共同生活は何かと大変 中
一人暮らしの男の部屋にしては良く整理されている部屋、言い方を変えればその程度の事でも特徴として上げなければ個性の欠片も無くなってしまうごくごく当たり前の六畳間。
部屋の隅には37インチの液晶テレビが簡素なテレビ台の上に鎮座し、部屋の中央に敷かれたラグの上には背の低いテーブルが設置されたごくありふれた一室。
その一端に特異点は存在していた。
「あのさフォス、僕自身あまり五月蠅く言う気は無いけど流石に犬食いはどうかと思うよ?」
その特異点こと、フォス・クルスラットに対し、音無は若干の気まずさを込めて小言を吐いたのは、食事が始まって数分が経過した時の事だった。
「ふぁふぃふぁふぁ? (何がだ?)」
「だからそう言うの、口に物を入れたまま喋ったら駄目でしょ」
口の周りをミートソースで真っ赤にしたフォスは、先ほどから熱心に向かい合っていた皿から顔を上げ、此方を窺う。
説明するまでも無いかも知れないが、彼女の声が不明瞭なのは彼女が口の中一杯にスパゲティを詰め込んでいるからである。
「んぐっ……どうしてだ?」
「どうしてって……」
口の中の物を飲み込み逆手に持ったフォークを握り締めたまま紡がれた問いかけに対し、音無は言い淀んでしまう。
普段フォークを使い慣れていないのか、文字通り犬食いで料理を平らげるフォスの食いっぷりは料理を作った本人としてはこの上なく嬉しい事なのだが、だからと言って食事の際のマナーがなっていないのはどうかと思ったのは事実だ。
だが、何故犬食いや咀嚼中の発言が問題に当たるのかと問われると、それはそれで返答に困る物である。
「まぁ兎に角、ご飯なんて逃げる物じゃないんだからゆっくり食べたら良いでしょ?」
「……逃げないのか!?」
「えっと……まさかとは思うけど、フォスにとってご飯は逃げる物なの?」
嫌な予感を感じて問いかける音無の言葉に対し、フォスは少しだけ予想外な返事を返した。
「魔界の食事でも逃げる物はごく限られてはいるが」
「一部の料理は逃げるのね」
二本の脚を生やしたハンバーガーが町角を駆け抜ける様を想像してから首を振り、呆れた様に溜息を吐く音無。
もう魔界だの魔法だのと来ては、動く料理なんてものは驚くに値しない気がした。
確かに活造りの刺身などは、魚は半分生きていたりすることもあり、一部の国の料理では生きたままのタコがそのまま皿に乗っていてそれを踊り食いするなんてものはある。
そう考えたら逃げる料理なんて物は確かに珍しいものでは無いのかもしれないが、恐らくフォスが言っているものはそんな生易しい物では無いのだろう。
何て言っても魔界の料理だ、二枚の羽根で空飛ぶオムライスに、川を泳ぎ河川の生態系を荒らす悪食鯛焼きなんて物があっても不思議では無いだろう。
だが、ふとそこまでしょうもない妄想を膨らませた所で、音無が昨日から頭の隅で腰を据えていた疑問を口に出す。
「ところで、ちゃんと説明を聞きたいんだけど、フォスが言う魔法や魔界ってのはそもそもどんな物なの?」
すると、フォスは持っていたフォークを皿の上に置いてから口を開いた。
「魔法がどんなものかと問われても説明に困るな、なにぶん私達にとってはこれと言って特殊な物では無いからな」
彼女にとってその質問は、『どうして歩けるのか?』と尋ねる様な物なのだろう。
ごく自然に体に備わった機能、それを行使する方法を言葉で説明しようにも、都合の良い語句が存在しないのだ。
「兎に角、魔法と言う物は魔界では、練習さえすれば誰もが行使できる技術なのだよ」
「つまり、僕も練習をすれば魔法が使えるって事?」
その音無の問いに、フォスは首を横に振って答えて理由を述べた。
「残念だがそれは無理だ、此方は魔力が存在しない世界だからな」
