喪失第一号(Lost No. 1) 1

【アレクサンドリア】

 1946年6月1日

 

 アレクサンドリアは、ひたすらに乾いていた。地中海沿岸の海風とサハラ砂漠から吹く地方風ギブリがぶつかり合っていた。上を見上げれば、からからの空から太陽光が叩きつけられてくる。


 ふと黒点のような影が太陽を横切っていく。影は翼を生やし、徐々にアレクサンドリアへ近づくと、正体を現した。特徴的な緑色に塗装され、両翼には赤い目玉が刻まれた双発輸送機だった。


 数十分後、じりじりと焼けた空気が揺らぐ中、零式輸送機ダグラスが滑走路に着陸した。つい一週間ほど前に台湾の高雄にある基地を発ち、地球を半周ほどして辿り着いたところだった。


 機体後部の横扉が開いた瞬間、熱波の風を全身に受ける。思わず六反田少将は顔をしかめた。防暑服のあちこちに汗のシミが湧き出していた。


「いやぁ、こりゃあ相変わらずだねぇ」


 独り言を呟きながら、タラップを降りていく。一段足を降ろすごとに、腹の肉がリズミカルにバウンドしていた。地面に足をつけるや、思いきり背筋を伸ばす。


 続けて、数名の日本兵が英国空軍RAF管轄の空港に降り立った。うち一人は六反田と同じ防暑服だった。


 他の兵士はオリーブ色の軍装で、足元は脚絆ゲートルと長靴に身を固めている。肩から合衆国軍が採用しているM1ガーランドをぶら下げていた。


「竹川君、アレクサンドリアは初めてだったか?」


 六反田は振り向くと防暑服の方に尋ねた。


「いえ、まあ……」


 ひどく青い顔で竹川中尉はうなずいた。なにしろ、ここ数日間の大半を機体の中で過ごしてきたのだ。けろりとしている六反田の方がどうかしているのだ。


「前のふねで何度かは立ち寄りました」


 去年まで竹川は地中海で対獣護衛の任についていた。そのとき勤務していた海防艦で寄港したことがあった。大学で考古学を専攻していた竹川にとって、夢のような半舷上陸ひとときだった。


「なるほど。おっと、さっそくお出迎えだ」


 六反田の視線の先に、車両の列が見えていた。



「窓は全開にしないように、注意してください」


 助手席から御調少尉が振り向き、後部座席の六反田と竹川へ言った。


 六反田たちは古めかしいフォード・モデルAに乗り込み、アレクサンドリア市内を走り抜けていた。聞けば日本領事館が所有しているものだった。フォードの背後には、護衛役の兵士を乗せたトラックが続く。


「特に停車中は要注意です」


 御調が念を押す。


「え、なぜですか?」


 慣れない竹川が首を傾げた。以前、アレクサンドリアへ立ち寄った際は大半は徒歩か乗り合いバスで移動していた。


「物乞いだよ」


 先んじて六反田が答えた。


「この界隈じゃ自家用車は珍しい。さぞや金持ちに見えるだろうて。遠慮なしに窓から手を突っ込んでくるぞ。老若男女関係なしだ。酷いときは物乞いから物盗りになる。まあ、そいつも相互理解と思えば、一興だがね」


 意地の悪い笑みを浮かべる。竹川は数センチだけ窓を開け、すきま風で涼むことにした。乗用車は市街を抜けると、海沿いの道路を進み、アレクサンドリアの港湾部に入っていった。漁港らしく、レトロな小型船舶がずらずらと係留されている。魚の腐乱臭が鼻を突いてきた。


 漁港の先、少し離れた岬にカーイト・ベイ要塞が見えた。


 紀元前にはアレクサンドリアの大灯台が建てられていた場所だった。15世紀にマムルーク朝の君主スルタンが要塞を築き、今に至っている。カーイト・ベイは、その君主の名からとったものだ。


