愛情の庭

 僕はどうやら死ぬらしい。

 具体的にはあと一年ほどで。

 おそらく死因は……なんになるのだろう。僕は二九歳で発病した癌に蝕まれている。


 三一歳になって闘病も三年目に入り、僕は驚くほど疲れている。

 入退院を繰り返すがもはや完治は望むべくもなく、そして昨日、ついに余命を宣告された。曰く、半年。

 しかし余命は短く見積もるので、上手くいけば一年は生き続けられると医師は言った。

 ただし病状の進行如何によっては半年保たないことも考えておいてください。

 そう付け加えた大久保医師は気まずい表情を浮かべていた。

 横では、妻が泣きながら俯いていた。


 ベッドの中で、その時の事を思い出していたが、今更特に感慨はない。

 時計を見ると午前五時丁度だった。最近は特に眠りが浅く、断続的な睡眠が体を癒すことは久しくない。

 秒針はヌルヌルとゆっくり動き、しかし止まることはない。

 癌という病気は時間を掛けてじわじわと体を蝕み、標的を嫌でも死と向き合わせる。

 事故や病気で急死するのと、避けようのない死に少しずつ近づいて行くのと果たしてどちらが幸せか。

 時計を見ながら残された日数を計算した。

 半年として一八〇日、何かをするにはあまりに短く、倦むにはやや持て余す。

 薄暗い病室で、隣人の寝息が聞こえてくる。

 廊下からシュー、シューと機械の一定した音が聞こえてくる。

 まだ意識を無くした事はないが、僕も遠からず人工呼吸器のお世話になるのだろう。

 薄明かりで身を起こす元気もなく、僕はじっと時計を見つめ続けた。


 六時三〇分、起床。

 病室の電灯が音を立てて点灯した。

 一瞬、周囲の寝息が止まるが、慣れた入院患者達はすぐに眠りに戻っていったようで、再び寝息が聞こえてくる。七時一五分の朝食配膳までどうせ何もないのだ。

 しかし、眠れないのに寝床にいるのも辛い。僕は、歯ブラシとタオルをもって洗面場に向かった。

 すでに、洗面場には数人の先客がいる。一列に並んだ鏡と蛇口に数人が歯ブラシを咥えたまま軽く頭を下げた。

 僕も軽く会釈すると並んで鏡を見つめた。

 痩せて、落ちくぼんだ目が幽鬼のようだ。髪の毛が無くなった事については、寝癖がつかないので寝て過ごす入院生活には好都合だった。

 顔を洗い、歯を磨く。今更、歯磨きを怠っても歯痛に悩まされる前に僕は死ぬのではないか、等と自虐的な事を考えないではないが、朝起きたら歯を磨かないと気持ちが悪い。そうして習慣を続けられる事に嬉しさを感じている。

 歯ブラシで歯をシャカシャカとやっていると、一人の老人が洗面場に入って来た。

「やあ、皆さんおはよう」

 老人は野太い声で挨拶をした。その場にいるうちの半分が挨拶を返したが、僕は鏡の中の自分を睨み付けて無視をした。

「青木君も、おはよう」

 老人に名指しされ、心の中で毒づきながらも会釈を返す。

「駄目だよ。若いんだからさ、元気を出さなくちゃ」

 老人は朗らかに言って洗面者の列に並んだ。

 イライラする。何が元気だ。ここにいるのは皆、病人だ。

 まして、僕は余命の宣告を受けたばかりだ。

 彼がどんな病気でここにいるのかは知らないし興味もない。

 ここではグループを作って親しくしている人達もいるのだが、僕はその輪に入りたくなかった。同病相憐れむとは言うが、親しくした人が亡くなるのは辛い。そして、同じ病気の人が完治して出ていくのもまた、耐え難い。