「……今度は魔力ときたか……っていうか、僕が魔力を持ってないのが原因じゃなくて、魔力が存在しない世界ってどういう事?」
「魔界とはそんな世界だ。
魔界では魔力なんて対して珍しい物では無い、何処に行ったて溢れており、使い方だけ学べばだれしもが行使出来る」
『泳ぐ』には大量の水が必要であり、それ故に乾き切った砂漠で『泳ぐ』事は不可能だ。
だが言い方を変えれば、多少の練習が必要とは言え水さえあれば何処でも泳ぐ事が可能であると言う事。
だが、そこで一つの疑問が脳裏をかすめた。
「それじゃ魔力が無い場所で、どうしてフォスは魔法が使えたの?」
フォスの説明が事実なら、魔法の素質というのは体質では無く環境に依存するところが多いと言う意味であり、言い方を変えれば魔法使いであろうと魔力が無い此方の世界では魔法が使えないと言う意味でもある。
「熱した鉄は直ぐには素手で触れないのと同じだ」
そう呟きフォスはフォークに手を伸ばすが、そんな彼女の言葉の意味が判らず音無は食い下がる。
「どういう意味か良く判らないんだけど」
「つまり余熱だ、予め魔界で魔力を蓄えておけば此方でも魔法が使える」
魔法も何かしらの方法で魔力を持ち込めば魔界の外でも魔法が使えるのだろう。
「つまりは蓄電池ね」
音無は机の隅に置かれた携帯電話へ目線を投げて納得をする。
本来コンセントに繋がって無いと使え無い筈の電化製品でも、バッテリーを用いる事で家の外で使う事が可能だ。
「チクデンチと呼ばれるものが何なのかは知らないが、とりあえずその関係上私はお前の願いを早く叶える必要があるのだ。
「それだよ、どうしてそんなに早く願いをかなえようとしてるの?」
「熱した鉄でも、暫く経てば素手で触れるのと同じだ」
簡潔かつ意味不明な説明を紡ぎ、フォスは逆手で握られたフォークでスパゲッティを口へと押し込む。
「言葉の意味は判るけど、説明になってないよ」
「魔界に居た私が熱した鉄だと考えれば判りやすいだろう。
あちらとこちら、それぞれの法則に違いがあろうと、どちらかに一旦属してしまえばそちらの法則に染まる物なのだよ」
一部の物を除き、大抵の物は自ら熱を発する事は無く、一旦常温に戻せばその温度は瞬く間に下がってゆく物であり、熱せられた鉄塊と通常の鉄塊の違いう物は結局のところそれぞれが置かれている環境の違いだけだ。
だからこそ、幾ら熱く熱せられていたとしても、一旦常温下に放置しておけばおのずとその熱量は減っていき、素手で触る事だって可能になる。
つまりは、沢山魔力を蓄えた魔法使いだとしても、魔力が存在しない此方の世界に長く居座ると蓄えた魔力を徐々に失うと言う意味だろう。
「つまり、時間をかけ過ぎると魔法が使えなくなるって事?」
「まぁそう言う意味になるな」
そう呟き、フォスは残り少なくなったスパゲティを小さな口へと押し込む。
「あ!」
音無はそんな彼女の動きを見て短く悲鳴を上げた。
皿の隅からこぼれ落ちたソースが、彼女が身に纏っていたローブへと付着して、大きな染みへと変化した。
もともと濃い色の服の為、その染みはあまり目立つ物では無いが、だからと言え汚れて良いわけでもないだろう。
「どうしたか?」
だが、肝心のフォスとしては、そんな染みへ視線を落とし、首を傾げ、更に服の袖で口元まで拭う。
「ああ! 服が汚れるって」
「食べ物なのだから汚れでは無いだろ?」
「そう言いう意味じゃなくて!」
「ソースの付いた服を着たら駄目なのか?」
「ああもう、もうそういう事で良いから、服を汚したら駄目だって」
そう言い、慌ててティッシュ箱へと手を伸ばした音無だが、振り向いた瞬間壮大に噴き出し、そのまま発作を起こして床へと倒れ込む。
「どうかしたか? また嬉しくて膝が笑ってるのか?」
「まぁ大体は合っ――じゃなくて、とりあえず服を着てフォス」
