4.ジョニーが凱旋するとき

 爆煙一つ上がらず次々と沈黙していく陣地を横目に、薄月は放棄されていた軽トラックを全速力で走らせる。飛来するサメにフロントガラスは吹き飛び、狂ったカーステレオが暴風の中で「ジョニーが凱旋するとき」をがなりたてた。

“When Johnny comes marching home again Hurrah! Hurrah!”

 薄月は片手でハンドルを操りながらチェーンソーを振るう。チェーンソーの銘は妖刀村正。室町時代から江戸初期にかけて伊勢国桑名に存在した刀工集団が実用性を重視して鍛えた日本チェーンソー太刀は、日本に古来から伝わるV8エンジンの唸りをあげて軽トラックのキャビンを上下に両断する。

“We'll give him a hearty welcome then Hurrah! Hurrah!”

軽トラックの屋根は暴風で舞い上がり、ともに両断されたサメの体とともに吹き飛ばされる。持ち主を狂わせるとまで言われたチェーンソーは薄月の動きに合わせて回転し、踊り、サメを血煙へと変えていく。

“The men will cheer and the boys will shout”

 薄月の体に埋め込まれたサメ細胞が生み出す驚異的な筋力は、力自慢の大男でさえ持ち歩くことを躊躇する妖刀チェーンソー村正をまるで重さのない魔法のステッキのように回転させていた。

“And we'll all feel gay When Johnny comes marching home.”

 「ジョニーが凱旋するとき」の最後の旋律が終わると同時に、薄月は軽トラックの床を蹴った。サメ筋力は薄月の体を猛然と前方へ吹き飛ばし、反動で軽トラックはバランスを失ってひっくり返る。

 薄月は空中でチェーンソー村正のエンジンを止め、刃を手近なサメに突き立てる。そのサメの脇腹を蹴って更に跳躍しながら、また別なサメに刃をつきたて、その背中を踏み台にして更に別なサメへと取り付き、それをも足場にしてさらに跳躍する。片手でマントを操り、乱流に合わせて軽やかに身を捻る。

神話の時代に因幡の白兎が原形を生み出し、源義経が源平最終決戦「壇ノ浦の戦い」で海軍力にまさる平家のサメ軍団を蹴散らす際に用いた戦技「鮫八艘飛び」、その三次元空間のために発展した技である。耐久力と暴力的なまでの瞬発力を兼ね備えた全身のサメ細胞、正確無比の妖刀チェーンソー村正を持ち、メキシコ=アメリカ管理州でカリブ海の海水をたっぷりと吸った本場のシャークネードを相手に特訓を重ねてきた薄月にとって、廃墟と荒野の関東平野三県を渡ってきたシャークタイフーンの秒速50メートルにもならんとする風などさほどの脅威にもならない。

 台風の回転に合わせてその円の中心へと螺旋状に近づき、台風の目の目前で薄月はひときわ高くサメを蹴って飛び上がった。雲を抜け、台風の目へと自由落下で飛び込む。その目の前にサメの姿をした巨大な飛行艇が姿を現した。横腹に刻まれた名は「アルバトロス」。

左回りに回転する台風に沿って後ろへと回り込むと薄月はチェーンソー村正を機体に突き立てた。穴を開け、内部に転がり混んだ。眼の前にいた男が一瞬あっけにとられたあと、すぐさまファイティングポーズをとる。

「出会え! 出会え! ここが何だと心得る! ここは」

 名乗りを終えるよりも早く薄月はチェーンソー村正で無造作に男を両断する。

「ここは〈アルバトロス〉! アライサム財団の」

 その後ろから出てきた男はチェーンソー村正の側面で機体に叩きつけられ、外板に人形の窪みと血しぶきを刻み付けた。一番目の男の後を継いだ名乗りを終える間もない。足元のハッチから襲いかかろうとした男はハッチごと串刺しにされたところでチェーンソー村正が唸りを上げ、体の内部から回転する刃で切り刻まれた。警報が鳴り響き、次々と押し寄せてくる男たちを薄月はサメを弾くよりも容易に切り刻んでいく。機内で塩嶺へ印加するのを警戒しているのか、男たちはどれも単純な武器のみを持っていた。もっとも、チェーンソー村正は機体の燃料が漏れていたとしても問題はない。室町時代の刀工集団は防爆機能さえ備えた日本チェーンソー太刀を鍛える技術を有していた。村正もその例外ではない。

