Chapter1-3-2「諦めてください」

時間は椎奈が少女の世話になる前、視点は少女に移る。


人が行き倒れている。それが少女が抱いた最初の感想だった。

低層区で行き倒れている難民は幾らでも見る事があるけど、普通区で行き倒れている人間を見たのは初めてだった。

それは女性で、転生者だと服装ですぐにわかった。所々汚れていて、乱れていて、それでいて背中には大きな穴が二つ空いていることから、彼女に何かあったのだとすぐに察した。

自分の気配に気づいたのか、彼女は顔を上げてこっちを見た。黒い髪に、黒い瞳。

勇者でもウェステッドでもなかった。勇者であれば、髪は黒っぽい青のような色で瞳の色もが多いし、ウェステッドの場合は、その瞳孔の形が違う。

少女は彼女を野良の転生者だと思った。時々現れると言われる、勇者でもウェステッドでもない存在。

まるで幽霊のように現れたと思ったら、幽霊のように消えてしまうという。

「………」彼女は何かを呟くが、少女には分からない。少女も「どうしたの?」と聞くが彼女には通じていないと顔で分かる。多くの野良の転生者は、この世界の言語を喋れない。当然、共通言語リングワ・フランカもないのでコミュニケーションが取れないのだ。

そうした転生者の中には手話やジェスチャーでコミュニケーションを試みるものもいるようだが、目の前の女性はそのような行動を取る様子はない。

が、今まで聞いたことのないくらいはっきりと腹の音が彼女から響いた。それは彼女も聞こえたと思うが、恥ずかしがったし何かしらのアクションすら取らない所を見ると、空腹で動くことができないのだと分かった。

持ち上がるか分からなかったけど、少女は彼女の肩に手を回して起き上がらせようとするが、思った以上に重かった。背が下手な大人の人より高いうえに、その身体の豊満さが重さの原因だ。女性も力を振り絞ったのか自力で立ち上がったので、多少ふらつくのを支えながら低層区で三食の炊き出しを行っているシスターの下へ向かったのだった。

そして、具なしリゾットをすぐに平らげてしまった彼女はリンゴも三つほど食べてしまい、四つ目のリンゴを齧りながらバタンと倒れて寝てしまった。

自分のベッドまでどうにか運んで、毛布をかけておいた。


落ち着いてじっと彼女を見る。多くの転生者と同じように栄養状態は王国の人間よりもよさそうに見えるし、健康的に見える。格好も基本的に清潔だ。

彼女の場合はその身長と、同じ女性の物とは思えない、乳袋としか例えようのない胸が健康的な生活を送っていたのだと証明していた。冒険者や海洋都市、北方の雪国にもプロポーションがすごい女性がいると聞くが、それに引けを取らないだろう。

試しに起きないよう、指で胸を突いてみる。魔法や人工ではない、生身の、程よい弾力と柔らかさを感じた。服越しでも分かる、だった。

少女の親代わりの女性がその様子を見て口を開いた。「転生者はみんな健康的で清潔なものでしょう?」「みんなそうなの?」「そう、王国や学都は言っていたわ。この世界を救うために現れた、とね」

