3.S-Force March
群馬――旧埼玉県境。
高崎遷都後、7次にわたるサメ・タイフーンとの戦闘により無人地帯と化した県境地帯にはコンクリートと鋼鉄で入念に造成された陣地を中心に無数の自衛隊車両が布陣していた。
鮫災対(きょうさいたい)自衛隊。陸海空の三自衛隊から人員や装備を抽出する形で編成された鮫災害への対処を主目的とされた第四の自衛隊である。対潜護衛艦やヘリコプター搭載型護衛艦をベースに、遠洋での鮫対処のため建造された艦艇を擁し、排水量10万トン近い固定翼搭載型航空対鮫(たいきょう)艦を中心とした海洋部門、主力対鮫戦車(MST: Main anti-Shark Tank)や対鮫誘導弾(ASM: Anti-Shark Missle)を装備した陸上・航空各部門に加え、宇宙空間からの鮫観測を行うために鮫観測衛星すら保有している強力な組織だった。
コンクリート製の恒久陣地内に設置された野戦指揮所に併設された気象台で観測される気圧は低下の一途をたどり、関東平野の枯野にうずくまる戦車やミサイル発射陣地の上に広がる空も不穏な雲行きとともに生暖かい風を吹かせていた。
さらに南方、かつて埼玉県と呼ばれていた地域の平原に点在する無人観測陣地群が鮫観測の報を最後に通信を絶ち始めると、ほぼすべての人員が装甲車両またはコンクリート製の掩体の中へ退避する。
人員の退避が終わると、「音楽鳴らし方始め」の命令とともに陣地各所のスピーカーが大音響で音楽を鳴らし始めた。曲目は伊福部昭作曲「SF交響ファンタジー」。鮫避けに効果があるとされている音楽を演奏するため対鮫自衛隊内に編成された装甲戦闘音楽隊による演奏の生中継である。陣地内部に設けられた音楽ホールから放送される演奏は陣地各所のスピーカーだけでなく、防災無線も通じて放棄された田園の中に点在するスピーカーからも流されている。
複数のスピーカーから流される音楽が、到達時刻のずれによって音が微妙に重なり、互いに干渉しあって元の旋律がわからなくなったマーチの中で薄月は農道をゆったりと歩いていた。電話ボックスの中で少女らしさを強調するようなフリルがあしらわれたふんわりとしたワンピースとマント、深い帽子のいでたちへ着替え、ヴィオラのケースを片手に歩く姿は物々しい前線のわずか数キロ後方の荒野にあっては奇妙な姿だった。その姿を認めた自衛隊員が二人、陣地から出てきて薄月を呼び止めたのも当然のことである。
「現在、鮫災害対策基本法に基づきこの一帯は立ち入りが禁止されています。ここから先は、我々の指示に従って行動してください」
「念の為に言っておきますと、我々対鮫自衛隊には強制的に貴方を拘束する権限もありますがなるべくそれは避けたいのです。従っていただければすぐ安全な場所までお連れしますから」
現場に慣れた下士官クラスと若手の組み合わせなのだろう、親子ほどに年の差のある二人組を前に薄月は口角を大きく釣り上げた笑みを浮かべた。サメとの戦闘が始まったらしく、遠雷のように砲声と爆発音が響く。台風から吹き付けてくる風が薄月のマントを大きくはためかせた。
「大丈夫、私のいる場所が一番安全な場所ですから」
薄月の言葉に、二人は困惑した表情を浮かべ、顔を見合わせた。年かさの隊員が、風に声が吹き散らかされないよう大声で応じる。
「あと数分もしないうちにこのあたりまでサメが飛んできます。我々の陣地でしたらここよりは安全ですからおいでください。強制的に、となりますと後々まで前科が残りますから……」
「ご心配なさらず。私は魔法少女ですから」
