第8話 マユミとモリヤマさん


 マルウオさんと先生のやり取りがあってしばらくのこと。この間は何事もなく、マユミは大学もアルバイトも晴れるや会も元気にこなしていた。夏の空気になりつつある、市民センターまでの道を、マユミは上機嫌で歩いていた。

「こんばんはー」

 練習室の扉を開けると、中から数人が、あらモリタさんこんばんは、と挨拶を返してくれる。イイダさんさん、タナカさんが立ち話をしていた。

「あのね、モリヤマさんがね、今日お休みなんですって」

 サブリーダーのイイダさんがタナカさんと立ち話の途中で声をかけてきた。

「えー!どうしちゃったんですか?」

 モリヤマさんといえば晴れるや会の名物女性、残業が長引かなければいの一番に練習室にやって来て、熱心に歌を歌う。性格も朗らかで話し好きで世話好き、マユミもしょっちゅう夕飯を一緒に食べている仲の良い人だ。そんな人が練習を休む。余程の事なのだろう。

「それがね、急な用事が入って来れませんって」

「お仕事忙しいんですか?」

「さぁ、そこまではメールに書いてなかったからねぇ」

 まぁ今日はイイダさんに頑張ってもらおうか、とタナカさんは言った。イイダさんも、今日はリーダーの代わりを務めますよ、と答えた。

 この日のソプラノは、どこか元気を欠いた雰囲気になっていた。先生にも、今日はソプラノ全体に元気がないと指摘されたほどだった。ソプラノのパートに、モリヤマさんは欠かせない存在なのだ。

 次の練習日には、元気な姿を見せてほしいな。マユミは歌いながらそう思った。


「モリヤマさん今日もお休みですか?」

 モリヤマさんのお休みが3回も続くと、さすがにマユミも色々と心配になってくる。今日も『急な用事』のため、お休みだそうだ。

「そうなの。リーダーなんだからあんまり休まないでほしいんだけど、まいっちゃうわ」

 マユミが尋ねると、サブリーダーのイイダさんがため息をつきながら、キーボードのスイッチを入れた。

「音取りは私でもできるけど、ソプラノのメインってモリヤマさんでしょう?彼女がいないと、うちのパート全体がさみしくなっちゃうのよね」

 モリヤマさんのあの声も聞きたくなってきちゃったし、今日も先生にソプラノ元気ないぞーって言われちゃうわねぇと、イイダさんは楽譜を広げながら寂しく笑った。


 翌週、練習室に行ってみるとモリヤマさんがいた。ただし、数人の人に囲まれていて、なにやら話し込んでいる様子だった。

「こんばんは、モリヤマさん来てくれたんですね」

「あら、モリタさんこんばんは。お久しぶりね」

「モリヤマさん、はぐらかさないでください」

 珍しくタナカさんが厳しめの声音で言った。はいはい、反省してますってば、とモリヤマさんが答えた。どうなっているのか。

「お仕事忙しかったんですか?」

「違うんですよ」

 タナカさんが腕組みをしてモリヤマさんを見つめた。

「ちょっと……デートしてただけよ」

「モリヤマさん、デートしてたんですか!?」

「だって都合のいい曜日が水曜と金曜しかなかったし……仕事も余裕あったし……」

 モリヤマさんはカットソーの裾をつまんでもじもじしている。話を聞くと、これまで休んでいた日はすべて、とある男性とのデートに費やしていたそうだ。男性と楽しげに歩いているところを、残業で遅れて市民センターに向かうテナーのササキさんが見かけたらしい。そして久しぶりにやって来たモリヤマさんに真偽を確かめて今の状況になっているそうだ。


「モリヤマさん、プライベートを充実させるのもいいのですが、長期間お休みされるとサブリーダーのイイダさんが困ります。せめて月に1回くらいは顔を出してください」

「参加している人は参加できる日に来ればいいってセンセイも言ってたじゃないですか。今までだってそうだったし、私だけ出ろって言われても困ります」

「急に来なくなったら誰でも心配します。イイダさんとは連絡がとれる間柄なんですから、せめて今週は休むとかお伝えするだけでもいいんです」

「まぁ、それくらいならできますけど……」

 タナカさんのお説教に、モリヤマさんは渋々といった感じだった。と、近くで話を聞いていたサイトウさんがすっと、モリヤマさんの前に立った。

「モリヤマさんは、晴れるや会の活動をお相手にお伝えしていますかな?」

「え、ええ。歌を歌っていますって伝えてますけど……」

「だったら、きちんと練習に出て、年末のコンサートにご招待すればいいんじゃないでしょうか?ソプラノを牽引して歌っていらっしゃるモリヤマさんを見れば、お相手の方も喜ばれるのでは?」

 訥々と語るサイトウさんの言葉に、モリヤマさんの目が輝いた。

「そうですね。歌っているところを見てみたいと言われてるし、コンサートでソロでも歌えば、私、ますます惚れられちゃうかも!?」

 私、練習出ます、頑張ります!、とモリヤマさんは高らかに宣言した。宣言したところに、先生がやって来た。

「おや、今日はモリヤマさんがおられますな。結構結構」

 それから休憩時間は、照れてあまり話そうとしないモリヤマさんの、彼氏の話で盛り上がった。

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