、学都にも行ったことがあるんだ」「昔は冒険者で腕を鳴らしたモノよ。とはいえ、皆ウェステッドにやられちゃったけどね」

そう言って彼女は毛布を下ろして、毛布に隠れていたものを晒した。

太ももから先にあるべき足が、なかった。依頼を受けた先に突如現れたウェステッドに奪われたのだ。恋人未満友達以上の仲間も。

それを見た少女が聞く。「なら、ウェステッドはどうして現れるのかな…」

「…分からないわ。からあらゆる世界に現れる、この世全ての悪と王国は発表していたけど…」

彼女は眠る椎奈を見てつぶやく。「彼女は果たしてなのかしら…」

そして夢中になって椎奈の胸をつつき続ける少女を「やめなさい」と窘めた。


その頃椎奈は、夢を見ていた。小学生低学年くらいの思い出だろうか。場所は地元の小学校で、自分はボールか何かを持って友達たちの前に立っている。

その頃から身長は高く、友達や同級生からはフランケンシュタイン、女ガリバーとよく呼ばれたものだった。

夢の中の自分は、一緒に遊ぼうと友達を誘っていた。しかし友達たちは首を横に振って、椎奈とは遊べないと言っている。そのまま行ってしまいそうだったので、自分は

「どうして?」と聞いた。するとは言った。

「だってきみ、化物じゃん」と。意味が分からなかったが「そんなことない」と反論する。身長は確かに皆よりも大きいが、化物と言われる筋合いはないはずだから。

だが彼は鏡をこちらに向けた。

そこには、彼の言う通り化物と言いようのないものが映っていて、椎奈は悲鳴を上げた。その悲鳴すら、虫の化物の叫び声を人間が真似ているような声だった。

「きゃあああっ!」悲鳴を上げながら毛布を跳ね飛ばして起き上がった。

そこには彼の姿はなく、代わりに助けてくれた少女とその親らしき女性が居た。

二人とも驚いたような表情だ。肩で息をしながら、夢だと気づいた。

酷い夢を見た。そう思いながら急に起きたせいで痛む頭を押さえる。この辺は生前から変わらないようだ。寝起きは悪くないほうなのだけど。

すると少女がコップに水瓶から水を注いで、それを渡してくれたので、ありがとうと言いながら一気に飲み干した。


少女はしきりに話しかけてくれてはいるがやはり言葉が分からない。アイヌ語を調べた学者のように、適当な図形でも書いて見せて「これは何?」という言語を引き出そうとも考えたが紙とペンがない。紙技術(印刷技術?)については全く分からないから時代的に正しいかは推測できない。しかし本はあるようで、何冊か平積みになっているのをじっと見ていたら少女が持ってきてくれた。

試しに開いて読んでみるがやはりなんて書いてあるのか分からない。ミミズがのたくったような文字という言葉があるがその通りにしか見えない。ロシア語の筆記体をさらに崩したような文字か、キリル文字のようなものか、アラビア文字風か、ギリシャ文字風、ルーン文字風と文字と言うよりは図形か楽譜を見ているような感覚に陥った。楽譜だとするなら自動演奏前提の楽譜だろう。

巻物があったので開いてみれば、どうも日本語のような文字が書いてあったのだが、仮に日本語だったとしても、達筆すぎて椎奈には解読できなかった。

しかし、本によっては挿絵や写真が入っているものもあったのでそこから何か世界について調べられないかとじっと読んでいた時だった。


突然、ドアが勢いよく開けられた。まるで蹴破られたような勢いで扉が開いたと思ったら、裏路地で遭遇した男たちをもっと悪く(強く)したような男たちが我が物で押し入ってきた。一瞬裏路地で遭遇した男たちの仲間かと思い毛布を被るが、そんな椎奈には目もくれず何かガヤガヤと騒ぎながら少女の腕を掴んだと思ったら連れ去ろうとした。女性が何か言って抵抗するも殴られてしまう。それを見た椎奈は反射的に毛布を跳ね除けて追いかけようとしたが、その勢いのまま少女の手を掴んだ男とは別の男に蹴られ、カートゥーンアニメのように転がりながらすぐ後ろの棚に激突した。

その瞬間何かが身体の内からこみ上げてきて、それが頭まで上がった瞬間バネのように起き上がってさっき自分を蹴った男に強烈なタックルを当てて吹き飛ばし、左右にいた男たちに押さえられるも振り払い、少女を連れ去ろうとする男に挑みかかろうとした。

だが今度は、硬くて顔ほどの大きさのある物体が椎奈の顔面にぶつかった。

一瞬それは岩のように見えた。その一撃で動きが止まった所に別の岩が身体にめり込み、また壁まで吹き飛んでしまった。

衝突の衝撃で壁に掛けてあったバケツが落ち、負けじと立ち上がろうとした椎奈の頭部を直撃。まるでドリフのコントのような状態になった彼女は、そのまま倒れた。


その日のうちにメイドたちに本来の倍以上の退職金を渡して解雇した。

そしたら男たちは女を漁りに行き、使われなくなったメイドの部屋で早速盛っている。何故か自分までも付き合わされたが、結局自分のための女は持たなかった。

二階のメイドの部屋を通る度にその行為の声が聞こえてきて、彼はケダモノ共めと毒づいた。しかしはた目からすれば、自分もそのケダモノの仲間、あるいは従えているボスにしか見えないのだから更に嫌悪感が増してくる。

しかし、下層区の少女を連れ去ろうとしたときに邪魔をしていた女性は、先ほど裏路地から姿を見せた女性と同一人物に見えた。凄まじい力で三人ほど倒してリーダーの男に挑みかかったが、彼が何かする前に自分の身体が勝手に動き、ゴーレムを操作する魔術を応用した岩魔法で吹き飛ばしてしまった。

