。

 どんなに仕事に成功していようと、日々が充実していようと、結婚していないイコール負け犬なのだ。

 これ見よがしに憐れみの目を向けられて、「アンタいい子なのになんでだろうね」だの、「アンタならその気になればすぐ結婚出来そうなのに」だのと眉を垂らす。果ては集まった旧友達に向けて、「みんなー、この子にいい人紹介したげて!」なんてのたまう始末。余計なお世話の例として、ぜひ広辞苑に掲載してほしい所存。

 それでも、残念ながらこの国では、空気とは吸うものではなく読むものなのだ。この程度で不機嫌な顔をしたら、「そんなんだから結婚出来ないんだよ」なんて嗤われる。これ以上ストレスを感じる要因を、自分で増やすのは得策ではない。

 結果、お茶を濁す曖昧な笑みを浮かべながら、「もぉーやめてよー」なんて情けない声をあげることしか出来ないのだ。ピエロめ。


 吾輩は人である。名前はもうある。

 社会の歯車として働くその他大勢の内の一人。取るに足らない有象無象。

 ただ、人と僅かなり違うところがあるとすれば、セクシュアリティが他者と異なるという点だろうか。

 アロマンティック。それが一応のところ、自分自身が分類されるカテゴリの名称なのかもしれないと気付いたのは、二十五を過ぎた頃だった。セクシャルマイノリティという言葉が広く知られるようになった昨今でも、あまり知る人のいない手合い。

 端的に自己紹介をするならば、「他者に対して恋愛感情を持たないセクシュアリティ」である。まさしく読んで字のごとく、他者に対して“恋”という感情を抱くことがないのだ。

 若い頃はそれなりに悩んだりもした。自分はとんだ薄情者だと自己嫌悪に陥ったこともある。恋人が出来ても、相手が求める感情を返すことが出来なかった。大抵の場合、「どうせ俺のことそこまで好きでもないくせに」という言葉で関係が終わる。自分なりに相手を大切にしているつもりでも、それは愛情や友情であって、恋ではないらしい。


「ねーさっきのアレ、どう思う?」

 人生三十年。生きてきて学んだことは、価値観は人それぞれということ。

 自分自身が、セクシャルマイノリティという一般的ではない価値観の元に生きているが故に、他者から価値観を押し付けられることが嫌いだった。何が正しくて、何が間違っているのか。そんなもの、人によって異なるものなのに、まるで自分こそが正しいのだと我が物顔で価値観を押し売りしてくる人間が苦手だった。

 けれど、あまりにもしつこく、「今恋してるの?」だの「彼氏はいるんだよね?」だのと言い募られ、我慢の限界を迎えた結果、苛立ち任せに自分がアロマンティックであることをカミングアウトしてしまった。

 理解してくれなんて、贅沢なことは言わない。自分自身が、相手の価値観を理解出来ないのに、相手にばかりそれを求めるのは傲慢だ。

 ただ、価値観が違うのだから、もう放っておいて欲しいとは願ってしまう。今の自分が好きで、今の人生が好きで、毎日が充実している。私は今のままで幸せなんだよと、勢いに任せて言い放ってしまったのが、馬鹿だった。

 少々驚いたような顔をして、「そうだったんだ」と頷いてくれた旧友達。思えば、あのタイミングで帰ることを選択していれば、こんな想いをすることは、きっとなかった。

「アロマなんちゃらでしょ? 笑いそうになっちゃった」

「自分は他とは違いますーって。結婚出来ない言い訳にしては、痛いよね」

「あれはもう開き直りでしょ。結婚を、結婚に言い換えて、自分自身を納得させてるだけだって」

 何故女は、トイレ内で秘密の話をするのだろう。トイレとは元来、便意をもよおした人間が用を足すために訪れる場所であって、断じて井戸端会議を行う場ではない。

 便座に座ったままという間抜けな格好で、頭を抱える。

「でも昔から、あんな感じじゃなかった? 私は他と違いますみたいな雰囲気出しててさ。三十過ぎても変わってないって思ったもん」

 それは中二病であって、セクシャルマイノリティとは無関係だ。別に中学生が中二病を発症してたって良いだろうが。現役なのだから。

「あの子、普通に乙女ゲーとかもやってたじゃん。それで“恋愛感情ありません”とか言われてもねー」

「あれじゃない? 二次元にしか恋出来ない的な?」

「うわー、それ言っていいの10代まででしょ」

 乙女ゲームに自己投影して楽しむゲーマーを否定するつもりはないが、自分はその限りではない。普通に第三者目線神の視点でストーリーを楽しむ派だ。

 そして二次元にしか恋が出来なくてもいいじゃないか。ある意味で見返りを求めない究極の無償の愛アガペーだ。少なくとも、保育園のママ友の旦那に手を出した、なんて下世話な話よりよほど健全で純粋ピュアだと思う。

