夜明け前のパラノイア
トンネルを抜けるとそこは雪国だった。
そんな美しい体験はしたことがない。
少なくとも、僕の現況は「ゲームをしながら眠りこけていた」。
32型液晶テレビには緑と青で描かれたドット絵の世界が広がっている。
こたつに入ったまま、横向きに眠りついていた僕は頸を鳴らして身を起こした。
眠い、首が痛い。しかも、寒い。布団で寝ないから当たり前だ。
こたつのうえにあった飲みかけのコーヒーを飲み干す。
喉も痛い。
再び横になり眠ろうかとも思ったが、強烈な尿意に気づき、トイレへ行った。
洗面所で手を洗い、口をすすぎ、すっきりしていくらか目が覚めた僕は、付けっぱなしのテレビと電気を消してこたつに入った。
時刻は午前五時十五分。土曜日の休日としては革命的な早起きだ。ここで余裕ある時間をいかに効率的に使えるかで人間の価値が決まるのならば、僕はたいした人間にはなれない自信がある。
薄暗いが、真っ暗闇と言うほどではない部屋の中でぼんやりと天井を見下ろす。
頭がフラフラしているせいで上に向かって落ちていきそうな錯覚を感じた。
思い返せば、昨夜の帰宅が夜の八時。買ってきた弁当を食いながらゲームをやり、日付をまたぎ、多分三時前には寝むりに落ちた。
価値観なんてクソ食らえ。
スリーピングバタフライを口ずさんで大の字に寝る。昔、実家からくすねてきた法事用の座布団が首にジャストフィットしていい感じだ。
まぶたを閉じると天井がぐるぐる回っている。
一人暮らしのアパートでは、部屋が散らかっていようとも、二度寝をしようとも、誰も文句を言わない。
まして、今日は来客予定も外出予定もない。昼過ぎにもう一度起きて、風呂に入ろう。
予定なんて大嫌いだ。
耳の中では大航海時代Ⅱの海洋テーマがリフレインしている。
僕は、基本的にはテレビゲームをしない。のではあるが、三年に一度ほどの割合で無性にやりたくなるときがある。たまにキャッチボールをやりたくなる感覚に似ているかも知れない。
やりたくなるのは主に三つ。大航海時代Ⅱ、ドラゴンクエストⅥ、そしてタクティクスオウガだ。どれも古くて妙に好き。
アモールの西で、はぐれメタルを狩り、死者の宮殿に潜る。話の本筋に関係なくても関係あるか。俺はそれがやりたいんだ。
それに比べれば大航海時代Ⅱはいくらか建設的だ。
オランダから出航し、当時の暗黒世界だったアフリカ、アジア、北極海を制覇する。大阪で村正を買うのも忘れない。使うことはないけれど。
ロペス。ロペス。ロペス。メルカトール号で世界をかけるぜ。
六人も選択可能な主人公がいて、他の五人は複雑にストーリーが絡み合っているのに、我らがロペス提督には陰謀のいの字も出てこない。ただ世界地図を作って盟友メルカトールに尽くして小遣いをもらう。本当にそれだけの話。
何が面白いのかと言われれば、ラティーナ級の小型艇でアマゾン川を遡上するのが楽しいのだ。
僕は今まで生きてきてこれより面白いゲームに出会った事がない。
船員十二名の小型船に、システム上カウントされない航海士団を三十名ほど乗せて、アマゾン川の最上流を目指す。ばかばかしくて無意味で困難。まさに娯楽そのものではないか。
システム的に、航行に必要最低数の九人がいれば船は普通に動く。三人の見張り要員を乗せて出航するのが最も効率的に航海できる。
そうしておいて、アマゾン川の流域に現地住民の集落を見つけたら、捜索を行う。
うまくいけば貴重な発見があるかも知れない。
ただし、アマゾン川での発見は比較的危険なものが多い。
巨大な爬虫類に船員がやられる場合があるのだ。船員の負傷が三名以下ならばセーフ。見張り要員を運行要員に割り振り直して最寄りの町までアラホラサッサー。
四名以上なら、アウトである。
船の運航要員が最低必要数を割った場合、速度がガクンと落ちる。
