喪失第一号(Lost No. 1) 7

「閣下、それは……」


 ローンを遮り、儀堂が立ち上がった。


「聞き捨てなりません」


 殺気が瞳から漏れ出ていたが、六反田は飄々と受け止めていた。


「まあ、待てよ。儀堂君、ネシスの嬢ちゃんやユナモちゃんを渡そうって話じゃない。こいつは投資だよ。なあローン大尉、わかるだろ」


 ローンは何事か呟くと日本語で尋ねた。


「投資……つまり未来の話ですか?」


「そうだ。これから先、手に入れた月鬼を貴官の組織に渡そう。それで手を打たないか」


 手を広げる六反田と対称的に、ローンは肩をすくませた。


「虫の良すぎる話だ。それに、あなたたちよりも早く我が軍が手に入れるかもしれませんよ」


「違うな。君は勘違いしている。君の軍ではなく、君の組織に渡すと私は言っているんだ。この意味、わかるだろ」


 それまで微笑すらたたえていた英国人から余裕が失われた。


「さあ、さっぱりですね……」


 恐らく自覚できるレベルで取り繕うのに失敗していた。六反田は破顔したまま追撃をかけた。


「君は、私の経歴を上官から知らされているだろう。私が英国に駐在武官として赴任していた。そのときロンドンで裏世界の一端を覗いたのさ」


 ローンは彫像のように静止していた。


「我が国では魔導全般は宮内省が取り仕切っている。君のところも同様の組織があったとしても何ら不思議ではない。そう、あれはなんと言ったかな」


 渋い顔で天を仰いだ後、ローンを見据える。


「ああ、思い出した。星室庁・・・だ」


 耳慣れない言葉に儀堂が首を傾げる。竹川も同様の反応だった。


 御調少尉がそっと二人に話をする。


「英国の魔導を所管する秘密組織です。それを星室庁と呼び、国内外の魔導士を統括しています」


 小声だったが、ローンの耳にも届いていた。


「おかしいと思っていたんですよ。ロンドン警視庁スコットランドヤードから渡された閣下の経歴には不自然な空白ブランクがあった。巧妙に細工されていましたが……」


「マーズ警視を責めないでやってくれ。彼の名誉のために言っておくが、祖国を裏切ってはいないよ。俺にデカい借りを作っていてね。ただ義理堅い男なだけだ。さて情報部に通じる君なら、駐在武官が別の顔を持つことを理解しているだろう?」


「ええ、それはもう……」


「なら話が早い。私の意向を英国軍ではなく、星室庁へ伝えてくれ。取引がしたいとね。その方がお互いに話が早い。これは断言できる。軍人の私が言うのもなんだが、軍事組織は埒外の案件に対して動きが鈍い。私も月読機関の立ち上げでえらく苦労してね。英国軍がどれほど魔導に明るいかは知らないが、悪い話ではなかろう」


 実際のところ六反田の提案は魅力的だった。ローンら魔導関係者の立場は英国軍内では強くなかった。ローンたちはあくまでも星室庁から国防省へ出向扱いになっており、今のところ諜報部でしか活躍の場を得られなかった。戦局を左右するような影響力は発揮できていない。


 もし英国内において軍を出し抜いて、月鬼を確保できたならば星室庁は今以上に軍での影響力を増大させることができるだろう。そして、それはローンの魔導士としての栄達にも繋がる。


「なるほど、閣下の真意は分かりました。しかしネシス嬢なしにどうやって月鬼を手に入れるのですか?」


「言っただろう。これは投資だ。だからこそ彼女の蘇生を君に手伝ってほしいのだ。だいたい考えてもみたまえ。今の世界、月鬼を手に入れているのはわが国だけではない。よりにもよってドイツが保有している。こいつは英国君らにとって憂慮すべき事態じゃないかね」


「もし我々が先に月鬼を手に入れたら?」


「もちろん、そのときは白紙でかまわない。君は英国軍に戻り、ついでに我々の関係も振り出しに戻っても良い。君らがそれを望むのならばね?」


「あなたたちが約束を反故にするかもしれません。その保証が欲しいですね」


「言うねえ。それじゃ、こうしよう。君をこの後で解放する」


 真意を読めず、ローンはろくな返答ができなかった。六反田はお構いなしに続ける。


「君とて相談相手は必要だ。そのうえで取引の条件を決めてくれればよい。どのみち、先の戦いについて地中海艦隊へ報告しなければならんだろう」


 返事するまで、ローンはたっぷりと時間をかけた。その間に全員のカップが空になったほどだった。やがて意を決すると彼は英国軍人の仮面を付けなおした。


「少し考えさせてください」


「かまわないよ」


 六反田はおもむろに儀堂へ視線を移した。


「儀堂君、お前さんの処遇も彼が結論を出すまで保留だ。いいな」


「了解」


 儀堂は渋々肯いた。可能ならば今すぐにでも話を決めたいところだった。しかし、六反田以上の取引を自分ができるとも思っていなかった。この腹黒の上官はいつも得体の知れない底深さで、場の全てを管制してしまう。


「では茶会はお開きとしよう」


 六反田が手をたたくと腹の肉が踊った。


「ローン君、うまい茶だったよ。次は我々がもてなそう。茶菓子付きでね」


「毒饅頭でないことを祈りますよ」


 食堂が哄笑で満たされた。



 ほどなくローンは<宵月>を離れ、アレクサンドリアに停泊中の地中海艦隊へ向かった。


「あのまま返しても大丈夫でしょうか」


 <宵月>の甲板で竹川がぼやいた。六反田とともに<大隅>へ戻るところだった。


「さあな。どのみちお互いに選択は限られている」


 どこ吹く風で六反田はタラップを降りていき、慌てて後に続く。


「あのまま彼を軟禁することもできまい。スパイ行為で銃殺にもできんし、それなら取引材料に使った方が良いのさ」


「彼が英国海軍に全て話すかもしれません」


「そのときはそのときだが、まあ俺の見立てでは六四いや七三でこちらに分があるね」


「そんなにですか?」


 竹川には解せなかった。先を行く六反田は港の地面を愛しむようにゆっくりとした足取りだった。


「そうだよ。ときに竹川君、彼は軍人かね? それとも魔導士かね?」


 問われて竹川は首をひねった。


「わかりません。その両方ではありませんか?」


 前方の上官はほんの一瞬だけ振り返った。表情までは見えなかったが、自分は不正解だと思った。


 六反田は正解を告げず、ただ呟いた。


「ははっ、毒饅頭とは言いえて妙だな」


 ローンが気づいていたのかわからない。しかし、あの短い茶会で六反田は既に饅頭を食わせていた。


 月鬼の譲渡、それは少なくとも星室庁の主にとり抗えないセイレーンの歌声に等しかろう。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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