 女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、旧友達はその後も化粧直しをしながら、ペチャクチャと楽しそうに会話を繰り広げていた。

 パンツを下ろした情けない格好で、便座に座って両手で顔を覆う。万が一にも、この会話を聞いていることを悟られたくなくて、唇を引き結んだ。

(泣くな泣くな。ここでは泣くな)

 目頭に念を送るように、手のひらを瞼にぎゅっと押し付ける。

 ふと、テレビで見た、LGBTの人々のデモ行進の映像を思い出した。虹色のフラッグを手に、男も女も入り乱れて歩いている。自分の好きな服を着て、自分の好きな人と手をつないで、真っすぐに背筋を伸ばして歩いている。

 ゲイやレズだって、人を好きになる。セクシャリティの真ん中に、愛がある。誰かを好きになれる。それを見た人々が、触発されて声高に言う。「人を好きになることに、一体何の罪があるというのでしょう」と。

 彼らに縋りついて、尋ねてみたくなった。――――じゃあ私のような人間は、どう生きれば、こんな想いをせずに生きていけるのでしょう。


 吾輩は人である。名前はもうある。

 もとよりアルコールは身体に合わない。アルコールパッチテストでも肌が爛れた。においを嗅ぐだけで気分が悪くなる。それでも――――帰りがけのコンビニで、飲めもしないビールを三本購入した。

 宴もたけなわ、解散した同窓会の思い出など、記憶から消し去りたい。二次会に誘われたが笑顔で断った。二度と参加するか。

 一人暮らしのワンルーム。奮発して買った大型テレビの前に、人をダメにするクッションを置いて、ごろんと上に転がった。床に無造作に転がったコンビニ袋の中からビールを一本取り出して、カシュっとプルタブを起こす。

 正直な話、ビールを美味しいと感じたことはない。舌の先を針で刺されたようにぴりりと走る炭酸。腐っているかのような苦み。某名前がない猫よろしく、良薬は口に苦しと言い聞かせて飲まなければ、一缶だって開けられない。

 アルコールが喉を滑り落ちる感覚が実に不快だ。カッと胸が熱くなって、喉にしこりが出来たような感覚に陥る。「うぇ」と低い唸り声をあげながら、据え置き型ゲーム機のスイッチを入れた。

 ぼやぼやと目元が熱を帯び始める。心臓が引越ししましたと言わんばかりに、耳元でドクドクと音がする。うっかり缶に手の甲が当たって床にビールがこぼれても、慌てて缶を起こして、おざなりにティッシュで拭うだけ。丸めてその場に置き去りになったティッシュの、何とも無様なこと。

 まるで今の自分の心のようだと思って、自嘲。なんだそのポエティックな思考回路は。

 某名前がない猫のように、二本目からは飲むのが楽になってくれれば良かったのだが、残念ながら何度飲んでもビールはただただ苦いだけ。

 歌いだしたい気持ちになることも、猫じゃ猫じゃが踊りたくなることもなく。ただただ、世の中全部糞くらえという投げやりな気持ちになった。

 人に恋が出来ないということは、そんなにもいけないことか。誰かを好きになることが出来ないというのは、欠陥か。ただというだけで、人生そのものを“失敗”だと嗤われるのか。

「忘れろ忘れろ」

 頭の中でぐるぐると巡る思考を追い払うように、コントローラーを握り締めた。雑念を払いたくて、愛用のヘッドホンを装着する。低音の響きが非常に良い、お気に入りだ。

 くたばれ。

 くたばってしまえ、恋愛脳ども。

 呪詛のように、胸の内で叫ぶ。画面に映る青年が、身の丈ほどもある大きな剣を振り回しながら、敵をバッタバッタと薙ぎ倒した。例えオーバーキルと言われても、今だけは許してほしい。そう思いながら、わらわらと無限湧きしてくる雑兵を薙ぎ倒す。


 慣れないアルコールを摂取していたこと。ヘッドホンをつけて、大音量でゲームをしていたこと。やけくそになっていたこと。果たしてどれが原因だったのか。いや、むしろ偶然その三つが一致していたことによる悲劇と言うべきか。

 意識が朦朧とするほどの熱を感じても、アルコールのせいだと思っていた。奮発して買ったヘッドホンは遮音性が高すぎて、周りの音なんか聞こえなかった。鼻水だらだら流しながら、ボロボロに泣いていたから、異臭にも気付かなかった。何なら花粉症だった。


 まさか、下の階に暮らすDQN系バカップルが、煙草の火を十分に消すことなくしっぽりいったせいで、アパートが炎に包まれているなんて。一体、誰が予想出来ようか。


 某名前のない猫は、ビールに酔って溺れて死んだ。

 名前のある“私”は、ビールに酔って焼けて死んだ。


 なんて笑えない――――幕引き。

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