トモトウセイロ

栄地丁太郎

 カジュアルな格好と一口に言っても俺がどういう服装かを説明することはないだろう。カジュアルはカジュアル。俺は特に意味もなく少し早足でと歩いて、ペデストリアンデッキの終わり、駅の入口でもある扉をくぐろうとしていた。だけれども、俺の目の前にあるのは一見するとガラス。そう、そこは開いていない扉だった。もう少しでぶつかろうというところ、俺は流されるように隣の開いている扉を通る。すると、通路の奥で腕を組んでいた男がこちらにやって来る。


「おう、そこのお前!」

 腕を組み外し、左手人差し指で俺にかっこつけたような笑みを浮かべ、背高い声にキノコヘアーでピンクの目立つような格好をした男だった。その大きな声量に、近くを歩く人々がこちらを見てくる。

「なんですか、いきなり!」

 俺は回りのさりげない目線を気にしながら、とりあえず返事をしてみる。

「俺か、俺は……そうだな。お前の10年後、20年後くらいかな〜んちゃって」

「馴れ馴れしいなあ、邪魔なんすけど」

「ええ、いいじゃん。ここじゃ話しづらいだろ?」

「話しって、俺帰るんですけど」

「いいって、ちょっと来いよ」

「あえ」

 男は強引に俺の肩を持つ。俺は必死に肩にかかる力に抵抗しようとしたが、肩にかかる力はその抵抗の何倍も強いもので、俺は引きずられるように人の少ないペデストリアンデッキ内の通路のような、目立たない所へ連れて行かれる。


「あのさ、これまで生きてきてよ。お前を待ってたみたいになってんじゃんかよ!」

「はあ?」

 一体何を言いたいのか、何がしたいのか。さっぱりだった。

「いい加減何の用か……教えてくれよ!」

 諦めの色が見えてきた。俺は目の前の変人が何をしようというのか、それを確認したかっただけ。

「用なんてねえよ。ただ、これ好きだろ?」

 男はズボンのポケットに手を入れ、写真を見せてきた。掲げられたその写真には、女の子が写っていた。

「好きって……誰だこれ?」

 見覚えもなければ、そんなはさらさらない。そんな俺に好みと語ってその写真を見せてきた意図はますますわからない。

「いいんだって。好きでもなんでもない、知らないのは当然だよなあ。だってお前は……まあいいや」

 俺はそう話す男を尻目に写真を返すわけでもなく来た道を戻ろうと、歩き始める。

「ああ、ちょっと。連絡先教えてくれよ。ちょ、待ってさあ」

「……わあったよ!」

「だったら、ここに書いて」

 手ぶらの男はメモとペンを出してくる。どこにしまっていたのか、俺は知らない。荒くメモとペンを受け取ると、荒く電話番号を走り書きして、それを男に返す。

「ありがとよ、借りは返すぜ。お互いにな!」


 あの変な男はなんだったんだ……考えてもしょうがないものの、とにかく渡されたのは一枚の写真。

 これがなんなのか、俺にはさっぱりだ。通路を進み建物の中に入り、エスカレーターを下りる。その先にある出口の外はバスターミナルになっていて、俺は家に帰るためバス停へと向かっていた。

「あっ、ごめんなさい!」

 女性が咄嗟に、俺に向かって謝った。俺が出口を出たところでのりばの方に曲がったら、その瞬間に現れた女性とぶつかってしまったのだ。

「こちらこそ……すみません」

 俺も女性の言葉を返すようにそれだけ言って、のりばに行こうとした。俺は振り返らずまっすぐ進み、のりばの列に入ろうとする。

「あ、あの!」

 さっきの女性の声だ。俺はその呼び声には振り返る。

「これ……落としましたよ」

 女性が手に持っていたのはさっきの変な男が俺に差し出した写真だった。

「どうも、すみません」

 と言って、写真を受け取ろうと手指を写真に乗せた刹那。

「もしかしてアユムくん?」

「え……」


 俺はすぐそこにある喫茶店にいた。一人の女性と同席しながら――。

「アユムくん……五年ぶりだね。あの時は突然で、本当に突然で悲しかったけど……私いまでも、その、忘れてないから」

 女性はそんな言葉を何かを深く込めたように小さく言った。けれども、俺は目の前でそう話す女性を知らない。いや、たしかに俺はアユムという名前なんだけれど、彼女の言うアユムとは絶対に違うだろう。