「我々はアライサムサメ人間ぐんだ」

「知っていますよ」

 何十人目かにしてようやくそこまで言い継いだ男の首を刎ねながらそう言って薄月は笑みを浮かべる。

「お久しぶりです。面識は、お互いありませんが」

 そう言って薄月がチェーンソー村正の刃の側面で股間を蹴り上げて吹き飛ばし、銃座の窓を突き破って機外へと放り投げられた男が最後の一人だったらしい。結局、男たちの名乗りは最後の「いざ尋常に勝負」まで届くことはなかった。分厚い主翼の内部に設けられた部屋へ続く扉を薄月は斬り捨てる。扉の向こうには、壁一面にタコメーターが並び、蒼く照らされたクリアボードには関東一円の地図とサメタイフーンの進路が描かれていた。その中心でプロッターを覗き込んでいた少女が顔を上げる。頭の高いところで結んだツインテールに切れ長の瞳、薄月の少女趣味な服装を更に推し進めたような白黒のゴシック・ロリータを纏った少女は薄月の顔を見ると微笑みを浮かべた。

「久しぶりね、しぐれ。元気そうで何よりよ」

そう言いながら少女は手に持っていた万年筆にキャップを付けて筆箱にしまい、アームカバーを外す。

「お久しぶりです。義姉様……いえ、プロトタイプ12号。あなたもお元気そうですね」

薄月がそう応じると、背の高い少女は心外そうに唇を尖らせる。

「あら、あすかと呼んでほしいわね。夕空あすか、私の名前を忘れてしまったのかしら?」

そう言って夕空は主翼の構造部材に取り付けられた蛍光灯の光のもとで楽しそうな笑みを浮かべる。薄月が黙って首を振ると、夕空は目をすっと細めた。

「可愛い義妹に忘れられてしまうのは寂しいものね、しぐれ。いえ、プロトタイプ12号と呼んだほうがいいかしら?」

 楽しげな口調とは裏腹に、険しい表情でそう言うと夕空はテーブルを迂回し、チェーンソー村正のリーチから少し離れたところで足を止める。

「サメは殺す、一匹残さず」

 そう応じると薄月は腰を落とし、チェーンソー村正をいつでも振るえるような構えに持ち替えた。夕空は目を細めたまま、呆れたようにため息をつく。

「まだそんな事をやってたの、しぐれ。数年ぶりに帰って来たと思ったら、ずいぶんと聞き分けの悪い義妹ね」

「……サメは殺す、一匹残らず」

 薄月がチェーンソー村正を構えたままそう応じると、夕空はうんざりした様子で肩をすくめた。

「しぐれ、まだそんな事を言っているの? あなたも財団の手術でサメ細胞を埋め込まれて、その力はよく知っているでしょう?」

「……サメは殺す、一匹残らず」

 静かに薄月は同じ言葉を繰り返した。夕空は袖の下からキセルを取り出し、火をつけずに吸口に口づけをする。

「まったく、聞き分けが悪いところはずっと変わってないのね、しぐれ。アルバトロスを落として、このシャークタイフーンを空中分解させようと思ってるのかしら? そうしたところで、所詮は無駄よ。財団が制御するまでもなく、シャークタイフーンはいずれ地に満ち、人類を破滅させるわ。だったら、緩やかな死を迎える前に急激な出血によって人類全体の危機感を刺激し、サメの力とともに我らは新天地を目指す他ない」

