第10話 マユミとサイトウさん
冬の気配がし始めた頃、日の落ちた道を、マユミは今日も市民センターへ向けて足を運んでいた。そろそろ年末のコンサートに向けての練習が始まるらしい。うきうきとした気分で、マユミは練習室の扉を開けた。
「こんばんはー」
「ああ、モリタさん。こんばんは。今日は早いね」
見ると、タナカさん、サイトウさん、ムカイさん、他数名の男性陣が机に集まって何かを見ていた。何を見ているのだろう?マユミは気になり、タナカさんに声をかける。
「何を見ているのですか?」
「去年のコンサートの動画ですよ。今年はどんな入り方にするかとか立ち位置とか、参考にするんですよ」
ムカイさんのノートパソコンで動画を見ていたらしい。見ると白いシャツに黒のパンツで歌っているサイトウさんが映っていた。
「サイトウさん、お元気ですねぇ」
マユミは思わずといった感じで声を漏らした。何故かモリタさん、とタナカさんにたしなめられたが、サイトウさんは笑っていいですよ、と応えていた。よくわからないやりとりだった。
「そういえば、サイトウさんが晴れるや会に入ったきっかけは何だったんですか?」
そういえばこの最年長のサイトウさんの入会のきっかけは聞いていなかったな、と思ったので、マユミは問うてみた。
「そうですねぇ、うちは子供がいなかったもんで、妻は姪っ子と買い物に行ったり美味しいものを食べに行ったりしていて楽しんでいてね、私も楽しいことをやってみようかと思って、市民センターに時々ジャズなんか聞きに来ていたんですよ。そうしたら晴れるや会の会員募集のチラシがあって、それでですかねぇ。この年で歌を歌うのは体力的にギリギリですが、皆さん優しく助けてくださってね」
ほぅほぅ。初めて聞くサイトウさんの家族の話や趣味の話にマユミは関心を寄せた。そういえばサイトウさんとこんなに深い話を今までしていなかったな、と今更ながらに思った。83歳。元気で穏やかなひとだ。
「ジャズに興味があるんですか?」
「ええ、若いころから聞いていたんですが、生演奏を聴きだしたのはここ数年で。モリタさんもCDを聴いてみますか?演奏者によってここまで違う音楽も珍しいと思いますよ」
「うーん、カフェで流れてるのは聞いたことありますが、生演奏は聴いたことないです。CD、借りられますか?」
「もちろん」
サイトウさんは笑顔で応えてくれた。他にも奥さんとはお見合いで、しかも10個も年が離れていることや、姪っ子さんがしょっちゅう遊びに来てくれること、晴れるや会のコンサートにも、奥さんと二人で見に来てくれることなど、練習前に色々と話してくれた。
その間、タナカさんやムカイさんはこの立ち位置がどうかとか、カメラワークをもう少しどうにかしたいだとか、入場のタイミングがどうだとか色々話し合っていた。なんだかサイトウさんを独占してしまって申し訳ないような気がしたが、話が盛り上がっていたのでそのままサイトウさんと話し込んでしまった。
「すみません、お話の途中に割り込んじゃって……」
「いえいえ、サイトウさんも若いお嬢さんと話したほうが楽しいでしょうし、こちらはこちらで進めていますからお構いなく」
「いえ、私も動画を見させてください。今年のコンサートの参考にします」
タナカさんが屈託なく笑って返事をした。それでも去年のコンサートの様子を見たほうがいいだろう。何か参考になるかもしれないし。
改めて、ムカイさんのノートパソコンに顔を寄せ、コンサートの動画を見る。先生の後ろ姿が見える。テライさんがいる。モリヤマさんがソロで歌っている。ササキさんが緊張した顔で歌っている。皆、緊張はしているのだろうが、笑顔で歌っている。
私も今年からこの中に入るのだ。人前に立ち、人前で歌う。そう思うと、少しばかり緊張する。
歌が終わり、先生が観客に向かって一礼した。盛大な拍手が送られて、皆も一礼して、動画が終わった。
「どうですか、何か参考になりましたか?」
タナカさんに聞かれて、マユミはう~んと首を捻った。皆、いつものように楽しく歌っていただけだったからだ。衣装と緊張度が違うだけで、いつもと変わらないような感じだった。
「なんか……みんないつもと変わらない感じがしました」
「でしょうねぇ。みんな普段とあまり変わらないって答えていましたからねぇ」
「そ、それでいいんですか」
「いいでしょう。平常心でコンサートに臨んでいるんですから。まぁ入場と立ち位置だけは練習しますけど」
「はぁ……」
どうしよう、あまり参考にならない。いや、いつもと変わらないことが大事ってすごい参考になるのでは?頭の中をぐるぐるかき回していると、練習の時間になった。
人前で歌うコンサートで、練習と変わらず歌えるのか。マユミは自信がなかった。
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