Chapter1-3-1「初めての優しさ」

閃光と轟音と衝撃を伴って屋敷に突き刺さったのは、巨大な光り輝く柱。

いや柱ではない、矢だ。椎奈はそう思った。柱は天まで伸びているわけではなく、矢羽のような形があったからだ。例えるなら光り輝く巨大な矢が屋敷に撃ちこまれている。轟音を聞いたのか、周りに人が集まってきた。しかし兵士は見当たらないのでもう少しだけ巨大な矢を見ていると、ふとある言葉が浮かんだ。

「白羽の矢」。確か神が生贄を選ぶときに放つ矢のことだったか。小学生の頃に聞いた話では蛇の神が生贄の娘を選ぶときに放っていた。

これも同じようなものなのだろうか。しかし、一体誰が何のためにそんなものを撃ちこんだのだろうか。まあ十中八九神か、神を名乗る何かだろう。

ふと気づく。これだけ見事というか巨大な柱が突き刺さっているにも関わらず屋敷が壊れている様子はない。ファンタジーな種族が平然と歩いている世界だからおそらく魔法の矢で、破壊するものではないのだろう。まさにだ。と彼女は思った。何もかもが唐突で、急すぎるが、慌てても仕方がない。

なにせフィクションなら異世界の言葉が通じない事もそうそうなければ、仲間もとい助けてくれる親切な人間がいないこともないし、ましてや背中から化物の一部が出てくることもないのだ。下手をすれば、これから一人で生き延びるしかない。

それに、もう何人も人を殺してしまっている。今更何を慌てるというのか。

広場にそれなりの数の人間が集まっている。しかし、亜人(エルフなどの人外)やタグを下げた人間の姿は見えない。彼らはこの街の住人ではないのだろうか。


集まってきた人間を見回してると屋敷の正門が開き、中から誰かが来たので少し離れて木の陰から様子をうかがう。顔と制服に空いた穴を隠すための布は矢が突き刺さった衝撃で吹き飛ばされてしまったのかなくなっていた。

正門を通って人々の前に現れたのは二人の兵士を伴った金髪の青年だ。

格好はやはり中世ものでこれでもかと見たような裕福そうな格好。どのような様式なのかは椎奈は分からなかったが一見した感じ貴族と呼べるものに見えた。

ざわつく人々に対し青年は何かを言っているが、分からない言語に加え離れた場所で聞いているため何を言っているのか分からない。しかし、聞いている住民たちは明らかに抗議にも見えるざわめきを起こしている所から、人々にとって望ましくないことを彼は言っているようだと椎奈は思った。

何人かが彼に挑みかかろうとして、伴っていた兵士に抑えられている。

そのうちの一人をよく見たら、最初に出会っていきなり殺されかけたあの兵士だった。そして彼がこちらを見た気がして、椎奈はその場からすぐに離れた。



「演説」を終えて、アルバートは自室に戻ると頭を抱えてくずおれた。

「なんてことを言ってしまったんだ…!僕は…見ず知らずの人にあんなひどい言葉を…」

この街は複数の貴族によって統治されている。去年「取り潰し」にされた一族も、そのうちの一つだった。勿論アルバートの家もそのうちの一つ。

各一族による合議制で、これからアルバートも当主としてその場に出るための勉強をするはずだった。それがまさか、女神の矢でこうなるなんて。

王国では禁書扱いされている女神の矢で勇者の敵となったものが遺した文書の一文を思い出した。「自分はこれまで悪事など微塵も考えた事がなかった。しかしあの矢に選ばれた悪役は、悪の人格のようなものを植え付けられる」とあった。

その真偽は、自分がまさに体感して分かった。あの文書は本当だったのだ。

椎奈には分からなかったが、彼は彼の家が統括する区画の税を引き上げると住民に言い放ったのだ。それも一般の市民には払えないような額だ。自分でも何を言っているのか分からなかった。そもそも、税を上げなくても自分の家は通貨の価値が変わらない限りは十数年は何をしなくても生きていけるしメイドの給料も払えるくらいには資産は残っているし、街も増税をする必要はない。

なのに先程の自分は増税すると発言したのだ。それに抗議した住民に対して自分では想像したこともないような暴言を投げつけてしまった。

。そんなことを言い放っていた。そんなこと今まで言ったことも思った事もなかった。言っている自分が嫌になった。それを察してくれたのかは分からないが兵士たちが住民を押さえてくれた。あのまま自分の口に任せていたら勇者に殺される前に民衆に殺されていた。


