第6話 マユミと練習、その2。


 例のやきざかな、を歌うときがマユミにも来たのだ。

 隣にいるこんなクールそうなテライさんもやきざかなを歌うのだ。いや、前回もテライさんは練習にいたのだから歌っていたのだ。マジか。クールそうなテライさんが。やきざかな。マユミは軽い衝撃を覚えた。

「さん、はい」

 ドミソミド~。やきざかな~。うわぁ歌っちゃった。マユミは思わず笑いそうになった。いやいや、楽しいならそれでいいではないか。だからこそのやきざかななのかもしれない。

 やきざかな~。マユミは歌っていて楽しくなってきた。テライさんもモリヤマさんもやきざかなと真面目に歌っている。

「モリタさん、楽しいのはわかりますが、笑っちゃいけませんよ」

「すみません」

 先生に釘を刺された。はーい、真面目に歌います。

 やきざかなの練習も終わり、次は曲の練習に入る。楽譜はまだ持っていないので、テライさんの楽譜を見せてもらう。次回までにマユミの分をコピーしてもらえるそうだ。

 テライさんの楽譜には、鉛筆で細かな文字がたくさん書かれていた。強弱や息継ぎのタイミング、注意点など。先生から指示された内容が書き込まれている。

「では練習に入りますよ。モリタさんはまず歌詞を覚えて、余裕があったら歌に入ってください」

先生の一声に、よろしくお願いします、と一斉に声が返る。今日はパート練習ではなく、最初から全体練習のようだ。聞きなれた楽曲とはいえ、マユミにとっては初めて歌う曲である。まずは歌詞を覚えなくては。歌詞を覚え、メロディーを覚え、曲の強弱を覚え、息継ぎのタイミングを覚え、皆との調和をはかる。……意外とやることが多いなと、マユミは思った。

「はい、モリタさん歌詞をよく読んで集中してください」

「は、はいすみません」

 先生は初心者のマユミにも手厳しい。歌詞を読みながらメロディーを追いかける。しかもマユミのパートはアルトだから、主旋律のメロディーではない。聞きなれた曲とはいえ、実際のメロディーを追いかけると違った曲に聞こえるのだ。テライさんの綺麗な歌声が隣から聞こえる。マユミも早くこんな風に歌えるようになりたいと思った。

 数回歌った後、休憩に入った。マユミはふーっとため息をつく。

「お疲れ様。途中から入るとやっぱり難しいでしょう。早く音が拾えるようになれるといいわね」

 テライさんが話しかけてきた。早く音を拾えるコツはありますか?とマユミが尋ねると、実際に歌ってみること、メロディーだけの音源を作って、それを暇なときに聞くこと、など答えが返ってきた。音源はデータ化して、ムカイさんのパソコンからダウンロードできるらしい。昔はカセットテープやMDに録音して聞いていたのよー、とはモリヤマさんの談。カセットテープは聞いたことあるけど、えむでぃーって何ですかと聞くと、モリヤマさんもテライさんも驚いていた。そういう録音機器があったらしい。初めて聞きましたと言うと、モリヤマさんはショック~~と身体をくねらせてガックリした。テライさんも年代の差って恐ろしいわね……と呟いた。他のアルトパートの人たちもざわめいている。あれ、そんなんに変でしたか?いいえ、ギャップにちょっとショックを受けているだけよ。そうですか。モリタさんは若いのねぇ……。はぁ。

 ともかく休憩が終わり、後半に入る。歌詞は大分覚えたので、マユミは今回からメロディーを注意して聞いて歌ってみようと思った。皆の足を引っ張らないように、音を外さないように、少し緊張した面持ちで歌い出す。指揮をしている先生がほほ笑んだ。

「モリタさん、笑顔で歌いましょう」

 マユミは言われると思ったけど今は無理です~という気持ちを抑えて、笑顔を作った。ここは楽しく朗らかにがモットーなんだから。少し音が外れてしまったけど、先生は特に何も言わず、先へ先へと指揮棒を振る。テライさんの言う通り、実際に歌ってみるとメロディーを覚えやすい。3回ほど通しで歌ってみて、ようやく慣れてきたころに時間が来た。

「今日はここまでです。お疲れさまでした」

「お疲れさまでしたー!」

先生が終了を告げて合掌する。と、今回も皆が合わせて合掌したので、マユミも慌てて合掌して一礼をした。

「お疲れ様、モリタさん。楽譜、次の練習までにはコピーしておきますから」

「はい、ありがとうございます。テライさん」

「音源はどうします?ムカイさんに頼みましょうか?」

「うーん、一応楽譜は昔ピアノ習ってて読めるので、大丈夫だと思います。聞いたことある曲ですし」

「そう。必要だったらすぐに言ってくださいね」

「はい」

「モリタさん、今日はお疲れさまでした。帰ったらゆっくり休んでくださいね」

 テライさんと話をしていると先生がやってきた。今日はありがとうございます、とマユミは先生に頭を下げた。

「モリタさんは筋がいいし、素直ですし、きっと晴れるや会にも楽しく参加できるでしょう。今後ともよろしくお願いしますね」

 先生がニコニコしながら握手を求めてきたので、マユミはその手を握り返した。大きくてグローブのような手という印象だった。

「じゃあ今日はこれで失礼します。お疲れさまでした」

「お疲れさま~」「またねー」「気を付けて」

 マユミは先生と皆に向かってお辞儀をして練習室を後にした。

 帰り道、マユミは覚えたての曲のメロディーを鼻歌で歌いながら帰っていた。歌っているのは、ちゃんとアルトパートだ。ふんふん上機嫌で部屋に戻ると、明日のアルバイトの準備をする。

パン屋のアルバイトも明日から本番だ。緊張はするけれども、いい一日になりそうだな、とマユミは思った。

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