すぐに起き上がろうとしたが大道芸人のように頭にバケツが落ちてそれで倒れたから、自分の一撃で大事には至っていないだろう。

「おい坊ちゃん」リーダーが声をかけてくる。「どうせ勇者様に殺されるまでの命なんだ、楽しんだらどうだ?赤ん坊がコウノトリでやってくるなんて信じてるタチじゃないだろう?」「僕はにはなりたくない」と言ったところでふと気になったので口を開く。「あんた、他の連中とは明らかに違う匂いがするけど、何をして捕まったんだ?」男はバツが悪そうな笑みを浮かべて言う。

「ここだけの話、俺は裏ギルドの団員だったんだよ。鮮血の舞踏家ブラッド・ダンサーと言えば分かるか?」都会や冒険者については実は疎いアルバートでも、知っている名前だった。

裏ギルドというのは、通常の依頼だけでなく裏稼業や犯罪行為で生計を立てている組織の総称だ。基本的に銀・金の冒険者で構成されているだけあってその戦闘力は高い。

そして、としても有名だ。

リーダーが所属していたと語るその組織も、

「腕を鳴らしていたんだがある時囮にされちまって、死ぬまで牢屋の中で暮らす事になった時に聖騎士団からお誘いを受け、今に至るってわけよ」とそこまで喋った所で男の雰囲気が変わる。怒りとも、恐怖にも感じた。思わず身構える。

「俺は絶対に死なねえ、勇者を返り討ちにしてここから抜け出して、あいつらに復讐した後で暗黒大陸でも迷いの森でも何処へでも逃げて生き延びてやる」

とうの昔に、自分を陥れた組織など存在しない事も知らず、男は決意に震えていた。


女性は頭にバケツを頭に受け動かなくなった椎奈を見て心配そうに窺うが「だあっ!」と叫んで飛び起きた椎奈に驚いた。椎奈は身体に乗っかった岩(ミニゴーレム)を片手で掴み、自分の頭に落ちたバケツ目掛けて投げてから立ち上がった。

少女を連れ去った男たちに当然面識はないし見覚えはない。しかし、岩と唐突なキスをする直前に見えた青年の顔には見覚えがった。広場で見た、屋敷から出てきたあの青年だ。

何がどうなっているかは全く分からない。だけど何者なのかもわからない自分を助けてくれた少女が、青年が行動を共にしていた男たちにさらわれた。

ならば、助けに行かないといけない。彼女は唐突ながらもそう思った。背中に意識を向ける。あの、凄惨な状況を作り上げた鎌を持った一対の節足。

随分血なまぐさい力だけど、これを見た人々は大抵怯える。何も殺す必要はない。

これでちょっと脅せば、少女を差し出してもらえるかもしれない。

それに、ご飯を貰った恩もある。リンゴの恩もある。―――行かなきゃ。

呆然とする女性に「大丈夫です、あの子は私が助けに行きますから」と分かる訳もない日本語で言ってから、開きっぱなしになった扉から外に出た。

あの青年が本当に関わっているなら、広場の屋敷に行った筈だ。


椎奈が出て行ったあと、女性は。何故なら、椎奈の眼を見たから。

。立ち上がり外に出る時の彼女の眼は、ウェステッドの瞳とそっくりだったからだ。

かつて冒険者だった頃に遭遇し、自分の両足と仲間を奪ったウェステッドの眼が、椎奈の眼と同じだった。


広場に着いた。あの光の矢は消滅していたが、門の前にはさっきの男たちに似た雰囲気の男二人。椎奈を見るなり「あっちへ行け」とばかりに手を振ったり、何か因縁をつけるような事を言ってきた。意外と怖い。だけど退くつもりはない。

自分が何者で、この世界がどうなっているのか、全く分からない。分からない事ばかりだ。

だけど、困っている人を助けたり、悪者を倒すのは、そんな自分でもできるはずだ。

「私はあなた達を殺すつもりはありません。あなたたちの仲間が連れて行った女の子を返してほしいだけです。そこをどくか、門を開いてください」

日本語で、相手を真っ直ぐ見て言ってみたけど通じた雰囲気はない。そればかりか相手は武器まで取り出している。

目を閉じて、背中に意識を集中して見る。背中から何かを出すようなイメージを持つ。すると、あっさりと背中からが飛び出したのを感じた。

背中から羽が生えるような感触だが、生えたのは勿論違う。

伸びきったそれは何回か折れ、椎奈の前に姿を晒す。それを見た男たちの顔色が一瞬で変わった。何回か見た、怯えと恐怖の混じった顔。

一人は足まで震えている。しかし逃げる気はないのか、手にした短剣や剣を震えながら構えた。

椎奈も、退くつもりはない。だから一歩前に出る。

「これを見ても、退かないんですね…?なら、私を殺す以外で生き延びるのは」

まるで決め台詞のように、一旦おいて口から続きが出た。


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