喪失第一号(Lost No. 1) 6

 食堂に着くや、ローンは手慣れた様子で人数分の紅茶を入れた。周囲は人払いが済ませてあり、儀堂たちしかいない。


「ほう、濃いな」


 ティーカップを口元へ寄せ、六反田は香りを吟味した。あまり強くはなく、ほのかに朽ちた枯葉の懐かしい香りがする。


「あ、ウバか?」


「よくお分かりで」


 ローンは少し驚いたようだった。


「普段から飲まれるのですか?」


「いいや、俺はもっぱら茶か酒だ。昔、ロンドンで駐在武官をやっていてね。そのとき人並みに嗜んだのさ」


「ああ、確か二十年ほど前でしたか。ずいぶんと派手・・に活躍されたと、ロンドン警視庁スコットランドヤードから伺っています」


「はは、おおかたマーズ警部、いや今は警視だったか。そのあたりかな?」


 竹川が小声で尋ねた。


「あの、閣下、何をやったんですか?」


六反田は心外とばかりに言い返す。


「おい、人を下手人みたいな目で見るなよ。俺だって若い時はあったんだぜ。少しばかりやんちゃしただけさ」


「はあ、やんちゃですか」


 気の抜けた声で竹川は言った。ロンドン警視庁から報告される「やんちゃ」など禄でもないことに違いない。


「そろそろ本題に入りませんか」


 儀堂はカップをソーサーに置いた。注がれた茶の大半が残っている。


「お口に合いませんでしたか? ミルクがあればまた違った風味になったのですが」


「いいや、少し冷ましているだけさ。こいつが良い塩梅に温くなるまでネシスの現状を大尉に共有しておこう。閣下、御調少尉に頼んでも?」


 六反田も無言で肯き、許可を出した。二人から視線を投げかけられ、御調は背筋を伸ばした。


「承知しました」


 御調は禍津竜を倒した後、ネシスの死亡を確認するまで過不足なく要約して伝えた。ネシスの喪失を聞いても、ローンはさして驚きもしなかった。儀堂にとって、その反応は予想通りだった。この大尉は英国から送り込まれた情報将校なのだ。状況証拠から<宵月>に何が起きたか悟っていたに違いない。


「状況は理解しました。さて、それで私に何を求めているのでしょうか?」


有体・・に言えば、ネシスを生き返らせたい」


 前置きを省き、儀堂は本題を切り出した。


「そこで貴官なら何か手だてがわかるかと思って今に至る。そんなところだ」


「なるほど、ずいぶんと私を買ってくれているようですね。悪い気はしません」


 六反田が失笑した。


「お前さん、単身で同盟国の機密を分捕りに来たんだろ。向こう見ずの無能か、あるいは肝の座った有能、どちらかだろうて。俺が見たところ後者だ」


「ありがとうございます」


 嫌味なくローンは言った。


「おいおい、まだ続きがあるぞ。もし後者なら、お前さんは気の迷いとかではなく正式な任務として<宵月ここ>で諜報活動をしていたことになる。そいつを忘れてもらっちゃあ困るね」


 ローンは沈黙で答えると、意外なことに儀堂が追撃をかけた。


「いずれにしろ。魔導を扱える士官が<宵月>に派遣されたわけだ。我が国の機密の最高峰、その中核と言っていいこの艦に」


「おや、どうも話の筋が見えなくなってきました。まるでロンドンの空模様だ」


 空々しくローンが言うと、六反田が打ち返した。


「あるいはドーバーの潮流ごとくか。儀堂少佐、言ってやれ。貴官なら俺と同じ答えを持っているはずだ」


 確信をもって、六反田は儀堂へ許可を出した。


「ローン大尉、ネシスの蘇生に協力してほしい。引き換えに、君の狼藉は不問に付す。あの魔導具仕事道具も返す。<宵月>におけるスパイ行為も伏せておく。だから貴官の持てる能力、知識、人脈を提供してくれ」


 ローンは腕を組むと考え込んだ。彼にとって予測の範囲内ではあったらしい。しばらくして口を開いた。


「こんなことを言うと、打ち首かもしれませんが──」


 六反田が促す。


「なんだ、言ってみろ」


「少しばかり、つり合いが取れないように思います」


「アンフェアだと?」


「仮に私が協力するとして、メリットが少ない。いっそのことスパイとして本国に突き出してもらった方が都合がよいのです。さすがに左遷でしょうが、命を取られるわけではない。だいたい今回のミスは全くのイレギュラーなので、多少は大目に見てくれるでしょう。あんな化け物と戦う羽目になるなんて、誰が予想できます?」


 御調がそっと腕を降ろした。その先に刀があった。


「あなたを我々の法で裁くこともできるのですよ」


 御調は射貫くように見たが、ローンには効かなかった。


「どうぞ。それは仕方がない。当然の権利だ。しかしミス御調、残念ながら実現性は低いように思うね。だいたい私自身の証言以外でスパイ行為を裏付けることはできない。そうだろう? しらばっくれたらどうする? 拷問でもするのかね? 同盟国の将校を?」


 挑戦的なローンに対して御調は冷ややかに見ると、手元から硬い音がする。刀の鯉口が切られていた。


「それを抜く前に思い出してほしいな。私の魔導具がなければ、君たちは未だに竜の腹であてもない無間地獄インフェルノの旅を続けていたはず──」


 言い終わる前にローンの首筋に白刃が触れていた。さすがのローンも額に汗を浮かべる。


「御調少尉、それくらいにしたまえ」


 六反田に言われ、御調は何食わぬ顔で刀を鞘に戻した。


「少し肝が冷えましたよ」


 ローンが額の汗を指で拭った。


「そいつは重畳。ここは暑かろう。ちょうどよかったじゃないか。なあ、儀堂少佐」


「ええ、即席の肝試しとしては良く出来たものかと。ローン大尉、非礼を詫びよう。御調少尉は少し気が短いのだ」


 眉一つ動かさず儀堂は軽く頭を下げた。


 これだ、これだから、この日本人どもは始末に負えない。要は調子に乗るなと釘を刺してきたのだ。


「いいえ、少し私もふざけすぎたようだ。ただそれでも解せないですね。別に私を仲介しなくても良いでしょう。それこそ我が国の上層部なら喜んでネシス嬢の蘇生に力を貸しますよ。その方が話が早い。加えて、充分な支援も得られるはず」


「だろうな。しかし何事も無料ただでとはいかない。貴国は協力の代償に何を得ようとするだろうか? 想像もしたくないね。なあ、竹川君」


 竹川は面食らった。この上官は前振りが急すぎる。


「さあ? 月鬼をひとり寄越せくらいは言いそうです。例えばユナモちゃんですか。あるいは魔導機関の解析でしょうか」


「それくらいで済めばいいがな。まあなるべく英国軍には借りは作りたくないってのが本音だ。だが、貴官個人に交渉を持ちかけている」


二重ダブルスパイになれと? あなたにしては不出来なジョークだ」


「もちろん違う。君は祖国を裏切らなくて良い。上官へネシスが戦闘不能・・・・だと伝えてもかまわない」


「どういう意味ですか?」


 ローンは困惑しつつあった。


「アンフェアだとお前さんは言っただろう? だからフェアにしようという話だ。もし大尉がネシス嬢ちゃんの蘇生に協力してくれるのなら、月鬼を進呈しよう」


 思わぬ申し出に六反田以外の者がざわめいた。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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