一瞬『大体は合ってる』と答えかけ、フローリング地の感触を顔面で受け止めたまま音無は訂正を加える。
「どうしてだ?」
「人前で服を脱ぐのはどうかと思うよフォス」
一応彼女の方を向かない様に努力したままそう告げる音無、彼が言うとおり、今現在のフォスは中途半端にローブを脱いだままの姿勢、つまりは半裸状態だった。
紺色のローブからは白い背中が覗いており、少し覗きこめば下着だのその他もろもろの恥ずかしい部分が見えそうだと一瞬でも考えた自分を恥じ、音無はなるべく冷静に取り繕って言葉を投げる。
「そうか、此方の世界では脱いだら駄目なのだな、では今後一切私は服を脱がない様に過ごすとしよう」
そう言い勝手に一人で納得したフォスは、のそのそとローブを再び身に纏う。
「そうじゃなくて! 服を着替えるのはいいんだけどさ……その、女の子が男の目の前で服を脱ぐのは如何なものかと思うよ」
再び体が動く様になった音無は、そんな事を呟いてからフォスに向き直る。
正直なところ、彼女が言っている言葉をどこまで信じていいのかはわからないが、それでも彼女がどうして恥ずかしげも無くそんなことを言うのかはなんとなく理解できる。
元々彼女が住む魔界という世界がどんな物なのかは判らないが、世界の違いが羞恥心や価値観と呼ばれる物に影響与えるのは道理だ。
大昔は裸足になる事に対して強い羞恥心を感じていたと言う、今でも宗教の関係で家族以外の前では素顔を極力晒さない習慣を持つ人種などという物が存在し、その逆に殆ど全裸と言っても過言では無い状態を、ごく普通のファッションだと認識する人種だって存在する。
そうなれば、彼女が今現在一切の羞恥心を見せずに服を脱ぎ始めたのも納得である。
「なぜ男の前で脱いだら駄目なのだ?」
音無の読み通り、フォスは疑問を投げていた。
「えっとね……どう言えば納得するかな。
そうだ、フォスはどうしてその服を着ているの?」
「暖かく怪我の予防にもなるからな」
やはりではあったが、彼女の理由は音無の持つそれとは少しだけ違った。
彼女にとって服は保温のための道具や、怪我予防の為のプロテクターでしかなく、自分をより良い存在に見せるためにファッションアイテムや、羞恥心を隠すための道具では無いと言うことだ。
「怪我の予防ねぇ……」
「幸いな事に、拓斗の家の中では怪我をする恐れは低いからな。
だったら、わざわざこんな道具を使う必要もあるまい」
明るい昼間に懐中電灯は不要で、すぐ隣に相手がいるのに電話を使う必要なんて無い。
それと同じく、快適な室内では服なんて『道具』は必要無い。
詰まるところ、彼女にとって服など、ファッションでは無くただの道具だと言うことだ。
「結局のところ羞恥心なんて、自分をよく見せようとする欲求の裏返しに過ぎないか」
「何か言ったか?」
ぼそりと呟いた一人言に耳を傾けたフォスを見て、音無は軽く手を振って話題を逸らし、不思議そうにこちらを伺う紫の瞳を見て溜息を吐いた。
程度の違いはあれど、誰もが自分は優れた存在であると認めようとする。
他人よりも高額な金銭を求め仕事に汗を流し。
他人よりも多くの人脈を求め僅かばかりの虚偽を並べ。
他人よりも優れた容姿を求め様々な衣装で着飾る。
「その服、洗濯しないとね」
音無は皿の中身を空にした後、静かに立ち上がってから寝室の方へと足を進めた。
「逆を言えば、恥を忘れた時は負けの時って事か」
先程まで大人しくしていた胃袋が、不快指数混みで違和感を伝え始めた、勿論、その違和感は急に食事をとったからでは無い事位判っている。
「じゃあどうして、僕は恥を感じているんだ……」
幸いか、それとも不幸な事か、独りでに口から滑り出た悲痛な思いは本人以外の誰の耳にも届くこと無く霧散していった。