「そ、そうなんだ。あの時は突然とは言え悪かった。あんなことがなければ……」

 俺は俺ではないアユムという人を彼女の言葉で想像しながら、あくまでも話に乗るしかないと思えてならなかった。

「あんなことか。そう言えば私、アユムくんの顔ってこんな近くで見たことがなかったのよね。ちょっと、あの頃よりかっこいいって言うか、雰囲気? 大人っぽくなったよね」

「あ〜、まああんまり体大きくなかったからね〜。俺の顔ってそこまで見たことなかったっけ?」

「そうだよ〜。でさ、あの頃は僕って言ってたけど、今のアユムくんは俺のほうがいいと思う」

「そうかな。なんか恥ずかしいなあ。それでさ……」

 一瞬言葉を止める。それは何かを言いたげな感じが彼女にも伝わっただろう。

「悪いんだけど俺の……病気とか怪我って、今思えばそこまで重かったかな〜とか思っちゃうんだよね」

「えっ。アユムくんは病気も怪我もしてないでしょ……少なくとも私が知ってるアユムくんは」

 彼女の表情が重くなる。どうやら違うか、違和感を掴まれたか。

「そ、そうだよな、忘れたくもなるよ。あんなことがあったんだから。ごめん、変なこと言って。色々あったけど、今はそういう風には思ってないから」

「うん……強くなったんだね。あの頃は泣いたりしてたもんな」

 ちょっと待て。彼女が顔もまともに見たことがないなら、アユムも彼女の顔を見たことがないはずだ。それに、どんな状況であれば泣き姿を見られると言うんだ。

「見ていたのか? 泣いてるとこなんか……」

「ふふっ、実は見てたわ。バスケしてる時に目に入っちゃったの、許して」

「ううん。あの、話しは変わるんだけど、なんで俺ってわかったの? さっきぶつかっちゃったけど」

「落ちた写真、アユムくんが持ってた写真だよ! あれ、アタシのちっちゃい時のなの。アユムくんがいなくなる時に送っちゃったやつで……今でも持っててくれたのね」

 マジか。顔もまともに見たことがないのに突然別れとやらが来て、その時に送った一枚の写真を彼女から見ればアユムは5年以上持ち続けていたことになる。それだけ強い想いがあるってか。

「ま、まあな。今でもその、気にしたりというか……」

「そうなんだ。でも悪いよ、私なんかにこだわってたら」

「ううん、俺はずっと君のことばかり考えていたよ」

 5年も君の写真を持っていて、何の想いもないなんて言えないな、俺は。

「本当に? 私もそう、今もそうよ!」

 俺が調子に乗っているのか、彼女が調子に乗り始めているのかはわからないけど、今は流れを大切にするしかないのだろう。結局、この後2時間も流れを考えながら昔話に付き合った。


 日は暮れ、やがてバスの最終便が俺の知らぬうちに営業所に向けて去り、気づけば夜道を歩いていた。なんでも家の方角が同じなのだとか……そこまでくると余計に怪しくなってくる。

「まさか家まで近場なんて思わなかったわ。丸で知ってたみたいに……」

「本当、こんな近いなんて思わなかった。俺さ、今でも近所でさえスーパーとかしか分からないからいいきっかけになりそう」

「へえ〜。でもそれはこっちも同じ! 愛知あいちから出てきて、気軽に会える友達とか? 一人もいなかったんだから」

 愛知、そうか。彼女の語るアユムとの思い出はなんとなく地方っぽいと思っていたけど、愛知の話だったのか。

「そう……友達か」

 俺は足を止めた。少しうつむいて表情を堅くして。 「え? アユムくん、違うの。そういうことじゃなくて……」

 そう言いながら、彼女は立ち止まった俺の元へと向かってくる。俺は腕のとどくところまで近づいた彼女の身を抱きしめて、そのまま口元を彼女の唇めがけて突き出した。

「……何が違うんだ? 俺は友達で止めたくない」

「アユム、くん……」

 そう言って、俺の背に手を伸ばして抱きしめてくれる。でも彼女は、そのまま俺の腕を引き剥がして、夜道の街灯にしばらくその背中を見せながら、やがて消えていった。


 俺はその姿をずっと見ていた。果たしてどんな答えだったのか、その心理を探りながら去って行く彼女の姿がいつまでも恋しく、その足をなかなか前へと進ませてはくれない。

「おい、そんなに落ち込むなよ」

 一度聞いたら忘れられないような背高い声。それが後ろから聞こえてくるんだ。俺は突拍子なことに有無もなく振り返る。

「まず調子乗りすぎだ。喫茶店のテンションをそのまま持ってきたのも大きな間違い。次に場所だ。こんな街道の道端で、人がいないことをいいことに……せめて雰囲気ってのを少しは考えろよ」

