お出かけ日和 上

 普段から家で仕事が出来る彼の生活は、オンとオフを分ける境界線が曖昧な物になりがちである。

 一見すればそれは自分の時間を作りやすいと受け取れるが、それは実際には普段の日常生活を行う時間すら仕事に食われてしまう可能性があるという事だ。

 定期的に書き続けている連載物の原稿の制作はいつも予定内に終わってはいるが、一つ特別な仕事を請け負った場合、その仕事量は彼のキャパを容易に上回り膨らんだ作業量が彼の生活を圧迫する結果となってしまう。

 事実、つい最近がまさにそんな生活だった。

 月刊誌で連載されている推理小説と、中高生向けのファンタジー小説の原稿はいつもの事であり、余裕を持って納期を迎える事が出来る仕事だった。

 だがそんな時、ふと読み切りの短い話を書いてくれと言う簡単な仕事が入ったのだ。

 元々特別に収入が多い訳でも無いのにも関わらず、全く安定しない収入源を持つ彼にとってそんな小遣い稼ぎの仕事は断る理由の無い仕事だったが為、彼は二つ返事で返事をして仕事を請け負った訳だが、それが余計だった。

 予めストックしておいたプロットを元に話を書く作戦は良かったのだが、いざ原稿を書いてみると細かな箇所が出版社の気にくわなかったらしく、その修正を加えるために原稿を一から書き直す事になった。

 結果、膨らんだ作業量を処理するため、彼は特別な理由が無い限り一日中部屋に籠もり、食事の時間や睡眠時間を削り、挙げ句の果てには予約していた病院の予約すらキャンセルを入れて仕事をすることになった。

 おかげで原稿は納期に間に合い、やっと彼は束の間とはいえ、自分の時間を取り戻す事が出来たのだ。

 「……ん……」

 だからこそ、朝目覚ましをかけずに好きなだけ寝る事は至福の瞬間そのものである。

 長々とせわしなく続いていた日常からふと切り離され、自分自身がルールとして決めたつかの間の休息、それをむさぼっていた音無は、ふと自分の下腹部にのしかかる違和感に顔をしかめて寝ぼけたまま呻く。

 「……ん……ん?」

 何事かと音無は少しだけ目を開け、十二分に高くなった日の光に照らされたフォスの顔を見て疑問符を浮かべる。

 少年の様に短く切りそろえられた黒髪にアメジストの様な紫の瞳、そして相変わらずの魔女っ子衣装の彼女は、何を思ったのか床で寝ていた音無の上、馬乗りの姿勢のまま彼の胸にそっと両手を当てる。