事故発生箇所と風向きがよほどよくない限りは船上で、海上で、徐々に干涸らびていくのを待つだけだ。
食料がなくなり、水がなくなり、船員が減り、速度はさらに落ち、それでもしっかりと「航海士達に給料を支払いました」。いや、おまえら働けよ。
システム的には彼らがいくらいようと船は動かない。主人公であるロペス提督とその腹心、そして居候、さらには三十数名の航海士達は決して船員の代わりにはならないのだ。
サーベルと拳銃を持った将校がいくらいようと兵には勝てないと歯噛みした守原大将の気持ちが痛いほどわかる瞬間である。
何事にも棲み分けがある。
将校と下士官と兵が別れるように、航海士と船員もまた別の生き物なのかも知れない。
ドラクエではそのうち万能キャラばかりになるが、タクティクスオウガではやはりキャラクターの使い分けが必要だった。主にハボリム先生のペトロクラウドが効かない相手に対して。
過去数十回に渡ってトライした「アマゾン川遡上計画」が頭をよぎる。
そのうち一度の挑戦で成功したことがあっただろうか。ほとんどは二次三次でどうにか達成している。
今、ゲームの進行状況はようやく、ベトナムといったところだから、まだ半分ほどだ。
とりとめも、意味も、必要もない思考が頭をよぎる。
二度寝する前はいつもそうだ。
昨日のことを思い出す。
酒が好きで、金曜は誰かと飲みに行くのがほとんど。二回に一回は朝日を浴びながら歩いて帰る。さて、ゲームと並べてどちらが不健康だろう。
平日でも酒は飲むが、それ以外では運動をしている。
体を動かすのは、趣味であり、娯楽であり、ストレス発散の手段である。
スポーツクラブの従業員が浮かぶ。
横にどでかい受付嬢と、横にどでかい水泳インストラクターがいるそのスポーツクラブで、できる限り筋トレをし、走り、気が向けば泳ぐ。
説得力はまるでないが、まあ、笑えるジョークだとは思う。ジョークは好きだ。 清水義範は天才だと思う。ついでに言えば星新一は神だとも思う。
部屋の掃除と、車の給油と、散髪と、あと何かいろいろしなければいけないことがあったはずだけど、多分僕はやらないだろう。
なんやかんやでダラダラして、動き出すのは多分夜九時過ぎだろうか。
気が向けば部屋は掃除できるかも知れない。ランニングも時間にかかわらずやれることだ。
でも多分やらない。
あと一八時間残っている土曜日は怠惰に消費しようと決めてしまった。
少しだけ大航海時代をやって、中古で買ったアメリカンギャングスタを見て、読んでいない本でも読もう。確かまだ、読んでいない本が何冊かあった。ウォッチメンの注釈も読み切っていない。
ふと、目を開ければ時刻はすでに六時になろうとしていた。
考えながら浅い眠りを繰り返していたのかも知れない。
言い訳をすれば、いつだってこんなに怠惰ではない。それなりに義務も果たしているし、悪巧みに明け暮れることもある。
デトロイトメタルシティのセリフを借りれば「世界の片隅で核兵器を創っている感じ」に浸ることもある。
部屋で核兵器を創ろうとしてのは太陽を盗んだ男だったろうか。見たことないけど。
でも、少なくとも今はそうじゃない。この瞬間は神様にもあげやしない。僕だけの自由にさび付いていく時間。
腕を頭の後ろで組んで、あくびを一つ。
目が冴えた。
無性にコーヒーが飲みたくなる
台所から缶コーヒーをとってきて、あまりの寒さに、こたつに逃げ込む。
飲み口を開け、冷えたブラックコーヒーを一息に飲み干した。
昔は、コーヒーなんて飲めなかったのだけれど、今では立派なカフェイン中毒者だ。
仕事が忙しくて忙しくて睡眠時間が著しく欠けたとき、感情さえも定まらないほどに消耗しきった時に、コーヒーを飲めばまだ少し動ける気がして、今思えば一種の自己催眠だったのだけど、とにかくコーヒー漬けで仕事をこなしていた時期があった。