微笑んだままそう言い放つと、薄月はヴィオラケースを掲げた。より一層風が強まり、薄月の背中でマントがたなびく。風に吹き飛ばされないよう腰を低くしながら年かさの隊員がもう一方の隊員に怒鳴った。
「もう時間がない。こうなったら拘束するしかない」
若い隊員はなおも困惑したように口を動かすが、その声は風に吹き散らかされどこにも届かない。年かさの隊員が風に耐えながら薄月へと一歩踏み出す。
「鮫災害対策基本法に基づいて貴方を拘束します」
「ほら、危ないですよ」
その瞬間、薄月はヴィオラケースを振るった。ヴィオラケースの外装が吹き飛び、中から肉厚の刃を備えた武器が現れる。金属同士が噛み合う音とともに、肉厚の刃が倍以上の長さに伸び、猛然とエンジンがうなりをあげた。突然の刃物の登場に反射的に身構えるが、その直後二人の隊員の視界から薄月の姿が消え、天地が回転した
側溝に叩き込まれたのだ、と二人が理解した直後に農道上で凶悪なエンジン音が唸り、サメの鳴き声が響く。サメの飛来が始まったのだ。直後、鈍い衝突音と肉が裂かれるくぐもった音、そして甲高い悲鳴が二人の耳を刺した。
「頭を上げるな!」
若い隊員をそう言って制しながら年かさの隊員がわずかに顔を上げる。薄月が秒速数十メートルの速度で飛んできたサメに食いつかれ、肉塊と化しているのを覚悟して顔を上げた彼の目には、予想とは真逆の光景が広がっていた。
強風など全く吹いていないように端然と立った少女が、なんでもないような表情で身長ほどもあるチェーンソーを振るっている。
そして、少女がチェーンソーをひと振るいするたびに彼女の周囲ではサメが血煙と化して強風で吹き飛ばされていく。
風が弱まり、サメの飛来するペースが遅くなると薄月は片手でチェーンソーを振るってサメを切り刻みながらかがみ込み、隊員の顔を上から覗き込んで微笑みを浮かべた。その笑っていない目元を見て年かさの隊員は反射的に、殺される、と思った。眼の前にいる少女はサメの化身か何かではないか、と。そうであれば、生きて帰ることはできないだろう。
そんな恐れを気にすることもなく、薄月は二人の耳元で囁いた。
「大丈夫、あなた方の陣地までお連れしますよ」
そう言うと、薄月はすばやく若い隊員を背負い、チェーンソーを持っていない方の手で年かさの隊員を抱き上げる。
風向きが変わったせいか、SF交響ファンタジー1番が生演奏のような明瞭さで響き渡り、怪獣総進撃マーチから宇宙大戦争マーチへと旋律が移る。
「よく掴まっていてくださいね」
そう言うと同時に、薄月が地を蹴った。耳元でチェーンソーのエンジンが唸り、血しぶきが霧と舞う。数秒もしないうちに、二人は地下陣地の入り口のすぐそばへと放り投げられていた。低い姿勢のまま戸を開けて中に転がり込む。
「いったい、なにものなんだ……」
血煙を残してスポーツカーのような速度で走り去っていく薄月の姿を視界の隅に収めながら年かさの隊員はそうつぶやくと、地下陣地の戸を閉めた。秒速数十メートルで何十体ものサメが飛来する地上はもはや、生身の人間が無事で居られる場所ではない。
そして無事でいられないのは人間だけではない。前線に布陣していた部隊にも被害が出始めていた。大地を底から掘り返さんばかりの砲撃やミサイルでさえ狩り漏らされたサメは秒速数十メートルで戦車の装甲へと押し付けられ、食らいつき、そして複合装甲をも食い破る。車体内に踊りこんだサメは狭い空間で身動きの取れない乗員へと食らいつき、内装で砕かれて破片を巻き散らかす。ときには何十体と連続して叩き込まれたサメの体に耐えられずコンクリート製の掩蔽壕の中にさえサメが躍り込んだ。
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