 「……ちょっとフォ――!! はうっ!」

 何をしようとしているのか聞こうとした音無だが、彼がその言葉の先を言うよりも速く、フォスが問答無用で全体重をその両手に乗せてくる。

 当然、小柄な相手とはいえ何の構えも無く人一人の体重を胸で受け止めた音無は肺の空気を全部吐き出し、そのまま床の上で悶絶をする。

 「……ぐ……かはっ! フォ……フォス……」

 「良かった、生き返った様だな」

 「何が……?」

 突然振るわれた謎の暴力にもんどりを打った音無だが、暫くして冷静さを取り戻すと彼は何故か得意げに鼻を鳴らすフォスに問いかける。

 「あのさ……朝っぱらから何をしてるの?」

 「人命救助という奴だ」

 彼女なりの満面の笑みなのだろう、少しだけ目の端を吊り上げた彼女は予想外な答えを紡ぐ。

 「いや、人命救助って……一体誰が死にかけてたと言う気なの?」

 「決まってるでは無いか、拓斗、お前だ」

 「……やっぱりそう来たか、一応聞くけどさ、どうして僕の命が危ないと思ったの?」

 あえて触れなくともなんとなく納得が検討が付いていていた音無は、頭を手で押さえたままその先に続くであろう突拍子も無い答えに耳を傾ける。

 「当たり前だろ、拓斗はさっき死んでいたのだ」

 「違うよ! 死んでいたんじゃ無くて寝てたの! ぐっすりと寝てただけで別に全然死んだりとか、そう言うのじゃないんだから!」

 この時何故か脳裏をよぎった『ツンデレ』の四文字を無理矢理追いやると、音無は更に言葉を繋ぐ。

 どうにも、この魔女の目には、ぐっすりと眠る行為が死んでいる様に見える様であり、彼女なりの対処法として見よう見真似の心肺蘇生したと言うところだろう。

 「あのね、心配してくれるのはうれしいけど、わざわざ寝てる人を起こしちゃ駄目なの」

 「どうしてだ?」

 「どうしてって、気持ちよく寝てるからだよ」

 「……寝るのは気持ちが良いのか?」

 自分でも訳が分からない理由を述べた音無にフォスは率直な疑問を投げ、これといって異論の無かった音無は、短く頷くと同意を述べる。

 すると、突然フォスが前のめりに倒れ、上体を起こしていた音無の胸に身を預けた。

 「……えーと、フォス、君は一体何をしてるのかな?」

 「私だって気持ちよくなりたいのだ」

 彼女はあくまでも音無の言葉の意味を理解し、『気持ちよく(惰眠をむさぼり)たい』と言ったのだろうが、一応念のためと彼女に寝室を譲り自分はリビングで眠ると言う選択肢を取った彼にとっては、その言葉が別の意味に聞き取れてしまう。

 「どうしたのだ拓斗? 一緒に寝て気持ちよくなろうではないか」

 「あーえーと……うん……フォス? 君には自覚が無いみたいだけど、その言葉は今後特別な理由が無い限り絶対に男の人には言ったら駄目だよ」

 「どうしてだ?」

 胸を圧迫されたのとは別の理由で暴れる胸を押さえ紡いだ説教に、フォスは全くもって意味が分からないと言った具合に返事をする。

 「どうしてって……兎に角! 色々誤解を招くから駄目なの!」

 魔法使いに貞操概念が無いのか単に彼女が無知なだけなのかは不明だが、とりあえず無理矢理にそう答えた音無に、フォスは小さく首を傾げた後に追加の質問を投げた。

 「よく分からないが納得しよう、ところで拓斗、判らない事ついでにもう一つ疑問に答えてくれないか?」

 「何?」

 寝起き早々変な頭痛を覚えつつも、音無は投げやりにそう答えてから布団代わりに使っていたラグへと再び寝転がる。

 すると、フォスはもぞもぞと彼の上で腰を動かしてから、一切の曇りの無い純粋な瞳で質問をした。

 「拓斗、さっきから気になってるのだが、さっきから拓斗はズボンの中に何を入れているのだ? ずいぶんと固――」

 「ストーップフォス!! いいから何も聞かずに早くこの部屋から出てって!!」

 そこまで聞いた音無は、彼女が何について質問しようとしたのか瞬時に悟り、力任せに彼女を突き飛ばすと、下半身を隠す様に毛布をたぐり寄せる。

 「……な、何だ拓斗、見られてはいけない物なのか?」

 「いけない物なの! っていうかフォスが見たら駄目な物!」

 「どうしてだ?」

 「兎に角駄目なの!」

 そう強く言い、音無は目を白黒させたままのフォスを部屋から追い出すと、頭に手をかぶせてから深く深呼吸をする。

 「……何処のラブコメだよ……」

 皮肉と溜息をいっぺんに吐いた音無の脳裏を、ふと先ほどのフォスの言葉がよぎる。

 「まどろむ時間すら無駄なのか……」

 それは昨日の夜、彼女が言っていた言葉だ。

 魔法と呼ばれる力はこちらの科学よりも明らかに便利であり、大抵不可能とされている事を現実に引っ張り出す技術だ。

 空を飛び、空間を渡り、重力の無視すら出来てしまう力。

 そんな夢の力は魔法使いにとって全てであり、その力をより効率的に行使できる様、魔法使いは己の力で自身の体を強化しているという。

 例えば感覚の強化や代謝の制御、身体の老化を止めたり傷の早期治癒など、勿論そんな体の『最適化』は、睡眠という人として当然の行為すら例外では無い。

 つまり彼女は、自身の睡眠欲を魔法により殺し、必要なだけの睡眠が得られた場合、まどろみの瞬間も無く目覚めるという。

 確かに朝があまり得意では無い音無にとって、時計のタイマーが鳴るよりも速く一瞬にして目覚める事が出来る目覚めの良さはうれしいかも知れないが、言い方を変えれば、朝重い瞼をこすりながら、暖かな布団の上で寝返りを打つ僅かな時間すら無いと言う意味である。