部屋の奥の割れた窓には段ボールが貼り付けられ、自称魔法使いが持ち込んだ杖『ヴァナルガンド』がベッドの上に寝かされている。
いつもとは少しだけ違う作業場、その一角に鎮座していたタンスの中から、買ってから一度も袖を通したことが無かったTシャツを掴み立ち上がる。
本人は気にした様子は無かったが、とりあえず汚れた服の代わりとしては使える筈だ。
「拓斗、何をしているんだ?」
ふと振り返るとフォスが部屋の入り口で首を傾げているので、持っていたシャツを手渡して口を開く。
「このシャツあげるから、これに着替えたら? その服は洗濯しとくからさ」
さっきの独り言は聞こえていなかったのか、フォスはこれと言って感情を表に出さずにシャツを受け取ると床に置き、おもむろに……
「だから、人前で服を脱ぐのは禁止!」
「そうなのか?」
「そうなの」
「どうしてか?」
「どうしてって……君は恥ずかしくなくても、見てるこっちが恥ずかしくなるから」
軽く溜息を吐いてから当然の事を呟いた音無だが、そんな彼に対してフォスはごく自然な事だと言わんばかりの様子で言葉を紡いだ。
「だが、男は女の裸を見ると元気になると聞いたぞ? 違うのか?」
どこで得た知識なのか、中途半端に的を得た言葉を紡いだフォスに対して、音無は目元を押さえてから言葉を返した。
「違わないけど違うの」
「やっぱり元気になるのか? 何が元気になるのだ?」
「何がって……」
「『ナニ』が元気になるのだな」
「フォス!!」
本人の感覚ではそういうつもりでは無いのだろうが、思いっきり下ネタを吐いたフォスの発言を自分の声でごまかすと、音無は変な方向を向き始めた会話の首根っこを掴んで話を進める。
「あのさフォス、いろいろ誤解を招く様な発言はどうかと思うよ」
「誤解か? すまない私にはよく判らないんだが?」
冗談では無く、本当に言葉の意味が分からなかったのだろう、フォスは少年の様に切りそろえられた前髪を揺らし、小さく首を傾げた。
「魔法使いってどんだけ常識が無いんだよ……」
そんな彼女の様子を見て、音無は思わず悪態を吐き、その声に今度はフォスが反応した。
「魔法使いや吸血鬼は服を着るだけ常識的だろ?」
「まぁそういえばそうかもしれないけどさ、って言うか……今さらっと吸血鬼って言った?」
「ああ、吸血鬼位探せばどこでも居るだろ?」
「あ、その様子からして冗談では無いのね」
ふと今朝の事を思い出し、彼女がミノタウロス云々と語っていた事を思い出し、得体の知れない疲れを感じる音無。
「一応確認するけどさ、その吸血鬼って蝙蝠に化けたり、人の血を奪ったりするの?」
「何だ? サキュバスみたいに人の精え――」
「ストップ! それ以上は言わないでいいから!」
彼女が何を言おうとしたのかを悟った音無は、慌てて彼女の言葉を遮る。
彼女が言ったサキュバスと呼ばれる悪魔は、確かに吸血鬼の様に蝙蝠に姿を変える上、その悪魔が男に対して行う行為を避けるため、とある地方では枕元に牛乳を入れた小皿を置くとか置かないとか……
確かに蝙蝠に化けて人の体液を奪う怪物という点では類似点が多いが、わざわざそんな事の詳細を、ましてや朝っぱらから語っては変な空気になるのが目に見えている。
「そうか、丁寧に教えてやろうと思ったのだがな、それじゃインキュバスについて――」
「それもいいから!」
とはいえ、そんな音無の気遣いなど全然理解できないのか、フォスはごく真面目な表情で言葉を繋げる。
「にしてもミノタウロスに吸血鬼に夢魔と、なんでもありなんだな」
「他にもハーピーやセントールだって居るぞ? ちなみに私の地元ではマンドレイクの栽培が盛んだった訳だが」
「あー、本当になんでもありなんだね」
驚きを通り越し、一周して湧いた感情は納得だった。
彼女が得意げに告げた魔界の存在、そこは音無がなんとなくイメージしたそれとかなり近い存在らしい。