 建設から五百年近く経っていも、カーイト・ベイは要塞の任から解かれなかった。屋上に対水上と対空電探が据えられ、英国人が大好きなポムポム砲が取り囲んでいる。平和な世の中ならば、きっと観光施設として博物館にでもなっていただろう。


 やがてフォードを先頭とした車列は、西部の港に入った。途中の検問で英国兵相手に身分証を見せ、通り抜けていく。すぐに六反田は窓を全開にした。さすがに軍港区画に物乞いはいない。広がる景色は漁港とは対称的だった。


「ほほう、なかなかのもんだな」


 潮気を含んだ熱風に煽られながら、湾内を見つめる。


 アレクサンドリア港は数十隻の大型船舶がひしめいていた。漁船に比べれば山のような船が接岸し、港の荷役が人力あるいは重機デリックで、次々と物資を陸揚げしていく。港に降ろされた物資は、すぐさまトラックで倉庫街へ運ばれていった。


「大盛況だな、おい」


 真横の竹川に六反田は言った。


「ええ、でも、あれ……?」


 しかし、竹川は言い淀んだ。部下の解せない顔を六反田は見逃さなかった。


「どうかしたか?」


 悪戯を暴く教師の口調だった。


「いえ、なにかおかしいと言いますか。思ったよりも、人が少ないと思いまして」


「そうでしょうか?」


 バックミラー越しに御調が異議を唱えた。港では人足が、あちこち行き来している。ちょっとしたお祭り騒ぎだ。


「ああいや、違うんだよ」


 竹川は遠慮がちに訂正した。


「その、兵士がやけに少ないなと思ったんだ。いったい、どこにいるのかなあ」


 ボヤく竹川の横で、六反田が目を細めた。その視線は港の先、沿岸にたむろする船舶群に注がれている。


 彼らの視力では捉えることはできなかったが、アレクサンドリア港の外では英国船籍の貨客船が遊弋していた。甲板には手持ち無沙汰になった兵士たちが手すりにもたれていた。英領インドから来たのだろう。特徴的なターバンを頭に巻いていた。


 やがて車列は軍港区画の岸壁へ進入する。フロントガラスの向こうに見慣れた艦影が2隻、連なって停泊しているのが見えた。


 <宵月>と<大隅>だった。


 フォード・モデルAは<大隅>の脇を通り過ぎ、<宵月>の艦尾で停車した。


 すぐに御調が如才ない動きで車から降り、六反田側のドアを開けた。


「おっと、すまん」


 窮屈そうに六反田は身をかがめると、外へ出た。降りた反動で少し車が揺れる。竹川はぎょっとしながらも反対側のドアから降りた。すぐ後ろのトラックから兵士が降り立ち、一人が駆けてくる。分隊長の黒木軍曹だった。


「中尉、我々は手はず通り<大隅>へ機材を運んでおきます」


 竹川はうなずいた。


「頼むよ。僕は六反田少将と<宵月>にいる。何かあれば連絡を寄こしてくれ。話は通しておくから」


 黒木は簡潔に応答すると、すぐにトラックへ戻った。残された六反田と竹川は、旭日旗を掲げる2隻を見上げた。


 <大隅>の損害は皆無だった。収容している飛行隊の消耗もなく、疲労した部品の補充と機材の修理で事足りる。


 一方で<宵月>自体・・の被害も軽微ではあった。禍津竜に溶かされた機銃座や摩耗した砲身は修理と交換が必要だろう。両舷に備えられた爆雷投射機も総点検しなければならない。


 当然のことながら、十八名ほど戦死者も出ている。その全てが<宵月>の乗組員だった。重傷者も内地から交代要員が補充されるまで、配置転換や当直の再編で対応せざるを得ないだろう。


 いずれにしろ、人や機材の替えは効く。たとえ戦死し、壊れようとも。


 しかし、月鬼ネシスの替えはいなかった。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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