その後、仕事は落ち着いたのだけれど、習慣としてのカフェイン摂取は後遺症として残った。
飲み干した缶をじっと見つめ、自分に言い聞かせてみた。
レモン、れもん、檸檬。これはレモンだ。
当然手の中にあるのはスチール缶だが、必死にイメージしていると手の中にはレモンが握られている気がしてきた。
デコボコで、レモン色で、スーパーで売っていそうなしなびた感じ。
レモンに思い入れはないので、次の手順に進むことにした。
手のひらにあるのはレモンではなく爆弾だ。
本物を見たことはないけど、シティーハンターで見たようなデコボコの手榴弾を詳細に思い浮かべる。
ピンがあり、これを引っこ抜いて投げるのだ。多分、自信はないけど。
爆弾、手のひらの中の危険物を持って、本屋に行く。何となく、イメージでは大きな本屋がいい。白い壁と本棚と天井。目の前には実用書の棚。
僕はそのうち、箱入りの辞書を引き抜き、空いた隙間に爆弾を置いて店を出る。
ふと我に返れば、空き缶を見つめる自分がいた。
手の中には変わらずに一八〇ミリのスチール缶があり、爆弾どころかレモンでもない。
必要もない疲労を溜め込んで、自由に妄想を巡らせるのは、果たして健全か。
頭の中で議論の風景が浮かぶ。
他の老人に口も開かせまいとツバを飛ばすのはステレオタイプの教育ママ。
不健全のすべてを嫌うような意見を出すのだろうか。
だったら僕は真っ先に嫌われる自信がある。だって「俺はナードだぜ」って、自称できるもの。多分。ジョックスの一員で、学生時代を変わり者で通した僕は、強い道徳心や信念を掲げるヒトから酷く嫌われる傾向にあるらしく、それが押しつけがましければ、僕がその場を去ろうとしてもなお、追いかけてきてその信念を押しつけようとするのなら、ツバを吐いて相手の最も投げられたくない言葉を口にするだろう。
極力ヒトに嫌われたくない僕が、そこまでやったのは、過去何度もないが、それでも何度かある。
それ以降、その相手に話しかけられたことはないので、言葉のチョイスはそれなりによかったのかも知れない。
不健全ゆえのナードであり、空気を読まないためのジョックが僕の評価だったが、さて、高校の時に根暗ないじめっ子がいた様な気がする。
今や誰に聞いても行方の知れないそいつは、文系の王様を気取ろうとしていたのだろう。
それは、まあ、個人の自由だと思うが、僕にまでその支配下に入るように迫ってきたときはどのような判断があったのだろうか。
コミュニティー的に、スポーツマンも帰宅部もヤンキーもオタクも等しく仲良くしていたのだけど、最後の部分しか目に入らなかったのだろう。
僕がナードの友人と話していると、後ろから絡んできた彼は、持っていた傘を窓から捨てられ、胸ぐらを掴んで脅され、最後には泣かされてしまい、今にして思えばかわいそうなほどびびっていた。
当時の僕は単に不快で、今でも思い出すと不快なのだが、傘を捨てたのはやりすぎたと思う。四階の窓からだったから、せめてよく下を見てから捨てるか、分解してゴミ箱に突っ込むべきだった。
それ以降の僕の記憶にほとんどそいつは出てこなくなったので、おそらく僕を避けていたのだろう。
その頃の恋愛も、今にすればよくやってた。
ラブホテルにもよく行ったが、一度だけ。姉が住んでいるアパートに、彼女を連れ込んだことがあった。知られれば今でも絶縁ものの悪行だろう。
しかも、その日の昼間は別の女とあって、やって。
それでもその夜は、何度も抱き合ったのだから、元気だったのか、バカだったのか。
以前、勤めだして何年かしたころ、まだ学生の友人から「結婚はしないのか」と聞かれたことがあった。
子供の頃は、大人になると結婚する者かと思っていたそうで、僕もそう思っていたのだけど、意外とそんな気が起きない。
世代的なこと?