「何か、こっちの世界の人間が想像してた架空の生き物が実在するなんて……」
音無の言葉にフォスは目を細めると、少しだけ得意げに言葉を繋ぐフォス。
「拓斗、それは少し勘違いをしてるぞ。
おまえたち人間が、私たちの世界の生き物に詳しいだけなんだ」
「詳しいって……こっちの世界での怪物だの妖怪だのって話は、ずっとずっと大昔から言い伝えられてきてる事だよ。
まぁ今とは違って当時は大まじめな話だったみたいだけど」
「そうなのか? まぁ魔界の情報がそれだけ前にそちらに流れたと言うことだな」
「流れた……? どういうこと?」
音無の言葉に対し、フォスは得意気に言葉を繋いだ。
「だから、前にこちらの世界にやってきた魔法使いから、魔界の事を聞いた人間が居るという事だ」
「どうしてそんな事……」
少しだけ頭を動かし、すぐにその理由が判った音無は、目の前に居るフォスを見て言った。
「まさか、そんな昔から魔法使いはこっちにやってきてたの!? っていうか魔法使いってフォスが一人じゃ無かったの?」
「当たり前であろう」
何を今更と言いたげなフォスの表情だが、よく考えて音無は納得した。
フォスはこの世界に魔法の試験を行いにやってきた存在であり、試験を行うと言うことは、魔法使いの見習い(?)に該当する存在は彼女一人では無いという事だ。
そして、複数の魔法使いがこちらにやってきてるとなれば、試験の内容が『七不思議を作れ』なんてまどろっこしい手段である必要も納得できる。
「っていうか、わざわざ七不思議を作る必要って……」
「そう、魔法使いが必要以上に目立つのを防ぐ為だ」
こちらの感覚では全知全能と言っても過言では無い力を持つ魔法使い。
そんな存在がこちらで力を使ったとなれば、不必要な程注目を集めてしまう。
しかし、力の詳細を隠す為に七不思議という隠れ蓑を広げれば、その注目は本人では無く原因不明な七不思議へと注目は向くことになる。
「よく学校の七不思議とか言われるのって……」
今まで『魔法使いを見た』と言った人を見たことが無い反面、学校などで七不思議と呼ばれる現象を耳にする機会が多いのもそのためだろう。
「そうだ、あれらは私たちの先輩の魔法使いが実際に行った事だ」
「ああ、なんかもう七不思議に限らず、都市伝説とかUMAの存在にも納得出来た気がする」
「まぁ実際、私の先輩の作った魔方陣は、こちらの世界じゃミステリーサークルなんて呼ばれ方もしてるのが事実だな」
「ちょっとまって、それなんかもの凄く夢が崩れた。
いや、まぁ魔法使いは実在するってのはうれしいんだけど、UFOの仕業じゃ無かったのはもの凄くショックなんだけど」
「そうか?」
相変わらず疑問符で返事を済ませるフォスに、ついでに湧いた疑問を投げた。
「っていうかさ、ふと思っただけど、もし七不思議を作れないとフォスはどうなるの?」
本当に何気ない質問だった。
だが、その一言を聞いた途端フォスがその顔に浮かべたのは、僅かな嫌悪感だった。
「こちらの世界と魔界がいかに違うとは言え、落ちこぼれの扱いなど相場が知れているであろう?」
「落ちこぼれって……」
苦々しく紡がれたフォスの一言に、音無は息を飲み黙り込む。
つまりは、後が無いと言うことなのだろう。
たった一度の試験、それに落ちるだけで彼女の運命は決められ、周りからは後ろ指を指されるだけの運命が、大きく口を開けて待っている。
一人前の事も出来ない落ちこぼれ、その烙印の重さを知っていた音無は、これといって表情を変えない彼女の顔から目をそらす。
それは単に彼女を傷つけない為の行動でもあったが、それ以上に自信の本音を悟られる事を恐れての行動だった。
「だが、よっぽどの事が無い限り七不思議を作ることは簡単だ」
