第38話 僕はなくしてから大切なものに気づく

「でも……遅かったな」

「あん?」

「いや、この気持ちに気づくのがさ」


 いなくなってから、大切な存在だったって気付くなんて……。


「何だ? 諦めちまうのか?」

「いや、もう遅いでしょ? あんなラブラブの光景を見せられたら……ってか、僕、嫌われちゃってるし。まあ当然か? こんな情けないぐちぐちした男……女の子はああ言った積極的な「俺について来い!」的な男らしい男が好きなんだよ」


 心底呆れたように、僕の目の前で大げさにため息をつく健。


「何て卑屈な男なんだお前って男は……いいか? 俊一! この言葉をお前にくれてやる。やらずに後悔するなら、やって後悔しろ!」

「はあ、何か良く聞く言葉だよね。それって結局後悔するんだよね?」


「ゴチャゴチャうるせーよ! どのみち、駄目なら駄目でもう会う事もねー訳だし、この場合はこっちの方がスッキリするんだよ!」


 確かに……後悔するくらいなら……。


「あと、もう一つ最低な事をしたと思う事があって……」

「あぁ〜、今度は何だよ?」


「立花さんの事」

「ああ〜、それか〜……まあ、なんとかなるんじゃねーの?」


 いや、なんとかはならないと思う。


「それを考えてたら、どうしてつき合ってしまったんだろうって」


 僕の肩にポンと手を置く。そして親指を立てて「何発か殴られてこい!」と爽やかな笑顔を見せる。


 いやいや、そんな簡単な問題じゃ……。


 教室に着くと、立花さんが僕の所に来た。


「おはよう俊一君。あの……、昨日はごめんなさい!」

「えっ?」


 何で? 謝らないといけないのは僕なのに。


「ち、違うよ! 立花さんはぜんぜん悪くないよ。むしろ謝らないといけないのは、あの場で逃げるように帰った僕の方なんだから」

「き、聞いて! そうじゃないの!」


 立花さんは僕の言葉を遮った。


 そして、僕の瞳をじっと見てくる。

 二人の間に微妙な空気が流れる。


「は〜い! お二人さ〜ん、自分達の世界に入っちゃってる所悪いんだけどさ〜、もうそろそろ先生来ちゃうよ〜」


 女子の声が教室中に響き渡り、周りからは笑い声が巻き起こった。


「そ、それじゃ。後で」

「う、うん」


 立花さんは何を言おうとしてたんだろう?

 健の方を見ると、呆れたような顔をして僕の方を見ていた。




 それから数日間が過ぎても、この時の話が立花さんの口から出ることはなかった。もちろん、僕の出した結論も立花さんには伝えていない。


 そして、立花さんといつもと変わらない時間を共にする。このままじゃ、ダメだって分かっていながら。


「最近、何か考え事でもしてるのかな?」


 学校が終わり、立花さんと一緒に下校している時だった。


 ふいに、立花さんは聞いてくる。


「えっ、ど、どうして?」

「何か元気なさそうに見えたから……何か思い悩む事でもあるのかなあと思って」

「…………」


 立花さんは上目遣いに、こちらを見上げてそう言ってくる。


 僕は立ち止まり、彼女を見つめた。


 僕はいったい、彼女に何の不満があると言うんだろう? こんなに可愛いくて、思いやりがあって、人の事を考えて行動できる人。クラスのみんなからも慕われている。


 そして…………僕の初恋の人。


 間違いなく最高の恋人だ。


「い、嫌だ、俊一君。そ、そんなにじっと見ないでよ」


 立花さんは可愛いらしく、頬を染めてモジモジしている。


 立花さんは最高の恋人だ。でも、僕は……。


 そんな可愛い立花さんを、今から傷つける。


 僕は最低だ。


 最低の僕は最高の立花さんに向き合って、ゆっくりと口を開く。


「ごめん……立花さん。実は…………好きな人が出来た」


「…………えっ? 今……何て?」


 瞳を大きく見開いてこっちを見てくる。


「…………好きな人が…………。だから…………ごめん……なさい」


 僕の言葉を聞いて、髪で顔が見えないくらいにうつむく立花さん。


 最低だな……僕は本当に救いようがない馬鹿野郎だ。


「…………」

「…………」


 静かに時が流れる。短いようで長い時間。


 やがて立花さんが静かな声で話し始める。


「……………たかちゃん……かな?」

「………………うん」

「…………そっか。やっぱり駄目だったか」


 笑っているのか、泣いているのか、髪に隠れた顔から表情は伺いしれない。


「ごめん。好きに殴ってくれていいから」


「いいの?」


 小さな声で呟く。


 僕は小さく頷いた。


 立花さんは大きく手を上げる。


 僕は覚悟を決めて目を閉じた。


 その瞬間、身体をギュッと抱きしめられた。


「えっ?」

「じっとしてて! しばらくこうさせて」


 僕は何も言えずに、じっとされるがままになっていた。立花さんはそんな僕に言葉を紡ぐ。


「好きな人を……殴れる訳ないじゃん……。絶対にたかちゃんを連れて来るんだよ」

「うん」


 そして、立花さんは僕の身体からゆっくりと離れていった。


「それじゃあ、ここで別れよっか!」


 そう言って顔を見せないまま、僕から遠ざかる。


「い、いや、危ないから家まで送って……」


「その優しさは残酷だよ」


 そう立花さんから言われた僕には、もう、かける言葉を持ち合わせてはいなかった。

 そして、立花さんの背中が見えなくなるまで、その場に立ちつくしていた。

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