悪人ではない人間は強制的に敵になるよう人格まで植え付ける。

彼女の豹変ぶりもよく分かる。同じ貴族である自分にすら高圧的な態度を取っていたのだから。彼女も同じ気持ちだったのだろう。

恐らく近いうちに勇者がやってきて、自分も彼女のように無茶苦茶な暴論をぶつけられて殺されるのだろう。そう、誰も彼も。何故なら勇者は自分の敵は例え子犬でも殺すような、下手な暴君よりも暴君をしている存在。

雇っているメイドも、両親の時代から仕えてくれているメイド長も、執事も、飼っている妹のペットたちも、そして、妹も。

妹の顔がよぎったと同時にドアをノックする音が聞こえた。「お兄様…」

その妹、イリスの声だ。入れ、と言うと心配そうな表情を浮かべて彼女は中に入ってきた。「選ばれて…しまったのですね…」「うん…」

会話が続かない。思い返せば、母が死んでから妹とあまり話すことがなくなっていた。避けていたのではないのだけど。話しかけるきっかけが出ない。

「大丈夫だ」口から辛うじて出した言葉はそれだった。「僕が、何とかする。お前だけはどうにかする」「お兄様…?」「僕が、僕である内に、みんなをここから逃がす」せめて妹だけでも。いや、ここにいるみんなを逃がさなければ。

「まずメイドの皆を解雇して、僕らの家から離す。僕は口下手だから、それはセバスチャンに任せてもらう。次に、お前とセバスチャンを、近くの農園のおじさんの家に暫くかくまってもらう。お前は兄とは違う聡明な妹としてこの家を守るんだ」「そんな…」「無茶苦茶だけどこれしか方法が浮かばないんだ。勇者に話術や戦いで勝てる見込みなんてない。分かってくれとは言わない。でも僕はお前を大切に思ってる。母さんも父さんも死んでしまった今、僕達はふたりぼっちで、最後にはお前ひとりになってしまうけど、お前にはまだ未来が残ってるはずだ。何処かの世界からやってきた訳の分からない奴に、奪われていいわけがない」そう言って、彼は初めてイリスを抱き締めた。恋人でもしなかったくらい強く、大切そうに。「ごめん、ごめんよ。僕までお前を置いて行ってしまう。だけど父さんたちと一緒にお前をずっと見守っているから、お前だけは生きてくれ」

ひとしきり喋った後、彼はイリスより先に泣いた。


一方、騒動の中心人物の椎奈は広場から離れた歩道で倒れていた。

空腹の上で走ったのでとうとう空腹感に耐え切れずに倒れたのだ。

「もう、動けない…」生前を含めば最後にものを食べたのは高校で弁当。

いつもならそれで十分なのだけど、今回は色々と例外が多すぎた。

全力疾走を二回。外見はともかくインドア派の彼女には辛い運動だった。

、体力の消耗もやけに早い気がする。

「この世界の人に殺される前に餓死する…」突っ伏したまま嘆いていると誰かが近づいてくる音と気配を感じたので、顔だけ上げると、そこには活発そうな短髪の少女がこちらを見ていた。「すみません…お腹が空いてるので助けてください…」と日本語で頼むが、やはりというか通じてるようには見えない。

しかし、身体から響く腹の音が彼女に事情を伝えたのか何事かを言いながら彼女は肩を担いで椎奈を起き上がらせる(無理だと思ったので椎奈が立ち上がったのだが)と、何処かへと歩き始めた。その間も何か言っていたが、当然の如く椎奈には何を言っているのか分からなかった。

その時頭に浮かんだのは、高校の頃英語は真面目に受けるべきだったな。だった。

生前の自分は教師に「英語よりもドイツ語を習いたい」と言っていたが、英語が怪しいお前がドイツ語を覚えられるかと一喝されていた。

まあ、仮に英語とドイツ語を覚えられていても、意味はないけど。


少女に連れてこられたのは裏路地。しかし今度は建物の間に階段があって降りていくと、目の前には椎奈の知識上ではと呼ぶような光景が広がっていた。とはいえ人々の格好はそこまで貧しいようには見えない。精々多少の汚れがあるとか、なんか元気がないように見えるくらいだ。