そんな音無鼓膜をフォスの矢継ぎ早な言葉が叩いた。
「それに、私が願いの提示を急いだのは単に、なるべく早く試験を終わらせたかったからであって、残り時間が短くて焦っていた訳では無いぞ。
魔法使われの拓斗がじっくりと願いの内容を考えたいと言うのなら、それに付き合うのが魔法使いの使命だ」
いまいち感情が読みにくい表情だが、彼女は音無の思いを心配してたのかもしれない。
「それじゃ、試験が無事に終わったらフォスはどうなるの?」
暗い表情を作ってはいけない、そう思った音無は、なるべく明るい方向へと話題を逸らしてみたが、帰ってきたのは予想外な反応だった。
「おそらく、今よりもいい生活が出来るのだろうな」
どこか歯切れが悪い一言、あらかじめ用意されていたテンプレートを組み合わせ、当たり障り無く読み上げた様な一文に音無は眉根を寄せる。
「いい生活が出来るの? それなら頑張らないとね」
「……そうだな」
音無は明るく彼女の背中を押してはみたが、彼女は機械的に返事をすると寝室を抜け玄関の方へと足を進めた。
その背中を見て、音無は開きかけた口を閉じてしまう。
確認を取った訳では無いから判らないが、そんな彼女が試験の成功に対して向けた感情は喜びでは無く、嫌悪感や憂鬱だった気がした。
「フォス!……」
「何だ?」
名前まで呼んで、音無は言葉を詰まらせて、酸欠を起こした魚の様にぱくぱくと喘いでしまう。
胃の奥が氷水で満たされるそれとよく似た感覚を覚えた
少なくとも落ちこぼれの烙印を押しつけられるよりもずっとうれしい未来の筈なのに、どうして彼女はこうも露骨に不快感を未来に向けて抱いているのか、その答えを聞く為の文句はどうにもまとまらず。
これ以上の沈黙は気まずいと、音無は別の疑問符を無理矢理言葉にする。
「――何処に行くの?」
「何処とは、外に決まってるでは無いか」
「外? どうして?」
「おまえの前で服を脱いではいけないのだろ? だったら外で着替えてこようかと思ってだな」
そう言い、フォスは持っていたシャツを広げて少しだけ笑ってみせる。
ワゴンセールで買った安売りのシャツを気に入ってくれたのはいい事であり、サイズが違えどいつもの魔女っ娘衣装よりは幾分あたりの景色に馴染める為、音無としてもこの服に彼女が袖を通してくれるのはありがたい事だ。
だが、当たり前の話、真っ昼間の住宅外人通りの多い道の真ん前で女が一人服を着替えて良い訳では無い。
「ストップ、フォス、外で着替えたら駄目! ここで着替えればいいから、僕別の部屋に行ってくるからここで着替えて!」
そう言い彼女を引き留めると、少しだけ思案を巡らせる。
この様子だとフォスは暫くこの家に居座るのだろう、その事自体問題ではあるが、一旦この問題点に目を瞑ると、今度は別の問題が脳裏をかすめる。
彼女の荷物は、今現在彼女が身に纏っている服装一式と、時折大事そうに磨いている魔法の杖(?)位な物であり、ここに居座るにしては服やら日用品やらがあまりにも足りない。
だったら、なるべく早めにそれらを調達する必要があるだろう、幸い病院の予約は明日取ってあるため、仕事が一段落した今日という休日は一日暇だ。
「あ、そういや野菜とかも買わなくちゃいけないか」
よくよく考えると、家の冷蔵庫の中の野菜の数も少なく、洗剤やゴミ袋などと言った生活雑貨いろいろと切らしていた事を思い出した音無は、何気なくフォスの方を向いて口を開き――同時に目まで見開いていた。
「って事でフォス、買い物に――ってだからどうして人前で脱ぐの!」
「どうしてとは? 拓斗がここで脱げと言うからだろ?」
説明するまでも無く、音無の目前ではフォスが下着姿でローブを畳んでいるのだった。
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