1話 ワンダーランド

 グンマー原生林は、名前の通り豊かな自然が売りの秘境である。

 カントーの天然資源の出所を辿ればだいたいここに行き着くとも言われ、発達しているが故にそれらの不足している茨城連邦はグンマーの豊かな資源を狙って邪魔なトチギ帝国への侵攻を目論み、企業を嫌う皇帝に付き従うトチギ帝国の騎士、及びグンマー原生林から駆けつけた部族傭兵はそのファンタジックパワー・あるいはオカルトパワーで彼等の侵攻を跳ね除け続けている。

 無謀な一部の企業は埼玉ムーアを突破するルートを開拓せんと特殊装備に身を包んだ工兵を送り込んだりもするが、まあ大体それらは沼の中に突入していったきり戻ることはなかった。

 稀に、それにもめげず原油を発掘するツワモノもいたが、大体が石油メジャーに取り込まれて終了であった。


 北上して福島にいくなり、いっそ海に出るなりしないのか?

 という諸君の疑問は最もだ。

 だが、海は海で危険なのだ。小さな漁船が陸の近くで細々と漁をするくらいであれば大丈夫なのだが、一定距離まで進むと船が同じ場所を延々と進み続ける現象に苦しむことになる。

 港が見える距離なのに陸に戻れず、外海にも出られないという怪奇現象により船を捨てざるをえなくなるのだ。


 これは小型船での脱出が可能なことが判明している為、茨城連邦の水平線上には打ち捨てられたタンカーがいくつか存在している。


 空はもっと苛烈である。

 人工物が一定高度より上に上がると謎の光学兵器で撃ち落されるのだ。

 機械による観測は太陽から放たれた光のような何か、としかわかっていないため、皮肉を込めて連邦はこの現象を引き起こす高度をイカロス高度と呼んでいる。

 ちなみに、この世界には福島と呼ばれる地域はそもそも存在しない。たどり着けないからだ。陸でも海と同じ現象が発生し、北上しきることが出来ないのである。

 カントーから逸脱しようとする者は際限なく広がる県境によって阻まれる。これがカントー全ての地域の常識である。

 これらのカントー脱出を阻む意味不明な現象は、「常識の壁」とも呼ばれている。10日以上進んだあとでも、帰還には1時間かからなかったりするのでもはやそういうものとして認識するしかないのだ。

 カントーの境界は「そこにある」ということを知らなければ到達できない地区というものが乱立する魔境であり、無限に開拓可能なフロンティアなのだ。


 故に、陸地に「常識の壁」を持たないセンヨウ荒野は、カントーの中で最も価値の無い土地であった。


 崩れかけのコンクリート建造物が広がる荒野であるため再開発するためにはそれらを撤去せねばならず、なぜかあまり雨がふらないため水源に乏しく、トーキョー遺跡から侵入してきたミュータントや狂ったマシン、挙句に荒野になる以前の住人の成れの果てであるアンデッドや、暴力の化身である悪魔憑きがうろついているとなれば誰だって自分の土地にある「常識の壁」を開拓する。

 もっとも、茨城連邦にとって魅力的な何かがあれば今頃センヨウ荒野は茨城連邦に取り込まれてしまっていただろうから、魅力的な何かが無いことは神の慈悲であったのかもしれない。


「いや、それはねーわ。神ってクソだわ。」


 悪魔憑き――いや、悪魔戦士「キャスト」達の支配するセンヨウ荒野唯一の人類生息圏、センヨウワンダーランドの市民であるタクマはそういって担いでいた天秤棒から、水瓶を降ろした。

 軋む肩を軽く回してやりながら、深々と息を吐く。毎日やっていることとはいえ、自分の半分ほどの重さのある水瓶を運ぶのは楽な仕事ではない。

 とはいえ、毎日水源から一定量しか汲む事が許されない水はこのワンダーランドでも貴重品であり、それすらない荒野では一杯の水の為に殺し合いが起こることも珍しくはないのだ。貰えるものは貰っておくに越したことはない。

 

「いうて、キャストの連中は毎日風呂に入って浴びるほど飲んでんだよなぁ。市民は取水制限あるっていうのによ。堪らんぜ。」


「追加労働すればスチームバスの使用は許可されじゃないですか。怠惰が招いた事を人様のせいにするなといつも言っているでしょ。」


 うげ、と顔を顰めたタクマの背後から、彼よりも少し年を重ねた、それでも青年といえるほど成長はしていない少年が部屋に袋を持って入ってくる。タクマと同様、配給品の食料を運んできたのだ。


「先生さー、音も無く歩くの止めてくれよ。心臓に悪いんだって。」


「僕に言わせれば、キャストの悪口を平然と口にする貴方のほうが心臓に悪いんですけどね。自宅だからって油断しているといつか不敬罪で追放刑に処されますよ?」


 減らず口を止めないタクマにやれやれと首を振りながら、先生と呼ばれた少年はそのまま横を通り過ぎて冷蔵庫を開き、中に食材を収めていく。食材といっても、パッケージされた業務用のスープやパン、サラダなどなのだが。


「またマメとかぼちゃのスープにパンとサラダなの?ハロウィンキャンペーンとか誰得なんだよ。いい加減肉が食いたいよ先生。」


 それを覗いていたタクマは唇を尖らせる。

 ワンダーランドの配給食は、元々ワンダーランド(正式にいえばトーキョーワンダーランド)にあったという遺失技術で作られた製造プラントによって生産されている。

 どんな物でも原料として分解、再構成するという製造プラントは廃棄物処理プラントでもあり、自然資源に乏しいワンダーランドで人類が未だに生きていられるのもプラントの存在のおかげである。

 が、プラントにも欠点は存在する。

 元々がレジャーランドの生産設備であるためにメニューに乏しく、また、季節に応じて行われるキャンペーンにあわせた品を作ることしか出来ないのである。

 食料庫には、コミカルなハロウィンの柄が描かれたパッケージがずらりと並んでいた。


「僕は好きですけどね、かぼちゃスープ。ほんのり甘くておいしいじゃないですか。」


「毎日毎日かぼちゃスープかぼちゃスープ。そのうちへそからカボチャの蔓が生えてくるんじゃねーの。」


「なにアホなこと言ってるんですか貴方。かぼちゃ味なだけでこれ合成食品ですよ?」


「知ってるわ!!」


 真面目腐ってタクマに返答する少年の態度に、タクマが拳を握りながら怒鳴る。

 共同生活しているものの、この少年は一応自分にとって上司に当たるのだが、そのどこかずれた感性の為か話しているだけでどっと疲れが押し寄せてくるのをタクマは感じた。


「何を怒ってるんですか、変な人ですね。早く食事しないと仕事に間に合いませんよ?」


「あのね……まあいいや。飯にしますか。」


 二人分の朝食のパッケージをテーブルに出すと、タクマはおざなりな祈りのポーズをとる。それを注意しながら、先生と呼ばれる少年も向かい合って座り祈りのポーズをとった。

 そして、厳かな態度で祈りの言葉を口にする。


「昨夜も我らと共に有り、全ての脅威、全ての災いより我らを守り、朝を迎える事を見届けしキャストの皆様に感謝いたします。願わくばこの平穏が――」


 その祈りにおかしなことがあるとするならば、それは祈りが神ではなく、キャスト、つまりは支配者である悪魔憑きに向けられたものであることであろうか。

 悪魔とは神や天使と対立するものであるのに、少年の祈る姿は神に奉ずる神職のそれと変わりのない物であった。

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