 僕は口をすすぐと、早々に寝床に戻った。

 ほんの十分ほどの時間であったのにぐったりと疲れてしまった。

 疲労が大きな琥珀のように結晶化して体内に存在している。

 スリッパを脱ぐと洗面具もテーブルに放りだして横になった。

 心臓がどく、どくと脈打つ。

 病室はいつも寒い。夏は強すぎる冷房に、冬は弱すぎる暖房で厚着を強いられる。

 しかし、最近はそれらと明確に違う気持ちの悪い寒気が常に腹にへばりついている。

 薄い布団を顔までかぶり、朝食の配膳を待った。

 食欲は欠片もないが、朝食の時間が来ないと一日が始まらない気がするのだ。

 七時一五分の朝食から、夕方六時の夕食までがここでの一日で、僕はすっかりそれに慣れてしまった。


 十時を回って、妻が見舞いに来た。

 子供を保育所に預けて、家事が終わってから毎日来ているのだが、今日は二人の子供を連れてきた。

 五歳の息子と三歳の娘。

「お父さん」

 そう言うと、息子はベッドをよじ登り僕の膝に座ってきた。

 娘は、妻に抱かれて僕の方には来たがらない。

 三年ほど一緒に暮らした息子に比べて、娘が生まれた頃には入院生活が本格化し、ほとんど一緒にいなかったのだから懐かないのも当然かもしれない。

「ねぇ、棚に遺書あるから持って帰ってよ」

「……うん」

 妻はベッド脇の棚から遺書を取った。

「ねえ、なにそれ」

 息子が聞いてきた。

 妻は、一瞬何かを言いかけたようだが、言葉が出ない。言葉を出すと涙が溢れる、それを堪えている様だった。

「お手紙だよ。お父さんの」

 僕が説明した。

「僕にはないの?」

「ヒロキにも書くけど、そのお手紙は他の人へのお手紙だね」

 遺書の内容は法律的な事務事項だった。まだ、妻と息子と娘へ個人的な手紙を別に書かなければならない。

 息子はお見舞いのお菓子を食べたがり、娘は僕を嫌がった。

 やがて三〇分程滞在してから、妻と子供は帰っていった。

 妻はいつにもまして無口でとりとめもない話に終始し、息子はいつもよりはしゃいでいた。

 妻が帰って、十分ほどして携帯電話が震えた。

 妻からのメールで『余命は誰かに知らせる?』と書いてあった。

『みんなに、知らせて下さい』

 返信をして、今日、妻が子供達を連れてきた理由が不意にわかった。

 悲しいのだ。僕が死ぬ事が悲しく、泣き崩れてしまうことを母としての体面が支えていたのだろう。

 だから、本質を突いた話題を避け、無難な会話に終始したのだ。子供の前では泣けない。

 妻には負担ばかり掛ける。


 僕の母も短命だった。

 三三歳になった日の、十日後に没した。原因はやはり癌だった。

 僕が六歳の冬で、妹は二歳だったと思う。

 終末期の母に会いに行くのは気が重く、変わり果てた母の姿を見るのは辛かった。それでも発病前の楽しい親子関係の記憶もわずかにある。

 妹は母の顔すら覚えていない。

 年齢的にも、息子が僕を覚えていてくれるだろう事と、娘は僕が死んでも悲しまないことにはいくらか慰められる。忘れられるのも、悲しまれるのも両方怖い。

 母の遺書には、僕たちに向けてしきりに謝罪の言葉と、もし病気にならなければ送れたであろう親子関係についていろいろと書いてあった。

 僕は……何を書くべきだろうか。さっぱり思い浮かばない。

 便箋を取り出して、ボールペンを握る。たったそれだけの作業に疲労を感じ、各種の不調が思考を濁す。

 クソッタレ。

 単純な思考にも体力を消耗する。しかし、なにかへの反発は生きる力になると、他の入院患者が言っていたこともあり、自分の不調に対して怒りを滲ませ、頭の中のモヤを振り払った。

 まず、娘へ。

 君に対して何もしてあげられなくてゴメン。その様な事を書いてから、やはり謝罪の念しか浮かんでこない事に気付く。母もこんな気持ちだったのだろうか。

 僕が病気にならなければ、それなりに親バカになっていただろう。娘が欲しがる物を買ってあげて、妻に嫌な顔をされたかもしれない。本音を言えば、そんな日々を送りたかった。


 ……無念なのだろう。

 やはり、もっと生きたい。自分自身の死はすでに納得した一方で、家族と時を過ごす事が出来なくなる事だけはどうしても受け入れがたい。

 納得いこうがいくまいが、僕は死に、家族から去る。

 去る者は日々に疎く、僕自身は母のことを積極的に忘れようとした。

 思い出すことを避けるために、仏事の日も仏壇の前に座らず、遺影も見ようとはしなかった。

 そのまま、大人になり、母の死と向かい合ったのは妻に出会ってからだった。二十年間記憶の底に蓋をして沈めた母の記憶を掘り起こし、自分の言葉で妻に語ることで、初めて母の死を受け入れることが出来た。