 そう言うと、夕空は遠い目つきでつぶやいた。

「かくて我らは遥かなる星々の際に散り、満ちる」

「……サメは殺す、一匹残らず」

 薄月は同じ調子で、同じ言葉を繰り返す。夕空はキセルを片手に持ったまま、噛んで含めるような口調で応じる。

「この悪しき世界で滅びないために、遥かなる星々を目指す。それが私達の目指すべき未来だ。その推進のためには、シャークタイフーンによる多少の犠牲は許容される。いいえ、それどころか、それこそがこれまでサメの歯に砕かれ、押しつぶされ、潰えた者たちへの餞にほかならない、そのことがしぐれはわからないの? あなただって東京でサメに食い殺されたのでしょう? その死を、より善い人類の未来のために役立てようとは思わないの?」

「サメ死すべし、慈悲はない」

 わずかに憎悪の混ざった口調で、薄月は応じた。V8エンジンが唸り、チェーンソー村正の刃が回転する。夕空はキセルをテーブルに打ち付けながら、口角を釣り上げた。

「そのことさえ理解できないのなら、恨みだけ抱えて死になさい」

 そう言い終えると同時に、夕空は口を大きく開いた。薄月は反射的にチェーンソー村正を振る。刃の側面で火花が散り、機体の外板に無数の穴が穿たれる。夕空もまた、薄月と同じくサメ細胞を埋め込まれたサメ改造人間である。そして、彼女のサメ生え変わり歯列と筋肉は毎分5200発もの歯を秒速200メートルもの速度で射出する能力を有していた。

 一歩踏み込もうとするたびに夕空は歯を飛ばし、薄月の動きを牽制する。その間にも、シャーク・タイフーンは北上を続け高崎新東京に秒速数十メートルで飛び回るサメを叩きつけている。

 チェーンソー村正の影に隠れて前進しようとするが、身長差のある夕空は自在に上体を動かし、薄月が動きを隠す死角を与えない。前進するどころか、ときには思いがけない角度から飛び込んできた歯を躱すために後退さえ強いられていた。チェーンソー村正のリーチの外で、夕空は目に笑みを浮かべ、牙の奔流を薄月へと叩きつけ続ける。

夕空がチェーンソー村正のリーチに入るまで1メートル、その1メートルを前進させる隙もなく上から、下から、右から、左からと角度を変えて薄月へと牙の雨が叩きつけられる。

 不意に、薄月は両手で構えていたチェーンソー村正を片手に持ち替える。可動域よりも素早さを重視した構え。薄月はチェーンソー村正を突き出すが、夕空は当然のごとくそれを見切り、がら空きになった顔面へと歯を飛ばす。とっさに薄月は手首をひねり、顔の前にチェーンソー村正の刃を立てて歯を弾く。その影で、懐から鮫避けのお守りを取り出し、紐を引きながら下手に放り投げる。夕空の足元で、「雪にいどむM01」が大音響で鳴り響いた。思いがけないところから響いた伊福部昭音楽に夕空の意識が一瞬だけ足元へ向かう。その間に薄月は一歩踏み出し、とっさに手元へ引いたときの慣性をサメ筋力で捻じ曲げて、夕空の肩へとチェーンソー村正を叩きつけた。衝撃をモロに受けて夕空が壁に叩きつけられる。それでも夕空は死ななかった。プロトタイプシリーズは有象無象とは比べ物にならないほど強靭なサメ細胞との適性を持つ人間が被検体に選ばれているのだ。それだけ強靭なサメ細胞をもってしても、全力で叩きつけられた妖刀チェーンソー村正の衝撃に骨を砕かれはもはや身動きすることもできない。

「あなたもサメよ。それを忘れたらおしまいよ……」

 夕空の言葉に対し、薄月はもう一度チェーンソー村正の刃を叩きつける。夕空の端正な顔が歪み、肉塊と消えた。そうやってから数秒間、財団にいた頃の義姉の死体を見下ろしてから薄月はチェーンソー村正を地面へ突き刺し、両手を合わせる。それから薄月はチェーンソー村正を手に取り、アルバトロス号を叩き落とし高崎新東京を襲うサメタイフーンを消滅させるため操縦席へと歩き出した。

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