 「寝たいから寝るんじゃ無くて、寝ないといけないから必要なだけ寝る……か」

 その感覚は音無にも判らなくは無い。

 原稿の締め切りが近づいた時、彼は食事の時間すらもったいなく思い、決まって適当なインスタント食品を空腹を紛らわせるためだけに使う。

 人としての本能すら邪魔に思い、普段は時間を使う行為を省略する事はある種の中毒性すら感じさせはするが、同時に人として大事な何かを捨てる感覚に見舞われるのだ。

 勿論、音無の場合そんな期間は締め切り間際の僅かな時間だけだが、フォスは違うのだ。

 彼女にとっては、寝るという行為があくまでも体の疲れを取るだけの行為であり、惰眠すら取ることが許されない彼女の生活という物が一体どの様な物なのか、その事を考えた音無は少しだけ気が重くなるのだった。






 刺さる様な視線を浴びながら、音無はやっぱり彼女には普通の服装を着せるべきだったと後悔して早二時間。

 彼は今、町中にある大学病院の待合室で激しい頭痛に襲われ呻いていた。

 理由は説明するまでも無く、フォスだった。

 「どうしたんだ拓斗? 気分が悪いのか?」

 「……いや、大丈夫だから」

 「本当に大丈夫か? もしかして朝布団の上でのアレが激しすぎたか?」

 「だから! そういう事言うと変な誤解生むから!」

 彼女の言うアレとは、あくまでも力任せな心臓マッサージの事なのだが、ただでさえ先ほどから注目を集めている彼女がそんな事を言えば、余計な注目を更に集めるのは当たり前である。

 「誤解とは何だ? 一体どんな誤解を生むと言うのだ?」

 「……あーもう……、兎に角、病院にいる間は静かにしといて」

 説明するのも野暮だろう、ここで下手に何か知識を吹き込んでも、余計な事を言いかねないと判断した音無は、曖昧な返答で会話の腰を無理矢理折りたたみにかかるが、そんな彼の意図を読み取れないのか、フォスは純粋な瞳で問いかける。