 その後も、苦手意識は定着したままだが、命日くらいには線香を上げて手を合わせるようになった。

 それから、子供が出来たとき。初めて父と母の死について話し、母の腹には生まれることの出来なかった弟がいた事を知った。癌の宣告を受けた日の夜からは、母がどんな気持ちだったのかを考えない日はない。

 ペンをノックしながら考えあぐねていると、大久保医師がやってきた。

 主治医になったのは偶然であるが、以前同じチームでプレイしていたラガーマンだ。

 彼はフルバック、僕はスクラム最前線のフロントローだった。

 現役時代は体重差で30キロほど僕が重かったのに、今ではすっかり逆転してしまっている。

 大久保医師の方が二歳上だが、見た目もすっかり老けた僕に対し、若々しい。

「体調は?」

「ダメですね、濡れた服を着ているみたいですよ」

 大久保医師はパイプ椅子を引き寄せて腰掛けた。

「時田君達には、話したのか?」

「いや、まあ時田くらいには一応死ぬかもとは……それも結構前ですけど」

「あいつら、見舞いには来ないのか?」

「他の奴には内緒にしてもらっているんです。時田にも、今は会いたくなくて」

 ラグビーの試合中は異常な高揚で痛みを感じない。だからこそハードな接触に耐えられるのだが、その高揚はもう去って久しい。

 親友であってもその頃のチームメイトには会いたくなかった。

「そうか」

 大久保医師は黙って俯いた。

「しかし、死ぬっていうのは恐ろしいものですね」

 僕は努めて朗らかに口を開いた。

「先生の結婚式で、俺たちはみんな酔っ払って、馬鹿やったじゃないですか。もう五年くらいたちますけど、俺が見たその時の記憶ってなくなっちゃうんですね」

「まだ、うちに席次表が残っている。おまえの名前もあるし、写真もある」

「それもささやかな生きた証ではあると思いますけどね」

「……難しいな。俺は医者だけど、まだ死にかけたことはない。せいぜい骨折がいいところだ」

 大久保医師はそれからしばらく黙り込んで、じゃ、とだけ言って仕事に戻った。

 僕は、何となく興がそがれてしまった遺書を引き出しにしまい、横になった。

 蓄積された疲労が忍び寄ってきて僕は抗いがたい眠りに引きずり込まれた。


 目を覚ます。

 外はまだ明るく、時計を見ても一時間は経っていない。

 内容は覚えていないが、嫌な夢を見た感覚だけが胸に残る。

 喉の渇きと常駐する吐き気を天秤にかけ、僕は水を飲むのをやめた。

 具合が悪い。死はすぐそこまで来ている気もする。


 死ぬのが怖い。

 恐怖心が悪夢であぶり出されて表層に浮かんできた。が、今回はいつもと違い、反語も連れてきた。


 死は怖い。しかし、それでも僕は幸福なのだ。


 母が死ぬ前に何を考えていたのかについて巡る思考が決着した気がした。

 母についてはいくら考えても解らない。

 しかし、僕は少なくとも幸福なのだ。

 母を亡くしても、不自由なく過ごせたのは、周囲に愛されていたからだ。

 妻と出会って、本当に人を好きになるということも、愛されるということも理解できるようになった。

 そして、二人のかわいい子供も授かることが出来た。彼らに対する愛もそうだ。

 よく考えれば、僕の人生は愛に満ちていた。

 愛を知ることが出来た。僕にとっては出来過ぎなほど上出来な人生だった。

 死は、訪れるその瞬間まで僕を脅かすだろうが、それでも僕の人生が幸福であることに一点のシミも落とさない。

 母が幸せだったと書き残してくれていたら、僕は悩まずに済んだかもしれない。

 頭の中のモヤが晴れるように、妻と子供に伝えることが決まった。

 父にも、感謝の手紙を書こう。あなたが愛してくれたおかげで僕は幸せだったと。

 子供達に、君たちが生まれてきてくれたおかげで僕は幸せだったと。

 何より妻に。君と出会えて、君が愛してくれたおかげで僕の人生は例えようもなく幸せなものになったんだ。ありがとう。

 時田にも明日、電話を掛けよう。

 他の友達にも、仲間にも。

 おまえ達のおかげで、俺は幸せだった、ありがとうと伝えておかないといけないんだ。

 叶うのなら、僕の人生を支えてくれた全員に感謝とお礼を伝えるまでの間、死が訪れないといい。

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