「全部見てたのか」

「悪いけどな、お前が彼女の思うアユムと言われたのは俺が渡した写真のおかげだってこと、忘れてないよな?」

「ああ、覚えてるよ。だったらなんなんだよあの写真は?」

「やっぱりそれ聞きたいよな。でもまだだめだ。お前にはまだ早い、じゃあな!」

 男は俺に向かって走り出し、そして彼女と同じように街灯に照らされながら、そのうちに消えていく。

「なんなんだ、あいつ。なにがしたいんだ……俺で、なにをしようって言うんだ!」

 消えようという時、あいつは振り返って俺に手を振っていた。なんてヤツだと思いつつ、辺りを見渡してここが家まで歩いて20分はかかる場所であると気付かされる。夜11時過ぎ、夜道の足取りはもっと重くなりそうだ。


 今度は遠吠えが間近に聞こえる、そんな気がしてならない。俺なんだ、俺自身から聞こえる声なんだ。そう思うと浅いところを突かれたようではしたない。

 それでも俺は彼女の答えを探り、できることなら言葉での答えを待たせてもらいたい、そう思って道をゆく。追い抜く車、もう夜明けまで客もバスも来ないバス停、交差点で信号待ちをするひとりぼっちの俺……車が通り過ぎていく、それも何台も列になって。

 圧倒的に速く、目指す場所へ行ける物体に追い抜かされる自分の意義が怪しくなってくる。

 真夜中の階段に足取り重く、静かな住宅地とあって足音は響くように大きい。上るのを躊躇させるほどに、その音はやや粗く錆びが見えてきた階段をどこか揺さぶるような。

 玄関を過ぎると、見慣れた空間。正味2年くらい住んでる家には誰もいない、ただ暗闇の中で今日は一層不可思議に俺を待ち望んでいたようだ。俺は眠く、そうでなくても眠らなければならなかったが、どうにも腹が減って仕方がない。起きてから食えばいいものを、深夜のノリは健康に悪そうなインスタント食品に俺を誘い込む。

 ただ一つの物音は人々の休まる静まり返った時間帯には不似合いなほどやかましい、やかんから出るあの音だ。俺は音を止めようとキッチンへ走り、そばに待機させておいたカップラーメンにお湯を注いだ。

 片手で持ってふたに手をかけつつ、俺は部屋に戻った。俺の部屋のうち、半分が普段使う机や棚回りで、そこら辺は申し分なく片付けてあり、残りの半分は適当にしていた。それはさておき、机にあった小物でフタを閉じたまま三分もの時間を待つ。その間に深夜のノリに合いそうな動画を探し、耳にイヤホンを突っ込んでおく。

「あ〜、めんどくせ〜」

 すっかり冷えた麦茶を用意するのを忘れていた。けれども、何にせよ必要な麦茶を用意しないわけにもいかず、結局俺は麦茶をコップに注ぐためキッチンへ向かう。

 戻るとちょうどいい? いや、少し早い気もするがとにかくフタを開ける。そこは一面の焼けた色をした、サイコロ状の肉がコロコロと敷き詰められていて、他の具材はもとより麺も見えない。

 思い切って箸をカップの奥深くへ差し込み、麺を取る。口に入った、麺の味はスープの味も相まって身を温めてくれる。そのままいくつかのサイコロ肉を口に含む。贅沢でジャンキーな味わいはまだまだたくさん味わえるようで、たかがサイコロ肉なのにどうしてここまで笑顔にさせてくれるのか。

 見ている動画もあるだろうけど、とにかく盛り上がれる。いつまでもやっていけるような……でも食事であって、いつか終わるものだった。そう、終わりそうになった時だった。


 スマホの音が鳴り響く。やはりその音量は耳に障るもので、俺はこんな時間に電話をかけてくるやつの名前をじっと見る。でも、そこに出ていたのは相手の電話番号だった。どうも察しがついた俺は、その電話に出た。

「よお。お前、寝てなかったんだな」

「いちいち、なれなれしいんだよ。寝てたらどうしてくれんだ?」

「また言ったな。起きてるからいいだろ。それよりお前さ、今外出れる?」

「は? 何言ってんだ?」

「いや、そうじゃなくて。ゴミ捨てるついででいいんだけど」

「お前、何がいいたいんだよ。いちいち命令口調で喋りやがって」

「悪いようにはしないからさ……」

 俺は電話を切り、呆れたように布団に入った。もうこんなバカげた男には付き合いきれないと、眠りゆく心に思う自分がいた。

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