死戦の地中海(Bloody Mediterranean sea)6:終

 その瞬間を見届けたものはいなかった。なにしろ、あまりにも刹那的で視認することが叶わなかったのだ。


 しかしながら、居合わせたもの全てが禍津竜の破局を認識することはできた。


 破裂音が大気を揺るがし、周辺十数キロを駆け抜けていく。間髪入れず突風が吹き荒れ、同心円状に波を逆立ていった。


 <大隅>の飛行甲板上の兵士の何名かが難聴に陥り、酷いものは鼓膜が破裂していた。倒れて卒倒している者すら見かける。


「すぐに飛行甲板から退避させろ! これだけじゃ済まんぞ!」


 艦橋で嘉内中佐が怒鳴りつけた。実際のところ、怒っているのではない。鼓膜が悲鳴を上げたせいで、自分の声の大きさが分からなくなっていた。


 禍津竜は<大隅>の右舷側、一千メートル先で破裂していた。質量にして数万トンの肉塊が四方に飛び散ったのだ。たとえ小さくとも数百キロの肉片が時速数百キロで吹っ飛んでいる。加えて一部は天高く放り出され、万有引力の法則に従いつつあった。


 より端的に言ってしまえば、質量数万トンの榴弾が<大隅>の近く破裂した。


 数秒後に<大隅>は肉片の洗礼を受けた。右舷のあちこちに肉片が飛来し、鈍い衝撃音が伝わった。手すりやダビット、機銃座の一部に直撃し、装備を使いものにならなくした。特に機銃座の兵士は不運だった。死にはしなかったが全身が禍津竜の青白い血液にまみれ、耐え難い汚臭で嘔吐を繰り返す羽目になった。


 甲板も悲惨だった。発艦待機中の<烈風>に直撃し、プロペラが交換必至となった。木製の甲板のあちこちが歪み、肉片がこびりついている。


 幸いなことに死者は出なかったが、飛行中の機体が着艦できるまで、相当な時間がかかりそうではあった。


 空を見上げれば、<大隅>所属の一機が飛んでいく。機体は我関せずとばかりに、紅いBMの上空を旋回していた。



「ったく、命がいくつあっても足りやしねえ」


 悪態をつきながら戸張は操縦桿を握りしめた。


 破裂の瞬間、正面から突風にあおられ、戸張は<烈風>の制御を失いかけた。錐もみ状態になった機体をようやく立て直し、今に至っている。


「さて願いましては、お次はなんだ?」 


 左手側に目をやれば、紅く輝くBMが悠々と浮遊していた。敵味方の識別は出来なかったが、敵意は感じられなかった。


「はん、やっぱりか」


 BMの障壁が解かれ、中から見慣れた艦影が姿を現した。あちこちが禍津竜の体液で汚れ、酷い有様だったが<宵月>に違いなかった。


「ほらな、大丈夫って言ったじゃねえか」


 妹の顔を思い浮かべながら戸張は呟いた。



 禍津竜を弾けさせた後、<宵月>は高度を徐々に下げ、静かに着水した。しばらく動きがなかったのは、周囲の把握に時間がかかったからだった。


「二時方向、<大隅>を認む!」


 数時間ぶりに外へ出た見張員が、上ずった声で告げてきた。解放された喜びを抑えきれなかったのだろう。


 儀堂は見張員の示す方へ双眼鏡を向けた。ネシスの視界共有が断たれていたため、裸眼で見なければいけなかった。倍率とピントを合わせると、まな板のような飛行甲板が見えた。


 堰を切ったように電測室から電探の反応を上げられ、通信室から止めどもなく受信報告がなされてくる。どうやら目前の海は幻ではないようだ。


 確信とともに、機関始動を儀堂は命じた。禍津竜の腹の中にいた時、燃料の消費を抑えるために停止させていたのだ。


 矢継ぎ早に指示と応答を済ませていると、脳内に囁き声が響き渡った。


『ギドーよ……』


 ネシスは疲労感を漏らしながら言った。


『妾は……ああ、口惜しや。言の葉を選べぬぞ……』


 彼女にとって伝えなければいけないことが、あまりに多すぎた。しかし、全てを聞き終える前に儀堂が口を開いた。


「休め。お前は、よくやったんだ」


『そうか? そう思うか?』


「ああ、そうだ。これ以上、何を望む? お前があの化け物を倒したんだぞ。これでもう大丈夫だ。だから、今は休め」


 しばしの沈黙の後、ふと息が漏れる。嗤ったのかもしれない。


『そうさな。そうしよう』


 満足げにネシスは言った。


『のう、ギドー』


「なんだ?」


『ユナモと小春へよしなに伝えてくれ。特に小春にな。おぬしの追っているものを放してはならんぞ、と』


「……どういう意味だ?」


 聞き返すも、それきりネシスから返事はなかった。



 全てが終わった時、昼下がりから夕暮れに向かおうとしていた。


 延べ二十時間近い戦闘で、艦隊は三隻の駆逐艦を失い、一隻が大破した。戦艦<ヴァリアント>は中破と判定された。その他に重巡洋艦<エイジャックス>や補助艦艇のいくつかが小破している。


 決して少なくはない損害だったが、引き換えに英国艦隊は奇跡を得ていた。


 数日後、アレキサンドリアへ一隻も欠けることなく輸送船団は入港する。そして、その日を境に輸送船団の喪失は激減していく。


 禍津竜の消滅により、魔獣の組織的な襲撃が無くなったからだ。ときおり群れや遊走個体による襲撃はあっても、それらは護衛部隊によって対処可能な脅威だった。


 一方、第十三独立支隊は奇跡の対価を支払うことになった。


 禍津竜を仕留めてから数十分後、<宵月>から暗号化された電文が<大隅>へ打電されていた。間を置かずして、<大隅>から東京へ向けて打電される。


 長文の最後に符牒が加えられた。


 コヨイハシンゲツ。


 ネシスの喪失を意味していた。


◇========◇

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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