 「ところで拓斗、この病院とは何をする場所なのだ? まさかずっと椅子に座ってるじゃあるまいし」

 「ああ……そうか、魔法使いは病気にかからないんだっけ?」

 「病気とは呪いの様な物だと聞いたが」

 病気という概念がなければ病院の利用価値が理解出来ないのも道理ではある。

 音無は少しだけ溜息を吐いた後、子供にそうする様に丁寧に病気について説明し、ついでに自分が患っている、ナルコレプシーと呼ばれる病について再度説明をした。

 「ほう、前に話してはいたが……そうか……」

 ふとそこまで反芻しふと何かを思い出した様に明後日の方向に目を泳がせる、そんなフォスにとっては非常に珍しい仕草に、音無は疑問符を浮かべて問いかけた。

 「どうかしたのフォス?」

 「……いやな……昔話をな……」

 「昔話?」

 音無の問いかけに、フォスはほんの少しだけ歯切れ悪く答えた。

 「私の先輩の体験談を思い出しただけだ……」

 そう言い、フォスは首から提げていた髑髏型のペンダントを手に取り、何かを誤魔化す様に小さく揺らしてみせる。

 「私の先輩に、フェルカ・カルパルネルと言う魔女が居たんだが、その魔女が使った呪いと拓斗の病気がよく似てた事を思い出してだな」

 「呪いって……ちょっと待って!? その呪いって、もしかして七不思議の一つとして使ったって事?」

 音無の疑問に、フォスは何の感慨もなく答える。

 「そうだが、私達はこちらの世界じゃ誰かの願いを叶えるためにしか魔法を使えないからな、別におかしな事ではないだろ?」

 「いや……おかしいよ」

 何がおかしいのか一切理解出来ていないのだろう。

 形容しがたい不快感を覚えて黙り込む音無を見て、フォスはその不快感の意味をたどるべく質問を投げる。

 「何がおかしいのだ? 願いが誰かを傷つける事だとしても、それは別に不思議な事じゃないだろ?」

 「……フォスは嫌じゃないの? 大切な魔法を復讐とか嫌がらせの為に使うなんて」

 「何故嫌なのだ?」

 フォスの即答を聞き、音無はその言葉の意味を理解して言葉をなくす。

 確かに音無にとって魔法は奇跡そのものだが、フォスにとっては何てことのないありふれた技術なのだ。

 どんな技術でも、最初のうちは平和の為に使うが、その数が増えた途端悪用されるのは良くあることだ。

 ダイナマイトとして使われていた便利な火薬は、人を殺す銃に派生し。

 空を自由に飛べる飛行機は、いつの間にか爆弾を投下する爆撃機へと進化した。

 ありふれた技術だからこそ、その技術を汚すことに何のためらいもないのは道理であり、フォスが魔法を呪いに使うのも納得ではある。

 だが、それ以上に音無には理解出来ない部分があった。

 「いろいろな事を差し置いて、自分が得するよりも他人を傷つけたい。

 そう思うのってどんな気分なんだろう……」

 音無の呟きに、フォスは静かに答える。

 「私には判らない。

 だが拓斗、私はお前の道具だ、お前が誰かに復讐をしたいのなら、私は喜んでその願いを叶えてやるぞ」

 「道具ってあのね……まあいいや」

 フォスはいつもの決まり文句を唱えてみせる。

 その声に自分が道具として使われる事への嫌悪感は含まれておらず、寧ろ何処か割り切った上で、道具としても役目が与えられる事への期待すら感じた事に音無は眉を寄せるが。

 直ぐに自分の名前が呼ばれたために席を立ち、受付へと行き薬の受け取りを済ませてから彼女に手招きをしてから病院の自動扉を開く。

 あちらの世界では機械が珍しいのか、来るときと同じく彼女にしては珍しい表情を浮かべながら扉をくぐると、何処か不安そうな表情を誤魔化すためか、音無が持っていたビニール袋を指さす。