いや、至極プライベートなことだ。自分の問題まで社会学者に語らせてたまるか。
世界が広いことに気づいた。それを成長だというのなら、結婚することの、知らなかった怖さにも気づくようになったのは成長だろうか。
もちろん、言い訳だ。が、誰にも納得できるような回答法も無い言い訳だ。
レボリューショナリーロードを見たから結婚できません、て、見てないけど。
ふと、大きなあくびをひとつ。
上を向いても涙は流れる。
まして歩きながらだと何をいわんや。
また眠っていた。
時刻は六時半。薄ぼんやりとは明るいが、まだ日は昇っていない。
寝返りを打って、うつ伏せになる。そのまま伸びをひとつ。
学生時代の恋人との情事が浮かぶ。肉感的な、夏服のオトナシイコだった。よく僕のいうことを聞く、便利な女の子で、僕がもっとも傷つけた人間。
いつか再会することがあればどんな場所でも土下座して謝ろうと思っている唯一の女性。
たぶん、彼女と結婚するべきだったんだと思う。それにビビッタのが僕の失敗だとも。
その子は、市立図書館の片隅で僕に抱かれながらなんと言っただろう。
たくさん話したけれど、彼女のことを思い出そうとすると「最後の言葉」が邪魔をする。一方的に傷付けられるだけだった彼女が最後に僕に投げつけた言葉。
今でも耳から離れない彼女の泣き声。
いたたまれなくなり、鼻から深呼吸をする。
埃っぽい冷えた空気。
再びのどの渇きと尿意を覚えてトイレにたった。
グラスに注いだ水道水をコタツに座って飲む。
おおよそ二〇〇ミリ程の水を二息で飲み干す。
少し目が冴えた。
手近な週間少年チャンピオンを手に取った。三週間前の号だ。
毎週雑誌を読むことがアカデミックならこれも文化的だろう。
ヤンキー・トゥ・アスリートが看板色のこの漫画雑誌は、スポーツ漫画がやたらと多くて、毎週どれかには見せ場がある。
ひたすらケンカし続けるのもフィクショナルなスポーツ表現だとしたら、およそ八割はスポーツで、しかも熱い。
サッカー、自転車、プロレスと読み、野球を飛ばして格闘技と読んでいく。
一通り読み終えるのに十分はかからない。
他の本を探して本棚を眺めても、気分が乗る本は無かった。
経済学関連が2冊、映画評論が二冊、戦争が舞台の小説が六冊、他にヤンキー、推理、サスペンス、古典、分類不能などが並んでいるが、どれも乗らない。
アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?
世界の中心はエアーズロックか?
冴えたやり方は本当にひとつか?
火浦功のウラシマが読みたくなったが、実家に置きっぱなしたままだ。絶版になって久しいから紛失したら二度と読めないはずだが、さて、処分されていないだろうか。内容なら完璧に頭に入っているけど、思い出すと泣いてしまうのでそう簡単には思い出せない。
少しだけ思い出してあまりの切なさに涙が出てきたのでやめる。
まあ、僕はチャンピオン読んでいても月に一度は泣いてしまうくらい涙もろいのだけど。
蝿の王を読みたいと思ったのはちょうど一年くらい前だったことにふと気づいた。
結局、十五少年漂流記もロビンソー・クルーソーも読んでいない。読んだのは ハックルベリーフィンの冒険とかそんな感じか。
カフカの変身を読んでひどく驚いたのも最近だった気がする。
中島らもの「今夜すべてのバーで」や、誰だかの糖尿病私小説も興味深かったが、いとうせいこうがひたすらすき焼きを食い、語るスキヤキのほうが記憶に強く残っている。
だんだん図書館に行きたくなってきた。
日当たりのいい窓際で本を読みたい。土曜はあいていただろう。
一眠りして、起きたときに元気なら行ってみよう。
時計を見るとちょうど七時をさしている。
外は明るくなり、ミヤマカラスの活動開始を告げる囁きを聞きながら眠りに落ちた。
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