だから貧民というよりはやや貧しい人間が住んでいる区画なのだろう。と彼女は思うことにした。近くのベンチに座らされて少女は何処かへ走っていったので、目で追うと修道女らしき、少なくとも神に仕える系の人間が何やら炊き出しのようなものをやっていた。さっきから空腹を煽ってくるいい匂いの出所はそこだった。

シチューのような、あるいは米のような独特の香りだが少なくとも美味しくないものではないだろう。というか贅沢言えない。生のトマトを食べさせられるよりはマシだ。と彼女は思った。この世で一番嫌いなものがトマトだからだ。加工済みなら食べれるが直接は吐くくらい嫌いだ。

待っていると、少女が炊き出しから貰ってきたのだろう、木の器に入ったそれを持ってきてくれた。見た目はシチューのようだが、同時に渡されたスプーンで掬ってみると中には米が入っていた。シチューはパンで食べる派の椎奈だが、ご飯で食べれる派もいることは知っている。とはいえお腹が空いている椎奈は、頭を下げて礼を言うとガツガツと掻きこみ始め、ものの十数秒で完食してしまった。

想像以上にお腹が空いていたのかと自分でも驚くほどのスピードだった。詳しい味なんて覚えておらず、とりあえずおかゆがシチュー味になったくらいの感想しか出ない。それぐらい身体が必死に食事を求めていた。すると続いて少女はリンゴを差し出してきたので、お礼をしながら受け取って、皮もそのままに齧って、やはりすぐに食べきってしまった。


一方、アルバートは街のゴロツキや不良を更に悪くさせたような集団に囲まれていた。イリスと最後の別れともばかりに抱擁を交わし、部屋でくつろいでいると部屋の外から複数の男の声が聞こえたので何事かと出てみると、今自分を囲んでいる男たちがメイドに絡んでいる所だった。自分が出る前に執事が彼らからメイドを引き離したので、それ以上のトラブルにはならなかった。代わりに自分が囲まれたのだが。

「誰だ、お前たちは…」恐怖を我慢して聞くと、リーダーらしき男が口を開く。

の雇われさ。お前みたいに不幸にも女神さまに選ばれちまった奴が従えてる悪党としてここに来たんだよ」聖騎士団。王国や転生者に不満を持っているものであれば魔物か、ウェステッドの次に嫌われている組織だ。

名前の通り本来は王族直属の特殊部隊なのだが、勇者の旅が慣習として行われるようになってからは暗い噂が絶えない。男は続ける。

「勇者様に殺されるまで自由になるのを引き換えに、お前らの手下として行動するのさ。ここにいる奴ら全員が、死刑か死ぬまで牢屋に居るより勇者様のお手にかかって死ぬことを選んだってわけだ」

本来なら機密であることを得意気に喋る男。「そんなこと、何で僕に明かすんだ」

「そりゃ、どうせ勇者様には勝てないからだよ。今回の勇者様は、前回の勇者様の戦闘タイプなんだと。だから俺たちがここにいるのさ」

男は不敵に笑って言う。「どうせ勇者かウェステッドに殺されるんだ。なら、最後ぐらい自由に生きようじゃないかよ」


その頃、椎奈は一個だけでなく三個もリンゴを平らげ、四つ目を少しずつ齧りながら少女の後をついていっている。正直騙されているかもしれないが、ここまでよくしてもらっているのだからそんなことを考えるべきじゃないと思いつつ、少女が入っていった家、戦争の図鑑で見たような家屋の扉を開けて中に入った。

中は意外と広く、小さい子供たちと、ベッドに寝ている女性がこちらを見ている。

少女は子供たちと女性に何かを言っているようだが、当然ながらさっぱりわからない。多分自分は危険な人物じゃない、みたいなことを言ってくれているんだろうと楽観的に思った。

話が終わると、少女は次に丸椅子に椎奈を座らせて、色々と話しかけてきた。

「貴方は誰」とか「どうして倒れていたの」なんだろうけど、さっぱり分からないので適当(それしかできない)に「ああ」「うん」と相槌を打った。

その時、急に眠くなってきた。思えばここに来てから精神的にも肉体的にも休まってなかった。それがやっと安心できるようになったからか、緊張の糸が切れたように身体の力が抜けて、そのまま床に倒れてしまった。

心配そうにこちらを見る少女の顔が、最後に見えた光景だった。

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