 「拓斗、これは何だ?」

 「……ん? 薬だよ薬」

 「薬? 何だそれは?」

 「あれ? フォスの世界にも無いの?」

 「聞いたこと無いな」

 ついつい、魔法使いと言うと大きな鍋の薬をかき混ぜている古典的なタイプを想像してしまう音無は、勝手にフォスも魔法の薬を作るのだと思っていたために少しだけ面食らう。

 しかし、良く考えて見れば、彼女の世界に薬が無いのは当然ではあった。

 様々な物質から有効な成分を抽出し、それらを組み合わせる事で人間にとって便利な薬を生み出す技術は、そもそも科学の延長線上に位置する物だ。

 それとは違い、魔法と呼ばれる技術がある彼女の世界では、わざわざ薬なんて物に頼らずとも魔法そのものを使えば良いだけの話なのだ。

 現に彼女は魔法を使うことで自分の体を最適化していると言った、それなら、風邪をひこうが怪我を負おうが、呪文一つで無かった事に出来て当然である。

 「えっとね、どう言えば良いのかな。

 薬っていうのは、こっちの世界で生まれた魔法の様な物だよ」

 「つまり、それを使えば空を飛んだり腕から炎を生み出したり出来ると言うことだな?」

 「……いや、それは無理かな」

 思ってもいなかったレベルまで跳ね上がった会話の位を落とすと、音無はもう少し詳細に説明をする。

 「魔法みたいな技術っていっても、これで出来るのは体の不調を治したり誤魔化したりする位だよ」

 「なんだ、魔法とよく似ているじゃないか」

 「そうなの? 魔法なら、誤魔化すどころかどんな不調も治せそうだけど」

 「確かに不調は治せるが、呪いは誤魔化したりするのが精一杯だったりもするんだ」

 『怪我や病気の類いなら全部治せるのかよ』という文句が喉元まで出かけたが、話がややこしくなるとすんでのところで飲み込んだ音無は、かまわずに話題を進める。

 「って事は、もし仮にこっちの世界で呪いをかけられた人が居たとしたら、その呪いは解くことが出来ないって事?」

 「まぁ解呪が簡単だったとしても、誰もが必ずしも魔法使いと会えるとは限らないからな」

 言い方を変えれば、それなりに高い確率で魔法使いと出会うことが出来る。

 そうとも取れる彼女の言葉が引っかかった音無は、会話の腰を折ると率直な疑問を彼女に投げてみる。

 「ちょっと待ってフォス、もしかして魔法使いって結構な数がこっちに来てるの?」

 いつも通りなら、直ぐに返事をしてくれるおと思って居たのだが、このときばかりはフォスは表情を重くして口を噤むと、何か考え事を始める。

 「どうしたのフォス?」

 「……いや、何でも無い、どうせ聞いたところで面白くも無い話だ」

 曖昧に嘯くフォスが気になった音無は、ひたと足を止めてから話しかようとして、直ぐに口を噤んだ。

 彼女に詳細を訪ねる事は可能だ。

 だが、何故か脂汗を浮かべる彼女にそれ以上の爆弾発言を加えるのはかわいそうだと感たのだ。

 どうせ魔法使いはこちらに世界では目立ちすぎてはいけない、そのルールが関係しているのだろうと音無は無言で判断する。

 だからこそ正確な情報を音無に伝えることが禁じられて居るのだと思った彼は、不思議そうにこちらを伺うフォスに曖昧に笑みを浮かべ、歩みを再開した。

 「魔法使いか」

 小さく呟いた一言を転がし、不意に脳裏を疑問符が叩いた事に気づく。

 彼女は隠したつもりの様だが、こちらの世界にはそれなりに多くの魔法使いがやって来ている事になる。

 そしてその魔法使いはそれぞれ、人々の願いを叶えることで己の技術を鍛錬している。

 そこまでは無理矢理にも納得が出来る、魔法はこちらの世界には無い特殊な力であり、そんな技術の練習に魔法が存在しないこちらの世界が無理矢理つきあわされている。

 新薬の開発の際、薬に対して免疫を持たないラットを実験体として使うのは道理であり、何かしらの処置の練習にそれらの実験体が使われる事を鑑みたら、こちらの世界そのものが実験体として使い勝手が良いのも納得だ。

 だが、そうとなれば一つ矛盾点が生じてくる。

 それは――

 「拓斗、今日もスパゲテーを作るのか?」

 「スパゲテ? ああ、スパゲティの事か……」

 音無の脳裏に湧いていた霧の様な疑問が明確な形を成して矛盾へと変わるその瞬間、思い出した様に紡がれたフォスの一言によって霧散してしまう。

 「また食べたいの?」

 「いや……そのなんだ? ただ気になっただけだが……」

 時計の針を確認してそろそろ昼時だと知った音無は、少しだけ恥ずかしそうにそっぽを向いて本音を隠そうとするフォスに笑いかけると、これから昼食の材料の買い出しに行こうと提案し目的の方向を指さす。

 何かと感情が読みにくいが、少なくとも彼女がどんな魔法使いなのかつかめた事がうれしかった音無は、ふと脳裏をかすめた疑問を棚の奥へ放り投げると、代わりに料理のレシピを思い出してから口を開く。

 「昨日はミートスパゲティだったから、今日はカルボナーラかな、それともペペロンチーノって手もあるか」

 「なんだそれは? スパゲテーの仲間か?」

 「まぁそんなところかな、あ、でも折角なら……」

 病院の前の交差点で立ち止まり、視線を動かしこのそばにパスタの専門店があることを思い出して彼は口を開く。

 「よし、外食といこう」

 「ガイショク? それもスパゲテーの仲間か?」

 「いや、それは仲間じゃ無くて――」

 「敵か!? スパゲテーの敵か!?」

 「敵ってどういう敵だよ……」

 予備動作の一切無い彼女の勘違いに戸惑いつつ、音無は長い溜息の後丁寧に説明をしながら足を進める。

 この魔女とのやりとりは非常に疲れる。

 だが、苦労するが故に楽しく、折角ならそんな日常を提供してくれる彼女を楽しませよう、そう思った彼は少しだけ奮発して近くの店へと足を進める事にした。

 「つまりカルボナーラってのは牛乳と卵で――」

 「牛乳とは四足歩行をする草食獣の母乳の総称だな?」

 「いや、まぁ合ってるけど、何その微妙にズレた認識は……」

 苦労はする反面楽しい会話する音無の脳裏からは、先ほど湧いた疑問は消えて無くなっていた。

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