第11話 マユミと練習、その3。
年末のコンサートに向けて、練習が始まった。歌の順番から入場から立ち位置の場所からコンサートまでにしっかりと頭にたたき込まねばならない。マユミは試験とアルバイトとの両立でてんやわんやしている頭を、晴れるや会のコンサートにも割かねばいけなかった。これで仕事とかしているモリヤマさんやテライさんは、頭の中はどうなっているんだろうと不思議に思わずにはいられなかった。社会人は年末と3月に忙しいと聞くが、正直マユミも今忙しい。
先生は「年末は師匠も走る師走というくらいですからねぇ。まぁ皆さん無理をなさらずベストを尽くしてください」と他人事のように笑っていた。歌う曲目自体は順調な仕上がりのようなので、先生もそんなに焦っていないようだった。
すっかり暗くなった中を、足早に市民センターへと向かう。今日は一段と冷え込みが厳しくなったみたいだ。
「こんばんはー」
「まぁモリタさん、こんばんは!今日は冷えるわねー」
「こんばんは、モリタさん」
「おー、来たかあモリタちゃん!らっしゃーい!」
「ばんはーっす、あっタナカさんボタンそこです」
「やぁこんばんは。ああ、これが録画ボタンですか」
ソプラノのモリヤマさんが真っ先に挨拶をしてくれた。コンサートが近いとあって、メンバーも全員集合とまではいかないが、それに近い人数が早い時間から来ている。アルトリーダーのデキる女性なテライさんも、眼鏡をかけ直してから挨拶してくれた。テナーのマルウオさん、バリトンのムカイさんも既にいる。ムカイさんはタナカさんと話しながらビデオカメラの設置をしていた。
いよいよコンサートが近いんだなと、マユミは緊張した。初めてのコンサートって皆どんな風に迎えたのだろう。あとで聞いてみよう。
「今日は全体練習ですよね。カメラも使うんですか?」
マユミはムカイさんとタナカさんに近寄って尋ねてみた。
「ああ、本番に失敗しないように、練習の時にカメラも練習しておこうとね、思ってね。ムカイさん、録画を止めるボタンはこれであってますか?」
「あってます。で、再生がこっちのボタンっす」
ムカイさんとタナカさんのやり取りに、今録画中だったことに気付いたマユミは、慌てて謝った。
「今録画してたんですか。すみません」
「大丈夫大丈夫。機械の使い方を教えてもらっていただけだから。しかし最近の機会はコンパクトですごいねぇ」
「三脚使わなくてもブレない・軽い・高画質、がウリですからね、こいつは」
「でも本番は三脚を使うのでしょう?誰かに任せるわけにもいきませんからね」
「そうそう、3大ウリのひとつが試せないのはちょっと残念っすけどね」
男性二人で楽しそうに話しているので、マユミは横で話を黙って聞いていた。再生された映像からは、軽く運動するメンバーや、先程自分が練習室に入ってきた声も入っている。
「モリタさんも立ち位置はもう覚えましたか?位置がずれるとカメラに映らなくなっちゃいますからね」
「あ、はい、大丈夫です。しっかり覚えました」
「タナカさーん、そろそろ練習始める時間ですよー」
モリヤマさんが練習開始の時間を知らせてくれた。タナカさんははい、と答えてビデオカメラを机に置き、再生ボタンを押した。
「準備運動から撮るんすか?」
「まぁ面白そうじゃないですか」
ささ、とマユミはタナカさんにアルトパートへ促された。今日は今日でちょっと緊張する。既に来ていた先生も楽しそうに様子を見ていた。
「今日は全体練習のほかに録画に慣れてくださいね」
さぁ、ブレスを始めますよ、とタナカさんはカメラの横に立った。立ち位置は本番の位置で。さんはい、とブレスが始まる。
ブレスが終わったら音出しのやきざかな。皆、のびやかに楽しく音階を上下する。
音出しが終わるとタナカさんはテナーパートに戻り、今度は先生が前に立つ。よろしくお願いします、と一礼し、本番通りの順番で歌を歌う。
休憩に入り、タナカさんがビデオカメラの様子を見る。皆、どんな感じに自分たちの歌が撮られているのか興味津々で、数人がタナカさんの周りに集まった。
「どうですか、撮れてます?」
「ばっちり」
タナカさんが再生ボタンを押すと、先ほどまで歌っていた曲が機械から流れてくる。おお~と皆で感嘆の声を上げ、ああ、ここ音が外れてるだとか、モリヤマさんの声はよく響きますねぇとか、ここ少し急いじゃったねとか、思い思い反省や感想を漏らしていた。
マユミは、自分の声がどれだかよく分からなかった。テライさんにそう伝えると、それはそれで周囲の音と合っているから大丈夫、と答えてくれた。そう言われるとホッとする。
「皆さん、自分の歌はどう聞こえますか?直すところは直し、伸ばすところはぐんぐん伸ばしましょう。今年は良いコンサートになりそうですよ」
先生が満足そうにそう言った。今年のコンサート、頑張ろう!
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