生前の祖母は七という数字に執着した。


 それは幼少期から現れていたらしく、食卓には七皿まで、必ず朝七時と夜七時に食事を取るようにした。品数や時間が少しでもズレると、脂汗を掻きながら体調不良を訴えて部屋に引きこもった。それでも七七分すればひょこっと現れ、何事もなかったかのように7チャンネルのテレビ番組を観ていたらしいが、果たして祖母の子どもの頃にそのチャンネルが映っていたかどうかは怪しい。


 学校に上がると、成績は必ず七番目をキープしていた。大体のテストで七七点を取り、超自然的な勘によって他の生徒たちの点数分布を察知し、上がりすぎるときは一七点、二七点などを取ることで順位をコントロールしていた。信じられないだろうが、母が厳重に取っておいた答案を見たので嘘ではない。経年劣化した藁半紙には赤い文字で七が並んでおり、僕の背筋が凍った。見なければよかった。


 大学には進学せず、祖母は一七歳の時分にお見合い結婚をした。六人を見送り、七人目と会って七分で婚約を決めた。相手は七つ歳上で、セブンスターを吸っていた。彼が僕の祖父になるわけだが、本人はさして数字にこだわりはないようだった。祖母から幾度か「七を愛せ」と怒られたらしいが、温厚な祖父は上手い具合に収めたという。たしかに、僕も祖父のほうがまだ話しやすかったのを覚えている。


 七にどれほどの魔力があるのか、僕は学生の暇な時分に調べ上げたことがあった。ラテン語でセプテム、四番目の素数、二のべき乗より一小さい自然数であるメルセンヌ数の二番目、タロットの大アルカナでⅦを示すのは戦車、太陽性第七惑星は天王星。そんなところだ。覚えたところで何に使えるかもわからないし、たまに雑談で飛び出ても「ああ、七だな」としか思わない。最後は祖母に聞いたが、「七は特別な数字なんだよ」と言ってのけるだけだった。


 七に憑かれ、七を愛した祖母は、七七歳で往生した。肺炎に罹り、半年もしないうちに衰弱死した。七月七日のことだった。親戚一同が見舞いに訪れたが、来年まで生きられないだろうとどこかで諦めていたし、本人も「私は今年くたばるのが決められているの」と笑っていた。祖父だけは強く彼女の手を握り、その冗談を叱りつけていた。とはいえ、結局祈りは呪いの前に打ち砕かれた。


 僕が祖母のことを好きだったのかどうか、わからない。けれど、そんな曖昧な概念に縛られた一生もひとつの生き方じゃないかとは思う。除夜の鐘を待ちながら年越しそばを食べつつ、僕は父の様子を窺った。父が普段飲めない酒まで煽っているのは、もう数分で祖母の七回忌が始まるからだ。

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