ハードワーカー


 おれは浜辺に腰掛け、地元の名酒だというココナッツ酒を開けた。尻のあたりがチクッとしたかと思えば、おれが蟹の通り道を邪魔していたらしい。微笑みながら座る位置をズラすと、蟹は礼も言わずに浜へと歩いて行った。


 静寂があたりを支配していた。夕暮れ時だということ以外何もわからなかった。おれはぐっと背伸びをし、サングラスをかけ直す。そろそろ最後の決心をする頃だと思い、偽造パスポートを含む身分証の類をすべて海に放り投げた。ばらばらに飛び散ったカード類は寄せては返す波に飲まれ、次第に見えなくなった。


「海を汚すなよ、ストレンジャー」


 背後から男が寄ってきた。そいつに窘められ、反射的に謝ったが「いいって、別においらのもんじゃない」と言い、おれの隣に腰掛けてきた。顔じゅうが髭に覆われていて、小さい目と鼻をその奥から覗かせていた。


「現地の人?」


「うん、まあね。ここらじゃ一番頭がキレるがな、一緒にしないでくれよ」


「じゃあ、ここには詳しい?」


「ここ以外にも詳しいぞ。たとえば、ニューヨークで何が流行ってるかだって知ってるさ」


 そういって彼はスピード・ボールのコミックスを自慢してきた。怪人パーム・ヘッドをボコボコにする初期の頃の回だ。おれもぼろぼろになるまで読み返したし、彼に同調したいところだったが、こぼれてきたのは溜息だった。


「悪いけど、おれはニューヨークから逃げてきたんだ」


「たまにいるんだ、そういうの。仕事か? 女か?」


「仕事だよ、残業と休日出勤。もうやってられないね」


「身体は丈夫そうだけどな」


「四六時中呼び出されてみろ。誰だって狂っちまう」


 うんうん、と彼は頷いた。すぐに離れたかと思うと、追加のココナッツ酒を持ってきてくれた。ありがたく頂戴し、ゆっくりと落ちていく夕陽をふたりで眺めた。


「永住はよしとけよ。ここには何もない。おいらとしては、一度くらいはニューヨークに行ってみたいね……ああ、夕方のニュースの時間だ」


 彼はケータイラジオを取り出し、チャンネルを合わせた。聞き慣れたキャスターが早口で喋っている。おれは最初に出会った村人がアンテナの高いヤツだったことを残念に思い始めていた。


「なあ、この島の話でもしてくれよ。そんな都会のことなんてどうでもいいじゃないか」


「アンタはそうかもしれないが、おいらはそうでもない」


 ――続いてのニュースは……あ、いえ、たった今、速報が入りました。怪人一味がタイムズ・スクエアを襲い、あたりは火の海となっているようです! 現在市警が総出で対応しているそうですが、この規模の襲撃は前代未聞です。一刻も早いスピード・ボールの到着を、市民全員が待ち侘びております! ああ、ビルボードが次々と破壊されていきます!


 おれは彼からラジオを奪い、真っ二つに叩き割った。キャスターの声は止み、代わりに隣の男が文句を飛ばしてきた。


「な、何してくれんだよ!」


「そう怒るなよ、おれはもう疲れたんだ。さっきのマンガにサインしてやるから、いまはそっとしておいてくれないか」

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